在スリランカ日本大使館は、モルディブ共和国を兼轄しています。

 

コロンボ案内

 

1.コロンボ基本情報
<位置>
スリランカの南西部北緯約7度、東経約80度に位置し、面積は約37平方キロメートル(杉並区とほぼ同面積)である。

<気候>
気候は年間を通じて湿度の高い熱帯性気候に属しており、気温は年間を通して2~3度の差であまり変化がない。年間平均気温は約28度である。4月~5月が最も暑く、12月~2月は朝夕涼しく、比較的過ごしやすい。
コロンボは4~5月と10~11月に最も降雨量が多く、激しい雷雨を伴うこともある。

 

1月

2月

3月

4月

5月

6月

7月

8月

9月

10月

11月

12月

平均最高気温℃

30

30

31

31

30

30

29

29

29

29

29

30

平均最低気温℃

23

24

25

26

26

26

26

26

26

25

25

24

平均降雨量mm

83

63

114

254

335

190

129

96

157

353

307

152

<人口・民族>
2009年の調査によれば総人口は2045万人、コロンボ市内には約65万人がいる。政府は1985年2月に隣接するスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテに首都を移転し、同地に新国会議事堂を建設したのをはじめ、行政部門の移転を試みてはいるが、遅々として進んでおらず、現在もコロンボが実質的な首都である。民族的にはシンハラ人の他、タミル人、ムーア人、バーガー(ポルトガル人・オランダ人・英国人と現地人との混血)で構成されている。

<宗教>
多数民族シンハラ人の大部分が仏教徒であり、タミル人はヒンドゥー教、ムーア人はイスラム教を信仰している。また外国からの強い影響からキリスト教徒(主にカトリック)も多い。

<公用語>
公用語はシンハラ語及びタミル語。英語も市街では一般的に通じる。郊外では現地語が主である。

<時差>  日本との時差 -3時間30分
(例) コロンボ 08:30 = 東京 12:00

<通貨>   スリランカルピー
角丸四角形: 1米ドル=約108ルピー   1ルピー=約0.7円  (2011年5月) 


<チップ> 
レストラン : サービス料(10%)と税が請求書に加えられているのでチップは不要
ポーター  : 荷物1個につき50ルピー
ホテルのルームサービス: 1回50ルピー
タクシー   : 基本的にチップは不要

<電話>
固定電話から市内通話をかける場合はエリアコード(コロンボ011)のダイヤルは不要。(携帯電話からは011要)ホテルから国際電話を日本へかける場合は以下のとおりダイヤルする。
(外線番号:8又は9)-(国際電話識別番号00)-(日本国番号81)-(市外局番冒頭の0を抜いた番号)

角丸四角形: 日本の外務省にかける場合 00-81-3-3580-3311  〈 国番号 〉 日本 81 / スリランカ 94 / モルディブ 960   インド 91  / タイ 66 / シンガポール 65 

 

<電気>
電圧は220V。日本の電化製品(100V)を使用の際は変圧器が必要。

<写真撮影>
港湾・軍施設などが写真撮影禁止地域である。文化三角地帯として有名なアヌラーダプラ、ポロンナルワ、シーギリヤなどの文化遺跡は入場料を払えば撮影できる。

<寺院拝観>
寺院内に入る際は入り口で脱帽の上、靴を脱ぐことを求められる。また、ノースリーブのシャツや膝上丈のショートパンツやスカート等、男女を問わず肌の露出が多い服装で寺院内に入ることは禁じられている。また、仏像、仏僧に対して不敬の感を与えるような態度、例えば石仏の上に座ったり仏像を背にして写真を撮る等の行為は厳に慎むべきである。

<保健・衛生>
当国は年間を通じて高温多湿な熱帯性気候であり、その上国民の衛生観念も十分でないことから熱帯特有の疾病がある。デング熱は蚊が媒介する病気であり、蚊取り線香や虫除けスプレーの塗布等、蚊に刺されないような対策が必要。生水や生ものは極力避け、飲料水は必ずろ過・煮沸したもの、或いはミネラルウォーターを用いるべきである。

 

 

<治安-外国人訪問者が注意すること->

  1. 一般的には外国人に対する凶悪犯罪は少ないとされているが、各地で強盗、侵入窃盗、詐欺、置引きなどの犯罪は増加傾向にあり、注意する必要がある。
  2. 旅行者の旅券、現金を狙った盗難も見られる。不用意に旅券や現金を人前に出さない。
  3. 夜間の単独外出は、治安が良いとされている地区でも控えるべきである。
  4. スリーウィラーを利用する際は事前に相場料金を把握しておき、法外な料金を請求されないようにする。
  5. 暗くなってから女性が単独でスリーウィラーに乗車しない。
  6. バスに乗車する際はスリに注意する。女性は痴漢にも注意が必要である。
  7. 交通事情が悪いため大通りの歩行には車に十分注意する。また車の運転はなるべく避ける。
  8. タバコを購入する際はばら売りしている露店では購入せず、スーパーなどの店舗を利用すること。麻薬入りタバコを売りつけられ逮捕された事案あり。

<市内交通手段>
【スリーウィラー】
コロンボ市内どこでも見かける庶民の足。乗り心地は決して良くないが、近距離の移動には十分活用できる。料金は交渉制なので、乗る前に行き先と値段を交渉する(1km約70ルピーが相場)。但しコロンボ市内の交通事情は良くなく、交通事故を避けるためにも長距離の利用は避ける。また、日没後の利用は治安上避けた方がよい。

【レンタカー】
タクシーに比べ割高になるが、一日中頻繁に移動するのであればレンタカーの方が便利である。
1日ドライバー付きのセダン車を借り上げる場合、料金は6、000ルピー程度である。及びセダン車一カ月借り上げはドライバー無しで60,000ルピー程である。

【バス】
バス路線は国内くまなく行き渡っており、市民の足として重要である。エアコン付きのバスも主要都市間を走っている。バス路線図はしっかりしたものがなく、乗る時に行き先を確認して利用する。料金は格安であるが、車両は古く、運転も乱暴である。

【鉄道】
鉄道は全て国有であり、植民地時代に敷設されたものが主体。コロンボ・フォート駅を起点に国内各地へ放射線状に伸びている。コロンボ~キャンディ間はノンストップ急行のインター・シティ・エクスプレスも運行している。車両は古く、乗り心地も良くはない。

【タクシー】
日本のように流しのタクシーはなく、電話でタクシ-を呼ぶ。通常約20分程度で指定の場所に来る。(雨天の場合や渋滞時は40分程かかる場合もある。)メーター制なので料金は安心できる。コロンボ市内であれば200~400ルピー程度で移動できる。市内から空港までタクシーを利用する場合は2,500ルピー程度である(約45~60分所要)。

KANGAROO  CAB

011ー258258

NANDO TRANSPORT LANKA

011-268268

ACE CABS

011-281281

この他、一流ホテルで乗車できるホテルタクシーもある。料金は高めだが、乗り心地は良い。

<出国に際して> 
(1)コロンボ市内から空港へ
航空会社のチェックインカウンターは通常3時間前から開く。出発の2時間前到着を目安に空港へ出発するとよい。コロンボ市街から空港までは車で1時間程度みると余裕をもって到着できる。
(2)チェックイン
出発ターミナル入口でX線検査を受け、チェックインカウンターへ進む。航空券とパスポートを出して手続きをし、荷物を預ける。(超過重量が出た場合、カウンター沿いにあるエクセス料金支払い所で支払いを済ませ、レシートを持って再びカウンターで搭乗券の発券手続きを受ける。)空港使用料は航空券購入時に支払われているため、空港で支払う必要はない。
(3)出国手続き、搭乗ゲートへ
カウンターで搭乗手続きを済ませたら、「出国カード」を記入し、出国手続きを済ませる。エスカレーターを上ると免税店やオデール・デパートの支店や喫茶店がある。ビジネスクラスの待合室は2階にある。
(4)通関
古美術品、骨董品などは持ち出し禁止。また、ワシントン条約に規定される象牙、べっ甲などは国際的な商業取引の規制対象となっており、仮に当地で購入したとしても日本への持ち込みは不可。



2.コロンボの歴史
アラブ商人の来島(7世紀~)                                            
天然の港を持った小さな漁村であったコロンボに、7世紀頃から香料や宝石を目当てにアラブ商人たちが来島し始めた。これから後のヨーロッパ人の来島まで、アラブ商人の交易地の一つとして静かな港コロンボは世界に名をあげることはなかった。

ポルトガル人の入島(16世紀~17世紀)                                 
16世紀始めにポルトガル人が来島し、これまで貿易を独占してきたアラブ人を追い出すとともに、コロンボに砦を築き、それを足掛かりにしてスリランカ西部沿岸一帯を中心に植民地政策を進めていった。ポルトガル人は、シナモンや胡椒などの香料貿易の独占を図る一方で、砦を中心に町を作り、教会や学校、兵舎、商館などを建設した。

オランダ人の入島(17世紀~18世紀)
17世紀に入るとオランダが登場し、ポルトガル人との間でシナモン貿易の主導権争いを展開した末、オランダがポルトガルを駆逐した。オランダは貿易の利権にとどまらず、運河、港の整備に着手し、またシナモンのほか煙草、ココナツ、コーヒー、胡椒等の輸出農作物の栽培を奨励するなど積極的な植民地経営を行った。貿易の発展に伴ってコロンボは拡張を続けた。ポルトガル砦の改修、フォート地区の整備、裁判所設置など法制面の整備もこの時代に行われた。

イギリスによる植民支配(18世紀~20世紀)
1796年オランダに代わった英国は、木の病気のため滅びかけていたコーヒー畑を紅茶プランテーションに替えることに成功した。またゴムのプランテーションを次々に導入し、本格的な植民地経営の構築を進めた。特に紅茶栽培の成功は貿易港コロンボを活気づかせ、英国総督は港の整備に着手した。1815年に英国はキャンディー王朝を併合。全島を植民地化し、首都をコロンボに定め、1865年には市政を施行した。

独立から現在
第二次世界大戦後の1948年にスリランカはイギリス連邦内自治国「セイロン」として独立、コロンボは引き続き首都となる。英国が去った後もコロンボは当国最大の貿易港・商業都市として繁栄を続けており、1985年首都が現在のスリー・ジャヤワルダナプラに移された後も経済・政治の中心としてますます繁栄の一途をたどっている。

 

3.観光(コロンボ市内)

 


1
フォート地区 -Fort                                                  
コロンボの中心。主要ホテル、大統領府、大統領官邸、外務省、国防省の他、中央銀行、中央郵便局など主要機関が集中している。ワールド・トレードセンターもあり、経済の中心となっている。同地区は、16世紀にポルトガル人が砦を築いたことから“フォート”と名付けられた。その後英国人が城壁を撤去し、司法、行政、立法、経済の中心地として発展させていった。フォート地区のシンボルは、英国植民地時代に“世界で唯一の中心街にそびえ立つ灯台”として建設された時計台で、時計台のすぐ北西には旧英国総督邸がある。
   
  ペタ-地区 -Pettah                                                 
小さな商店が所狭しと建ち並び、日用雑貨、電気用品などが売られている。また、この地区には国鉄中央駅(コロンボ・フォート駅)及び長距離バス停車所があり、終日多くの人で賑わっている。名の由来は“ピタ・コトゥワ”(フォートの外)から来ている。ポルトガル及びオランダによる統治時代には、イスラム商人とバーガーが住む高級住宅地であったが、今日では当時の面影はなくなっている。
   
1
ゴールフェイス・グリーン –Galle Face Green                                  
フォートの南から、海岸沿いに広がる芝生の広場。1859年、セイロン総督ヘンリー・ワード卿の提案で造られ、軍隊のパレードなどに使用されていた。日中はクリケットや凧揚げに興じる若者の姿を見かけ、夕刻には老若男女が多数訪れる市民の憩いの場になっている。広場の南端に位置する「ゴールフェイス・ホテル」は、英国植民地時代の1864年に建てられたコロンボで最も歴史のあるホテルで、建物を見に訪れるのもよい。
   
1
ガンガラーマ寺院 -Gangaramaya Temple                                    
ベイラ湖の湖畔に建つ仏教寺院で、コロンボ市内で最も大きな寺院である。2月のポヤ・デーには盛大なペラヘラ祭りが開催される。
   
1
シーマ・マラカヤ寺院 - Seema Malakaya                                     
ベイラ湖に浮かぶ寺院。スリランカが生んだ世界的に有名な建築家ジェフリー・バワの設計で有名である。
※ジェフリー・バワ
(Goeffrey Bawa, 1919-2003)
スリランカを代表する現代建築家。特にリゾートホテルの設計で有名。
   
11
独立記念広場 –Independence Memorial Hall                                  
1948年2月4日の独立を記念して建設されたもの。広場には初代首相Don Stephen Senanayakeの像がある。
   
1
コロンボ国立博物館 –Colombo National Museum                       
1877年に設立されたスリランカ最大、最古の博物館。白く荘厳な佇まいは人目を引く。1階には歴史関係の展示物が並ぶ。アヌラーダプラ期の仏像、ポロンナルワ期のブロンズ制の仏像、キャンディ王朝時代の玉座など、見る物が多い。2階は民俗学関係の物が多く、悪魔祓いの仮面、民族服、世界の人形コレクションなどがある。クジラの骨が吊されている一角もある。
   
  ヴィハーラ・マハー・デーウィ公園 –Vihara Maha Devi Park                         
コロンボの中心に位置する公園。イギリス占領下の際にクィーン・ビクトリア公園の名前で作られ、独立時に現在の名称に変更された。この名前はシンハラ王朝の王女であるヴィハーラ・マハー・デーウィからとられたもの。この地域一帯はかつてシナモン・ガーデンズと呼ばれ、シナモンの栽培が行われていた地域であった。現在ではその面影はなく、大部分が住宅街となっている。公園の敷地はかなり広く、付近にはタウン・ホール、国立博物館などもある。特に3~7月にかけては様々な花々が咲き乱れる。
   
4.観光(コロンボ近郊)  
   
 11 ケラニア寺院 –Kelaniya Temple
スリランカの年代紀『マハーワンサ』(大史)によれば、釈迦は三度スリランカを訪れており、その最後の来島の際にケラニヤを訪れたとされ、現在仏舎利塔が立っている場所に釈迦が降り立ったとされている。コロンボの北東約8キロに位置するこの寺院の堂内一面に描かれた釈迦の前世物語や仏説話の壁画、堂外の彫刻は有名である。本堂には涅槃像のほか仏教守護神像もある。仏舎利塔は典型的な覆鉢型である。仏歯寺がキャンディーを中心とする高地シンハラ人のより厚い信仰を受けているのに対し、ケラニヤ寺院はコロンボを中心とする低地シンハラ人の最大の信仰対象となっている。
   
  デヒワラ動物園                                                    
コロンボの南約10キロに位置する。アジア最大ともいわれるこの国立動物園には、世界各国からの多種多様な動物が緩やかな起伏のある20ヘクタールの敷地内に飼育されている。この動物園は、哺乳類、鳥類、爬虫類の豊富なコレクションを有し、毎夕(17時15分~)象の曲芸が行われる。開園時間は午前8時30分から午後6時。年中無休。
   
1
スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ                                          
コロンボの南東約10キロに位置する。1400年頃から約120年間シンハラ王朝の都として栄えた「スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ」は、シンハラ語で「勝利を増進する町の要塞」の意。1977年に登場したジャヤワルダナ政権がコロンボから当地への首都移転を発表、1982年2月に新国会議事堂も完成している。1985年2月に正式に首都となり、諸官庁など国家・行政部門が逐次移転する予定であったが、大統領府をはじめ政府機関の大部分は依然コロンボにおかれている。
国会議事堂はジェフリー・バワ(※P.7)の設計である。
   
1
マウント・ラヴィニア                                                  
コロンボの南約13キロに位置する海岸リゾート地で小高い丘に立つマウント・ラヴィニヤ・ホテルは、元英国総督の別邸で毎年多くのヨーロッパ人観光客が訪れる。

 

Copyright (C) 2012 Embassy of Japan in Sri Lanka                                                                                                                                                                                                                                  法的事項|  アクセシビリティについて | プライバシーポリシー 

No.20, Srimath R.G. Senanayake Mawatha, Colombo7, Sri Lanka
Tel: +94-11-2693831/2693832/2693833
FAX: +94-11-2698629