二国間関係

(1)わが国皇室との関係


昭和天皇が皇太子時代の1921年3月、訪欧の途次、巡洋艦『香取』で5日間に渡り当国をご訪問、コロンボの他古都キャンディーにも訪問されました。当時は英国植民地下にあったため、英国総督の歓迎を受けられました。 それから60年後の1981年3月、現在の天皇陛下が皇太子の時代、同妃殿下とご一緒に当国をご訪問、ジャヤワルダナ大統領(当時)のお出迎えを受けられました。両殿下はキャンディーにも行かれ、記念植樹、新種の蘭に「ミチコ」と命名されるなど、日本・スリランカ友好親善の発展に貢献されました。


(2)著名人のコロンボ訪問

 

 コロンボはスリランカの政治・経済の中心地。古くより香辛料の貿易港として栄えると共にアジアとヨーロッパを結ぶ経済・文化の中継地として重要な役割を果たし、今でもエキゾチックな街並みを見せています。

古く幕末の頃から多くの日本人がヨーロッパに赴きましたが、往路・復路共にコロンボは中継地として誰もが旅装を解いたところで、これらの日本人の中には、幕末外交使節団一行、福沢諭吉、森鴎外、夏目漱石、与謝野晶子などの名前があります。

 また、わが国は、1980年より開始されたコロンボ港開発計画に政府支援を実施し、この歴史ある港の拡大、整備に協力してきました。
 

 (3)対日賠償請求権の放棄
 


 故ジャヤワルダナ元大統領は、1951年のサンフランシスコ講和会議にセイロン代表(当時蔵相)として出席し、「憎悪は憎悪によって止むことなく、愛によって止む(hatred ceases not by hatred, but by love)という仏陀の言葉を引用し、対日賠償請求権の放棄を明らかにするとともに、わが国を国際社会の一員として受け入れるよう訴える演説を行いました。この演説は、当時わが国に対し厳しい制裁処置を求めていた一部の戦勝国をも動かしたとも言われ、その後のわが国の国際社会復帰への道につながるひとつの象徴的出来事として記憶されています。


(4)スリ・ジャヤワルダナプラ総合病院
 
 コロンボ市郊外のコッテ市には凛然と輝く国会議事堂があり、首都機能を持つ都市としての開発が進められてきました。スリ・ジャヤワルダナプラ総合病院は、このコッテ市に当国最先端医療を担う病院として、日本の無償資金協力(総額85億円)により1983年9月に完成しました。ベッド数1001床で、内科、外科、産婦人科、小児科、耳鼻咽喉科等からなり、リハビリやICU、全身・頭部CTスキャン等も備え、24時間救急医療を行っている当国最大規模の総合病院となっており、最高水準の医療サービスを提供しているほか、医師の臨床研修の中核施設としても活用されています。

また、同じく日本の無償資金協力によって1999年5月に完成したスリ・ジャヤワルダナプラ国立看護学校と連携し、看護士育成にも大きく寄与しています。

2004年にはスリランカ側の資金により、新たに200床の心臓外科病棟が増築されるなど、わが国支援が被援助国の自立的発展に効果を上げている好例といえます。


(5)日本・スリランカ友好文化基金

 1993年12月、当地日本人会及び日本商工会の協力を得て、 当地本邦の企業及び個人有志からの基金で設立されました。同基金はその運用益により、当国の各種文化行事を支援することを目的としており、発足以来ほぼ毎年1回、スリランカの前途有望な中堅芸術家及び芸術文化団体の活動支援のため「文化賞」として賞状及び賞金を授与してきています。当地では本賞が「Bunka Award」をして呼び慣らされ、栄えある賞としてその地位を確立しています。この事業は在留邦人・日系企業の善意による当地文化振興事業であるとともに当国の芸術文化の多様な姿を当地邦人社会に紹介する良い機会ともなっています。

  近年、この事業をより広く紹介する目的で国営TV局スタジオを会場とし、授賞式の模様を全国放送してもらうと共に、この機会に日本文化芸術家との交流の機会ともすべく歌手、日本舞踊家を招致し、日本文化の紹介も併せて実施しています。


(6)たわし

 ココヤシはスリランカ人の生活に欠かすことができないもののひとつですが、スリランカのココヤシ繊維は、東南アジアなどほかの生産国のものに比べ、繊維が長く質がよいことから海外でも人気が高いものです。特に、古くからシュロ製のたわしを使用してきた日本人には、ココヤシ繊維製たわしは馴染みやすく、日本企業の中にはスリランカにたわし製造のための合弁会社を置いているところもあります。近年、日本ではたわしの用途もマッサージや入浴時での使用などに広がりを見せ、需要に応じた製品製造が行われています。また、いわゆる自然に優しい商品として海外での需要も増え、スリランカ原産のたわしが日本経由で世界中に輸出されているようです。


(7)シンハラ語と日本語
 
 スリランカ人が日本に6ヶ月も滞在すると、大概日本語が流暢になって帰ってきます。外国語をあまり得意としない日本人からみるとうらやましい限りです。シンハラ語の場合、日本語の音はほとんどすべて持っていますので、まず、発音上の苦労は少ない(ただし、「ツ」および「ザ」行の音はない)ようです。また、語順も日本語と似ています。つまり、文は主語で始まり動詞で終止します。「ママ・ランカーウァタ・ヤナウァー」(=わたしは、スリランカに行きます)といった具合です。語順が日本語と類似している点は、日本人にとっても有利ですが、シンハラ語には日本語に無い発音が多数あります。例えば、タ行、ダ行にはそれぞれ4種類の音が、バ行、ラ行にはそれぞれ2種類の音があり、さらに、ア音で2種類日本語に無い音があります。例えば、「バァンクウァ」(銀行)と「バンクウァ」(ベンチ)は、日本人が区別しにくい発音のひとつです。日本語になじみのある単語には以下のような仏教用語に多いのが特徴です。

例:ナラカ(奈落)、ニルワーナ(涅槃)、ボーディサットゥウァ(菩薩)、セーワ(世話)など。


(8)あなた方の思いが私の心に触れた瞬間

-日本とスリランカの心の交流-
 7月26日、14名の日本人が、日本のNGO「JEN」がODA支援として津波被害からの復興活動を行っているハンバントタ県のウナクルワ村を訪れました。この14名は「ODA民間モニター」として、日本国民の税金が日本のODA事業に適正に使われているかを確認するために、7月22日から28日の間、日本国民の代表としてスリランカを訪れ、ウナクルワ村をはじめとした数々の事業サイトを視察しました。

津波以前、ウナクルワ村の住民は、すべての収入を漁業に頼っていました。しかしこのたびの津波により村民はその唯一の収入源を失いました。このため「JEN」は、村民、特に女性の自助努力を支援するため、ココナッツの繊維からロープ、マット、ほうきなどを作るための機械を供与するとともにそれを使い、収入を得るためのノウハウを教えました。ODA民間モニターのメンバーは、村民たちが優れた技術によりココナッツロープなどを製作している様子を見学し、さらに自らも作業に参加しました。そして、日本国民の税金が津波によって被害を受けたスリランカの小さな村で役立っていることに感動し、何名かはマットなどの産品を購入し、日本に持ち帰りました。和歌山県でフリーアナウンサーをしている坂口親宏さんも、そんなウナクルワ村の活動に感銘を受け、ココナッツロープでつくられた玄関マットを購入したODA民間モニターの一人でした。坂口さんは、村民たちの優れた技術に対する賞賛の意を込め、ご自身の家の玄関に持ち帰ったマットを置き、その様子をご子息と共に写真に収め、ウナクルワ村に送りました。その写真を見たウナクルワ村の村民は、自らがつくった製品が日本で使われていることを知り非常に喜び、坂口さんに御礼の手紙を出しました。

“あなた方の思いが私の心に触れた瞬間”-これが今回の小さくとも温 かい出会いに対する坂口さんの思いだったのでしょう。 

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