1.外交関係樹立40周年を祝う

2007年は我が国とモルディブが外交関係を樹立して40周年に当たり、この重要な記念年を祝うために、両国が協力して以下のような様々なプログラムを実施しました。

○TVチーム招待プログラム
我が国はモルディブ国営TVモルディブの4名のTVクルーを07年3月に訪日招待、いずれも訪日が初めてという4名のスタッフは春の日本で、様々な角度から取材、「日本の10日間」と題する特別番組を制作、同TV局で5月、毎週火曜日の夜4週連続で全国放映されました。

このTV番組はモルディブの人々に現地の言葉ディヴェヒ語で、我が国のあらゆる場面を見て、知ってもらう好機を提供することになり、日本、日本人、そして日本の文化についても理解を深めて頂く一助になったことと思います

○記念式典と我が国伝統音楽の特別演奏会
07年11月7日、我が国とモルディブ政府は共同で、首都マレの国立ホール「ダルバールゲ」において、日本・モルディブ外交関係樹立40周年記念式典を開催しました。福田総理とガユーム大統領、高村外相とシャヒッド外相との間で記念の祝辞を交換、荒木大使は式典において記念の挨拶を行いました。
*福田総理祝辞
*高村外相祝辞
*荒木大使挨拶

式典に続き、200名を超える政府関係者、外交団、そしてJOCV関係者を含む在留邦人を前にして、両国の色彩豊かな演奏会が開催されました。
この記念文化公演に日本から参加したのは日本民謡協会派遣の松田隆行(三味線)、小湊昭尚(尺八)、美鵬直三朗(太鼓)の三人で、この祝典のためにグループにより特別に作曲された『暁』を含め6曲の伝統的な邦楽が演奏されました。また、モルディブ側からはダンスと音楽が披露され、文化交流の場を盛り上げていただきました。この式典及び両国の文化公演は同日TVモルディブを通じ全国放映されました。

 

  
『暁』:祝典に相応しい現代的古典邦楽 


モルディブ側の文化公演

 

○活け花と折り紙のワークショップ
07年11月7日及び8日、マレ市内ソーシャルセンターに於いて、メルボルン在住の活け花(一葉式)及び折り紙専門家M.ジャクソン女史をマレにお迎えし、青年海外協力隊員のご協力も得て、活け花と折り紙のワークショップを開催しました。活け花は、モルディブ政府青年スポーツ省勤務の約20名の女性を対象として、折り紙は、マレ市内のみならず離島の小・中学校の児童、生徒35名を対象として実施しました。双方の参加者には、初めて経験する日本の文化を大いに楽しんでいただきました。このワークショップの模様についても、TVモルディブで全国放映されました。

 


女性を対象とした活け花ワークショップ 


子供向けの折り紙教室

○日本・モルディブ祭り
07年12月5日、ナサンドラパレスホテルに於いて、青年海外協力隊モルディブ事務所とモルディブJICA研修生同窓会(JICA-ASM)が共同で両国の外交関係樹立40周年及びモルディブへの協力隊派遣25周年記念『日本・モルディブ祭り』を開催しました。

この祭りは、昨年に引き続き開催されたもので、今年のテーマは「よりたくさんの人々に楽しんでもらえる祭」、「“今の日本”が伝わる祭」で、JOCV隊員、JICA-ASMメンバー、その同僚、家族、友人などが大勢参加、盛況のうちに記念イベントが開催されました。

 
浴衣姿のJOCV北嶋隊員及び加藤隊員      寺岡隊員による浴衣試着コーナー
エネルギッシュでも優雅な『島唄』の熱唱 

 

 

 

 お疲れ様でした

○在京モルディブ大使館の開館
両国の外交関係樹立40周年に当たる今年2007年、モルディブ政府は、東アジア初の大使館を東京に開館しました。これを機会に、両国の友好的な関係が将来も更に強化されることと信じております。

 


 

2.インド洋の首飾り、珊瑚礁の国

○概観

(Courtesy of www.maldives-traveller.com)

モルディブはインドの南方、スリランカの西方のインド洋上に浮かぶ、珊瑚島や砂浜など約1200島からなる群島で構成されています。島々は南北820km、東西130kmにわたって散在していますが、領域の99%が海であり、陸地の総面積は298km2(佐渡島の1/3強)と、アジアで最も小さい国です。

○国名の由来
「モルディブ」という名は、サンスクリット語で「島々の花輪」を意味する"Malodheep"に由来するとされます。これは島々が26の環礁(アトール)のグループを形成し、輪を描くように連なっている様子を花輪にたとえたもの。また、その昔インド洋を行き来していたアラブや中国、ヨーロッパの人々は、この島々を「真珠の首飾り」と呼んだといわれています。


○珊瑚礁の島々

(Courtesy of www.maldives-traveller.com)

モルディブに珊瑚礁が現れたのは今から5億年も昔であると言われています。環礁を意味する「アトール(atoll)」は、モルディブの公用語であるディベヒ語の「アトルー」が語源であり、現在では英語を始め国際的に使われています。モルディブ南部にあるガーフアトールは、世界最大の環礁として知られています。現在ある約1200の島のうち、約200島に住民が居住し、約100島がリゾート島として開発され又は開発が予定されており、残りは無人島です。


○世界有数の超過密都市マレ

大統領府
(Courtesy of www.maldives-traveller.com)

国内最大の都市であるマレは、島全体が首都となっています。面積2.6km2の島内に総人口約30万人の1/3にあたる約10万人が居住し、世界有数の超過密都市となっています。モルディブの人口増加率は近年著しく上昇しており、政治的・経済的・社会的に全ての機能が集中しているマレには、教育、労働などのより良い環境を求めて、地方島からの移住者がますます増加する傾向にあります。 

3.海洋国家モルディブ略史

○海のシルクロードの交差点
モルディブはインド、アフリカ、アジア、中東を結ぶ洋上通商路の交差点に位置し、古来より海のシルクロードの重要な中継地でした。紀元前からスリランカやインドなどから居住民が来島し、定住するようになったと伝えられていますが、具体的な史実はあまり明らかになっていません。中世以降、『三大陸周遊記』の著者としても知られたイブン・バットゥータをはじめ多くの旅行者がモルディブを訪問し、島の生活の様子が様々な形で報告されています。

○仏教国からイスラム国へ
12世紀以前のモルディブは、インド、スリランカから伝わった仏教が栄える王国で、当時の仏教施設の遺構や仏像などが現在でも国内のいくつかの島で発見されています。しかし12世紀半ばに西方からイスラム教が伝わると、モルディブは短期間のうちに、スルタン制のイスラム国へと変貌しました。現在のモルディブでは、イスラム化をもって歴史が始まるとされており、それ以前の歴史に関する研究は殆ど行われていません。なお、仏教に関する遺跡や出土物への一定の配慮は行われています。

○自治と中立外交の伝統
モルディブは1558-73年のポルトガルによる支配を除いて、直接的な外国の統治下に置かれたことはなく、ポルトガルの圧力を何度も撃退した歴史をもっています。17世紀にはスリランカを領有していたオランダ東インド会社、18世紀末からは英国の保護国として、間接的な支配を受けましたが、オランダ人やイギリス人の行政官は派遣されず、島民の首長であるスルタンによる自治が行われていました。1965年に英国保護領の地位から独立を回復、1968年にスルタン制から共和制に移行し現在に至っています。冷戦時代は非同盟中立外交を貫き、東西からの外交圧力に屈せず独自の経済発展を進めました。

○ガユーム大統領による近代化の推進


(Courtesy of Republic of Maldives)

1978年に就任したガユーム大統領は5回の大統領選挙に当選し、30年にわたる長期政権を築いた。就任以降、日本をはじめとする国際的な開発援助の受け入れと、観光産業を中心とする外資導入を通じ、住宅、健康、食料供給、飲料水、電力、教育などの各分野で生活基盤の整備を推進。その結果、30年前は最貧国であったモルディブが、今や国民1人当たりのGDPは3,000米ドルを超え、LDCを卒業できる段階まで発展できた。この間、国民の平均寿命は47歳から70歳に延び、国民生活は大きく向上した。

○民主化と積極外交
2004年以降、ガユーム大統領は、複数政党制の導入など、国内体制の民主化を進める一方、対外的には日本、マレーシア、中国、サウジアラビアなどに大使館を次々に開設し(下記4.も参照)、主要国との関係を強化しつつ、環境分野等で国際世論をリードする積極外交へと踏み出した。本年8月には民主化改革の集大成である新憲法が発効し、モルディブは大きな社会的・政治的変動の時期を迎えている。2009年にはモルディブがSAARC(南アジア地域協力連合)の議長国となる予定であり、我が国もオブザーバーとなっているSAARC首脳会議のモルディブ開催の成功が期待される。

 

○ナシード新大統領の誕生
本年10月に行われた大統領選挙では、複数政党制の下で6人の候補が闘った結果、最大野党MDP(モルディブ民主党)のモハメド・ナシード会長が現職のガユーム大統領を破って当選し、新憲法下の初代大統領に選出された。ガユーム大統領は、結果判明直後に敗北宣言を行うとともに、平和的な政権交代への協力を約束し、民主主義の模範として国内外から賞賛を集めた。なお、今回の大統領選挙には我が国も選挙監視団を派遣し、地方の住民島における投票や開票の模様を視察した。

4.お国自慢
○地上最後の楽園


(Courtesy of www.maldives-traveller.com)

モルディブの魅力は、白い砂浜や抜群の透明度を誇る海など、珊瑚礁を中心とする自然の美しさにあります。地上最後の楽園と言われるほどであり、世界中からの観光客を引きつけてやまず、特にダイバーには絶大な人気があります。近年ではモルディブの人口(約30万人)の倍にあたる年間約60万人がモルディブを訪れており、日本からの観光客は伊、英、独、仏に次ぐ第5位を占め、年間3万9千人(2006年)に達しています。観光立国であるモルディブは、観光資源である貴重な自然を守るため、国民及びリゾート島に厳しい環境基準を課しています。

○海面上昇との戦いの旗手
モルディブは海抜の平均が1.5m、最高でも2.4mという平坦な地形であるため、地球温暖化を原因とする海面上昇と珊瑚礁の死滅により国土が消滅する危険にさらされており、100年後には多くの島が水没するとの説もあります。1987年には高潮、91年には暴風雨で大きな被害を受けたモルディブは、首都の護岸工事(下記4.も参照)等の対策を進めるとともに、他の島嶼国に呼びかけて「小島嶼国連合(AOSIS)」を結成するなど、海面上昇の影響を受けている関係国の声を国際的な意思決定の場に反映させるため主導的な役割を果たしています。

○穏健イスラムの国
モルディブは全国民がスンニ派イスラムの国です。世界中の数あるイスラム国の中でも、国民の100%がイスラム教徒であるのはモルディブとオマーンのみです。モルディブはその経済の多くを観光客からの観光収入に依存している観光立国ということもあり、穏健なイメージの維持に努め、西側諸国とも良好な関係を築いています。

○スポーツ急成長中
近年モルディブ政府は、青少年の健全な育成の一環としてスポーツ振興に取り組んでおり、モルディブは各種の競技で急速に実力を伸ばしています。特にサッカーは、本年6月14日にスリランカで開催された南アジアサッカー選手権決勝戦において、全6回中4回優勝の実力を持つインドを破り初優勝するという快挙を成し遂げました。この優勝は世界に驚きを持って報じられ、モルディブ国民に大きな自信と希望を与えました。モルディブ国内では1週間にわたり祝賀ムードが続き、国中の建物、車両、船舶などに国旗が掲げられました。なお、我が国も83年以来JOCV隊員を青年スポーツ省傘下の機関、学校に対し数多く派遣してきており、スポーツ振興の分野でも支援を行っています。

 

5.日本・モルディブ関係エピソード
○切手に現れている親日感情


(Courtesy of Maldives Post Limited)

モルディブは大の親日国で、経済協力を中心とした長年の交流により、国民の日本に対する親近感は非常に強いものがあります。このような親日的な雰囲気を反映し、1993年には皇太子殿下と雅子妃のご成婚を祝福する記念切手が発行されました。また、同年発行されたエリザベス英国女王戴冠40周年記念切手には、1953年の戴冠式に臨む各国代表の中に、皇太子時代の今上天皇陛下のお姿が含まれています。
なお、変わったところでは、最近のモルディブでのホラー・ブームを受け、日本の「四谷怪談」の浮世絵が切手になり、隠れた人気を博しています。

○我が国の国際平和協力活動への貢献
マレ国際空港は、ゴラン高原PKOやイラク復興支援等に関わる我が国航空自衛隊輸送機の中継地となっています。過去10年間で、往路、復路合わせて、延べ100回以上も輸送機及び輸送隊員を受け入れてきた実績があり、今や我が国が国際平和協力活動を行っていく上で欠かせない重要な拠点となっています。



○鰹節発祥の地?

モルディブの島々では、カツオを燻製にした鰹節を製造しており、近隣国ではモルディブ・フィッシュとして知られています。日本の鰹節とそっくりで、国民の毎日の食卓に欠かせない食材となっています。現地では日本のように薄く削ることはなく、スライスしたり細かく砕いたりしてカレー、スープなどに混ぜて利用しており、新鮮で豊かなカツオ風味は日本人に親近感を抱かせています。
モルディブではすでに14世紀前半に鰹節が製造・輸出されていた記録が残っています。この頃の日本は鎌倉時代末期から南北朝時代の初期で、堅魚や煮堅魚といったカツオの乾燥品の記録はあるものの、鰹節そのものはまだ登場していません。初めて日本で鰹節の記録が登場するのは、さらに百数十年後の室町時代の末期のことです。14世紀前半のモルディブは海のシルクロードの要衝として、各国の貿易船が頻繁に往来していました。日本で初めての鰹節の記録が残されているのが、南西諸島の種子島であることから、モルディブをルーツとした鰹節の製法が、中国・東南アジアとさかんに貿易を行っていた当時の琉球王国に伝えられ、さらに日本本土へ広まったのではないかという説もあります。

○護岸工事と津波
海面上昇や異常気象の影響で、高波による浸水や海岸浸食の脅威に直面しているモルディブに対し、日本は無償資金協力を通じ、87年以降15年間にわたり首都マレ島の護岸工事を支援しました。2004年12月に発生した津波災害により、モルディブ国内も大きな被害を受けましたが、マレ島は護岸工事のおかげで津波の直撃を受けず、壊滅的被害を免れました。こうして首都機能が守られたことは、その後の救援活動や復興事業の円滑な実施に大きく貢献し、我が国のODAの成功例の代表として語られるようになりました。こうした護岸工事を含むこれまでの日本の開発支援への感謝を込めて、2006年6月にモルディブ大統領から日本国民に対して、「グリーン・リーフ」モルディブ環境賞が授与されました。他国の国民全体に対して同賞が授与されるのは初めてのことでした。

○国交40周年と大使館開設
2007年は我が国とモルディブとの間に外交関係が設立されて40周年に当たり、この重要な記念年を祝うために、両国が協力して、記念式典をはじめ、モルディブTVチームの日本招待及びその取材の成果として特別番組『Ten Days in Japan』が全国放映されたほか、我が国伝統音楽の特別演奏会、活け花と折り紙のワークショップ、日本・モルディブ祭りなど、両国が共同で様々なプログラムを実施しました。また、同年2月、モルディブは、東アジアで初となる大使館を日本に開設しました。これまで強い友好関係を築いてきた両国間の関係が今後ますます強化されることが期待されます。

モ ル デ ィ ブ 話 題 集

1.外交関係樹立40周年を祝う
 TVチーム招待プログラム
記念式典と我が国伝統音楽の特別演奏会
活け花と折り紙のワークショップ
日本・モルディブ祭り
在京モルディブ大使館の開館

2.インド洋の首飾り、珊瑚礁の国
概観
国名の由来
珊瑚礁の島々
世界有数の超過密都市マレ

3.海洋国家モルディブ略史
海のシルクロードの交差点
仏教国からイスラム国へ
自治と中立外交の伝統
ガユーム大統領による近代化の推進
民主化と積極外交
ナシード新大統領の誕生

 

4.お国自慢
地上最後の楽園
海面上昇との戦いの旗手
穏健イスラムの国

5.日本・モルディブ関係エピソード
切手に表れている親日感情
我が国の国際平和協力活動への貢献
〇鰹節発祥の地? 
護岸工事と津波
国交40周年と大使館開設

 

対モルディブ経済協力の概要