在スリランカ日本大使館は、モルディブ共和国を兼轄しています。

   

 

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スリランカ内政・外交(2011年5月1日-5月31日)

1 内政

(1)民族問題の解決・和解
●政府と最大タミル政党連合TNAの直接協議: 12日,政府代表団(N.S.デシルバ大臣,G.L.ピーリス外相ほか)は,TNA議員団と直接協議を実施。政府は第二院の設置及び構成を提案したところ,TNA側は,むしろ第13次憲法修正の完全実施に向け権限移譲を進めるべき,と反論。同日,政府は別途EPDP(TNAとはライバル関係にある北部タミル政党)とも会談。会談後,ランブクウェラ報道大臣は記者会見において,「TNAとの協議は続いているが,我々はTNAを唯一のタミル政党の代表と考えている訳ではなく,他のタミル政党とも協議していく」と発言。また政府とTNAは,25日にも再度協議。協議後,スマンディランTNA議員は,「我々は政府に提案した権限移譲案に関する政府側の反応を待っているが,回答がいたずらに延期され続けており,落胆している」と発言。
●過去の教訓・和解委員会(LLRC): 9日,LLRCは6ヶ月の任期延長を政府に要請。翌10日,「ラ」大統領はLLRCの任期延長について,「(自分からLLRCに要請したのではなく,)LLRCが延期を要請してきたので,それを承認したまでである。時間をかけて報告書を仕上げるのは良いこと」と発言。
新たな人権調査機関設置か: 25日,プリヤンタ・ペレーラ「ス」人権委員会(HRC)委員長は,政府はHRCの下に,北・東部州の人権・基本的権利侵害状況の調査機関を新たに設置し,6月にも活動を開始する予定である,と発言。他方,29日,政府軍も,戦闘末期の状況に関する調査委員会を新設し,戦闘末期に前線で戦った政府軍兵士たちからの証言を聴取した旨明らかに。
元LTTE要員の解放: 17~18日,政府は釈迦生誕2600周年にあたるウェサックに際する恩赦として,元LTTE要員850名が追加解放。
緊急事態令: 5日、国会での緊急事態令を巡る討議において,ジャヤラトナ首相は,「緊急事態令は既に最大限緩和されている」と述べ,これ以上の緩和措置については触れず。
北部州議会選挙: 10日,「ラ」大統領は記者団に対し,「北部住民の再定住プロセスと有権者登録が完了すれば,北部州議会選挙を間もなく実施する」と発言。

(2)終戦2周年
政府軍は,5月19日から6月19日までの1ヶ月間を「戦争英雄記念月間」に指定。27日にはコロンボ中心部のゴールフェイス・グリーン広場でラージャパクサ大統領出席の下で戦勝記念セレモニーを実施。当日は雨天となり,昨年に比べ国会議員の出席者は減少したものの,報道では祝勝ムード演出。大統領演説では,民族問題の解決の上で外国からの介入を拒否し自前で問題解決すべき,と主張。

(3)市民による抗議デモ・ストライキ
●全国大学教員によるストライキ: 5日,全国の大学教員らは,200%の昇給等を求めてストライキ実施。大学幹部の90%以上が辞表を提出し受理され,全国の大学は機能不全に。これに対し,10日,「ラ」大統領は,200%の昇給要求を拒否。また25日,「ラ」大統領は大学教員連盟(FUTA)と直接協議。協議は平行線に終わり,FUTAは今後も抗議行動を続けていくと宣言。こうした中,政府は,全国の大学新入生約1万2千人を対象に全国28箇所の軍施設で3週間に亘るリーダーシップ訓練を開始(23日)。
●労働組合による抗議デモ: 24日,コロンボ国際空港近辺の自由貿易区の私企業労働者たち約2万人が,「非関税地域労働組合(FTZTU)」の指導の下,政府の提案する年金制度法案に反対し抗議活動を実施した。参加者の多くはアパレル産業の労働者であった。治安部隊も出動し,15名逮捕。


(4)最大野党UNPの動向
3日,UNP諮問委員会は,党6役の一ポストであるナショナル・オーガナイザーに,カルナナーヤケUNP国際部長(ウィクラマシンハ総裁の側近の一人)を選出。これに対し,「ウィ」総裁派と対立する党改革派のサジット・プレマダーサUNP議員らは,「カ」議員の選出は違法であるとして地方裁に提訴。

(5)在外LTTE残党の動向
●ネディヤワン氏逮捕: ノルウェー・オスロにおいて,「ノ」在住のLTTE残党の中心的人物の一人であるW.ネディヤワン氏(通称,注:本名はペリンパナヤガム・シワパーラン。在外LTTE残党の中でも最も過激・暴力的な派閥と言われる)が逮捕され,18~19日にオスロ裁判所に出頭。
●国際警察(インターポル)がKPを再指名手配: インターポルは,ラジブ・ガンディー元印首相殺害事件にLTTEが関与していたと証言したKP(通称,注:プラバーカランLTTE指導者死亡後,LTTEの新指導者として名乗りを挙げたが2009年にマレーシアで逮捕)を,再度,指名手配する手続き実施。

 

2.外交

(1)国連: 専門家パネル報告書の公表後の動向
●国連本部とのコミュニケーション: 5月1日(メーデー),与党連合UPFAはラージャパクサ大統領出席の下,国連専門家パネル報告書に対する抗議を大々的に打ち出した大規模な集会をコロンボ市内で開催。同日,G.L.ピーリス外相は訪問先のオマーンからバン国連事務総長に電話をかけ会談し,「ス」政府の戦後の努力を認めてもらうよう書簡を書く旨伝達。4日,バン国連事務総長はコホナ国連代表部大使と会談し,「「ス」政府には専門家パネル報告書の勧告を真剣に捉えてほしい」と伝達。10日,「ラ」大統領は記者団に対し,「(国連報告書への対応について,)LLRCの報告書が提出されるまで,誰も口出しすべきでない」と発言。20日,ネシルキー国連報道官は,「「ス」政府或いは政府間機関からの要請がない限り,バン事務総長は独自に戦争犯罪調査を開始することはない」と発言。他方,10日,紛争下の文民の保護に関する安保理公開討論において、エイモス人道問題担当国連事務次長は,戦闘末期の一般人の死者数統計について国連報告書で言及された4万人という数字を引用。
●ジュネーブ第17回国連人権理事会(UNHRC): 30日,UNHRC開始。ピライ国連人権高等弁務官は,「国連専門家パネル報告書の勧告を完全に支持する。「ス」戦闘末期の人権状況に関する国際調査メカニズムが設置されるべき」と発言。これに対し,訪寿したサマラシンハ・プランテーション大臣(人権担当)は,「国連は客観性を欠き偏見に満ちた専門家パネル報告書を受理し,マンデートを超えて公表するなど,中立性・独立性を欠いている。政府はLLRC等の国内プロセスを進めており,その結果を待たずして報告書を出すのはおかしい。他方,国連とは今後も建設的な対話を続けていく」と発言。なお,27日,クリストフ・ヘインズ国連特別報告者は,「超法規的殺害,即決・恣意的処刑に関する報告書」を提出。英テレビ局チャンネル4が報道して物議を醸した「ス」政府軍によるタミル市民処刑動画を分析した結果,「真正である」との結論を発表。

(2)西側諸国との関係
●米国:  4日,訪「ス」したブレイク米国務次官補は声明を発表し,戦後復旧・復興の進展状況を具体的に列挙するなど,「ス」政府への配慮を前面に。また国連専門家パネル報告書のように「ス」国内の取り組みである「過去の教訓・和解委員会(LLRC)」の意義を否定するのではなく,「LLRCは重要な役割を担っている」とし,その活動を支持・慫慂する立場を改めて示唆。これに対し,「ス」政府は国連との対話が重要,との米国の見解に合意。
●EU: 10日,アシュトンEU外務・安全保障政策上級代表は声明を発し,「「ス」に関する国連報告書の公表は,「ス」の説明責任にとって重要な進歩。EUは,「ス」政府が同報告書における建設的な目的を理解し,国連事務総長と協力していくことを期待する」と発言。また12日,ストラスブールで開催された欧州議会総会で「ス」に関する緊急討議を開催。「ス」政府に対し国連専門家パネル報告書の勧告に基づき措置を取るよう求める修正決議(an ammended resolution)を採択。

(3)アジア諸国との関係
●インド: 16日,G.L.ピーリス外相が訪印し,シン印首相,クリシュナ印外相らとそれぞれ会談。翌17日には共同声明を発表。印政府は「ス」に対し,真の民族和解の実現に向け,IDPの再定住,緊急事態令の早期撤廃,人権状況調査の実施,戦争被災地の平常化,を要求した旨記載。また13日,印タミル・ナドゥ州議会選挙の結果が発表され,ジャヤラリータ元TN州首相率いるAIADMKを中心とする政党連合が圧勝。州首相に返り咲いた「ジャ」AIADMK党首は,「「ス」大統領をジェノサイド及び戦争犯罪の容疑で国際裁判所の裁きにかけるよう,印中央政府に強く働きかける。また経済制裁等,他の手段を講じ,「ス」に外圧をかけていく」と発言。これに対し,「ス」政府は,「「TN州政府が代わっても,印中央政府の政策に変更はないはずである。印・「ス」関係は友好的である」と反応(15日)。
●中国: 23日,「ピ」外相は,中国北京を公式訪問し楊潔チー(注:竹冠に虎の字)中国国務院外交部長らと会談。「ピ」外相は,国連専門家パネル報告書に関する「ス」政府の見解を説明し,支援を要請。これに対し,楊外交部長は,「中国としては「ス」政府・国民が,自らの問題を解決出来ると確信している。中国は「ス」が和解と復興の実現に向け,「ス」と共にある」と発言。
●日本: 3~4日,日本の菊田外務政務官が訪「ス」し,「ラ」大統領,「ピ」外相らと会談。また12日,側嶋外務副報道官はデイリーミラー紙の電子メール・インタビューに応え,「日本は「ス」政府が国連と緊密な協力関係を持ちつつ,国民和解と説明責任の課題に取り組むことを期待。また国内プロセスであるLLRCの活動を通じて,国民和解に向けた具体的な措置を期待する」と発言。
●非同盟諸国: 26日,G.L.ピーリス外相は第16回非同盟諸国外相会議に参加するため,インドネシア,バリ島を訪れ,NAM議長国エジプトのナビル・アル・アラビ外相と会談。
●パキスタン: 3日,ジャヤラトナ首相は,「(ウサマ・ビン・ラーディン氏殺害について,)一国の軍隊が別の主権国家内で勝手に活動し,人を殺害することが何故許されるのか理解できない」と発言。
(了)  


スリランカ内政・外交(2011年4月1日-4月30日)

 

1 内政

(1)民族問題の解決・和解
●政府と最大タミル政党連合TNAの直接協議: 7日,政府はTNAとの第4回直接協議を開催。両者は戦後の課題への取り組み(北部住民の人道問題,復旧・復興問題)を協議。会談後,セネティラージャTNA議員は「第13次憲法修正では民族問題の解決としては不十分であり,権限移譲を実質的に行える新たな政治メカニズムが必要」と発言。また30日には,第5回直接協議開催。民族問題の政治解決の問題,及び権限移譲に関する基本理念等に関し協議された他,国連報告書に関するTNAの声明に関し激しい議論が行われた模様。本協議後,ウィクラマナヤケ前首相(統治向上・インフラ整備担当上級大臣)は,「「ス」への戦争犯罪容疑をかける報告書を支持するような政党とは最早交渉はできない」として,今後の直接協議には参加しない意向を表明。しかし「ウィ」前首相の辞意にも拘わらず,政府・TNAともに協議を続けていく意向を表明。
●過去の教訓・和解委員会(LLRC): 20日,LLRCは,「5月15日までに最終報告書を完成させ,大統領に提出する予定」と発表。
●緊急事態令緩和へ: 24日,ジャヤラトナ首相は国会において,「政府は法律家や関係政党との協議を進めた上で,緊急事態令を来月にも緩和する」と宣言。
●元LTTE要員の解放: 1日,北部の元LTTE要員社会復帰施設から新たに206名が解放。23日にも480名解放。7日,「ジャ」首相は国会において,「全体の70%にあたる6,000名以上の元LTTE要員が既に解放され,社会復帰を果たした。残る30%についても,本年中にはすべて解放予定」と発言。
●国防費削減へ:ラージャパクサ大統領発言: 6日,「ラ」大統領は,「これからは戦争に関する国家支出を,貧困と苦境の削減に関する研究開発に向けるべき。単に紛争を終わらせるだけでなく,戦争経費を,福祉や開発分野に転換させることも,我々「ス」政府の人道政策の一部。国防費を開発に転換していく決意を世界に示したい」と発言。

(2)地方行政改革
●地方議会選挙法改正案
5日,地方議会法特別法案及び選挙法改正法案が国会に提出され,第二読解まで可決。更に最終読解の段階に達した際,同法案はシンハラ語版のみが提出され,タミル語版が提出されなかったことが問題となり,最終投票は後日延期に。
●コロンボ市議会の機能縮小か
野党UNP筋によると,政府はコロンボ都市圏の5つの地方議会(コロンボ市議会,マウントラヴィニヤ=デヒワラ市議会ほか)の行政機能を,コロンボ市公営社(Colombo Metropolitan City Corporation: CMCC)に移し,CMCCに一括運営させる方向。UNPはこれを違法として,提訴する構え(5日)。

 

2.外交

(1)国連: 専門家パネル報告書の提出・公表
●公表の経緯: 12日,スリランカ内戦末期の人権問題を扱う国連専門家パネルは,バン国連事務総長に対する助言を目的とした報告書を提出。翌13日,この要旨部分(Executive Summary)が「ス」メディアに漏洩。25日,国連は自ら報告書全文(2011年3月31日付,196頁)を公表。なお,報告書の背景には,英・米国内のタミル・ダイアスポラ団体(「グローバル・タミル・フォーラム(GTF,注:親LTTEのタミル人ダイアスポラのグローバル・ネットワークの一つ)」や「在米タミル人政治行動評議会(USTPAC,注:2009年設立)」)からの強い働きかけがあったとの説も。
●報告書内容: 「ス」政府への配慮が少なく,極めて批判的な内容。「ス」政府とLTTEによる戦争犯罪の可能性を示唆する説が並べられ,国際法違反に値する可能性があるとの解釈。更に,国連との共同声明の内容に反して,人権状況への説明責任が果たされていないとし,特にLLRCは国際基準を満たさないとして意義を否定し,新たに独立した国際的な調査メカニズムを新設すべき,と提案。
●「ス」国内の反応: 「ラ」大統領をはじめ,「ス」政府関係者は本報告書の内容は事実ではないと一同に否定し,国連・欧米側の認識を問題視する姿勢。G.L.ピーリス外相は,「本報告書は事務総長個人への助言のためのもののはずであり,この公開はマンデートを超えた行為。国連とは協力し合う用意ができているが,報告書を受け入れることはできない(21日,記者会見)。」,「ダルスマン報告書(注:パネルの中心メンバーであるダルスマン氏の名前を,揶揄的に付した呼び名)」は,欠陥が多く,情報源にバイアスがかかっており,証拠もない(27日,外務省声明) 」との見解。政府に限らず,最大野党UNPも批判的な見解を示したが,例外的に最大タミル政党連合TNAのみが歓迎声明。報告書提出当初は,祝日(シンハラ・タミル正月:13~14日)であったことから,抗議活動等の騒ぎは起きなかったものの,大統領自身が5月1日のメーデーに国を挙げて抗議活動を行うと宣言。他方,20日,治安当局は,「5月1日の国連に対する抗議集会では,当地国連職員には決して危害を与えさせない」と発言するなど,慎重な姿勢も。総じて,「ス」政府の反応は,表向きは反発・抗議の姿勢を示しつつも,その半面で,緊急事態令の緩和を宣言する等,国連・欧米に配慮し,柔軟な姿勢を見せるようになっているとの見方も。
●国外関係者の反応: 27日,英国・米国はそれぞれ歓迎声明を発出。他方,露・中国が「ス」政府支持を表明。30日,ミハイロフ当地露大使は,「もし国連安保理で「ス」を取り上げようとする決議が出ようものならば,露は反対し,拒否権を行使するだろう」と発言。同日,Hong Lei中国外務省報道官は,「「ス」政府と国民は,内戦の問題に必ずや適切に対応できると信じている」と擁護。

(2)西側諸国との関係
●米国:  ブレイク米国務次官補が,親LTTEのタミル・ダイアスポラ・グループの代表格と言われるGTFのエマニュエル師,及び英BTFのスレンディラン代表らと,国務省内で会談した事実が明らかに(4日付)。また6日,「ブ」次官補は米下院議会下の外交委員会で発言し,「「ス」における人権状況と戦闘末期の状況,民主的な組織の弱体化及び運用状況等,を憂慮している。今後の米と「ス」の協力関係は,「ス」側がどれだけ人権状況の改善を行い,内戦末期の状況についての説明責任を果たすかにかかっている」と発言。また8日,米国務省は,国別報告書を発表し,「ス」の人権状況や親族支配を巡り「ス」政府の対応を批判。
●英国: 3月30日より英国を公式訪問したG.L.ピーリス外相は,フォックス国防大臣,バート外務次官らと会談(ヘーグ外相との会談は実現せず)。その後,「ピ」外相は約1週間に亘り,私的に英国滞在。
●SAARC: 5日,コロンボ市内のホテルで第9回SAARC警察関係者会合が開催。加盟国7カ国が出席(「ス」からはゴタバヤ・ラージャパクサ国防次官)。同次官は,「南アジア地域の国際法を強制できる機関として,SAARCPOL新設を提案。
●国際人権団体: 9日,ヒューマンライツウォッチ(HRW)は声明を発し,「「ス」政府は,戦闘末期に拘束されたLTTE要員の情報を隠蔽したまま,説明責任を果たしていない。特に政府軍が拘束したはずの20名ほどのLTTE幹部の行方が分からない」と主張。

(3)アジア諸国との関係
●日本: 11日,菅首相は,「ス」が東日本大震災に際して支援をしてくれたことに対する感謝のメッセージを発表。
●インド: 2日,印ムンバイにおいて,クリケット・ワールドカップ決勝戦(スリランカ対インド)が行われ,接戦の末,印が勝利。ラージャパクサ大統領及びナマル・ラージャパクサ議員(大統領の長男)がパテル印大統領と共に観戦。5日,ソニア・ガンディー印コングレス党指導者は,チェンナイでの選挙集会において,「印政府は「ス」政府に対し,タミル人の平等な権利と社会的地位の保証に向け,憲法を改正するよう圧力をかけている」と発言。13日,印タミルナドゥ州議会選挙実施。
●バングラデシュ 18日,バングラデシュを初めて公式訪問した「ラ」大統領は,ハシーナ「バ」首相と会談。両国は,農業,教育,家畜,情報・商業の各分野において,協力関係を強化すべく,5つの覚書に署名。同行したG.L.ピーリス外相はモニ・「バ」外相と会談。

 

 


 

スリランカ内政・外交(2011年3月1日-3月31日)

 

1 内政

(1)選挙
●全国約7割の地方議会で選挙実施: 17日,全国335の地方議会の内,約7割にあたる234議会(3市議会,30 町議会,201村議会)で選択的に選挙実施(有権者数: 9,813,365名)。与党連合UPFAが234議会中,205議会で勝利し,各紙とも「与党圧勝」と報道(ただし,得票率で見ると,2大政党の勝差は約21ポイントで,昨年の総選挙での勝差とほぼ同じ)。野党各党は完敗ムード。特に最大野党UNPは伸び悩み,第一党となれた議会が僅か9と極めて少ない結果に終わったことから,党内のリーダーシップ問題が再燃。野党JVPは1議席も抑えられず完敗。最大タミル政党連合TNAは,北・東部で健闘。18日午後,ディサナヤケ選管委員長は選挙プロセスに関する声明を発し,「過去の地方選挙と比べると,良い雰囲気の中で投票が行われたが,一部の政党・団体の選挙キャンペーン期間中及び投票日におけるマナーは,国営メディア等の国有資源の濫用も含め,遺憾である」と発表。なお,警察によると,選挙キャンペーン期間中の死亡者数は2名,逮捕者140名,不満件数162件。
●最大野党UNPの動向: 地方選挙での惨敗を受け,UNPは21~23日に亘り党作業部会を開催し,党リーダーシップ改革を巡り協議。その結果,現職のウィクラマシンハ総裁が満場一致で改めて再選。また党副総裁ポストは1名から2名に増員され,現職のカル・ジャヤスーリヤ副総裁の他に,党改革派のサジット・プレマダーサ議員が就任する運びに。3名を中心とした寡頭体制となるも,リーダー間の力関係に大きな変化はないまま。24日,「ラ」大統領は,再選を決めた「ウィ」氏に祝辞を発信。
●選挙管理委員長の交代: 24日,「ラ」大統領は,D.ディサナヤケ選挙管理委員長の同職退任の希望を受け入れ,後任にデシャプリヤ氏を任命。新選管委員長となった「デ」氏は,1983年より選挙管理委員長補佐,2006年より選管副委員長を歴任。

(2)民族問題の解決・和解
●過去の教訓・和解委員会(LLRC): 25~27日,LLRCは追加の公聴会を東部州アンパーラ県等で追加実施。30日,LLRCはこれを持って公聴会を終了し,最終報告書を5月に大統領に提出する旨発表。
●政府と最大タミル政党連合TNAの協議: 18日,最大タミル政党連合TNAは大統領府を訪れ、G.L.ピーリス外相ほか政府幹部らと協議。今後も協議を続け、次なる憲法修正も含めた協議を行っていくことで合意。セナティラージャTNA議員は,TNAとして今後,4月7日及び27日に政府と協議を行う予定であり,7日の会合で高度警戒地域(HSZ)の縮小問題及び元LTTE要員の解放と社会復帰に関する問題を協議し,27日の会合までに権限移譲に関する提案を纏め,提出したい考えを明らかに(26日)。また「セ」議員は,「TNAは北部州への警察権限,土地権限,森林保護の権限の移譲を望んでおり,今後,「ラ」大統領との協議の中で提案していく」と発言。本年2月にクリシュナ印外相が訪「ス」した際,「ク」外相から「ラ」大統領に対して第13次憲法修正を超えた措置を要求すべきであると助言された」と発言。
●政府軍の北部プレゼンス縮小の兆候: 4日,政府軍は過去16年間に亘り政府軍51師団が占拠していたジャフナ市内の「スバシュ・ホテル」を,今般元の所有者に引き渡すと発表。また17日にはジャフナ市内のヴィクトリア・ロードを開放し、ジャフナ市内からすべてのHSZの除去が完了したと発表。
●北部における政府軍による住民登録問題: 最大野党TNAの議員らは,政府軍が北部州ジャフナ県・キリノッチ県の住民らに対し,登録を強要し,彼らの顔写真を撮って回っているとして,これを即時に停止するよう求める基本的人権訴訟を最高裁に提訴。3日,検察も本問題の所在を認め,軍に対しこうした措置を即時停止するよう勧告。

(3)国内NGOへの懐疑論
国内の平和関連NGOに欧米からの経済支援を疑問視する論調高まる。特に,大手政策提言型NGOである「代替政策センター(CPA)」,「国民評議会(NPC)」,トランスパレンシー・インターナショナル(TI)」の3団体には,過去3年間で合計6億ルピー以上の資金が,ノルウェーら欧米から流入した由。こうした報道に続き,犯罪捜査局(CID)は,最大の被供与団体の一つとされる国民評議会(NPC)を含め,海外ドナーから経済支援を受けてきたNGOを対象に資金運用に関する捜査を進めている旨明らかに。本件に関し,26日,「ラ」大統領も記者団に対し,「野党や一部のNGOが真実を歪めて国際社会に伝えるなど「ス」国民の利益に反する行為を行っており,憂慮される。一部のNGOに使途不明な資金がある疑いがかけられていることによる捜査である。説明責任の問題は,NGOにも問われるべき」と発言。

(4)コロンボ市公営社(CMCC)の新設
24日の閣議において,政府はコロンボ市議会をはじめ,コロンボ地域の5つの地方議会による開発プロセスを支援する機関として,「コロンボ市公営社(Colombo Metropolitan City Corporation: CMCC)」の新設を決定。CMCCは大統領によって任命される任期6年の市知事(Governor)によって運営され,コロンボ市議会ほか関係地方議会と並存する由。

 

2.外交
(1)アジア諸国との関係
●日本: 東日本太平洋沖地震災害の発生を受け,被災者への哀悼の声多数。11日,「ラ」大統領は日本の天皇陛下宛に書簡を発し,地震・津波の被災者への哀悼の意を表明。また「ラ」大統領は高橋邦夫在「ス」日本国大使に架電し,「ス」として津波災害に対する支援を行う用意がある旨伝達。また13日,「ラ」大統領は100万ドル相当の支援を実施したいとの意向を発表。16日以降,「ス」政府要人が当地日本大使館を訪れ,弔問記帳を実施(「ラ」大統領(18日),「ピ」外相(18),ウィクラマシンハ最大野党UNP総裁(16日))。また27日午後6時より,大統領官邸において,「ラ」大統領の主催により,追悼仏教式典が開催され,式典の模様は同日テレビでも全国放映。全国の寺院でも追悼式開催。
●インド: 9日、国会討議において,ジャヤラトナ首相は「LTTE残党のプガレンドランという人物が,印タミルナドゥ州内3カ所で秘密裏にテロリスト養成訓練を行っているとの情報があり,印政治関係者が標的とされる恐れがある」と発言。これに対し,10日,当地印大使館は声明を発し,「ジャ」首相の発言は事実ではないと否定。本件に関し,野党UNP議員は「「ジャ」首相は国会の場で証拠のない話を述べ,印との関係を悪化させた。「ジャ」首相は直ちに辞任すべき」と非難。新聞各紙も「ジャ」首相を批判的な論調。また29日,ウヤンゴダ外務次官補が訪印し,印政府との間で,漁業資源の持続性及び両国の漁民の生活・安全・安全保障に関する指針(roadmap)に合意。
●リビア:  4日,リビアのガダフィ大佐は「ラ」大統領に電話会談を持ちかけ,リビア国内の情勢について説明。これに対し,「ラ」大統領は,一刻も早くリビアに平和がもたらされることを願うと伝えた他,リビア国民の命を守るよう要請。また22日,ピーリス外相は国会において,「「ス」とリビアの関係は親密であり,それ故,リビアを危機に貶めるような空爆は容認し難い。国連安保理決議の目的は市民の命を守ることにあり,今回のような行動はマンデートを逸脱している。リビアでの暴力を停止する必要があり,平和的に解決されることを願う」と発言。
●中国: 17日,北京を訪中したシランティ・ラージャパクサ大統領夫人は文化展で講演を実施。22日,北西部州ノロッチョライにおけるラク・ウィジャヤ火力発電所建設(中国による経済支援)第一工程の完了式典が開催。ただし,本件報道では,中国の存在は前面に出ず。
●ブラジル: 7日,パトリオータ・ブラジル外相が訪「ス」し,「ラ」大統領ら,政府要人と会談。

(2)西側諸国との関係
●国連: 4日にバン国連事務総長に提出予定であった国連専門家パネルの最終報告書は,数週間遅延されるとの報道。本件に関し,8日,サマラシンハ・プランテーション大臣(政府人権担当)は,ジュネーブ国連人権理事会(UNHRC)から帰国後の記者会見の中で,「国連専門家パネルはバン事務総長に報告を行うにあたって,手続き的な問題を抱えているようである。そもそも国連専門家パネルは安保理との相談もなしに設置された経緯があり,国連人権理事会にも提出されなかった」と発言。また26日及び28日,「ラ」大統領は記者団に対し,「国連専門家パネルの報告書は,LLRCのような広い見地に基づく内容にはならず,一つの見解を述べる程度のものとなるだろう。国連パネルが訪「ス」を希望しLLRCで証言したいというなら歓迎するが,調査目的での訪「ス」は許されない」と発言。
●米国:  米上院議会は,「ス」政府に対する戦争犯罪調査を巡り独立した国際調査を求める決議を可決。これに対し,4日,「ス」外務省は声明を発し,「米国は「過去の教訓・和解委員会(LLRC)」の成果を軽視しすぎている」と反論。8日,ブテニス当地米国大使は大統領府にて「ラ」大統領と会談し,紛争後の開発プロセスへの支援の意志を改めて表明した他,「ス」政府と最大タミル政党連合TNAとの協議の進展,戦後の民族和解プロセスの進展等につき協議。
●EU: 9日,当地EUは声明を発し,「地方議会選挙前に発生している暴力を懸念している。既に死者2名を記録しているほか,負傷者も大勢いる」と非難。26~30日,G.L.ピーリス外相はチェコを公式訪問し,シュワルツェンベルグ・チェコ副首相兼外相らと会談。
●英国: 外交筋によると,G.L.ピーリス外相は4月上旬の訪英を希望しているが,ヘーグ英外相がこれを許可していない模様。
●アムネスティ・インターナショナル(AI): 9日,AIはジュネーブ国連人権理事会(UNHRC)の場で発言し,「「ス」政府はキャンプに拘束中の人々を即時解放すべきであり,国際基準に則り抑圧的な反テロ法を改正すべきである」と主張。
●ICRC: 27日,ICRCが北部州ワウニヤ事務所の活動を終了し,北部から撤退。

 (了)  

スリランカ内政・外交(2011年2月1日-2月28日)

 

1 内政

(1)大雨洪水災害第2波
2月2日から全国的に降り続いた大雨の影響で,東部,北中央州・北部州を中心に洪水災害が拡大し,124万人以上に影響。3日午前中までの一日間の降雨量は,東部州各県で160mm~187mm,北中央州ポロンナルワ県で161.4mmを記録。全国の被害状況は,死者11名,全壊家屋1,161件,半壊家屋8,412件,一時避難者250,501名,一時避難所653カ所,決壊貯水池約500カ所,田畑の被害約30万エーカーとなり,被害は特に東部州・北中央州・北部州に集中。政府は,大雨洪水災害の被害総額は約330億ルピーと見積もり,本額を大雨洪水災害に対する支援に割り当てる計画を発表(12日)。他方,国連も,「大雨洪水災害第二波は,1月の第一波よりも大きな被害をもたらした」との見解発表(7日)。

(2)民族問題の解決・和解
●ラージャパクサ大統領発言: 4日,「ラ」大統領はカタラガマで開催された独立記念式典で演説。何よりも経済開発に邁進するとの姿勢を強調するも,民族問題の政治的解決・権限移譲には全く触れず。噂される「ラ」大統領の健康問題について初めて触れ,自ら健康である旨アピール。


●政府と最大タミル政党連合TNAの協議: 3日,最大野党タミル政党連合TNAは政府幹部と会談。TNA側は「憲法修正や民族和解等の課題について,今後とも政府と協議していくことが合意された」との見解(3日)。他方,「ラ」大統領は3月1日実施予定の政府とTNAとの再協議について,「LTTEが戦闘中追求してきたような(民族問題の)解決方法は決して認めない,解決方法についての時間的期限は設けない,現在は北・東部地域住民への支援や開発が何よりも重要」と発言(22日)。


元LTTE要員社会復帰問題: 政府は「過去の教訓・和解委員会(LLRC)」からの勧告を受け,LTTE元兵士等関係者の拘留について協議する為の検事副総長等4名から成る特別委員会を設置。同委員会はブーサのLTTE関係者拘留キャンプの視察を行い,今後,彼等に対する然るべき措置を講じていく予定(21日付)。


北部州のハイセキュリティゾーン(HSZ)問題: 政府情報局は声明を発し、政府は目下、戦争被災地における「土地返還制度」の立ち上げを検討中であり、LLRCからの最終勧告を待って,実施に移す方向である旨明らかにした。また同声明では,HSZ問題にも触れ,「HSZに指定されている土地の解放を進めている,既に2,500ha(2,392世帯)の土地が返還された,パライ地区では,HSZ周辺の土地が元の所有者に返還された」と述べた(20日付)。


タミルダイアスポラとの和解: 2月上旬,独・豪・米・加・英からのタミル人ダイアスポラの代表団が訪「ス」し,ゴタバヤ・ラージャパクサ国防次官と会談。

(3)地方議会選挙は一部延期
20日,ディサナイケ選挙管理委員長は,政府与党を含む各政党より立候補受付プロセスにつき異議が申し立てられ,裁判で係争中となっている60の選挙区につき,3月17日に選挙を行わず,延期する方向である旨明らかに。また24日,裁判所は,政府与党UPFAからの異議申し立てを受けて,選管に対し裁判結果が明らかになるまでは同地域の地方選挙を実施しないようにすべきとの命令を発出。


(4)印漁民拿捕問題
15日,北部ジャフナの海域において,「ス」領海内で印漁民たちが漁を行っているとして,腹を立てた「ス」漁民たちが,108名の印漁民を乗せた複数の漁船を一挙に拿捕し,「ス」警察に引き渡す事案が発生(なお16日にも更に印漁民26名を拿捕)。現場には,「ス」海軍の船舶も居合わせていたが状況を傍観していた由。本事件を巡り,16日,カニーモジ印タミルナドゥ州DMK議員(注:カルナーニディ印TN州知事の娘)は,事件には「ス」海軍が関与していると非難すると共に印漁民の釈放を求め,1,000名の群衆とともに在チェンナイ「ス」領事館に向け抗議の行進を行おうとしたところ,チェンナイ警察に逮捕された。これに続き,16日,シン印首相は,「我々は非常に深刻な問題と捉え,「ス」政府側と協議をしている。隣国であっても,このような行為は容認できない」と発言。また17日,クリシュナ印外相はG.L.ピーリス外相と電話会談を行い,印漁民釈放に向け「ス」政府が全力を尽くすことを願う,との希望を伝達。18日,「ス」当局は,印・「ス」海峡で「ス」漁民らにより拿捕された印漁民136名を釈放。印漁民らは,「ス」海軍の護衛の下,印海上保安警備隊に引き渡された。21日,ジャフナのインド領事館前において,「ス」漁民のグループが,インド漁民の密漁に反対する抗議の座り込みを実施。22日,ラージャパクサ大統領は,当地メディア関係者との会談の際,遅滞なくインドと「ス」との間で懸案となっている漁民問題を解決する為に,インドと「ス」との間の共同委員会(2006年に設立)を再活性化させ,本件を平和裡に解決すると発言。

(5)クリケット・ワールドカップ
17日,バングラデシュでクリケット・ワールドカップの開会式開催(インド,スリランカ,バングラデシュの共催)。20日には,本ワールドカップに合わせて建設された南部ハンバントタの「マヒンダ・ラージャパクサ・スタジアム」がお披露目され,初試合開催。

(6)サーラット・フォンセーカDNA指導者に関する動向
8日,「フォ」前国防参謀長(現野党DNA指導者)の逮捕・拘留から1周年。「フォ」が拘留されているウェリカダ拘置所の前では,アノマ・フォンセーカ夫人,アマラシンハJVP指導者ら「フォ」支持者による座り込みの抗議活動実施。

 

2.外交
(1)アジア諸国との関係
●インド: 12日,メイラ・クマール印ローク・サバー(下院議会)議長が訪「ス」し,コロンボで開催された第3回英連邦議員連盟アジア地域会議に出席した他,「ラ」大統領ら政府要人と会談.。22日,故プラバーカランLTTE指導者の母親の葬儀に参加しようとしたティルマバラン・タミルナドゥ州議会議員他3名のインド人が,コロンボ国際空港において,入国管理局により強制退去処分に。24日,シン印首相は,印国会において,「ス」との間の漁民問題に触れながら,「ス」政府に対し,「ス」で生活するマイノリティであるタミル人に対し快適な環境を提供する義務があると発言。


●パキスタン: 13日,ミルザ・パキスタン国会議長が訪「ス」し,「ラ」大統領を表敬訪問。


バングラデシュ: 23日,アブドゥル・ムディーン・バングラデシュ陸軍司令官が訪「ス」。


●中国: 24日,ランブクウェラ報道大臣は閣議後の記者会見において,「「ス」は間もなく中国から5000万元相当の経済・技術協力の無償資金援助を得られる予定である」と発表。


●韓国: 24日,パク・ユンジュン韓国大統領特使が訪「ス」し,「ピ」外相と会談した。「ピ」外相は,「韓国の代表団は「ス」への投資増大に高い関心を示してくれた」と発言。


●カタール: 16日,カタールを訪問した「ピ」外相はアール・サーニ・カタール国首長と会談。


●SAARC: 13日,ブータンを訪問した「ピ」外相は第13回SAARC閣僚会議に出席。

(2)西側諸国との関係
●国連: 23日,ジャヤシンハ外務次官,モハン・ピーリス検事総長,コホナ国連大使らは,「バ」事務総長を表敬し,最近の「ス」情勢,特に,国民和解に向けた動きとしてLLRCの中間勧告を受けて,「ス」政府としての取組みにつき説明。他方,27日,第16回国連人権理事会(UNHRC)年次総会(2月28日~3月25日)に出席するためジュネーブを訪問したサマラシンハ・プランテーション大臣(政府人権担当)は,ピライ国連人権高等弁務官と会談し,「ス」の人権状況に関するブリーフィングを実施。翌28日には,「サ」大臣はUNHRC年次総会開会式において 「緊急事態令の必要性如何については,「ス」政府が然るべきタイミングでどのようにするか決定する(注:暗に将来的には緊急事態令を廃止することを暗示)。IDPについては再定住は進み,キャンプの残留者は1万2,000名となった。タミル政党との対話も進展している他,タミル政党らは新たな政党フォーラムを結成するなどして課題に取り組んでいる。LLRCからの勧告を受け,政府は最近,676名の元LTTE要員を解放した他,ハイセキュリティゾーンも縮小化され,元の土地所有者に返還中」と発言。


●EU: 23日,EU議会は包括的な検討を実施した結果,LTTEを外国テロ組織として再び認定し,関係団体の活動禁止,資産凍結等の措置を継続する方針を決定。25日,訪「ス」したジャン・ランバートEU議員を中心とするEU議員団は,「今回の訪「ス」は戦争犯罪調査とは何ら関係ない。またEU内でのLTTE取り締まり問題とも何ら関係ない。「ス」政府の話では,最早EUからの特恵関税措置GSPプラスの供与如何については既に結論が出ている話であり,今後新たに再申請する意志はないとのことであった。政府の北部州開発の努力には感銘を受けたが,開発は住民参加を規範として行われる必要がある。政治的課題は未解決のままであるが,TNAとの対話の開始は歓迎している」と発言。


●英国:  「タミル人のための全政党議員連盟(APPGT)」に所属する41名の英国会議員は,キャメロン英首相宛に書簡を発し,「ス」戦争犯罪への国際的な独立調査を要求。本書簡では,「「ス」が戦争犯罪を犯した可能性が高い。米国務省,EC,ICG,国連も確かな証拠を集めており,我々英国会議員にとっても重要な問題」と言及。21日,バート英外務・連邦省南アジア担当次官が訪「ス」(~22日)。

  (了)  

 


 

スリランカ内政・外交(2011年1月1日-1月31日)

 

1 内政

(1)ラージャパクサ大統領発言・動向
●年頭所信表明(1日): 「国のレベルを上げることこそが最大の課題であり,開発に向け,政府として大がかりな対策を取っていく。経済的恩恵を平等な分配を通じ,「ス」社会が失ってきたものを早期に取り戻していく。母国を統一し,発展させていく上で,国家の統一(national unity)こそが鍵である。」
●外国メディア駐在記者らと会談(14日): 「民族問題の政治的解決については,全ての政党からの提案を聞いた上でコンセンサスを取っていく方針である。」

(2)東部州を中心とした大雨洪水災害
●被害状況: 東部,中央州,北中央州を中心とした大雨洪水災害により,108万人以上に影響。全国の被害状況は,死者23名,負傷者36名,全壊家屋2680件,半壊家屋16,274件,一時避難者325,000人,決壊貯水池400箇所,水没した田畑40万エーカー。被害は特に東部州に集中(東部州バティカロア県では,過去42日間だけでほぼ年間降雨量と等しい降雨量(1,602mm)を記録)。13日,アマラウェラ災害管理大臣は,「2004年の津波以来,最大の自然災害となった」と発言。深刻な食糧不足に陥る恐れを指摘する声も。スリランカ政府は,支援対策局を設置し,1億4,000万ルピーの緊急支援予算に充当。 政府軍は17機のヘリコプターを動員して食糧・医療等の支援物資を空輸。15日には,バジル・ラージャパクサ経済開発大臣が東部州バティカロア県を訪問し,被害状況を視察。なお,大雨は16日までに概ね収まり,最大時で39万人を記録した一時避難者も帰宅を始め, 17日までに5万人まで減少。
●国際社会による支援: WFP,印,カナダ(24万米ドル相当),日本(200万円相当)がいち早く緊急支援を実施。続いて,米(30万米ドル相当), EU(200万ポンド相当),ノルウェー(1億6,500万ルピー相当),英,独,中国(152万米ドル相当)も支援表明。また19日には,国連が5,100万米ドル相当の支援を国際社会に求めるフラッシュ・アピールを発表。なお同日,ブラッグ国連事務次長補佐(人道問題担当)が来「ス」し,東部州バティカロア県を訪れて大雨洪水の被害状況を視察。

(3)民族問題・解決
●過去の教訓・和解委員会(LLRC): 27日,LLRC事務局は,一般国民からのレポートの受け取り及び公聴会は1月末日をもって終了する意向を表明。LLRCは5月の最終報告書の提出に向け,これより3ヶ月間,報告書の取り纏め作業に移る由。
●白旗事件を巡る裁判
25日,コロンボ高等裁判所は,フォンセーカ前国防参謀長(現:野党DNA指導者)の白旗発言疑惑(注:大統領選挙戦期間中だった昨年12月に「フォ」氏が、ゴタバヤ・ラージャパクサ国防次官がLTTE指導部が白旗を持って降伏してきたにも拘わらず、これを全て殺害するよう命じたと当地英字紙サンデーリーダー紙に述べていた件)に関して,ゴタバヤ・「ラ」国防次官に対する証人喚問を実施。ゴタバヤ・「ラ」国防次官は,「「フォ」氏の発言は全く真実ではなく,意図的な欺瞞である」と述べ,事実関係を否定。本証人喚問には「フォ」氏自身も傍聴のため出席。
●北部IDP,元LTTE要員,在印難民の状況: 5日,政府発表によると,北部IDPキャンプの残留者数は2万名を切り,元LTTE要員社会復帰センターの滞在者も11,500名の内,既に5,500名が解放済み。また在印タミル人難民の状況について,6日,当地UNHCR代表は,「「ス」への自発的帰還者数は,2009年843名,2010年2,054名と増加中であり,殆どが印タミル・ナドゥ州からの帰還者であった」と公表。
●北部州の治安悪化か: 北部州で殺人・失踪・誘拐事件の報告相次ぐ。4日,デーワーナンダ伝統産業・小規模企業振興大臣(注:北部ジャフナを拠点とする与党タミル政党EPDPの指導者)は国会において,「北部州では犯罪の波が押し寄せ,人々の間で恐怖意識が拡がっている」と発言。これに対し,政府軍は「デ」大臣の発言は事実ではないと否定すると共に,これらは一般犯罪であると主張(5日,M.ハトゥルシンハ・ジャフナ県政府軍司令官発言)。他方,市民団体「我らスリランカ人同盟」によれば,殺害された者の多くが政府批判を行った人間であり,例えば,昨年12月26日のジャフナ県教育局副局長のシワリンガム氏は,シンハラ語での国歌斉唱規則化について公に政府批判を行ったことに関連して殺害された由。犯罪多発地域は,治安当局の管轄下にあるが,警察は事件を一向に捜査しようとしない」と政府を批判。本件について,20日,国会でもウィクラマシンハ最大野党UNP総裁が取り上げ、「北部ジャフナでは最近,僅か8日間の間で10名もの殺害事件が発生したとの報告がある」と政府側に質問。一連の犯行が誰の仕業であるかを巡り,EPDP説,政府関係者説,LTTE残党説が入り乱れる状態。なお,29日,北部州ジャフナ県ポイント・ペドロにおいて,与党EPDPの活動家1名が路上で死亡。
●北部州インフラ開発: 17日,北部州ジャフナ半島と南部を結ぶA32号線に位置するサングピディ橋(全長288m,建築費10億ルピー,英国の低利借款)が完成し,「ラ」大統領が式典に出席。

(4)地方議会解散・3月に全国一斉に選挙実施へ
6日,政府は北部州・東部州を含め全国各地の地方議会の解散を宣言。選挙管理委員会は解散された地方議会については,3月17日に一斉に選挙を実施すると発表。全国335件中301で実施される(市議会4(総数23),町議会39(総数41),村議会258(総数271)。なお今次北部州で行われる町議会・村議会選挙は,1987年以来24年ぶりとなる。政府は今回解散しなかった残る地方議会の任期を3ヶ月間延長する旨発表。本年4月以降には解散され,選挙が実施される見込み。選挙の最大の焦点は,現与党の勢力状況如何。

(5)野党の動向
●最大タミル政党連合TNAの動向
10日,TNA議員団はタミル民族問題の政治的解決を巡り,政府幹部(G.L.ピーリス外相,ウィクラマナヤケ統治向上・インフラ整備担当上級大臣ら)と協議。またTNAは次期地方選挙に向け, TULF,PLOTE,EPRLFスレシュ派,TNLAは,最大タミル政党連合TNAの下で選挙戦に臨む方針を決定。
●サーラット・フォンセーカDNA指導者に関する動向
6日,JVPは記者会見を開き,地方議会選挙に向け,JVPは最早DNA(注:サーラット・フォンセーカ前国防参謀長率いる野党・野党連合)とは同盟は組まないことを決定した旨明らかに。また6日,T.アレスDNA議員も,DNAとしては次期地方議会選挙に出馬しない考えを表明。これにより,拘束中の「フォ」にとっては厳しい痛手となり,DNAと「フォ」の政治生命は,最早「死に体」も同然との見方も。

 

2.外交
(1)アジア諸国との関係
●インド: 12日,印漁師3人を乗せた漁船が印南部を航行中銃撃を受け,1人が死亡。「ス」海軍による攻撃との見方も。16日,P.V.ナイーク印空軍司令官が訪「ス」。また30日には,ラオ印外務次官が訪「ス」し,印・「ス」間で「ス」海軍による印漁民殺害を防止するための覚書を「ス」側に提案。
●パキスタン: 10日,チャマル・ラージャパクサ国会議長を中心とした「ス」政府代表団がパキスタンを訪問し,ザルダリ「パ」大統領と会談。16日には,F.H.ナエーク上院議長と会談。19日,A.カヤーニ「パ」陸軍司令官が3日間「ス」に滞在。
●中国: 25日の閣議において,コロンボ中心部のゴールフェース・グリーンを「シャングリラ・ホテル(香港)」及び某中国ホテル企業の2社に売却する旨決定。

(2)西側諸国との関係
●米国: 18日,私的に訪「ス」したアーミテージ元米国務次官補が「ラ」大統領を表敬訪問。19日,「ラ」大統領はG.L.ピーリス外相とともに米国に出発。大統領府によると,今回の訪問は私的なもの。しかし,目的があまりにも不透明であるため,「私的」以上の意図があるのではないか等,関係者間で様々な憶測も。なお「ラ」大統領の訪米を受けて,20日,アムネスティ・インターナショナルは声明を発し,戦争犯罪容疑者である「ラ」大統領を米国滞在中に逮捕・捜査すべきと主張。また,ブルース・フェイン米元検事副総長はタミル人ダイアスポラらとともに,「ラ」大統領が違法殺人を行ったとして3,000万米ドルの損害賠償を求めワシントン地方裁に提訴(29日付)。
●EU: 10日,EU人権小委員会において,「ス」の戦争犯罪容疑及び戦後の人権状況展に関する討議実施。本討議は,昨年12月6日に国際NGO2団体(「国際危機管理団体(ICG)」,及び「恒久的人民裁判(Permanent People's Tribunal)」)による報告書提出を受けて行われたもの。
●ノルウェー: ソルハイム「ノ」環境・国際開発大臣(元「ス」和平特使)は,「「ノ」にはもはや特別な役割はないが,在外コミュニティも含め「ス」の人々と政府の対話を進める上で建設的な役割が果たせる」と発言。これに対し,某「ス」政府幹部は「「ノ」には最早何ら役割はなく,タミル人ダイアスポラとも直接交渉する」と発言(27日付)。
●国連: 14日,ネシルキー国連報道官は「「ス」戦争犯罪に関する国連専門家パネルは当初の活動任期(2011年1月15日終了)を2月末日まで延長する」と発表。17日,ブラッグ国連事務次長補(人道問題担当)・副緊急援助調整官が訪「ス」。大雨洪水災害現場を視察した他,北部州人道状況も視察。
●カナダの動向: カナダ連邦裁判所は,加ケベック州を拠点とする「世界タミル運動(World Tamil Movement: WTM)」に対し,「WTMの所有財産はテロリストによって所有・管理されている」として,没収するとの判決。これにより1986年から活動を続けてきたWTMは,事実上終了に(23日付)。

(3)ウィキリークス情報漏洩問題
10日~14日付当地英字紙は,当地米国大使館からウィキリークスに漏洩した電報に関し報道。内容は,米国への直接的な批判は少なく,むしろ和平プロセスに関しノルウェーを中心とした西側諸国・共同議長国(ただし「日本は除く」とされる傾向顕著)の外交姿勢への非難・暴露(例:ノルウェーがLTTEにラジオ機器を供与した過去に対する批判,西側諸国が故プラバーカランLTTE指導者を戦争に引き戻したとする話等)を指向。
(了)  


 

スリランカ内政・外交(2010年12月1日-12月31日)

 

1 内政

(1)2011年度国家予算案可決
10日,国会において2011年度国家予算案の最終投票が行われ,賛成多数で可決(賛成156票,反対40票)。最大野党UNP及び野党JVPは反対票を投じ,最大タミル政党連合TNAは棄権。なお,「ラ」大統領(兼財務・計画大臣)は国会において,国防費への多額の予算割り当ての意味について野党から質問され,「2,090億ルピーの国防費の内,88%は政府軍兵士の給与等の運営支出に充当される」と説明。14日,IMFは本国家予算計画に関する財政改革の方針を歓迎する声明を発し,関係当局の組織構造改革の方向性も概ね良好と高評価。他方,最大野党UNPは本予算では,州議会から徴税権の殆どが奪われ(例:西部州評議会は,本予算案に関し徴税対象に企業売上税(135億ルピー)と自動車登録税(18億ルピー)の割り当てを提案していたが,前者は不採用に)。こうした動きから,中央政府が州議会を無力化しようとしているのではないかと懸念も。

(2)民族問題・解決
●北部IDP再定住の進捗: 当地国連人道調整事務局(OCHA)によると,「ス」北部に再定住を果たしたIDPは,2日現在で325,820名(102,081世帯)に。ここ2ヶ月間での再定住者数は,10月(9,816名),11月(3,312名)を記録。2日現在の北部IDPキャンプ(通称マニックファーム)の残留者数は21,000名であり,彼らの殆どが戦闘の最終段階での激戦地ムライティブ県内の出身者。なお,マニックファーム内のZone2及びZone4は11月に閉鎖され,これらのIDPたちはZone0及びZone1に移され,より良い生活環境の中で暮らしている由。


●過去の教訓・和解委員会(LLRC): 政府は,LLRCの活動費用として1,800万ルピーを充当すると発表(1日)。 3~5日に亘り東部州トリンコマリー県内で開催されたLLRC公聴会では,485件もの不服申し立てが集中(内,117件は誘拐事件,186件は失踪事件,124件は逮捕・拘留関連)。また30日,LLRCはブーサにある元LTTE要員社会復帰センターを訪れ,同センター内で証言を聴取。なお10日,LLRCは「関係当局間委員会(Inter-Agency Committee:IAC ,注:LLRCによる中間報告書の勧告内容の暫定的実施を促進するための機関として12月初頭に設置。議長はモハン・ピーリス検事総長)」と会合し,証言書類の共有や住民とのコミュニケーションのあり方等について合意。


●タミル語版国歌の廃止問題: 当地メディアは8日の閣議において,「ラ」大統領の意向により,今後「ス」国歌はシンハラ語(注:多数派シンハラ人の言語)に限ると決定されたと報道(これまではタミル語版も公式行事で広く使われてきたが,本閣議決定により,今後タミル語版の国歌は歌われなくなることになったとの内容)。本件に関し,16日,ランブクウェラ報道大臣は記者会見において「国歌の使用言語については,憲法が定める通りである」と述べ,本件について具体的に触れず,運用の見通しも不透明に。

(3)野党の動向
●最大野党UNP: 12日,UNP党本部において党大会が開催され,党改革に向けた新綱領が採択された。党大会の模様は全国テレビ中継され,党改革派の中心人物であるサジット・プレマダーサ議員の名前が呼ばれると,参加者から熱狂的な歓声が上がった。新綱領は,党幹部の5役(総裁,副総裁,総裁補佐,ナショナルオーガナイザー,会長)の任命について,党内のコンセンサスが取れなかった場合は秘密投票で5役を選出する等の内容に。ただし,新綱領は更に2011年4月予定の党大会で再度批准される必要がある由。メディア各紙では「新綱領においても再び「ウィ」が再選されることになると予想され,実質的な改革は進まないだろう」との悲観的観測が大勢。


●タミル政党: 11・17日、最大タミル連合TNA議員団は与党タミル人政治家を中心とするタミル政党フォーラム(TPPF、注:タミル小政党の団結を目的として,デーワーナンダ与党EPDP指導者らを中心に結成されたタミル政党の非公式な協議体)と協議実施。両者は民族問題の解決に向けた小委員会の委員6名の指名に関し合意(6名中,3名がTNA議員に)。本小委員会は来年1月中旬から活動を開始し,「ラ」大統領に対し参加政党全てにとって受け入れられる政策枠組を作成し,大統領に提出する計画。なお,25日,スマンディランTNA議員は「我々は政府による民族問題の解決に向けた取り組みを歓迎しており,政府の来年度予算案の国会投票において(反対票を投じず)棄権するなど,誠意を見せてきた。次は政府が誠意を見せる番である」と発言。

 

2.外交

(1)アジア諸国との関係
●中国: 9日,「ス」は中国の劉氏の授与を理由にノーベル平和賞授与式を欠席。外務省報道官によると,理由は「ス」外交政策の基本方針に則り,中国政府の立場と歩調を合わせるため。なお12月中旬,西部州議会議員40名が1週間の日程で訪中。


●インド・ロシア: 27日から2日間に亘り,プラディープ・クマール印国防次官が訪「ス」し,戦後の国防分野における「ス」・印関係について協議。また印報道によると,メドヴェージェフ露大統領の訪印の際,露と印は,「ス」及びバングラデシュに対し原子力発電所の建設支援を実施することで合意。これは露・印両国による原子力ビジネスの協力というだけでなく,「ス」を含め南アジア地域における中国の影響力拡大を牽制する動きとの見方も。


●パキスタン:11月のザルダリ・パキスタン大統領の訪「ス」時に「ス」・「パ」間で防衛協力協定(DCA)が締結されたのではないか,との噂に対し,ゴタバヤ・ラージャパクサ国防次官は,「本説は事実ではなく,DCAの可能性すら協議しなかった」と否定(7日)。


●日本: 18日(~22日),日本の平野博文元官房長官・日ス友好議連会長率いる民主党国会議員団が訪「ス」。南部州ゴール,北部州キリノッチ,東部州トリンコマリーを訪問した他,「ラ」大統領ら政府要人と会談。

(2)西側諸国との関係
●米国: 当地米大使館からウィキリークスに漏洩した電報の内容が報道を通じ徐々に明らかに。2010年1月の「ス」大統領選挙の直前に発電された電報では「「ス」戦争犯罪容疑の責任を負うのは,ラージャパクサ大統領と彼のファミリー,サーラット・フォンセーカ前国防参謀長である(3日付)」,「米国は野党大統領候補フォンセーカ氏が大統領選挙に勝利すれば,現職のラージャパクサ大統領が再選を果たした場合よりも,「ス」の発展にとって望ましい(20日付)」との記載があった由。22日,G.L.ピーリス外相はブテニス当地米国大使と会談を行い,漏洩情報の問題を巡り協議。「ピ」外相は「ブ」大使に対し「一部の電報の内容は,現場の現実を伝えていない」と苦言を述べるも,「ピ」外相は本会談後に声明を発し,「「ス」を批判するための虚偽の話が出回れば,本来国家間の橋渡しを行い理解を促進することを目的とする外交の意義が踏みにじられるだろう。「ス」政府は,違法に秘情報を公開するような行為を許さない」と述べ,むしろウィキリークスの行為を批判。「ス」・米両国ともに火消しの努力に従事。また「ス」国内メディアも,米電報には「ス」に友好的な内容も多数ある点報じており,「ブ」大使の援助関係の友好的発言も報道(20日)。


●EU: スイス,ベルギー,オランダを構成員とするEU代表団が来「ス」(17日付)。在EUのLTTE支持者たちの取り締まりを中心に協議。他方,18日,アリヤシンハ在ベルギー・ルクセンブルグ・EU大使はハウタラEU人権小委員会委員長宛に書簡を発し,「人権小委員会は「ス」に関してバランスの取れた議論を行おうとせず,在EUのLTTE支援者たちに発言の場を与えているだけである」と批判。


●英国: 「ラ」大統領訪英を発端に「ス」・英関係ぎくしゃく。11月29日に非公式に訪英した「ラ」大統領は,英空港到着時に在英LTTE支持者からの抗議活動に直面。続いて2日に予定されていたオックスフォード連盟での講演も,在英LTTE支持者による抗議活動予告の影響でキャンセル。「ス」国内では各地で在英LTTE支持者に対する抗議活動も行われた他,最大野党UNPも政府と一緒になって英国の対応を批判。他方,「ラ」大統領はフォックス英国防大臣と非公式会談を行い,英国の対「ス」援助や権限移譲に関して協議した(2日)ものの,当の「フォ」英大臣も12月中旬の「ス」訪問予定を延期(16日)。公式な理由は「「フォ」大臣の湾岸地域への訪問が延期されたため」とされたが,ヘーグ英外相が戦争犯罪容疑のある国である「ス」と親しくしている「フォ」大臣の訪「ス」を好ましく思っていなかったことにあるとの見方も。なお英国内では,11月末にテレビ局チャンネル4が(大統領訪英時期に合わせる形で)「ス」戦闘末期において政府軍兵士が一般市民を虐殺したとするビデオ映像を放映し,「ス」政府側は「本報道は欺瞞・捏造である」とする非難声明を発していた(1日)。


●ノルウェー: 2日,ノルウェー政府による独自の「ス」和平プロセスのレビュー調査業務を受注していたクリシュチャン・ミケルセン研究所所長のグナール・ソルボ氏及びロンドン大学SOASの調査員が,「ス」へ査証申請をしたところ,「ス」政府はこれを拒否。13日,コロンボで開催されたLLRC公聴会では,ムラリタラン再定住副大臣(通称カルナ,注:東部州を本拠とする元LTTE東部司令官で,その後「ス」政府の一員となった人物)が証言し,「 LTTEは,資金の枯渇,戦力も弱体のため已むを得ず和平合意に踏み切った。しかし2002年の和平プロセス開始以降,ノルウェーのソルハイム元和平特使(現国際開発・環境大臣)がLTTEに武器弾薬を購入させるため,莫大な資金を供与したと供述(注:政府系デイリーニュース紙はノルウェーに関する言及は報道していない)。これに対し,「ソ」大臣は「全く馬鹿げた話である」と否定(29日)。


●国連: 国連専門家パネルの訪「ス」実現に向けた動向加速。17日,バン国連事務総長は「「ス」戦争犯罪調査に関する国連専門家パネルは「ス」を訪れ,「過去の教訓・和解委員会(LLRC)のメンバーと会える見通しとなった」と発言。翌18日には,「ス」外務省も声明を発し,「国連が専門家パネルの「ス」訪問を要望するなら,「ス」政府として必要な措置を講じる用意がある」と述べ,政府側の前向きな姿勢を正式に表明(注:メディアは,「ラ」大統領が柔軟な対応を示したことを「変化の兆候」としつつも,国連専門家パネルの真の訪「ス」目的とは,LLRCで証言することではなく,独自に戦争犯罪に関する調査を行うことではないか,と慎重な見方も)。更に30日,ランブクウェラ報道大臣は,「「ス」政府は国連専門家パネルの訪「ス」はLLRCとの会合に限り活動を許可し,本目的でのみ査証を発給する」と発言。これに対し,31日,ハク国連報道官は「本パネルの訪「ス」目的は,ただLLRCと協議するだけでなく,もっと広いものと理解している」と述べ,政府との見解が必ずしも合致していない現状を吐露。

(了)   

 

 


 

スリランカ内政・外交(2010年10月1日-10月31日)

 

1.内政

(1)国会の動向
●地方議会選挙法改正案提出
政府は地方議会選挙法改正案を国会に提出(21日)。地方議会議員の選出方法に関し、現行の中選挙区比例代表制を改め、小選挙区多数得票数制(First-Past-the-Post system)及び比例代表制を2:1の割合で併存させる新制度を提案。新制度では、2大政党制が促進される一方、マイノリティ政党が議席数を減らす結果になるとの見方。最大野党UNPは事実上黙認し、与党マイノリティ政党(SLMCほか)らも従順やむなしとの姿勢。


2011年度国家予算案の国会提出
ジャヤラトナ首相は国会に2011年度国家予算案の第一段階である省庁別の予算配分等を提出(19日)。歳出総額は1兆800億ルピーで、国防省の予算額(2,140億ルピー)が全省中最大となり、昨年(2,010億米ドル)と比べ130億ドル増。歳入(税収)の動向が注目される中,26日,大統領徴税委員会(PCT)のW.D.ラクシュマン委員長は,税制改革に関する勧告書をラージャパクサ大統領に提出。

(2)和平プロセス・戦闘末期に関する調査
●過去の教訓・和解委員会(LLRC)の動向
LLRCは、北部州での公聴会(9月)に続き、東部州バティカロアでも公聴会開催(8日~11日)。更にチャンドラカンタン東部州首席大臣も証言を行った(20日)他、最大タミル政党連合TNAもLLRC公聴会で証言する意向を示す(19日)など、タミル政治家の発言機会が拡大。他方、ヒューマンライツウォッチ、国際危機管理団体(ICG)、アムネスティ・インターナショナルは共同声明を発し、LLRCには独立性・信頼性がないとして、証言を拒否(14日)。LLRCは当初の報告書提出期限(11月15日)を延期し,今後6ヶ月以内に最終報告書を纏め,ラージャパクサ大統領に提出する意向。他方,政府はLLRC中間報告書の勧告内容(言語・土地・武装解除・元LTTE要員の扱いの問題等)を早期に実践すべく,「関係当局間諮問グループ(Inter Agency Advisory Group: IAAG)」を新設すると発表(28日)。


白旗問題に関する事情聴取
4日、高等裁判所において、白旗問題(注:大統領選挙期間中の最中にフォンセーカ前国防参謀長がサンデーリーダー紙に対し「ゴタバヤ・ラージャパクサ国防次官が白旗を持って降伏してきたにも拘わらずLTTE幹部殺害を命じたと証言」の審議実施。当時記事を掲載した「サ」紙編集長は、2009年12月に「フォ」へインタビューした際、確かに「フォ」がそのように発言した、と改めて証言。

(3)フォンセーカ前国防参謀長(野党連合DNA指導者)の刑務所収監・議席剥奪を巡る動向
ラージャパクサ大統領は、「フォ」に関する軍事法廷での有罪判決を了承する共に、「もし「フォ」が恩赦を要求すれば、憲法に従って対応する」と発言(1日)。更に7日、国会事務局は「国会議員選挙法に基づき「フォ」氏は国会議員の地位を失う」と選挙管理委員会に通告。これを受け、選管は空席となった「フォ」の議席を埋めるべく、ニプナアラッチDNA党員を議員に就任させる旨の公示を発出(8日)。「フォ」はその後も恩赦を拒否する姿勢は示さず、議員剥奪及び第2次軍事法廷による有罪判決(懲役30ヶ月)を不服として控訴(13・14日)。またDNAは、「フォ」解放に向け運動を展開。野党関係者、市民社会、一般市民を動員し、10日までに100万人の署名を収集。また最大野党UNP総裁も、「フォ」の政府軍人剥奪と懲役刑を取り消すよう要求すると共に、政府批判を展開。

(4)抗議活動・暴力事件
教育・労働賃金・年金・雇用・報道の自由等の各種争点を巡り、抗議活動・暴力事件が散発。殆どのケースはJVPによる扇動との見方強し。特に各地の大学で、学生と大学経営者・高等教育省間でのトラブル続出(14日、学生18名が高等教育省に侵入。20日、南部州ルフヌ大学学生約100名が同大学副学長襲撃。25日、ラジャラタ大学学生グループが試験会場を襲撃。25日、スリ・ジャヤワルダナ大学の仏僧学生20名が同大学副学長を襲撃)。また、国家年金機構連盟(8日:年金増額要求)、報道関係者・労働組合関係者(19日)、JVP・労組関係者(26日:失業問題批判)が,それぞれ抗議デモ実施。

2.外交

(1)西側諸国との関係
●国連
21日、「ス」戦闘末期における戦争犯罪調査に関する国連専門家パネルは、書面(10頁以内)の証言提出を電子メール等で募る意向を表明。書面提出期限は本年12月15日に。他方、政府軍諜報部は、北部州で活動していた13名の人々が、戦闘末期における一般市民虐殺の証言を市民から聴取し、当地国連に報告していたとして捜査中である旨明らかに(25日付)。


●EU
関係改善に向けた兆候あり。4日には、ファン・ロンパイEC議長は、「「ス」と欧州との関係は古く、強固なものであり、両者の関係は今後とも良好に継続していく」と発言。7日、ゲオジーバEU人道支援委員長は、北・東部地域に対する住居、食料等の人道緊急援助として1000万ユーロの支援表明。8日には当地EU代表部が、人道及び中期的開発支援の為、1600万ユーロの追加支援を表明。

 


●英国
G.L.ピーリス外相が就任後初の公式訪英。ヘーグ英外相、フォックス英国防相らと会談。「ピ」外相は、LLRCの成果強調すると共に、国際社会は慈悲の心を持って「ス」での状況を見守って欲しい旨伝達(24日)。他方、ウィクラマシンハ野党議員団長も「ピ」外相とは別途訪英し、ヘーグ英外相、フォックス国防相と会談(22日)。「フォ」前国防参謀長拘留等の状況説明を行った他、民族問題の政治的解決のあり方等について協議。


●ノルウェー
20日、「ウィ」野党議員団長はノルウェーを訪問。ソルハイム国際開発・環境大臣らと会談。


●ヴァチカン
20日、ヴァチカン法王庁は24名の新枢機卿の一人として「ス」のマルコム・ランジット・コロンボ大司教を親任。

(2)アジア諸国との関係
●インド
14日、「ラ」大統領は印ニューデリーを訪問(注:本年では6月以来2度目の訪印)。英連邦スポーツ大会(CWC)の閉会式にシン印首相らと共に出席。随行した「ピ」外相も、クリシュナ印外相・ラオ印外務次官らと会談。翌15日には「ラ」大統領ら「ス」政府代表団は、シン印首相主催の昼食会に出席。シン印首相は、IDP再定住問題については「ス」政府の対応を高く評価しており、印としても2011年3月までに「ス」北部に5万戸の住宅支援を完成させる計画である旨を明らかにした他、民族問題の政治的解決に向けて、「ス」政府は最大タミル政党連合TNAと協力し合うべきであるとの見解を表明。また24日には、別途T.サマラシンハ海軍総督が訪印し、A.K.アントニー印国防大臣をはじめ印政府軍関係者と会談。


●中国
29日,「ラ」大統領及び「ピ」外相は,中国・上海で開催される世界貿易フェアに出席するため訪中。「ラ」大統領の訪中は2008年8月以来(注:本年8月にはピーリス外相,9月にはゴタバヤ・ラージャパクサ国防次官がそれぞれ訪中)。31日,温家宝首相と会談。温首相は対「ス」支援継続を確約。


●日本
在スリランカ日本国大使館は渡航情報(危険情報)を改訂。北部州ジャフナ県・キリノッチ県・ワウニヤ県・マナー県は危険度が最も低い1に。ただし北部州の一部の地域では、地雷除去が完全ではないため、危険度2のまま。


●韓国
15日、バジル・「ラ」経済開発大臣は韓国を公式訪問し、韓国の知識経済大臣(代行)と会談。再生エネルギーや行政の電子化において両国の友好関係を深化させることで合意。

 


 

スリランカの主な出来事(2010年9月1日-9月30日)

1日  ●政府発表によると、北部ワウニヤのIDPキャンプに滞在中のIDPは28,659人まで減少。
●訪「ス」したラオ印外務次官は、北・東部州を視察。ラージャパクサ大統領とも会談し、北部州のIDP再定住の及び開発の進捗状況に満足しており、印は北部での住宅建設支援や鉄道敷設を通じて引き続き対「ス」支援を行っていく旨を表明。

●ウィクラマシンハ野党議員団長(UNP総裁)は、「UNPは憲法修正案を閣議決定後に初めて受け取り、内容を知らされた。同修正案は全政党代表者会議(APRC)で各党が協議した内容を完全に無視するものである。議員委員会(parliamentary council)が新設されれば、憲法委員会が無力化されたも同然である」と批判。

2日  ●アール・グナセカラUNP議員及びラクシュマン・セネウィラトナUNP議員の2名が、第18次憲法修正案の国会投票に向け政府案支持を表明。JVPは、コロンボ中央駅前で抗議デモを実施。

3日  ●マヌーシャ・ナーナーヤッカラUNP議員が政府支持を表明。またランゲ・バンダーラ議員も政府支持に転じる可能性を示唆。

7日  ●N.ウィジェーシンハUNP議員、U.スワルナマリUNP議員、スリ・ランガUNP議員の3名は、政府支持を表明。UNPは第18次憲法修正を巡り党内から与党に鞍替えする議員が相次いだことにより、議席数が43まで減少。なお、TNAからもピヤセーナ議員も政府支持を表明。

●JVPは憲法修正案に抗議し、コロンボ8区の交差点から国会議事堂にかけて「ブラックデー」と銘打った大規模な抗議デモ行進を実施。

●警察は、ラージャパクサ・ファミリーを中傷し、第18次憲法修正を批判するポスターを作成したとされる当地印刷会社J&J社の事務所への捜査を実施。

8日  ●国会において第18次憲法修正に関する審議・投票が行われ、圧倒的多数を得て可決(賛成160票、反対17票)。最大野党UNPは国会審議・投票には欠席し、国会の外で抗議デモを実施。


●「ラ」大統領は、公務員を木に縛り付けたとの疑惑が生じ、一時更迭されていたメルビン・シルバ・ハイウェー副大臣を再任。

9日  ●サマラシンハ・プランテーション大臣(前災害管理・人権大臣)は「2006年5月のジュネーブ国連人権理事会で確約した「人権保護・促進に関する国家行動計画」の微調整を重ねるため、今般ラージャパクサ大統領は新たな小委員会を設置することを決定した」と発言。

10日 ●D.ジャヤセーカラ議員らUNP議員25名は、第18次憲法修正可決と野党の大敗を受けて、「党のリーダーシップの危機的状況が早期に解決されないならば、国会で独立議員として活動を行っていく」と党幹部に警告。独立の意向を示した議員は、サジット・プレマダーサ議員(注:ウィクラマシンハUNP総裁に代わる次期指導者としての呼び声が高い)、ラクシュマン・キリエッラ議員、ロージー・セナナーヤカ議員、カビル・ハシーム議員、ハルシャ・デシルバ議員ら。

11日 ●ゴタバヤ・ラージャパクサ国防次官は政府軍幹部らと共に中国に向けて出発。

12日 ●クローリー米国務省報道官は、「第18次憲法修正は、大統領の権力制御機能を除去し、民主主義の規範を弱体化させてしまうような内容となっており、米国として懸念している」と発言。これに対し、G.L.ピーリス外相発は「第18次憲法修正は、最高裁が全会一致で正当だと認め、161票もの圧倒的多数で可決された正当なものであるにも拘わらず、米国務省は第18次憲法修正の背景にある真意を理解しないまま、このような発言をしたことは遺憾である」と米を批判。


●ウィーラワンサ建設大臣は、「政府は間もなくコロンボ市議会(CMC)を廃止し、代わりに国防省の下に開発局を新設し、コロンボ市の新行政制度として施行させる予定である」と発言。

13日 ●シリセーナ保健大臣は、「政府は次なる憲法修正案を提示すべく準備中であり、来年中頃までに国会に提出する計画である。次案では国政選挙制度に変更が加えられる」と発言。


●世界経済フォーラム(WEF)の『世界グローバル経済競争報告書』において、「ス」は139カ国中62位(前年度は79位)に位置。18位もの順位アップは、本年度報告書で最大の伸び幅。

14日 ●LLRCメンバーは「ラ」大統領と面会。LLRCは再定住した元IDPたちの生活改善が急務であるとの見解を伝え、行政使用言語問題等の改善に関し、提案。

15日 ●「ラ」大統領、「ピ」外相は国連年次総会に出席するため、米ニューヨークに向け出発。

17日 ●東部州バティカロア県のカラディヤナル警察敷地内で爆発事故が発生。25名死亡(警察官16名、「ス」市民7名、建設業関連の中国人従業員2名)、54名負傷。外務省は、本件が(テロではなく)事故であり、現在政府として原因究明に向け調査中である旨対外的に説明。


●フォンセーカDNA指導者による違法な武器調達の容疑に関する第2次軍事裁判が開催され、「フォ」に対し、懲役3年の有罪判決との判断。判事らは、本旨をラージャパクサ大統領に勧告。他方、DNAは軍事法廷には公平性がないとして、本決定を非難。

●「ウィ」UNP総裁及びサジット・「プ」議員ら党改革派の議員が協議。焦点は、「プ」議員に副総裁(Deputy Leader)の地位の付与とその場合の同職の権限等。
●国連は「ス」戦闘末期における人権状況について国連事務総長に助言を行う専門家パネルが正式に活動を開始したと宣言。

19日 ●北部州キリノッチ及びプーネリンで「過去の教訓・和解委員会(LLRC)」公聴会開催。キリノッチ公聴会では、カンダワライ地域周辺に再定住した元IDPらが参加し、戦争の被害の状況、及び現在の生活上の問題を説明。

20日 ●北部州ムライティブ県でLLRC公聴会実施
●MDGs報告書が発表され、「ス」は保健・教育分野で既に目標を達成し、貧困削減やジェンダー平等面でも大幅な発展を遂げた、との評価。

21日 ●訪米中の「ラ」大統領は、21日、アール・サーニ・カタール国首長と会談。


22日 ●「ラ」大統領は、国連ミレニアム開発目標(MDGs)首脳会合での演説し、「「ス」はテロによる暴力や津波災害を乗り越え、MDGs達成に向け、既に成果を上げてきている」とアピール。
●「ラ」大統領は国連内において、シュトルテンブルグ・ノルウェー首相及びソルハイム「ノ」環境・国際開発大臣と会談。「ス」メディアは、「「ノ」政府より「ス」と開発支援を中心とした新たな関係を構築したいとの意向が示され、両国間の関係は新たな一歩を踏み出した」と報道。
●「ラ」大統領はアフマディ・ネジャド・イラン大統領、ギュル・トルコ大統領、クマラスワミ国連事務次長(児童と武力紛争担当)と会談。

23日 ●ラージャパクサ大統領は国連総会で演説を行い、テロとの戦いのため国際法整備が必要であると強調すると共に、LTTEとの戦闘については、対話が最善の紛争解決と認識、しかし仕方なく軍事行動を選択したと表明。また、復興に向けた決意を示し、「東部州での経験に習い、北部州でも復興を成し遂げていく。また復興と治癒については、外部から押し付けられた解決方法ではなく、国民の文化と伝統に則した自前の解決を目指す。ただし経済復興に向けた国際社会からの支援は歓迎する」と発言。
●チャマル・ラージャパクサ国会議長は、第18次憲法修正を正式に承認し、これにより同憲法修正は正式に発効。

25日 ●「ラ」大統領はバン事務総長と会談し、「ス」の戦後復興に関する諸課題や、「過去の教訓・和解委員会(LLRC)」の主旨等について説明。

26日 ●G.L.ピーリス外相はアジア協力対話(ACD)閣僚会合に出席した他、R.M.M.N.ナタレガワ・インドネシア外相と会談。

27日 ●政府は14省に対し管轄機能の再編を実施。経済開発省に外国直接投資開発、地方・プランテーション・インフラ開発、私的産業開発に関する各任務が追加されなど、機能強化が行われた他、ウィーラワンサ大臣率いる建設・工学サービス・住宅・公共整備省には、これまで国防省が管轄していた都市開発局(Urban Development Authority: UDA)の機能を移行。

28日 ●ワヒード・モルディブ副大統領は、国連総会において「モ」国内で発生した政治的対立の解決に向けて国際社会に努力頂いたこと、特に、「ラ」大統領の建設的役割に感謝する」と発言。

30日 ●ランブクウェラ報道大臣は、「フォ」候補に対する懲役3年の有罪判決を大統領が右判決を認め、署名したことを受けて、直ちに刑務所に収監されることが決定した旨発言。これにより「フォ」候補の国会議員としての地位は剥奪され、「フォ」はウェリカンダ刑務所に移送。
●「ラ」報道大臣は、「2011年政府予算案は11月22日に「ラ」大統領により国会に提出され、第一読会は22日~29日まで、第二読会は29日~12月20日まで行われる予定である」と発表。
●国際法律家委員会(ICJ)は、「ス」政府が依然として8000名ものLTTE要員と見られるタミル人を理由無く拘束し続けているのは、明らかな国際法違反行為であるとする報告書を発表。

 


 

スリランカの主な出来事(2010年8月1日-8月31日)

2日  ●マイケル・デラニー米貿易代表(南アジア担当)を中心とする調査団が訪「ス」(~3日)。「ス」の労働者の状況に関して「ス」政府関係者と協議.。

3日  ●エルダー・グループ(The Elder's、注:2007年にマンデラ南アフリカ大統領を中心に設立された世界有識者団体)は、「ス」に関する報告書を発表。本報告書は、「戦後となって和解に向けた進捗が殆どない」と述べるなど、厳しい評価。

4日  ●M.サマラウィーラ野党SLFP人民派代表は、SLFP人民派を正式に解散し、UNPに入党。
●メルビン・シルバ・ハイウェー副大臣はデング熱予防対策会議に出席しなかった公務員を木に縛り付ける等の懲罰を与えた。野党関係者は「「シ」副大臣の行動は法律違反であり、政府が責任を取るべきであり、黙っていることは許されない」と批判。
●ガユーム・モルディブ前大統領が訪「ス」。

5日  ●最大野党連合UNF(最大野党UNPを中心とする野党連合)に所属するプラバ・ガネーシャンDPF議員(注:マノ・ガネーシャンDPF指導者の弟)及びディガンバラムNUW(高地タミル政党・労働組合)議員の2名が、与党側へクロスオーバー。

6日  ●UNP党幹部及び党改革派議員たちが、党改革・リーダーシップ問題について協議を実施。ジャヤスーリヤ副総裁、K.ハシム議員らがウィクラマシンハ総裁支持派を代表し、S.プレマダーサ議員、L.セネウィラトネ議員らが改革派を代表する構図。
●米国務省は「テロに関する国別報告書2009年度版」を発表し、「在外LTTE残党の資金は未だに無傷のまま残されている」との見方を発表。

7日  ●ノルウェーの首都オスロのヒンドゥー寺院において、祝典中に2つのタミル人グループが喧嘩騒ぎ。6名負傷、3名逮捕。抗争にはLTTE支持者で、KP逮捕後のLTTE指導者の一人とされるネディヤワン氏の一味が関与したとみられる。

9日  ●南部州ルフナ大学の男子大学生R.S.A.バンダーラ君(19歳)が警察官からの暴行を受け死亡したとされる事件(7月下旬発生)に関し、ラージャパクサ大統領は本事件究明のための大統領事実調査特別委員を任命。

10日 ●「ラ」大統領とウィクラマシンハUNP総裁が、憲法修正を巡り会談。「ウィ」総裁は憲法修正案が国会で可決するのであれば、国民投票を行う必要はないとの見方を表明。
●「ラ」大統領は、公務員縛り付け等を行って非難を浴びていたシルバ副大臣を更迭し、与党SLFPのメンバーシップも剥奪する、と発表。
●中国北京を訪問したG.L.ピーリス外相は李克強中国国務院常務副総理と会談した。李常務副総理は「ス」経済発展のため中国は惜しみない支援を行っていく、と発言。
●加ブリティッシュ・コロンビア州ヴィクトリア沖に490名に乗せた「ス」難民船「MV Sun Sea号」が接岸。

11日 ●「過去の教訓・和解委員会(LLRC)」の第一回公聴会(public sitting)がコロンボ市内で開始。初日の公聴会では、ベルナルド・グナティラカ元和平事務局代表及びV.ナラヤナーヤガム・加マウント・ロイヤル大学準教授(カナダ在住タミル人)が証言。証言者は、「2002年の和平合意締結以降の和平プロセスは、実質的な成果を上げることはできなかった。また和平合意文書は仲裁者であるノルウェーが当時のウィクラマシンハ政権を急き立てて強引に作らせたもの」と証言。また民族紛争の根源的原因の解決へ向け「北・東部への政府軍のプレゼンス拡大は、戦後治癒のプロセスにとっての障害となる可能性があり、再検討すべき」と提言。

12日 ●政府は、コロンボ市内の国有地に不法居住する66,000世帯の人々を移住させ、跡地に商業施設を建設することを閣議決定し、都市開発局(UDA)に対し指示。なお、移住対象者には新住宅が提供される予定。
●JVPは南部州ゴールにおいて政府批判デモを実施。フォンセーカDNA指導者の釈放を求めると共にラージャパクサ・ファミリーに有利な憲法修正案に反対するため。同デモに参加したJVP議員2名(V.ヘーラット幹事長及びA.クマーラ議員)ら10名が警察を襲った容疑で逮捕。

13日 ●フォンセーカDNA指導者(前国防参謀長、元野党共通大統領候補)に関する第一次軍事裁判開催。政府軍判事3名は「フォ」に対し、元政府軍人としての地位・名誉・年給等の退役後の恩恵受給権の剥奪を含む有罪判決を下し、本旨を「ラ」大統領に報告。
●米国務省は『「ス」戦争犯罪容疑に関する「ス」政府及び国際機関の対応に対する評価(米議会提出用)』と題する報告書を発表。「ス」政府は声明を発し、「本報告書は「ス」戦争犯罪に関する調査について言及しているが、そうした内容は到底受け入れられるものではない」と批判。

14日 ●タミル政党フォーラム(TPPF会合(注:D.デーワーナンダ与党EPDP党首主導で本年6月に発足したタミル政党会合)開催。最大野党連合TNAは参加せず。
●北部ワウニヤで公聴会(非公開)実施。戦闘の影響を受けた一般タミル人が発言を行い、誘拐・失踪事件が多数発生した事実関係、及び内戦終了後の再定住の生活は依然として苦しい状況、シンハラ人がタミル人の土地を収用している状況、等を発言。

15日 ●中国北京を公式訪問した「ピ」外相は楊潔チー(注:竹冠に虎の字)中国国務院外交部長と会談。楊外交部長は「中国はこれからも「ス」の国家ニーズ充足、人々の生活向上、平和と安定のため、あらゆる支援を惜しまない」と発言。

16日 ●LLRC公聴会4日目では、ゴタバヤ・ラージャパクサ国防次官が証言。「和平合意は完全に失敗であった。LTTEは停戦期間を軍事補強のために利用しようとしたに過ぎない。戦闘末期、政府軍兵士たちは、LTTEに囚われた一般市民救出のための軍事オペレーションを人道的規律の下に行おうとして、甚大な損害を被った。他方、戦闘の最終段階では、LTTEに欺かれた国際社会の一部は、政府側に停戦を要求しながら、LTTEには何も要請しないという奇妙な態度を取った。今後、政府軍は北部でのプレゼンスを徐々に縮小させ、警察に任務を引き渡していく予定であるが、LTTE再興を予防するため、政府軍のプレゼンスは一定程度は維持する」と発言。
●検事総長(AG)は、「フォ」DNA指導者(前国防参謀長、元野党共通大統領候補)を反逆罪容疑、退役政府軍職員に命令を行った容疑、脱走兵を匿った容疑で起訴。
●EUから「ス」に対するGSPプラス供与は本日以降停止に。

23日 ●「ラ」大統領は、「ウィ」総裁らUNP代表団と会談し、憲法改正にかかる協議を実施。「ラ」大統領は、現在の大統領制を残し、現在の大統領の任期制限を撤廃するとの内容を披露。
●LLRC公聴会6日目では、ウィジェーシンハSLFP議員(前和平プロセス事務局長、前人権省次官)が証言。「2003年12月、当時のUNP政権は、LTTEに対してUNDP及びノルウェーが直接資金援助することを許可した。結局、これらの資金はLTTEのテロ活動資金になった。即ち、当時のUNP政権がLTTEへの監視を怠ったことがLTTEのテロ活動を助長した。一部国際社会を和平プロセスに関与せしめた結果、LTTEが彼らと密接に接触するようになり、最終的には国際社会はLTTEの(テロ)活動には一切目を瞑り続けることになった」と発言。
●「フォ」元国防参謀長に対する第二軍事法廷(汚職問題:陸軍司令官という立場を利用して、武器購入の際に不正の資金を得たとの嫌疑)が開廷。

25日 ●LLRC公聴会7日目では、ダナパーラ元スリランカ和平プロセス事務局長(元国連事務次長)が証言。「国際社会は「ス」内戦問題についての理解を正しくすべき。本件は、政府軍がテロリスト団体との間で「テロとの闘い」を行ったという国際的に認められた当たり前の行為である。よって、政府軍兵士に対する戦争犯罪を追及すべきできはない」と発言。
●「ラ」大統領とハキーム野党SLMC(ムスリム最大政党)総裁が憲法改正について協議実施。会談後、「ハ」総裁は「ムスリムに悪影響を及ぼさない改正案であれば、反対することはない、SLMCは現実的立場に立っている」と発言。
●アッタナイケUNP幹事長は、「UNPとしては、大統領制度廃止という条件が満たされなければ、政府側との協議を継続していくことは無意味である」と発言。

26日 ●訪印したバジル・ラージャパクサ経済開発大臣、ゴタバヤ・ラージャパクサ国防次官、ウィーラトゥンガ大統領首席秘書官は、クリシュナ印外相、ムガジー印財務大臣等と会談。

27日 ●SLMCは党最高評議会で「ラ」大統領が提示する憲法改正案を支持することを決定。同案には、大統領の三選禁止を撤廃すること、第17次憲法改正下で機能していない憲法委員会の委員の構成を変え、別の委員会を立ち上げることが含まれている模様。今次SLMCの決定により、政府側は憲法改正に必要な国会議席の2/3以上を獲得することが確実に。
●5ヶ月間に亘りサウジアラビアにメイドとして出稼ぎ労働し、先日帰国したアリラワティ(女性)は数ヶ月に亘り雇用者の虐待を受け、その体に24個もの釘が差し込まれていることが判明し、コロンボ市内で手術。

30日 ●ラオ印外務次官が訪「ス」(~9月2日)。北部地域のIDPの再定住の状況の視察が主目的。

  (了)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

スリランカの主な出来事(2010年7月1日-7月31日)

2日  ●D.デーワーナンダ与党タミル政党EPDP党首主導により第2回タミル政党会合(「タミル政党フォーラム」)開催。チャンドラカンタンTMVP指導者らが初めて加わり、計8タミル政党が参加。
●アシュトンEU外務安全保障政策上級代表は声明を発し、「EUはバン国連事務総長による「ス」人権状況調査のための国連専門家パネルの設置を歓迎する」と発言。

3日  ●国会で2010年度国家予算案に関する第2次読解が可決(賛成138票、反対75票)。
●「過去の教訓・和解委員会(LLRC)」は声明を発し、「LLRC民間からの代表者の参加を募り、8月18日までに選定する」と発表。
●ゴタバヤ・ラージャパクサ国防次官は、KPが最近訪「ス」した在外タミル人ダイアスポラの代表団と共に北部州を視察したことを認める発言。

5日  ●EUは「ス」に対するGSPプラスの供与を本年8月15日以降、停止する旨公式発表。EU側は「「ス」政府に対しGSPプラス停止を回避するための方法を提示し、7月1日までの回答を「ス」政府側から待っていたが、何の返答もなされなかったため、本決定に踏み切った」と説明。これに対し、ランブクウェラ報道大臣は「我々はEUからの条件を決して受け入れるつもりはない。政府として本影響を最小化するための措置を講じている」と発言。
●UNHCRは「「ス」難民庇護申請者の国際的保護の必要に関する資格調査ガイドライン」を発表。「「ス」では戦後、人権状況・治安状況が急速に改善されてきており、「ス」北部のタミル人については、最早難民認定における国際的保護及び関連補完措置は不要」との見解。

6日  ●6日午前、ウィーラワンサ建設・工学サービス・住宅・公共設備大臣率いる与党小党NFF(シンハラ民族主義を掲げる政党)を中心とした群衆1,000~1,500名がコロンボ市内の国連事務所前に集まり、バン国連事務総長による国連専門家パネル設置に対する抗議デモ活動を実施。一時的に国連職員が事務所外に出られない状況に(ただし警察の保護の下、夕刻までに国連職員の移動の自由は確保)。また夕刻、警察が抗議デモ参加者を立ち退かせようとしたところ、もみ合いになり、8名が負傷。その後R.ジャヤシンハ外務次官が当地国連事務所を訪れ、NFFと国連との間の対話を斡旋し、事態は沈静化。

7日  ●政府は当地国連事務所前での抗議デモに関する声明を発表。「「ス」は民主主義国であり、政府は平和的デモを通じた発言を尊重する義務がある一方、国連事務所及び職員に対しては十分な警備を付与した」と説明。

8日  ●「ウィ」大臣は当地国連事務所前で「死の断食」を通じた抗議活動を開始。
●バン国連事務総長は声明を発し、「スリランカ政府閣僚により組織された抗議活動の結果として、在コロンボ国連事務所は通常業務遂行を妨げられた。「ス」政府が本事態の発生を予防しなかったことは受け入れ難く、ブネ当地国連代表をニューヨークに呼び戻して事情聴取を行う。UNDP地域センターを閉鎖する」と発表。
●デシルバLLRC委員長(元検事総長)は、「LLRCは明日(10日)会合を行う予定である他、8月に公聴会(public hearing)を開始し、関係者の証言を記録した後、北・東部州を訪問して更なる公聴会を開催する予定である」と発表。
●訪印したTNA議員団は、クリシュナ印外相と会談。TNA議員団は印側に対し、終戦後の民族問題に関する支援を印側に要請。

9日  ●当地国連事務所前で「死の断食」による抗議行動を行っているウィーラワンサ建設・工学サービス・住宅・公共設備大臣(シンハラ民族主義を掲げる与党小党NFF政党指導者)は、同職を辞任する意向を示したが、「ラ」大統領が辞表を受理せず。
●国会で2010年度国家予算案に関する第3次読解が可決(賛成139票、反対71票)。
●ギラード豪首相は「ス」からの難民庇護申請を向こう3ヶ月一時停止する方針を発表。「ス」政府は本決定を支持するとの意思表明。

10日 ●「ラ」大統領はウィクラマシンハ野党議員団長と二者会談を実施。両者は憲法修正案を巡り、(1)大統領三選禁止制度の廃止はしない代わりに、国会に責任を有する「実権を持った首相(executive prime minister)」ポストを創設、(2)地方議会選挙制度を修正(比例代表制と小選挙区制の混合制度へ)、(3)第17次憲法修正を追加修正、することで基本的合意。
●「ラ」大統領が「ウィ」大臣による「死の断食」の現場に介入。これを受け「死の断食」中止に。
●独、英、米、仏、伊、スイス、蘭、ルーマニア、ノルウェー、EUの当地外交団が共同声明を発表。「平和的な抗議活動は民主主義において認められるものであるが、国連事務所へのアクセスの妨害や国連職員への脅迫・ハラスメントは国際規範の違反にあたる」との見解。

11日 ●ブネ当地国連代表はニューヨークに向けて「ス」を出発。

13日 ●与野党の代表団が、地方議会選挙の修正に関して協議。小選挙区制及び比例代表制を7:3の議席比率で混合させた新選挙法の本年中の施行等について合意。

14日 ●政府は北部州キリノッチ(注:LTTEの旧本拠地)で閣議を開催。

15日 ●政府は2007年6月以降に採用した公務員に対し、第2言語の教育を義務づけることを決定。

16日 ●デシルバ灌漑・水資源管理大臣はSLFP記者会見において、「憲法修正を巡って、政府は最大野党UNPだけでなく、今後はTNAとJVPとも協議を行っていく」と発表。

18日 ●「ラ」報道大臣は、「北部情勢が完全に平穏化するまで、引き続き北部での高度警戒地域(HSZ)及び政府軍のプレゼンスを維持していく」と発言。

19日 ●ヨガラジャン野党UNP議員及びカリヤパーSLMC議員は記者会見を開き、「全政党代表者会議(APRC)は14カ月も前に最終報告書を大統領に提出したのに、その後同報告書は公開されず、政府から何の反応もなされなかった」として、APRC最終報告書を公開する意向を表明。
●最大野党UNP党作業部会は、党改革委員会によって提出された党改革案を承認。これにより党総裁(leader)、副総裁(deputy-leader)、総裁補佐(assistant leader)ら5大幹部ポストが非公開投票によって選出されることに。

20日 ●「ヨ」UNP議員は、国会の場でAPRC報告書を紹介しようとしたところ、与党議員から「許可なくこのような形で報告書を勝手に公開すべきではない」と物言いが付き、議論は停止に。
●国連本部に一時召還されていたブネ当地国連代表が「ス」に帰任。G.L.ピーリス外相と会談。
●ジャヤラトナ首相は中国北京を訪問し、習近平国家副主席と会談。
●印タミルナドゥ州を訪問したTNA議員団は、カルナーニディTN州首相と会談。

21日 ●国連専門家パネルの事務局スタッフが内定。長としてR.ベネット在ネパール国連人権高等弁務官事務所代表が就任。
●ブレイク米国務次官補が訪「ス」し、ラージャパクサ大統領、G.L.ピーリス外相らと会談。記者会見では「「ス」は民族和解、民主主義、報道の自由においてもっとすべきことがある」と発言。

22日 ●野党議員団(K.ジャヤスーリヤUNP副総裁、R.ハキームSLMC指導者、M.サマラウィーラSLFP人民派指導者ほかが参加)はG.L.ピーリス外相と会談を行い、憲法修正案を巡って協議。
●警察官の警棒で暴行を受けたとされる南部州ルフナ大学の男子大学生R.S.A.バンダーラ君(19歳)が、病院で死亡。本事件を受け、ルフナ大学では大勢の学生が集まり、マータラ市内の警察署に向け、抗議の行進を行おうとしたところ、警察・政府軍兵士がこれを阻止。

24日 ●メダーワラ政府軍報道官は、「7月1日~22日の期間だけで10,075名のIDPがキャンプから解放され、再定住した」と発表。

26日 ●シン印首相は、タミル人が多数居住する北・東部地域の復旧・復興状況を視察するために印外務省の高官をスリランカ特使として派遣する旨明らかに。

28日 ●ルフナ大学学生暴行死亡事件を受け、コロンボ中心部で学生約2500名が抗議デモ実施。
●「ピ」外相及びバジル・ラージャパクサ経済開発大臣が訪日(~30日)。岡田外務大臣、前原国土交通大臣、直島経済産業大臣、福田元総理、明石政府代表らと会談。

30日 ●コロンボ市内にある民間テレビ局「シヤタ・メディア・ネットワーク社」のオフィスを武装ギャング12名が襲撃。オフィスにいた2名の職員が負傷し、火炎瓶によりオフィス設備が火災で被害。
●当地英大使館は声明を発し、「今般「ス」への英国人渡航者に対する渡航情報を更新し、北部州4県に関する危険勧告を除去。

31日 ●UNESCO世界遺産委員会第34回会合において、「ス」のアダムスピーク、ホートンプレインズ、ナックルズ自然保護区の3カ所が新規登録されることが決定。「ス」世界遺産は計10カ所に。
●西部州コロンボ=北部州ジャフナ間を貫徹する鉄道線路敷設工事が進む中、コロンボ=北部オマンタイ(ワウニヤの北7km)間を繋ぐ線路が完成し、テスト運行実施。
(了)  

 


 

スリランカの主な出来事(2010年6月1日-6月30日)

1日  ●ラージャパクサ大統領は車・電化製品・原材料に関する輸入税の引き下げを決定(輸入税引き下げ率:車50%減、日用電化製品(携帯電話、カメラ等)15%減、工業用原材料2.5%減)。

2日  ●印ニューデリー・テレビ局(NDTV)は「血の水道(Blood on Water)」と題するドキュメンタリー番組を放映し、「ス」を批判的に報道。

4日  ●「ラ」大統領は、コロンボで開催されるインド国際映画アカデミー(IIFA)の受賞式と並行して、訪「ス」中の印企業らを招き、「ス」商工会との共催フォーラム実施。

5日  ●コロンボ市内でIIFA受賞イベント開催。アミタブ・バッチャン氏をはじめ本命の「ス」映画スターたちは訪「ス」せず。また受賞式には「ラ」大統領も欠席。他方、印映画スターたちは、コロンボ市内で親善クリケット試合を実施。本試合には、ナマル・ラージャパクサ議員(大統領の長男)が参加。

7日  ●「ラ」大統領はTNA議員団及び与党EPDP議員団と会談し(両者の会談は2009年9月以来)、政府とTNAの民族問題の解決及びIDP問題に関し、共同メカニズムを結成することで合意。
●英テレビ局BBCはゴタバヤ・ラージャパクサ国防次官のインタビューを放映。「ラ」次官はフォンセーカ前国防参謀長が政府要人の命令でLTTE幹部を殺害したとの証言について質問され、「そのような証言は国家反逆行為にあたり、もし「フォ」がそのように述べたのだとすれば、「フォ」を吊し上げなくてはならない」と過激な口調で返答。
●コホナ国連代表部大使は、イスラエルによるパレスチナ・ガザ地区沿岸で発生した援助船への攻撃に関する国連調査団の団長に就任。
●シンガポールで開催中のシャングリラ会合に出席したG.L.ピーリス外相は、L.フォックス英国防大臣、メノン印国家安全保障顧問らとそれぞれ会談。

8日  ●国会で緊急事態令の延長が可決(賛成121票、反対53票)。
●BBCテレビ番組「ハードトーク」は「ス」に関する特集番組を放映。同番組では、拘留中の「フォ」DNA指導者の電話インタビューが「フォ」自身の声で流され、「フォ」は「ス」政府要人が北部戦闘の最終段階で戦争犯罪を犯した可能性を示唆する発言。

9日  ●訪印した「ラ」大統領はシン印首相と会談し、7つの二国間協定に署名。また「ス」国内での権限委譲及びタミル人との対話開始、IDPの生活状況と早期再定住への取り組み等に関し協議。

10日 ●「ラ」大統領は印TN州議員団(カルナーニディTN州首相の娘にあたるカニモージDMK議員をはじめ、コングレス党、DMK、VCKが参加)と会談。
●訪「ス」したマハティール元マレーシア首相は記者会見を行い、「「ス」は過去のことは忘れ、経済成長に向けて邁進すべき。外国からの借款に過度に頼るべきではなく、経済活動を重視すべき」と発言。
11日 ●「ラ」大統領は4日間の印滞在を終了し、「ス」に帰国。外務省は、今回の訪印によって、益々両国の友好関係が深化した、との見解発表。
●訪「ス」した中国の張徳江国務院副総理はジャヤラトナ首相と会談。「ス」・中国間で技術協力・産業・情報技術・建設の各分野で6つの友好協定に署名。

12日 ●「ラ」大統領は張中国国務院副総理と朝食会を開催。同日、張副総理は、「ラ」大統領の次男にあたるヨシータ・「ラ」海軍少尉の誕生日会にも出席。
●ジュネーブ国連人権理事会において、EU代表団は「ス」に関する声明を読み上げ、「ス」の戦争犯罪に対する調査の必要性を訴え、国連専門家パネル設置の方向を支持する意向を表明。

13日 ●チダンバラン印内相は、「「ス」ではタミル民族問題解決に向けた前向きな兆候が出てきている。「ラ」大統領は先般の印ニューデリーでのシン印首相との会談において、残る57,000名のIDPを3~6ヶ月以内に全て再定住させることを確約してくれた」と発言。

14日 ●ディネシュ・グナワルダナ上下水道大臣(選挙制度改革に関する国会委員会委員長)は、「政府は選挙制度改革法案を7月中に国会に提出予定と発表。

15日 ●明石康日本政府特別代表が「ス」に到着。明石代表の訪「ス」は今回で20回目。

16日 ●M.フェルナンド再定住大臣は、北部IDPキャンプに残留しているIDP数を49,634名と発表。
●訪「ス」した明石日本政府代表はG.L.ピーリス外相と会談。会談後の共同記者会見において、明石代表は「国連や諸外国も「ス」の和解プロセスに寄与できる可能性もあるとは思うが、基本的には「ス」の民族和解プロセス等に関し、干渉したり指図すべきではない。国連の果たす役割を決めるのは「ス」政府であろう。我々は大きな課題・目標に向かって野心的に取り組もうとしている「ス」政府の努力を歓迎する」と発言。
●パスコー国連政務局長が訪「ス」。今次滞在中、「ラ」大統領、G.L.ピーリス外相、M.ピーリス検事総長、ウィクラマシンハ野党リーダー、T.アレスDNA議員、ハキームSLMC指導者とそれぞれ個別に会談した他、北部ムライティブ周辺を視察。「ラ」大統領との会談では、ムライティブ周辺の復興の進捗状況に満足の意を表明。
●S.パワー米国家安全保障委員会委員(人権問題等担当、米大統領特別顧問)及びD.プレスマン米国家安全保障委員会委員(戦争犯罪・文民保護担当)が訪「ス」し、「ラ」大統領と会談

17日 ●北部州キリノッチにおいて、青年4,000名の雇用促進を目的とした職業訓練センター開所。
●K.クレメンス米国務次官補訪(人口・難民・移民担当)が訪「ス」。
●A.バート英外務次官は「ピ」外相と電話会談。

18日 ●政府は戦勝一周年記念として、大規模な軍事パレードをコロンボ市内で実施。当日は臨時の祝日とされ、市内ではパレードのために大規模な交通規制も。「ラ」大統領は、「我らが母国では最早分離主義やテロリズムが蔓延る余地はない。政府は戦争の英雄の記憶を下に、こうした状況を守っていく。我々は国のために一つとならなければならない」と演説。
●明石代表は北部州キリノッチ及びパランタンを訪れ、日本の支援による農機引き渡し式・種子農場就工式に参加した他、キリノッチ市郊外のIDP再定住先を視察。

19日 ●明石代表は大統領官邸で「ラ」大統領と会談。

20日 ●与党JHU(注:仏教団と関連が強いシンハラ民族主義政党)は、新指導者としてオマルペ・ソビータ師(仏僧、党幹事長)を任命したと発表。
●昨年8月に懲役20年の有罪判決を受けた後、本年5月に「ラ」大統領から恩赦を与えられ、釈放されたジャーナリスト、ティッサナヤガム氏が「ス」を出国し米ワシントンに到着。

22日 ●スリランカ内戦末期における人権状況について事務総長に助言を行う専門家パネルの設置したと発表。専門家パネルのメンバーにはM.ダルスマン氏(インドネシア人)他2名。政府関係者は本措置を激しく非難。最大野党UNP関係者も、同パネル設置は「ス」のためにならない、と述べ否定的な見方。また新聞各紙は、「「ス」政府は専門家パネルのメンバーに「ス」入国のための査証を発給しない意向」との表題で報道。
●EUは、本年8月15日で消滅する「ス」へのGSPプラス(特恵関税)について、EUが2月に「ス」政府に要請した人権関係の15項目(人権全般について国際的基準を満たすこと、政府の具体的な人権問題への対応等)につき、7月1日までに正式な書簡での回答及びコミットメントがなければ、EUとしてGSPプラスを延長することはないとの立場を表明。

24日 ●米上院外交委員会はティッサナヤガム記者への恩赦を歓迎する声明を発表。
●露は国連専門家パネル設置に反対する声明を発出し、中国、NAM諸国もこれに続く一方、米及びノルウェー政府関係者が本パネル設置を歓迎する発言。

25日 ●EUによる特恵関税措置GSPプラスの8月15日以降の延長に関する条件付けに関し、「ピ」外相は、「「ス」政府としてEUへの公式な返答などは出さない。最早EU側と話し合う必要はない。GSPプラスへの条件付けは「ス」への内政干渉であり、明らかに政治的意図に基づいたものである」と述べ、EUを非難。

28日 ●IMFは「ス」に対するスタンドバイ融資の第3次支払い(4億米ドル相当)の実施を決定
●訪「ス」したN.ウェルマ印海軍総督は、「ラ」大統領、ゴタバヤ・「ラ」国防次官とそれぞれ会談。

29日 ●2010年度下半期の国家予算案が国会に提出。本予算案に関し、S.アムヌガマ財務・計画副大臣が国会演説を行い、教育、保健、弱者支援、農村コミュニティ支援、伝統・中小企業支援、公務員・労働者の生活向上の各分野への予算割り当てを強調。なお、政府が公約していた公務員の昇給(一ヶ月あたり2500ルピーの昇給)は棚上げされ、来年度以降に持ち越しに。

30日 ●「ラ」大統領はウクライナを初めて公式訪問。「ラ」大統領はヤヌコーヴィチ「ウ」大統領と会談し、観光・海軍・海上輸送・国防の各分野における4つの協力協定に署名。
(了)  


 

スリランカの主な出来事(2010年5月1日-5月31日)

3日  ●G.L.ピーリス外務大臣は、「ラージャパクサ大統領は「世界報道の自由の日」に際し、ジャーナリスト、ティッサナヤガム氏(注:昨年8月に懲役20年の有罪判決を受けていた)に恩赦を与え、釈放した」と発表。同日、当地米国大使館は声明を発し、「ティ」氏釈放を歓迎すると表明。
●学生連盟は、北部IDPの問題が著しく無視されているとして抗議を実施。
●クリントン米国務長官は、「ピ」外相就任に対し祝辞を発出。

4日  ●「ピ」外相は国会において、「国家安全保障に抵触しない範囲で、緊急事態令を緩和する。緩和措置が適用されるのは、同居人に関する情報提供義務に関する規定、及び政府軍兵士の操作目的の私有地立ち入りに関する規定、テロ支援のための広報・出版・配布活動、戒厳令の実施規定等である。本緩和措置により、「ス」への観光客増加、経済開発が促進されることを期待する。なお、政府軍は引き続きテロ関連調査に関し警察権限を維持していく」と発言。
●ジャヤラトナ首相は国会において、「LTTEが再興を目論み国際的な領域で活動し、「ス」に分離国家を建設し、再武装しようと目論んでいる。「ス」にとっての最大の課題は、在外LTTEネットワークを打ち砕くことであり、緊急事態令は引き続き必要である」と発言。

5日  ●国会で緊急事態令の延長が可決(賛成132票、反対14票)。
●「ラ」大統領は新内閣における追加閣僚4名(ランブクウェラ報道大臣、S.B.ディサナヤケ高等教育大臣、トンダマン畜産大臣、ウィターラナ科学技術・研究大臣)及び副大臣6名を任命。本決定により閣僚数42名、副大臣45名で、計87名に。なお、マービン・シルバ大衆報道・情報副大臣は同職を辞任し、ハイウェー副大臣に転任。
●「ラ」大統領は、各省の予算策定にあたり、通常予算案や暫定予算案ではなく、公債基金(consolidated fund)から4,400億ルピーを切り崩して充てる提案。
●最大野党UNPの党幹部は作業部会を開催し、党綱領を改定し、選挙によって党幹部を選出する仕組みを導入する方針を決定。
●デイリーミラー紙記者のS.A.ジャヤセーカラが、「ラ」大統領が訪問していた病院で取材を行うため入ろうとしたところ、政府軍大統領治安部隊から暴行を受け、負傷。

6日  ●「ス」は上海協力機関(SCO、注:中国・露を中心とする安全保障に関する国際機構)と科学技術・保健分野等での協力に合意・署名。

8日  ●都市開発当局(UDA、注:今次省庁再編で国防省の傘下に配置)は、警察と陸軍と共に、コロンボ2区ミューズ通りの建造物を違法とみなし解体。これに対し、ミューズ通りに居住していた住民たちが抵抗し、治安当局ともみ合いに。

10日 ●チャールズ北部州行政長官(GA)は、「10日に5,000名が北部IDPキャンプから解放され、キリノッチ県に再定住した。キャンプに残存するIDP数は60,000名(ママ)となった」と発表。
●TNAはタミル市民に向けて声明を発し、「政府は5月12~18日を英雄週間と呼ぶが、当期間はタミル人にとっては哀悼期間とすべきである。特に昨年の5月17日には多くの一般市民が犠牲になったことから、「破滅の日(the day of catastrophe)」と呼ぶべきである」と発言。

11日 ●S.ライス米国連代表部大使は、「「ラ」大統領による「過去の教訓・和解委員会」の設置の意向を歓迎する声明を発表。
●マレーシアで病気療養していたパルワティ・ウェルッピライ・プラバーカラン氏(故プラバーカランLTTE指導者の母。80歳。身体麻痺を患っている)が、「ス」に帰国。

12日 ●D.E.W.グナセーカラ社会復帰・留置所改革大臣は、「本年中に元LTTE要員10,000人を社会復帰させ、また元LTTE戦闘員1,000名に対しては検察を通じて法的措置を講じる予定」と発言。

13日 ●閣議で「過去の教訓・和解委員会(Lessons Learnt and Reconciliation Commission:LLRC)」に関する覚書承認。本委員会の活動として、停戦合意が締結された2002年2月21日から戦争が終了した2009年5月19日までの期間中に発生した以下の事項に関する調査及び報告が義務づけられた他、活動予算1,000万ルピーの割り当てが決定。

14日 ●印政府はLTTE違法化措置の2年間延長を決定。

15日 ●「ラ」大統領はLLRCに関する声明を発表し、「LLRC議長としてチッタ・ランジャン・デシルバ元検事総長ほか委員7名を任命。なお、本委員会は6ヶ月以内に報告書を完成させ、「ラ」大統領に提出すること、調査はすべて非公開で行うことに。

17日 ●第14回G15首脳会議に伴いイラン入りしているG.L.ピーリス外相は、16日、クリシュナ印外相と会談。両外相は「ス」北部IDPの状況について協議した他、「ラ」大統領が6月8日から印ニューデリーを訪問することで合意。
●「ラ」大統領はイラン・テヘランで開催された第14回G15首脳会合に出席。「G15は、人間中心の開発に取り組むべくG8と建設的な対話を行っていくべき」と発言。なお「ラ」大統領はアフマディネジャド・イラン大統領からG15首脳会議の議長を継承。
●国際危機管理グループ(ICG)は「「ス」戦争犯罪に関する報告書」を発表し、「「ス」政府は戦闘の最終段階で大勢のタミル人を殺害した」と主張。これを受けて「ピ」外相(20日)は、「ICG報告書は、情報源が匿名となっており主張が反証不能である。また「ス」政府がEUと関税特恵GSPプラスを巡って交渉を行っている最中の発表には政治的意図がある」と激しく反発。

18日 ●LTTE打倒から1年。20日にはコロンボ市内ゴールフェース公園で、政府軍による大規模な戦勝祝賀パレードが予定されていたが、悪天候のためキャンセルに。
●政府は、北部ジャフナの社会復帰施設に滞在していた元LTTE要員425名を解放。
●英テレビ局チャンネル4は、「「ス」北部戦闘の最終段階で「ス」政府要人からタミル人たちを抹殺するように指示を受けた」とする「ス」陸軍幹部の匿名証言を放映した他、ICGのL.アーバー代表をスタジオに招くなど、「ス」政府を厳しく批判する内容のテレビ番組を放送。

20日 ●J.ケレンベルガーICRC代表は、「「ス」政府はICRCに対し元LTTE要員の社会復帰センター及びIDPの再定住地域へのアクセスを認めるべきである」と発言。

21日 ●UNP党作業部会が開かれ、党綱領に関する改定案を承認。新綱領の下では、党総裁をはじめとする殆どの幹部を無記名投票により選出する方向に。
●M.ピーリス検事総長を中心とする「ス」政府代表団が訪欧。K.ゲオルギヴァEU国際協力・人道援助・危機対応委員長と会談。
●ヒューマンライツウォッチ(HRW)は「ス」戦争犯罪に関する報告書を発表。「ラ」報道大臣は、「HRW報告書の情報には根拠がない。政府として一々相手にする必要はない」と発言。
●国連は「児童・武力紛争に関する年次報告書」を発表。LTTEが北部戦闘の最終段階で逃げようとする女性や子供に強制的に髪を切る蛮行を行っていたとの記載。

22日 ●C.R.デシルバLLRC委員長は、「LLRCは公開では実施しない代わりに、全てカメラで証拠撮影を行う予定。また11月15日までに報告書を纏め、「ラ」大統領に提出予定」と発言。

24日 ●14日以降、西部州・サバラガムワ州・南部州を中心に降り続いた大雨で、24名死亡、倒壊家屋539棟、半壊家屋2,775棟の被害。
●フォンセーカDNA指導者(注:元野党共通大統領候補、前国防参謀長)に関する第2次軍事法廷開始(陸軍在職時中における武器調達における不正に関する審議)。
●米ニューヨークを訪問した「ピ」外相は、国連本部でバン国連事務総長と会談。「バ」事務総長は独立専門家パネル設置を進めていく意向を改めて示したのに対し、「ピ」外相は「国連は「ス」への内政干渉、即ち独立調査の要求をすべきではないと主張。

26日 ●「ラ」大統領は、「北部IDPキャンプに残留する全てのIDPを、3ヶ月以内に再定住させ、キャンプを閉鎖する」と発言。

27日 ●米国務省は声明を発し、2009年11月に発せられていた「ス」への渡航者に対する安全上の警告を5月26日を以て取り消した、と発表。

28日 ●米ワシントンを訪問した「ピ」外相は、クリントン米国務長官と会談した。「ク」長官は会談後の記者会見において、「「ス」における和解委員会は間違いなく有意義なものであり(hold promise)、「ス」の一般市民の期待とニーズを反映し、戦時に行われた残虐行為の問題を広く追求し、責任関係を明らかにしてくれるものと期待している」と発言。

31日 ●ピライ国連人権高等弁務官は、「「ス」人権侵害に関しては、「ス」政府が新設した和解委員会如何に関わらず、独立した国際調査があるべき」と発言。これに対し、「ラ」報道大臣は、「多くの国々が「ス」自身の調査に肯定的な見方を示してくれている中、国際調査を急いで設置する意味はない」と反論。


 

スリランカの主な出来事(2010年4月1日-4月30日)

1日  ●与党連合UPFAはラージャパクサ大統領の参加の下、北中央州アヌラーダプラ及び北部州ワウニヤ・ジャフナで選挙集会を開催。「ラ」大統領は「UPFAの勝利は確実」と宣言。
●「ラ」大統領の北部州訪問に際し、ワウニヤの元LTTE要員社会復帰センターから1,528名解放。同センターに残留する元LTTE要員は約9,000名に。

4日  ●5団体による世論調査の結果、今次総選挙で与党連合UPFAは128~152議席を獲得するとの予測に(4日付)。
●クルネーガラ選挙区マワダーガマ地区において、与党連合UPFAの支持者1名が銃撃を受け、死亡。今般の総選挙に関連する死亡事件はこれが全国初。

8日  ●全国で総選挙の投票実施。有権者数は14,088,500名(再定住済みの北部IDP45,969名、及びキャンプ内のIDP25,582名を含む)。候補者数は7,620名(政党数24、独立団体310に所属)。選挙管理・監視には政府担当職員:123,000名の他、当地選挙監視オブザーバー(PAFFREL、CMEV)14,670名、国際監視要員16名(タイを拠点とする政府非公認NGO、ANFRELのみ参加) 、警察官58,700名、政府軍兵士19,500名が参加。投票率は61.26%と記録的な低さに。なお投票日は概ね平穏(PAFFRELによると、投票日当日の不満件数は140件)であったものの、中央州キャンディ選挙区内のナラワピティヤ地区おいて、投票所の政党立会人が不審なグループに追いかけられ、脅迫を受けるなどの事件が発生した他、東部州トリンコマリー選挙区クンブルピティヤ地区の投票所では、投票所に暴力団が押し入り投票箱を奪い去る事件が発生。選管は、これらの地域の結果発表を保留。

9日  ●総選挙の暫定結果が明らかに。与党連合UPFAが117議席、野党ではUNP46議席、TNA12議席、DNA5議席を獲得し、与党が優勢な状況に。バジル・ラージャパクサ大統領首席顧問がUPFA全候補者の中で最高となる425,861票を獲得し、初出馬のナマル・ラージャパクサ候補(「ラ」大統領の長男)も与党内で最高得票率を獲得。
●国会で緊急事態令の一ヶ月延長が可決(賛成58票、反対5票)。ウィクラマナヤケ首相は国会討議において、「政府は永久に緊急事態令を延長しようとは考えておらず、国家安全保障を損なわない範囲で、同令の改正も検討する」と発言。

10日 ●選挙管理委員会は、キャンディ選挙区ナワラピティヤ地区内の17の投票所及びトリンコマリー選挙区クンブルピティヤ内の投票所1箇所に限り、20日に再投票を実施する旨決定。

11日 ●与党連合UPFAは記者会見を行い、総選挙での勝利を宣言。(野党を含め)全ての政党に国家発展に向け政府と協力するよう要請し、「過去に一部の外国勢力が「ス」選挙結果に物言いをつけるような事があったが、外国は「ス」国民のマンデートを尊重し、文句を付けるべきではない」と発言。

13日 ●クリントン米国務長官はシンハラ・タミル正月に際し祝辞を発出。「国内外全ての「ス」人にとり、寛容性と人権尊重に基づく豊かな民主国家を共に築き絆を深める好機である」と発言。またブレイク米国務次官補(前在「ス」米大使)は記者会見において、「過激なシンハラ民族主義政党であるDNAやJHUが大幅に議席数を減らした。与党は(権限共有に向けた)重要な好機を掴んでおり、タミル人との和解に向けて取り組むべき」と発言。
●アシュトンEU外務安全保障政策上級代表は声明を発し、「「ス」総選挙が概ね平和裡に実施されたことを歓迎する」と発言。

15日 ●Jiang Yu中国外務省報道官は記者会見において、「LTTE打倒後初となる「ス」の総選挙が、潤滑(smooth)に実施されたことを喜ばしく思う」と発言。

18日 ●サジット・プレマダーサUNP議員(注:UNPの次世代を担う若手有力議員の一人とされる)は、「UNPの党中央部は改革されるべきである。UNPは労働者、農民、漁民を代表すべく、地に根をつけた政党に生まれ変わる必要がある」と発言。
●サンパンタンTNA団長は、「政府が、もし統一された「ス」国家の中でタミル人にとって納得のいく政治解決を提示するなら、TNAは政府と協力する用意がある」と発言。
●ストーレ・ノルウェー外相は、「ノ」国会で新しい「対「ス」外交政策」を発表し、「「ノ」は今や「ス」に関して特別な役割がある訳ではない。他方、2002年の和平合意に基づき政治的・平和的解決の実現に貢献できる余地があり、こうした「ノ」の目標自体に何ら変わりはない」と発言。

19日 ●「ラ」大統領とウィクラマシンハ最大野党連合UNF代表(最大野党UNP総裁)が会談。
●フォンセーカ野党連合DNA指導者(元野党共通大統領候補、前国防参謀長)に関する第2回軍事法廷が、海軍本部で開始。前国防参謀長在職時代に違法な武器取引を行った容疑。

20日 ●キャンディ選挙区ナワラピティヤ地区(投票所37箇所、有権者5万名)及びトリンコマリー選挙区クンブルピティヤ地区内の投票所1箇所(有権者約千名)で再投票実施。投票は平和裡に。
●印映画スターのアミタブ・バッチャンが訪「ス」し、「ラ」大統領を表敬訪問。

21日 ●午前、選挙管理委員会は、20日行われた2カ所での再投票の集計結果が判明したことを受け、8日に実施された総選挙の最終結果を発表。与党連合UPFAが144議席を獲得し圧勝。野党は、UNF:60議席、TNA:14議席、DNA:7議席。              
●「ラ」大統領は最大与党SLFPのベテラン政治家であるD.M.ジャヤラトナ氏(78歳、全国区から当選)を新首相に任命。同日、「ジャ」氏は大統領府にて就任宣誓。

22日 ●第7次国会開始。総選挙で当選した225名の議員が就任宣誓。またチャマル・「ラ」前港湾大臣(「ラ」大統領の兄弟。ハンバントタ選挙区)が新国会議長に就任され、野党各党も信任・祝辞を意思表示。なお、拘留中の「フォ」DNA指導者も一時的に釈放され、国会に出席。
●UNFから全国区指名が受けられなかったマノ・ガネーシャンDPF指導者は、UNF側の決定に激怒し、DPFはUNFからの離脱を宣言。
●ディガンバラムWNF(注:労働組合名NUW。今次総選挙ではUNFに所属し、ヌワラエリヤ選挙区から同氏のみが当選)指導者は、NUWに与えられるべき全国区当選枠が与えられなかったことを不服とし、UNF離脱を宣言。今後は独立した立場で活動する由。

23日 ●国会において、「ラ」大統領は新内閣における閣僚(38名)及び副大臣(39名)を任命。 前政権時との大臣数比較では、34ポストの削減を実現。外務大臣には、G.L. ピーリス氏 (前輸出振興・国際貿易大臣)が、経済開発大臣にはバジル・ラージャパクサ氏(前大統領首席顧問)が就任。

24日 ●ザルダリ・パキスタン大統領は、今次「ス」総選挙で勝利したUPFA及び「ラ」大統領に対し、祝辞を発出。

25日 ●「ラ」大統領は各省の新次官(計36名)を任命。ゴタバヤ・ラージャパクサ国防次官が再任された他、P.B.ジャヤスンドラ前財務次官が経済開発省次官に就任。

26日 ●M.ピーリス検事総長は国連本部を訪問し、バン国連事務総長と会談(26日付)。
●「ジャ」首相はキャンディでマルワッタ派・アスギリヤ派大僧正に首相就任後の挨拶を実施。

27日 ●SAARC会合に出席するためブータンを訪れている「ラ」大統領は、ティンレイ「ブ」首相と2カ国間会談実施。なお、同行したG.L.ピーリス外相も、クレーシ・パキスタン外相と2カ国間会談。

28日 ●第16回SAARC会議がブータン・ティンプーで開始。8カ国外相会合が行われ、気候変動への取り組み、インフラ開発基金設立、貿易上の取り決めへの署名に関する協議実施。「ラ」大統領は、「我々SAAC加盟国は、地域の主権を確保すべく、同地域にとっての内発的な問題解決策を模索し、SAARC圏外から横入れしようとする試みから防御すべきである」と発言。
●G.L.ピーリス外務大臣は、SAARC会合と並行しクリシュナ印外相と2カ国間会談実施。両外相は、「ス」民族問題の政治的解決、北部IDP再定住・福祉問題について協議。また同日、「ピ」外相は、クレーシ・パキスタン外相と2カ国間会談実施。

29日 ●ゴタバヤ・「ラ」国防次官は、「ジャフナ半島では現在、政府軍が安全上の理由から一時的に私用地を占有しているが、今後は徐々に撤退していく事になる」と発言。
●UNP党幹部は、党改革についての協議を開始。
●「ラ」大統領は、SAARC会合と並行し、シン印首相、ギラーニ・パキスタン首相、ハシナ・バングラデシュ首相とそれぞれ2カ国間会談を実施。またJ.K.N.ワンチュク・ブータン国王を表敬訪問。シン印首相とは、「ス」北部IDPの再定住問題、北部開発、民族和解・民族問題の政治的解決の問題について協議。

30日 ●サヴェージ在「ス」EU大使は、「「ス」では緊急事態令が継続され、また「フォ」DNA指導者の拘留もいたずらに延長されている」として懸念を表明。
(了)  


 

スリランカの主な出来事(2010年3月1日-3月31日)

1日  ●与党JHU 及びNFFは、ブラウン英首相のグローバル・タミル・フォーラム(GTF、注:LTTE残党と関連があるとされるタミル団体)との会談、及びミリバンド英外相のGTF会合出席に抗議し、在「ス」英大使館前でデモを実施。

3日  ●独連邦検察は、独北西部ノルトライン・ヴェストファーレン州において、ウィジカネンドラ氏をはじめ、LTTE活動家・支援者と見られる6名(独人3名、タミル人3名)を逮捕。

4日  ●G.L.ピーリス政府報道官は、先般の大統領選挙で再選を果たしたラージャパクサ大統領は第2期目の開始に向け、2010年11月18日に宣誓を行う予定を明らかに。
●バン国連事務総長は「ラ」大統領と電話会談を行い、「「ス」北部戦闘の最終段階における人権侵害を調査すべく国連専門家パネルを設置したい」と伝達。これに対し、ボーゴラガマ外相は「専門家パネルなどは必要ない。国連は「ス」への内政干渉を慎むべきである」と批判。

5日  ●ピライ国連人権高等弁務官はUNHRC年次報告書の発表式典において、「ス」戦争犯罪に関する独立調査が必要であるとの考えを明らかに。これに対し、サマラシンハ災害管理・人権大臣は、「「ピ」弁務官は一部の国際勢力を贔屓すべきでない。昨年のUNHRCの「ス」決議を遵守し、余計な発言は差し控えるべき」と反論。

7日  ●N.ラオ印次官(元在「ス」印大使)が訪「ス」し、「ラ」大統領と会談。再選を決めた「ラ」大統領に祝辞を述べた上、「北部IDPキャンプの滞在者数は残すところ7万人以下となり、最早、国際社会の重大な関心事項ではなくなった。印は「ス」北部でIDP再定住・鉄道敷設を支援する」と発言。
●アロマ・フォンセーカ氏(フォンセーカ元野党大統領候補の夫人)は、「拘束中の「S.フォ」は携帯電話が与えられず実娘と話すことも出来ず、「S.フォ」はこれに抗議してハンガーストライキ(fast)を開始した」と発言(なお、本ストライキは9日に終了)。
●2隻の難民船(各28名・80名乗船)が豪北西部のアデーレ諸島付近に漂着。

8日  ●与党院内総務D.グナワルダナ都市開発大臣は、「政府は総議席数の2/3以上を獲得し、新たな憲法修正を行い、大統領制を廃止或いは改革する」と発言。
●N.ラオ印次官は東部州を訪れ、チャンドラカンタン(通称:ピラヤン)東部州首席大臣(注:東部を拠点とするタミル政党TMVP指導者)と会談。

9日  ●臨時国会が召集され、緊急事態令の延長可決(賛成93票、反対24票)。野党UNP、TNA、JVPがそれぞれ反対票投ず。
●非同盟諸国(NAM)事務局はバン国連事務総長充てに書簡を発し、国連の「ス」戦争犯罪に関する調査パネル設置に向けた動きに対し深い憂慮を表明。

10日 ●M.シリセーナ与党SLFP幹事長は、「総選挙では総議席数の2/3以上の獲得を目指し、達成できれば憲法修正を行い、選挙制度改定等を行う。また1月に実施された大統領選挙は最後の大統領選挙となるだろう」と発言。
●M.バラスーリヤ警察長官は、ゴタバヤ・ラージャパクサ国防次官の命令に基づき、8名の警察捜査官幹部を解雇した旨明らかに。
●リケッツ英外務次官が訪「ス」し、「ボ」外相と会談。先日ミリバンド英外相がタミル・グローバル・フォーラム会議に出席した経緯を「ス」側に説明。

11日 ●「フォ」前国防参謀長を軍事法廷にかけるべく、「ラ」大統領は陸軍少将3名を判事に任命。

12日 ●TNA(注:北・東部州を拠点とする最大タミル政党)がマニフェスト発表。タミル人の自決権、連邦制に基づく権限移譲、北・東部州の再統合を公約。

15日 ●M.バラスーリヤ警察長官は、「警察は選挙ポスター除去作業に尽力しているが、(あまりにも違法ポスターが多すぎて)それらを完全に除去することはできない」と発言。

16日 ●「フォ」元候補(前国防参謀長、野党連合DNA指導者)に対する軍事裁判開始。今回の「フォ」に関する軍事法廷は2日間(16~17日)に亘り、初日(16日)は国防参謀長在任中の政治活動についての裁判実施。「フォ」は法廷で「軍事裁判に掛けられる所以はない」と発言。
●最大野党UNPがマニフェスト発表。「新しい社会への転換へ」と題し、国会の任期の短縮(6年から5年へ)、緊急事態令可決の条件の変更(過半数から2/3以上の議席数に)、選挙法制度の変更(125議席を多数得票制で選出し、残る125議席を政党指名とする比例代表制へ)、公務員給与の漸次的増額(10,000ルピー増額へ)、生活必需品の価格引き下げを公約。
●DNA(注:野党第2党JVPを中心とする野党連合)がマニフェスト発表。「人徳のある国」をスローガンに、「フォ」DNA指導者を含め不法に拘留されている囚人の解放、国家の単一性の遵守と連邦主義者たちの取り締まりを公約。

18日 ●「フォ」元候補は、自らの拘留長期化を不服とし、軍事法廷に申し立てを実施。
●世界的なテレビ番組「ナショナル・ジオグラフィック」は、「今年行くべき国ランキング」で「ス」を第2位に選出(18日付)。

19日 ●与党連合UPFAは、「ラ」大統領の参加の下、中央州キャンディで選挙集会を開始。「ラ」大統領は、総議席数の2/3以上を目指し国民から強い国会を得たい旨発言。他方、UNPも、ウィクラマシンハUNP総裁の参加の下、北部州ジャフナ県で選挙集会を開始。「ウィ」総裁は北部の開発の必要を訴えた他、現政権は権限移譲・国民和解を実現できていない、と批判。

21日 ●犯罪捜査局(CID)は、アノマ・フォンセーカ夫人に対し3時間に亘り尋問を実施。

22日 ●MTV主催による米アーティストAKONのコロンボ公演予定(4月下旬)に抗議し、数十人の暴漢がコロンボ市内のMTV事務所に投石。警察は16名を逮捕。「AKONは仏教を軽視又は侮辱するような公演を行っている(仏陀像を取り囲む形で薄着の女性を踊らせる等、印でも同様の公演を行い宗教関係者より厳しい非難を受けた経緯あり)」との噂が広がったため。

23日 ●2010年政府予算案は、元来昨年11月に国会に提出される予定であったが、大統領選挙、総選挙等の影響で遅れ、総選挙後の5月に提出予定である旨明らかに(23日付)。

26日 ●25~26日の2日間にかけて総選挙の郵便投票実施。ヘッティアラッチPAFFREL(政府公認の当地選挙監視NGO)代表によると、2日間で郵便投票の申請者の96%(415,432名)が投票実施。警察によると、郵便投票に関する暴力事件件数は28件のみ。
●イスマイル汚職防止委員会委員長によると、第17次憲法修正下の憲法委員会の下での設置が義務付けられている汚職防止委員会が任期期限を迎え、再開の見通しは立っていない由。
●災害管理・人権省は、26日現在のIDP残存数を76,205名と発表。なおチャンドラシリ北部州知事は、先週だけで北部ムラィティブ県に6万5千名のIDPが再定住した旨発表。

29日 ●警察は、29日現在の選挙関連暴力事件件数は220件(深刻な事件141件)で、その半数以上が与党内の候補の対立によるもの、と発表。また選管は違法な選挙ポスター・横断幕等が蔓延している状況に歯止めが効かない状況を受け、4月1日までに違法な横断幕・旗・広告板等を全て除去し、4月5日までに全てのポスターも除去するよう警察に指示。CMEV(当地選挙監視NGO)は声明を発し、選挙戦が終盤戦に差し掛かり、国有資源の濫用、選管職員の怠業、選挙事務所に対する襲撃等の違法行為が増加中、と警告。
●UNPは、EUが国際選挙監視団を派遣する構えを見せているにも拘わらず、選管委員長はEUを招聘しようとしないとして、選管を批判。
●インターポールは、タミル復旧機構(TRO、注:LTTE存命時には在外事務所として機能)の指導者としてLTTEへの資金援助活動を行っていたK.プレマラージ氏を指名手配(29日付)。

31日 ●ケラニヤ大学教授は総選挙結果に関する世論調査の結果を発表。与党連合UPFA:65%(145議席)、野党UNP:28%(66議席)、その他の政党(主に北・東部タミル政党):6%(14議席)と予測。
●ミリバンド英外相は「ス」情勢に関する声明を発し、「「ス」は暴力ではなく政治を通じて発展を実現すべきである。「ス」民主主義は、単に選挙だけでなく、報道の自由や司法の独立を通じ、健全なものであるべき」と発言。これに対し、K.ランブクウェラ政府軍報道官は、「「ミ」英外相の発言は偏見に満ちており、しかも「ス」総選挙を目前に控えた中でなされた。これは(現ラージャパクサ政権に揺さぶりをかけようとする)英の策略ではないか」と批判。

  (了)  


 

スリランカの主な出来事(2010年2月1日-2月28日)

1日  ●野党連合UNFは、大統領選挙で敗れたフォンセーカ野党候補を同連合の副総裁に任命。
●政府は1月末までに全てのIDPをキャンプから解放すると国連や印等に対し、述べてきたものの約束が果たせず。バディユディーン再定住・災害サービス大臣は、「出来るだけ早期にIDP(北部ワウニヤ・キャンプに8万人残留)の再定住を進める、と発言。
●日本の岡田外相は、再選を決めたラージャパクサ大統領に祝辞。同時にIDP再定住の早期完了、「ス」経済の復興、民族和解プロセスの促進、への期待を表明。

2日  ●最高裁は、再選を決めた「ラ」大統領の2期目の任期開始日は2010年11月19日と宣言。
●警察は緊急事態令に則り、「ラ」大統領暗殺計画に関与した容疑で37名を逮捕。内23名は政府軍関係者及び脱走兵、2名はタミル人(武器調達に関与した容疑)、2名は仏僧。
●災害管理・人権省は作成中の「人権促進・保護のための国家行動計画」原案をサマラシンハ災害管理・人権大臣に提出。

3日  ●野党各党(UNP、JVPほか)は、選挙に不正があったとしてコロンボ市内で抗議デモ実施。デモに参加した「フォ」候補は「我こそが真の大統領である。与党は選挙結果を歪曲した」と主張。

4日  ●「ラ」大統領は独立記念式典で演説し「一部の国内外の勢力は「ス」の不安定化を企てている。我々の外交方針は非同盟・独立を基本とする。印、中国、日本のような近隣国と緊密な関係を築き、アジア、アフリカ、西側諸国、中東、欧州諸国とも温厚な関係を維持している」と発言。

5日  ●国会で緊急事態令延長が可決(賛成102票、反対15票:UNP及びTNA、JVPは棄権)。

6日  ●ウィクラマシンハ野党リーダーは、次期総選挙に向けて野党連合UNFのシンボル(白鳥)ではなく、UNPの党シンボル(象)の下に選挙戦に臨むとの意向を表明。

8日  ●政府軍警察は「フォ」元野党大統領候補(前国防参謀長)を逮捕。フルガッレ国家安保情報局長は記者会見を開き、「「フォ」にかけられた容疑は(1)軍事クーデターの謀略、(2)「ラ」大統領暗殺計画、(3)陸軍司令官及び国防参謀長在任中、野党と共謀して軍に対する違反及び不正を行ったこと、である。「「フォ」は逮捕後、犯罪捜査局(CID)及びテロ捜査局(TID)の取り調べを受け、更に軍法裁判にかけられる予定」と説明。
●露を訪問した「ラ」大統領は、メドヴェージェフ露大統領と会談。同日、「ラ」は露最大のガス石油会社「Gazprom」を訪問。露側は「ス」マナー県における海洋石油採掘への協力等に合意。

9日  ●「ラ」大統領は憲法第11条70(1)項に則り、国会の解散を公示。総選挙投票日は4月8日(木)、次期国会召集日は4月22日(木)に確定。
●「フォ」元候補夫人は野党関係者と共に共同記者会見を開き、「夫は憲兵隊によって乱暴な扱いを受け、連れ去られた」と主張。本件に関し、バン国連事務総長は「「フォ」逮捕事件への反動として暴力行為に走ることのないよう、「ス」の全ての関係者に自制を求める」と発言。

10日 ●「フォ」元候補釈放を求める野党関係者・支持者たちが最高裁前(コロンボ12区)に集合し、抗議デモ実施。これに政府支持者たちが石や棒で攻撃を加えたことで騒ぎが拡大し、数名が負傷。警察も介入し、バリケードを設置、催涙ガスを投じるなどして事態は沈静化。
●「フォ」元候補夫人は夫の逮捕・拘留は不当であるとして、最高裁に基本的人権訴訟を提訴。
●「ラ」大統領はバン国連事務総長と25分間に亘り電話会談。「バ」事務総長は、「フォ」逮捕に関する憂慮を伝達。

11日 ●野党支持者は「フォ」逮捕に対する抗議デモをマハラガマ(コロンボの南東10kmに位置)で実施。警察が出動し、バトン等を使ってデモ隊を蹴散らそうとしたところ、市民一人が負傷。
●アヌーラ.P.ヤーパ報道大臣は、次期総選挙準備のため同職を辞任。
●ジュネーブを訪問した「ス」政府代表団(サマラシンハ災害管理・人権大臣ほか)はピライ国連人権高等弁務官と会談し、「ス」政府として「人権促進・保護のための国家行動計画(NAP)」の策定に向け現在取り組んでおり、北部IDP再定住の課題にも尽力している旨、説明。
●ゴタバヤ・ラージャパクサ国防次官は「米・ノルウェーは「ス」大統領選挙で「フォ」野党候補のキャンペーンに資金援助しようとしていた」と発言。米・ノルウェー政府はそれぞれ否定。

14日 ●アスギリヤ派及びマルワッタ派(共に「ス」仏教界の最高権威)の大僧正は、「ラ」大統領は「フォ」を釈放すべきであるとの考えを表明。

15日 ●「フォ」の義理の息子にあたるティレカラトナ氏に対し、公的資金横領の容疑で逮捕状発出。「ティ」氏経営のHiCorp社が、「フォ」参謀長在任当時、軍との違法武器取引に関与した容疑。
●EUは「ス」に対する貿易特恵GSPプラスを今後6ヶ月間以内一時停止することを正式に決定。「ス」の人権状況が悪いことが主な理由。
●C.シリマルワッテ・ランカ紙(野党JVPと関係が深い新聞社)編集長は、自分(「シ」)に対する逮捕・拘留(1月29日に逮捕された後、数日で釈放されていた)は人権侵害であるとして、最高裁に対し基本的人権訴訟を提訴。

16日 ●「フォ」元候補(前国防参謀長)は、大統領選挙プロセスに不正があったとし、無効化を求める基本的人権訴訟を最高裁に提訴。

17日 ●コロンボ地方裁は大統領選挙で「フォ」野党候補を支援していた元政府軍兵士14名を釈放。
●T.アタナヤケUNP幹事長は、SLFP人民派、SLMC、DPFの各党が象のシンボル(注:UNPの党シンボル)の下で選挙戦に臨むことに合意した旨明らかに。
●L.フォックス英影の国防大臣訪「ス」。ボーゴラガマ外相らとの会談後に共同記者会見を行い、「「フォ」元候補は一般法の手続きに則って裁かれるべきである」との見解を表明。
18日 ●アマラシンハJVP指導者は、次期総選挙に向け、新しい政党連合として民主国民同盟(DNA)を設立し、トロフィーのシンボルの下で選挙戦に臨むと宣言。DNAの指導者には「フォ」前国防参謀長が就任。
●非公式に印を訪問したゴタバヤ・「ラ」次官は、S.メノン印国家安全保障顧問ほかと会談。
●L.U.ツェリン・ブータン外相が訪「ス」し、ボーゴラガマ外相と会談。

19日 ●ボーゴラガマ外相は、「国際NGO・国内NGOは、「ス」の民主主義を不安定化させようと目論んでいる一部の外国勢力から、怪しげな資金援助を受けている」と発言。
●TNAは総選挙の候補者リストを完成。現議員22名の内、9名がリストから外される結果に。

21日 ●「ラ」大統領は印ヒンドゥー紙に対し、「次期総選挙では与党連合UPFAは余裕で勝利するだろう。(総議席数の3分の2を獲得できる見込み如何との質問に対し、)少なくともそれに近い議席数を獲得できるだろう」と発言。

23日 ●ミリバンド英外相は英国会において、英在住のタミル人活動家グループ「グローバル・タミル・フォーラム(GTF)」会議で自ら基調講演を行う意向を明らかに。「ボ」外相は「LTTE傘下の組織が主催する会議に、英外相のような政府高官が出席することは許されない」と反発。
●ブレイク国務次官補発言(前在「ス」米大使)は、「米は「ス」政府のフォンセーカ元野党大統領逮捕と彼の扱われ方について、嬉しく思っていない」と発言。これに対し、ヤーパ報道大臣は、「「ブ」次官補は「ス」に頭ごなしに指図すべきではない」と反発。

25日 ●「ミ」英外相は英国会で開催されたGTF会議で基調演説実施。ブラウン英首相もGTF会議に出席したとの報道がなされ(注:後に英側は、「ブ」首相は実際はGTFと会談を行ったのみ、と弁解)、「ス」政府は「英は倫理に反する行為をしている」と反発。

26日 ●総選挙の候補者登録締め切り。登録を行った候補者は7,696名、参加政党は20党、無所属の独立団体は48団体に。

27日 ●ディサナヤケ選挙管理委員長は総選挙の参加政党・独立機関に対し、24の指示項目を発表。3月3日までに全ての選挙キャンペーン目的のポスター・貼り紙・横断幕等の除去を指示。

28日 ●TNAは今次総選挙に際し、4つのグループに分裂。(1)サンパンタン議員団長を中心とする主流グループ、(2)TNAから候補者指名を受けられず、ACTCの下で選挙戦に出馬を決めた3名(ポンナンバラン議員ほか)、(3)新政党連合TNLAを設立した2名(スリカンタ議員、シワジリンガム議員)、(4)与党連合UPFAに転じ出馬を決めた3名(キショール議員ほか)(28日付)。

  (了)  


 

スリランカの主な出来事(2010年1月1日-1月31日)

1日  ●ラージャパクサ大統領は年頭の所感を発表。「「ス」を南アジアの空・海上交通網・情報通信網のハブとする。国外からの経済上の脅しには屈しない。テロを殲滅し平和を実現する過程で支援してくれた国々との友好関係強化を継続する」と発言。
●チャンドラセーカラン・コミュニティー開発・社会不公平撲滅大臣(高地人民戦線(UPF)党首)が心臓発作のため逝去。

3日  ●セナラトネ建設大臣は、フォンセーカ野党大統領候補は陸軍司令官時代、米国在住の「フォ」の義理の息子が経営する会社を通じて武器を購入していたと非難。

4日  ●TNAは今次大統領選挙で「フォ」候補支持を約束。
●キリノッチ県の5つの学校(児童数700名)が戦争終了後初めて再開。

5日  ●国会で、緊急事態令の延長が可決。TNAは反対票を投じ、UNP及びJVPは棄権。

6日  ●ヤーパ報道大臣は、「フォ」候補とTNAは、今次大統領選挙での支持に関し、LTTE主要要員の解放、北部州・東部州の再統合等に関する密約を結んだと発言。

7日  ●「フォ」候補は、今次大統領選挙での自身のマニフェスト「信頼できる変化」を発表。汚職・血縁主義の撲滅、生活苦の大幅改善、大統領選挙当選後1ヶ月以内の現行大統領制廃止、第17次憲法修正の完全実施を公約。
●P.アルストン国連人権理事会特別報告者が、昨年8月に英国チャンネル4が放送したスリランカ政府軍兵士によるLTTE捕虜殺害の映像を真正とする分析結果を発表。「ス」政府は反発。

8日  ●サッラサミー郵便副大臣(CWC所属:セイロン労働者会議)が「フォ」支持を表明。
●プラバーカラン・バティカロア市長(元TMVP、現SLFP所属)が「フォ」支持を決定。

11日 ●「ラ」大統領は、自身2度目のマニフェストとなる「マヒンダ・チンタナ2("Mahinda Chintana Idiri Dekma")」を発表。同時に予算計画も発表。「明るい未来」をスローガンとし、第一期中の公約達成を強調した上で、テロ対策、経済開発、生活苦の現実的改善、汚職撲滅を提示。
●安全上の理由で閉鎖されていたコロンボ市内中心部フォート地区及びコルペティヤ地区を結ぶ通称「ゴール・ロード」が再開。
●コロンボ高等裁判所は、民族対立扇動及びLTTEから資金供与を受けていた罪で客年8月31日に禁固20年の有罪判決を受けていたティッサナヤガム氏(サンデータイムズ紙コラムニスト)を、5万ルピーの保釈金の支払い及びパスポートの発行停止を条件に保釈。

12日 ●大統領選挙の郵便投票実施(~13日)。郵便投票の受付数:458,154名、投票率:約80%、公平性に対する不満件数:25件。
●南部州ハンバントタ県タンガッレ・フンガマ地域において、「フォ」支持者(55歳女性)が何者かに銃殺される。今次大統領選挙に関する初の死亡事件に。
●「ディ」選管委員長は、各政党の選挙関係者を召集し「相変わらず選挙違反行為が継続している現状に落胆している。誰も自分の指示に従わないのなら職務放棄も考える」と警告。

13日  ●「ラ」大統領は大統領府での記者会見において、「北・東部州の人々の問題については、これまで全政党会議(APC)が本協議を重ねてきたが、纏まった解決策が合意されるには至らなかった。従って自分が再選された暁には、自ら解決案を提示する。一方で、第13次憲法修正プラス、即ち上院の設置を実現していく」と発言。
●S.コンガハゲ大統領候補は、「「フォ」候補は米市民権を有しており、外国の影響下にある。そのような人物が大統領候補となる資格はない」として基本的人権訴訟を提訴。
●選挙監視NGO5団体(CMEV、PAFFREL、Caffe他)は共同記者会見を開き、選挙暴力の多発の原因の一つは「ディ」選管委員長がきちんと警察出動を指示しないことにある、と批判。

15日  ●C.イサディーン輸出振興・国際貿易大臣(閣外、ムスリム政党NUA所属)は、「フォ」支持及び古巣SLMCへの復帰を宣言。
●M.ムザミル与党NFF議員は、「「フォ」候補と面会した後、「フォ」候補自身から勧誘を受け、3,000万ルピーを受け取るよう提示を受けた」と暴露し、「フォ」自身の汚職体質を非難。本件にを受け、19日には与党NFF支持者及び市民団体「国民統一機構(NUO)」は、本収賄の資金はノルウェーから来ているとして、在「ス」ノルウェー大使館の前で抗議活動を実施。

19日  ●北西部州クルネーガラ県内で与党選挙事務所に手榴弾が投げ込まれ、運転手1名が死亡。また同県ワリヤッパラでも野党支持者1名が暴力団に殺害される事件発生。
●北西部州プッタラム県アナマドゥワにおいて、与党支持者1名が「ラ」大統領の選挙ポスターを貼ろうとしていたところ、野党支持者に銃殺される事件発生。
●「ディ」選管委員長は26日に実施される大統領選挙終了後に辞職する意向を表明。

20日  ●米や鶏肉等の必需食品の価格が高騰。「ラ」大統領は「破廉恥な商人たちが、政治的意図の下に価格操作を行い、米等の必需食品のストックを隠したりしている。私は消費者を守るため、市場価格を抑える対策を講じる」と発言。
●「ラ」大統領は、「全てのスリランカ国民にとっての平和の実現は2期目における優先事項であるが、それ以前に基本的ニーズ充足が重要。全てのものは開発の中に淘汰されるだろう。民族問題に対する政治的解決をどうするかは、政治指導者たちの意向次第である。APRCプロセスは、UNPやTNAら主要政党からの同意が得られず、実現には至らなかった」と発言。

23日  ●深夜を以て選挙キャンペーン終了。以降も選挙ポスターが剥がされないまま放置されている事例が多発。選管は選挙キャンペーンで公正性が全く確保できなかった、と発言。

26日  ●全国で大統領選挙の投票実施。投票は午前7:00~午後4:00、開票は19:00pm以降に実施。有権者数は14,088,500名(再定住済みの北部IDP45,732名、及びキャンプ内のIDP16,000名を含む)、投票所数10,875箇所、開票所数888箇所(開票担当者数2,500名)、選挙管理担当職員245,000名、当地選挙監視オブザーバー(PAFFREL、Caffe、CMEV)約16,000名、国際監視要員数55名(AAEA及び英連邦21カ国より)、配備された武装警察官68,000名。
●「フォ」候補は有権者登録を2008年6月時に有権者登録を行っていなかったために、自身は投票できず。午後13:00頃、国営放送は、投票資格がないような人物に大統領候補の資格はないと報道。「フォ」候補は直後に声明を発し、投票できなかったことを認めた上で、本件が大統領候補の資格に差し障るものではない、と主張。「ディ」選管委員長は、「フォ」候補は大統領候補としての憲法上の規定(31条:スリランカ国籍を保有しており、かつ30歳以上であること)を満たしている、との見解を発表。

27日  ●午後6:00、「ディ」選管委員長は大統領選挙の最終結果を発表し、得票数50%以上を獲得した現職の「ラ」大統領が勝利した旨宣言。「ラ」与党候補の得票数は6,015,934票(57.88%)で、「フォ」野党候補(4,173,185票:40.15%)に180万票近い差を付けて完勝(投票数:10,495,451票、有効投票数:10,393,613票、投票率:74.5%)。「ラ」は、大票田である南部シンハラ人居住地域で圧勝(得票率は軒並み約60~69%)し、都市部(コロンボ、キャンディ)でも、過半数以上(53~54%)を獲得。他方、「フォ」は、マイノリティ居住地域である北・東部州全域で勝利(得票率50~69%)し、高地タミル人居住地域であるヌワラエリヤ選挙区で辛勝(得票率52%)したものの及ばず。
●大統領選挙の投票における自由・公正性について、関係者(選挙管理委員会、与野党、当地選挙監視NGO、国際選挙監視団)は、北部州を含め概ね平穏に投票が行われたと評価。
●「フォ」候補は選挙結果を受けて、「自分は選管発表の結果を受け入れるつもりはない。これほどの得票差が付くはずはなく、結果は非現実的。また選挙プロセスでは、投票箱に関する不正、国営メディアを通じた野党への中傷、国家財産・資産の濫用、北部IDPの投票行為に対する妨害等が行われた。今後、法的な手段を講じて選挙結果の不当さを訴える他、選挙権侵害への抗議デモも実施する。これまで、当地外交団を通じて、自身の安全を国際社会に求めてきたが、政府には自分の命を保証する責任がある」と発言。
●午後、治安当局は「フォ」が宿泊していたコロンボ市内のホテルを包囲し、「フォ」候補と共にいた私的警備員9名を脱走兵等の容疑で逮捕。なお、「フォ」は同日夜に帰宅。「フォ」は自身の命が脅かされていると主張。

28日  ●バン国連事務総長は声明を発表し、「選挙キャンペーン中の暴力事件の多発を懸念していたが、最終的には比較的暴力事件は少なく、安堵している」と発言。
●在「ス」米大使館は声明を発し、「ラ」大統領に対し祝辞を述べると共に、殆どの地域で高い投票率を記録し、投票は概ね平和裡に実施されたと評価。一方、選挙法違反事件に対し、国内法に則った徹底的な調査実施を要請。

29日  ●犯罪捜査局(CID)は警察特殊部隊(STF)の支援の下、「フォ」の事務所(コロンボ市内)を一斉捜査。「フォ」氏には武器の違法所持の容疑が持たれていた。「フォ」は、「政府は自分が側近と共に軍事クーデターを企てたと主張しているが、事実ではない」と反論。
●犯罪捜査局(CID)は、野党JVPと関係が深い報道機関「ランカ」紙のC.シリマルワッテ編集長を、反政府の陰謀を企てた容疑で逮捕。翌30日、CIDはランカ紙の事務所を一時的に閉鎖。
(了)  

 


 

スリランカの主な出来事(2009年12月1日-12月31日)

1日  ●政府は、北部ワウニヤIDPキャンプから9,300~9,500名が解放され、IDPたちは親族を探してワウニヤ北部やマナー県へと移動した、と発表(ただし、その後1~3日にかけて解放された22,443名の内、9,778名は帰る準備が整わず(或いは帰るあてがなく)解放された後にキャンプに戻ってきた由)。

2日  ●フォンセーカ野党大統領候補(前国防参謀長)は、印を私的訪問するため、印に向け出発。
●D.ディサナヤケ選挙管理委員長は、次期大統領選挙の有権者(14,099,500名)は、2008年中に有権者登録を行った195万人については「国民IDカード番号」を得ていないため、彼らは2010年1月15日までに暫定IDカード(無料)を発行しなければ投票できない、と警告。
●ウィジェダーサ・ラージャパクサSLFP議員(全国区)がSLFPを離脱し、野党UNPへ入党。
●仏政府はワウニヤIDPキャンプの解放を歓迎する声明を発表。

3日  ●バディユディーン再定住大臣は、今後はメディアであっても、個々の報道者の要請に応じて、北部ワウニヤIDPキャンプへの立ち入りが許可される、と発言。
●ナンディミトゥラ・エカナヤケ議員(選挙区:マータレ県、2001年にSLFPからUNPに転じていた)は野党UNPを離脱し、与党SLFPに入党。

4日  ●サマラシンハ災害管理・人権大臣は、政府はこれまでに169,938名のIDP(最大時の約3分の2にあたる)を再定住させ、残るIDPは112,062名にまで減少した、と発表。

5日  ●国営放送局ルパワヒニ及びITNのジャーナリスト7名が、野党UNPの党特別会合の取材し、会場を後にしようとしたところ、30~40名から成るギャングに襲撃される事件が発生。
●中国の資金援助により、コロンボ港に大型クレーン30基(9,000万ドル相当)の追加設置が決定。「ス」・中国の両国間で合意。

6日  ●UNHCRは、政府によるIDPキャンプの解放開始を歓迎するプレスリリースを発表。

7日  ●「フォ」野党候補は、「自分は飾りだけの大統領になるつもりはない。ただし自分は野党連合UNFとの合意に従い、いくらかの権限を持つつもりである。大統領制度廃止は吝かではなく、国会により大きな権限を与えていく予定である」と発言。
●S.B.ディサナヤケ氏(UNP所属)SがUNPを離党し、与党SLFPに入党。
●カメール国連児童と紛争担当特別代表が訪「ス」し、東部州及び北部州ワウニヤを視察。
●クリシュナ印外相は、「ス」政府による北部IDPへの対応は十分とは言えず、これから政治的解決が促進されるべきである、と発言。

8日  ●国会で緊急事態令の延長可決(賛成95票、反対21票、JVPが棄権)。過去1年に亘り棄権してきた最大野党のUNPは、今般は反対票を投ず。
●ブレイク米国務次官補が訪「ス」(8~9日)。北部ワウニヤIDPキャンプを視察した他、「フォ」野党候補とも会談。9日の記者会見では、「ス」紛争は終結し、米・「ス」関係は平常化した、「ス」の説明責任と報道の自由拡大、和解と復興に向けた取り組みに期待する、北部IDPキャンプの有り様に喜ばしく感じた(pleased)、と発言。

9日  ●タミル国民連合(TNA、注:LTTEを支持していたタミル政党連合)は党内会議開催(議員17名が出席)。次期大統領選挙に向けた対応を協議するも、意見纏まらず。

10日 ●「ス」政府代表団(ウィーラトゥンガ大統領秘書官、ゴタバヤ・ラージャパクサ国防次官、バジル・ラージャパクサ大統領首席顧問)は印を訪問し、クリシュナ印外相と会談。「ス」側は印に対し、大統領選挙が終了直後にタミル民族問題の政治的解決に向けて必要な措置を講じる、またIDP再定住を1月末日までに完了させる、と確約。
●米下院議会において「ス」に関する法案が可決。同法案は「ス」への軍事支援を制限し、「ス」北部戦闘時の人道に対する罪に関する報告書の取り纏めを国務次官に対して要請するもの。

11日 ●BIMSTEC閣僚会合に出席するためミャンマーを訪問したボーゴラガマ外相は、クリシュナ印外相と会談。

12日 ●「フォ」野党候補は、北部戦闘の最終段階当時、自分はゴタバヤ・「ラ」国防次官からLTTE幹部を皆殺しにするよう命令を受けた、なおこの命令は、バジル・「ラ」大統領首席顧問からゴタバヤ・「ラ」次官に伝えられたものである、と述べた。一方、バジル・「ラ」顧問は、「フォ」氏の発言は事実ではないと否定。本発言は、政府関係者から「裏切り行為である」との非難を誘発。

13日  ●「フォ」野党候補はコロンボ市内の有識者セミナーで講演し、自分が大統領に就任した暁には必ず大統領制度を廃止する、もし廃止に失敗したならば辞任する、と発言。
●ウィクラマシンハ野党リーダーは印政府側からの招聘を受け、印ニューデリーに向け出発。「ウィ」はシン印首相、クリシュナ印外相、ナラヤナン国家安全保障顧問らと会談。

15日  ●M.K.シワジリンガムTNA議員が、大統領選挙への出馬を決定。

16日  ●ジョンストン・フェルナンドUNP議員及びインディカ・バンダラナヤケUNP議員の2名が、次期大統領選挙での「ラ」大統領支持を宣言。「ラ」大統領は両者を、それぞれ土地開発・軍事福祉大臣(閣僚)、天然資源大臣(閣外)に任命。

17日  ●大統領選挙の候補者登録日。現職の「ラ」大統領、「フォ」野党候補、シワジリンガム候補(注:TNA議員だが党から独立した立場として出馬)他19名が登録。
●アルジュナ・ラナトゥンガ与党連合UPFA議員は「フォ」野党候補支持を表明。
●「ス」医学界の発展に尽くしたP.R.アントニス医学博士が死去(享年98歳)。

18日  ●ECは「ス」への特恵関税措置GSPプラスの供与の延長を見送る提案を採択(18日付)。

21日  ●国道A9号線の規制緩和。一般市民も許可なしでA9道路を通行することが可能に。ただし外国人は依然として国防省の許可が必要のまま。
●「ス」海軍は、以前LTTEに属していた武器貨物船"プリンセス・クリサンタ"を拿捕。

22日  ●「フォ」野党候補が12日に行った発言(戦闘の最終段階におけるナデーサンLTTE政治部長、プリテーバンLTTE和平事務局長及びラメーシュ指揮官の三名とその家族の殺害へのゴタバヤ国防次官及びシャヴェンドラ少将の関与)に関し、フィリップ・アルストン国連人権理事会特別報告者は書簡を発出し、スリランカ政府に本件事実関係の説明を要請。

23日  ●ディサナヤケ選挙管理委員会委員長は、全ての政府関係者(各省次官、中銀総裁、軍司令官、警察長官も含む)に対し、選挙キャンペーン中のTV出演および、メディアに対し選挙関係の発言を行わないよう指示。
●「サ」災害管理・人権大臣は、今日現在、未だ再定住していないIDPの数は108,573名まで減ったと発表。

24日  ●「ラ」大統領は「2005年時の公約であるマヒンダ・チンタナヤの約98%は実現した」と発言。
●「フォ」野党候補補は「戦勝の功労者は「ラ」大統領だけではない。自分は二度も負傷しながらテロリスト掃討に尽力してきた。最大の功労者は一般兵士であり、自分は決して政府軍兵士を裏切ることはない。民族問題は多数派シンハラが少数派タミル・ムスリムを二級市民として扱ったことにあり、自分はこうした状況を解消する。経済問題については、全ての労働者の給料を一律1万ルピー底上げする。現政権が作り出した混乱と腐敗を全て払拭する」と発言。
●「サ」災害管理・人権大臣は、1月31日までに全てのIDPの再定住を行い、間もなく北部IDPキャンプ(マニックファーム、現人口8万人か)を閉鎖する意向を明らかに。

26日  ●当地選挙管理NGOは、20万人と目される北部IDPの中で大統領選挙登録を行った者は9人に1人の割合であり、約2万人~2万5千人が投票するに過ぎない状況を明らかに。

30日  ●デーシャプリヤ選挙管理副委員長は、ワウニア及びプッタラムにいるIDP27万5千人の内、それぞれ2万3千人、3万1千人しか選挙人再登録の申請書を選挙事務所に届けていない旨明らかに。

31日  ●セイロン労働者会議(CWC)のヨガラジャン議員とサッチタナンダン議員(教育副大臣)が野党UNPにクロスオーバー。
●豪政府は、現在インドネシアで拘束されている250名のスリランカ人難民の再定住に関し、国連難民機関による審査の結果を受けて、受入を決定する旨発表。

  (了)


スリランカの主な出来事(2009年11月1日-11月30日)

1日  ●パルヴァノフ・ブルガリア大統領が訪「ス」。ラージャパクサ大統領と会談。

2日  ●「ス」人難民庇護申請者を乗せたボートが豪に向かう途中、インド洋沖ココス諸島の北西で沈没。豪政府の捜査により27名救出。3名死亡。9名行方不明。

3日  ●「ラ」大統領は、自分は大統領の任期6年の内、まだ4年しか消化していないが、残り2年を犠牲にしてでも、2010年上四半期に次期大統領選挙を行う用意がある、と発言。
●野党12政党が集結し、新しい野党連合「統一国民戦線(United National Front:UNF)」を結成。UNP、SLMC、DPF、SLFP人民派、他8つの小政党が参加。大統領制の撤廃と国家経済環境の向上が共通目標。

4日  ●「ラ」大統領は、政府軍兵士の給与を即時に引き上げる意向を表明。

5日  ●国会で暫定予算決議(Vote on Account、注:通常の予算案と異なり包括的ではない暫定措置で、かつ当面の政府支出を可能とするのに必要な決議)が可決(賛成125票、反対78票、棄権22票)。暫定予算の対象期間は2010年1~4月。計上額は約3,626億ルピー。
●ボーゴラガマ外相は、3日までに108,757名の再定住が完了した、残るIDP158,990名も間もなく再定住予定である、と発言。
●ジメレ仏人権大使が訪「ス」。「ス」政府に緊急事態令の即時解除、IDPの即時解放を要求。
●N.グナティラカ観光大臣(与党NFF幹事長)が、NFFから離党。

6日  ●カブラール中央銀行総裁はIMFと覚書を交わし、IMFからスタンドバイ融資の第2次資金受け取りを得るため、「ス」政府として2010年3月までに全てのIDPを再定住させることを確約。
●国会で緊急事態令の延長可決(賛成95票、反対17票)。TNAとSLMCが反対、UNPは棄権。

8日  ●ウィクラマシンハ野党リーダーはナラヤナン印国家安全保障顧問、チダンバラン印内相らと会談するため、印に向け出発。

9日  ●政府は2010年中に開催予定であった各地方選挙の実施を、2011年まで見送ることを決定。
●セイロン石油会社(CPC)とジャヤスンドラ財務次官との間の労働賃金引き上げ交渉が決裂。
●スミス豪外相が訪「ス」。「ラ」大統領をはじめ、モラゴダ司法大臣らと会談。

10日  ●ファウジー石油・資源開発大臣は、CPC労働者の賃金を11月から22%引き上げる旨発表。
●78名の「ス」人を載せた難民船「Oceanic Viking」号がインドネシアのピナン沖に漂着。

11日  ●「ラ」大統領はフォンセーカ国防参謀長を大統領府に招き会談。
●CPC、セイロン電気公社、港湾当局、水公社は、3日間の怠業ストライキを開始。
●ヌコアナ=マシャバネ・南アフリカ共和国国際関係・協力大臣が訪「ス」。
12日  ●「フォ」参謀長は同職を辞任する旨述べた書簡を政府に提出。
●タン・シュエ・ミャンマー国家平和開発評議会議長が訪「ス」。
●在「ス」日本大使館は声明を発し、渡航者用の危険情報を改定し、北・東部州の一部の地域における危険度を引き下げ。

13日  ●バディユディーン再定住大臣は、IDPの再定住が進められた結果、北部ワウニヤIDPキャンプの人口は139,000名まで減少した、と発表。

14日  ●「フォ」参謀長の辞表内容が明らかに。辞任理由を通じて「ラ」政権を批判。
●訪「ス」したスルマン・パキスタン空軍司令官はJ.ジャヤスーリヤ陸軍司令官と会談。

15日  ●与党SLFPは党大会を開催。「ラ」大統領は大統領選挙の実施日程を発表せず。
●CPC等の労働組合は、政府側と協議し労働者一人あたり月給3,000ルピー引き上げることで合意。電気公社以外の3社はこれ以上のストライキの取りやめを決定。16日から通常営業に。
●訪「ス」したムカジー印財務相は「ラ」大統領と会談。

16日  ●「フォ」参謀長は退任にあたり「ラ」大統領を表敬訪問。政府軍による退任パレードが行われ
たが陸・海・空軍の司令官は参列しなかった。

18日  ●政府は南部と北部ジャフナ市を結ぶA9号線の警備を緩和。これによりジャフナ市民も政府軍による許可証及び警察発行の出身地証明書は不要に。
●ホームズ国連人道問題担当事務次長が北部ワウニヤIDPキャンプを視察し、「ス」政府によるIDP再定住に努力に満足の意を表明。

19日  ●「ウィ」野党リーダーは、今後25年の将来計画を明らかに。その内容は、首相(Executive Prime Minister)の設置、県行政長官(GA)の廃止、州評議会選挙と地方議会選挙の同日開催の制度化、国連反汚職条約への国内採択等。
●スイス・チューリヒにおいてタミル情報センター(TIC)主催による会議が開催。同会議には、「ス」のタミル政党・ムスリム政党(TNA、TULF、EPDP、CWC、UPF、DPF、PLOTE、TELO、ACRC、SLMC、TMVP、EPRLF)の党代表者らが一堂に参加。
●モラゴダ司法大臣(注:野党UNPに所属しつつも、与党支持に転じ閣僚入りしている)は新党「スリランカ国民議会(Sri Lanka National Congress)」の設立を宣言。

20日 ●チャンドラシリ北部州知事は、20年ぶりにジャフナ半島の全てのIDPの再定住を完了させた、来年早期には全てのIDPを再定住させる予定、と発表。
●米国務省は「ス」渡航者向けの安全情報を改定。南西部の安定度は向上した一方、北・東部州の殆どでは地雷やLTTE残党の活動といった治安上のリスクが残存しているとの見方。
●南部州ハンバントタ国際空港建設が着工。中国による資金援助(低利子借款)。
●トランスパランシー・インターナショナルは、世界汚職国ランキング2009年の結果、「ス」は180カ国中、97位となったと発表。「ス」は2004年(67位)以降、ほぼ毎年、悪化傾向(20日付)。
21日  ●バジル・ラージャパクサ大統領首席顧問は、政府は12月1日を以てIDPに対し自由な移動を許可する、また2010年1月末日までに全てのIDPを再定住させる、と発表。これを受けてバン国連事務総長は、最近の「ス」におけるIDP再定住の進展及び移動の自由拡大宣言を歓迎。

23日  ●「ラ」大統領は、次期総選挙に先立ち大統領選挙を実施することを宣言。またディサナヤケ選挙管理委員長に対し、必要な手続きを取るよう指示。
●野党連合UNFと野党JVPは、共通候補として「フォ」前参謀長の擁立に合意。
●最近赴任したA.K.カンタ在「ス」印大使、プレットナー在「ス」ドイツ大使、B.レヴィ在「ス」カナダ大使、Y.Y.アティーギ在「ス」クウェート大使が「ラ」大統領と面会し、信任状を捧呈。

24日  ●バジル・「ラ」顧問は大統領府において、再定住した北部IDPたちには選挙権を与え、次期大統領選挙で投票できるようにしたい、と発言。
●「フォ」前参謀長は、国防参謀長辞任後に十分な警備が得られないことを不服として、最高裁に基本的人権訴訟を提訴(被告人はゴタバヤ・ラージャパクサ国防次官)。

25日  ●UNP議員団(R.カルナナーヤケ議員他)は「フォ」前参謀長とコロンボ市内で会談。

26日  ●タミルイーラム暫定越境政府(PTGTE)設立委員会のルドラクマーラン代表(注:ニューヨーク在住。KPの後継者)は故プラバーカランLTTE指導者の生誕を祝う「英雄の日」に際して声明を発表。タミル民族の自由への願いを民主的・政治的・外交的な方法で実現するとの決意を表明。またタミルネットによると、拘留中のラム元LTTE幹部も声明を発表。「プ」指導者は政策上の妥協を許さなかったことが災いし、LTTEが壊滅してしまった、と発言。
●野党UNPは党作業部会において、大統領選挙として「フォ」前国防参謀長の擁立を決定。
●最近観光大臣を辞任したN.グナティラカ氏の後任として、A.S.ジャゴーダゲNFF(JNP)議員が新観光大臣に就任。また「グ」氏は、先般事故で重傷を負ったM.ウィジェーセカラ大臣の臨時代理として郵便・通信大臣に就任。
●警察は、本日より政府・政府軍要人(VIP)のための道路封鎖は行わない、と発表。

27日  ●ディサナヤケ選挙管理委員長は、次期大統領選挙の投票日を2010年1月26日と発表。
●野党EPRLF及び野党PLOTEは、次期大統領選挙では「ラ」大統領を支持する意向を表明。

29日  ●「フォ」前国防参謀長が大統領選への出馬を宣言。記者会見では、(1)自分は白鳥をモチーフとした新シンボルの下で大統領選挙を戦う、(2)元LTTE支持者であっても彼らからの支持を歓迎し、例えプラバーカランLTTE指導者の両親であっても自分を支持してくれるのならば歓迎する、(3)主な目標は、大統領制度の廃止、汚職撲滅、民主主義・法秩序の再興である、(4)大統領に就任した暁には第17次憲法修正の実施向けて取り組み、また第13次憲法修正について集中的に学ぶつもりである、と発言。

30日  ●「フォ」前参謀長はキャンディを訪れ、マルワッタ大僧正及びアスギリヤ大僧正を表敬.。
(了)  

 


 

スリランカの主な出来事(2009年10月1日-10月31日)

2日  ●クリントン米国務長官発言は国連安保理で、「ス」、バルカン諸国、ミャンマーで戦闘のためにレイプが行われた、と発言(2日付)。これを受け、ボーゴラガマ外相はブテニス在「ス」米大使を召還し事情聴取した他、米にそのような発言をする権利はなく遺憾である、と発言。
●印ニューデリーの在印「ス」大使館において、タミル・ナドゥ州出身のタミル人活動家10~15名が「ス」政府に対する抗議のため同大使館に押し入り、襲撃。
●国境なき記者団らは、懲役20年の有罪判決を受けた「ス」人ジャーナリスト、J.S.ティッサイナヤガム氏に対し、報道者としての勇気と倫理を称えピーター・マックラー賞を贈与。

4日  ●米を拠点に活動しているLTTEの事実上の指導者、V・ルドラクマーラン氏は、人権活動家と偽り、独に入国しようとしたところ、独当局は入国拒否(4日付)。

5日  ●サマラシンハ災害管理・人権大臣発表は、現在のワウニヤIDPキャンプのIDP数は238,679名、既に再定住を完了したIDP数は22,688名である、と発表。
●ブリュッセルを訪問したバジル・ラージャパクサ大統領首席顧問は、フェレーロ・ヴァルトナーEC対外関係委員と会談(5日付)。
●「ク」米国務長官は「ボ」外相宛に書簡を発し、「ス」政府軍が戦闘の一環として女性をレイプしたと発言したが、そうした報告はされていなかった、として発言を撤回。
●UNDPは人間開発指数(HDI)の順位を発表。「ス」は182カ国中102位(前年度は126位)に。

7日  ●M.フォスター英国際開発閣外担当大臣は北部ワウニヤIDPキャンプを視察。「フォ」大臣は、IDP再定住に進展が見られず落胆した、と苦言。一方、外務省筋によると、「フォ」大臣は「ボ」外相との会談において、前回「ス」訪問時(本年4月)と比較すると状況は改善された、と発言。
●デュアメル当地UNICEF代表は、過去5ヶ月間で北部IDPキャンプの栄養失調は大幅に減少し、強度の栄養失調は50%減少した、と発表。
●南部州評議会選挙キャンペーン期間が終了。PAFFREL(注:政府公認の当地選挙監視NGO)によると、キャンペーン期間(7日に終了)における不平の訴え件数は151件。

8日  ●政府は、2010年度国家予算に関する暫定予算決議(Vote on Account、注:、通常の予算案とは異なり、包括的でない暫定措置で、かつ当面の政府支出を可能とするのに必要な決議)を国会に提出。本件に関し、ウィクラマシンハ野党リーダーは、政府が本決議を選択したのは今後数ヶ月間全く歳入の見込みがなく、また来年1~4月分の公務員の給与を支払うための資金を枯渇させているからである、として政府を批判。
●国会で緊急事態令の延長が可決(賛成:82票、反対:12)。野党TNAのみ反対票を投じ、野党UNPと野党JVPは棄権。
●プラサード在「ス」印大使が印国家安全保障副顧問に就任することが決定。

10日 ●南部州評議会選挙実施.。投票率約65%。結果は、与党連合UPFA が圧勝(UPFA38議席【67.88%】、野党UNP14議席【25.09%】、野党JVP 3議席【6.11%】。ただし、南部州は「ラ」大統領出身地であるためUPFAが80%台の得票率を得るとの大方の事前予想がされていたが、それには及ばない結果に。

12日 ●LTTE残党によって組織された「タミル・イーラム暫定越境政府(PTGTE)」の諮問委員会はプレスリリースを発し、同委員会はノルウェーのオスロで会合を行い、PTGTEの組織制度化、PTGTE議会設置に向けた自由・公正な選挙の実施手続き等について協議を行った、と発表。本件に関し、「ボ」外相はハットレム在「ス」ノルウェー大使を召喚し、PTGTEの会合がノルウェー国内で行われたことについて事情聴取。

13日  ●「ス」北部情勢の視察のために訪「ス」した印TN州の議員団9名は「ラ」大統領と会談し、北部IDPを早期に再定住させるよう要請。
●日本の参議院議員団が訪「ス」し、「ボ」外相と会談。

14日  ●「ス」北部情勢の視察のために訪「ス」した印TN州の議員団(9名)は「ボ」外相との会談。その後の記者会見では、北部IDPキャンプの印象については一切コメントせず。

15日  ●サマラウィーラ野党SLFP人民派議員は、次期大統領選挙に向け、野党UNPを中心にJVPを含む野党各党との連携を目指し、「フォ」国防参謀長或いはN・シルバ元司法長官を大統領候補に擁立することを検討中、と発言。
●豪入国・市民権局は、過去12ヶ月間に豪に漂着しクリスマス島の拘留施設に滞在している「ス」からの難民庇護申請者は400名である、別の260名は豪に向かう途中でインドネシア政府当局によって拘束された、と発表。
●第8回アジア協力対話(ACD)がコロンボで開会。「ラ」大統領が開会式で基調講演を行い、国際金融機構による途上国援助への条件付けを批判。

16日 ●米ニューヨーク在住の「ス」タミル人ヘッジファンド投資家で、ギャリオン・グループ社長のラージ・ラジャラトナム氏が2,000万米ドル相当のインサイダー取引を行った容疑で逮捕。「ラ」氏は過去にLTTEの在外機関に多額の資金援助を行っていたとの由。
●「ス」人労働者76名を載せた船舶「オーシャンレディー」が加太平洋沿岸部に漂着。

18日  ●野党からの次期大統領選挙への出馬が噂される「フォ」参謀長はアジアン・トリビューン紙に対し、自分は軍人であり政治家ではない、政治の道に転じるつもりはない、と発言。

20日  ●東部州トリンコマリー県内に建設されていたキニヤ橋(注:「ス」最大の橋:全長396メートル)とイラッカンディ橋(注:2004年の津波で被災)が完成。
●訪中したウィクラマナヤケ首相は四川省で温家宝中国首相と会談(20日付)。

21日  ●シン印首相はIMFに対し、もしIMFが「ス」に対するスタンドバイ取極融資を拠出しないならば、印として独自に「ス」に対して26億米ドルを拠出する用意がある旨伝達。

22日  ●「ス」政府は、北部IDPキャンプのIDP41,685名(12,095世帯)を、北部州4県に再定住させるべく解放。再定住先の内訳は、マナー県(2,644世帯)、ワウニヤ県(2,583)、キリノッチ県(2,453世帯)、ムライティブ県(4,415世帯)。
●野党JVPと関係が深いセイロン石油会社(CPC)貿易連合は、22日以降4日間に亘り、労働賃金上昇を求めて怠業によるストライキを実施。背景には、政府が暫定予算決議を実施する意向を示したことに伴い、労働者賃金上昇の希望が断たれたことがあるとの由。
●F.ヤンシュ・サンデーリーダー紙編集長及びM.ムシュタク同紙論説員に殺害脅迫状。1月に殺害されたラサンタ・ウィクラマトゥンガ同紙編集長にも、同様の脅迫状が送られていた。
●米国務省は「ス」北部戦闘の最終段階に関する国際人道法違反等に関する報告書を米議会に提出。これに対し「ス」外務省は、「ス」政府を根拠・証拠なく批判するものであり、故意に「ス」政府のイメージを陥れ、「ス」で分離主義を再燃させるもの、として憂慮を表明。
●「ラ」大統領はベトナム・ハノイに到着し、グエン・ミン・チエット越国家主席と会談。

23日  ●欧州議会が「ス」に関する決議を採択(賛成60、反対0、棄権3)。本決議は、「ス」政府に対する第13次憲法修正の完全実施の要求、IDPの人道状況への懸念表明、人権問題究明に向けた常設の国際監視の必要性、「ス」への経済支援の継続の必要性、に言及。他方、GSPプラス延長については言及がなされなかった。

26日 ●ブテニス在「ス」米大使はマルワッタ派大僧正と会談。「ス」・米間で誤解があってはならず、米は「ス」の問題解決のために協力している、との見解を伝達。
●訪「ス」したラヴロフ露外相はラージャパクサ大統領及びボーゴラガマ外相とそれぞれ会談。また、「ラ」露外相は記者会見において、露は「ス」のテロとの戦いを支持してきた、と発言。

27日  ●EU加盟国の外相らは、ルクセンブルグで開催されたEU総務・対外関係理事会で共同声明を発出。人権侵害に対する不罰を止めるよう「ス」政府に要求し、IDPの苦境への憂慮を表明。

28日  ●「ラ」大統領は閣議において、大統領選挙実施如何に関する最終的な発表は11月15日に行う、自分は大統領の座に就くことに固執している訳ではなく、残り2年間の任期を犠牲にしてでも早期に次期大統領選挙を行う用意がある、と発言。
●在「ス」米大使館は「ス」北部IDPの解放・再定住を歓迎するプレスリリースを発出。

29日  ●南部州首席大臣にシャン・ウィジャヤラル・デシルバ前南部州首席大臣が再任。

30日  ●バジル・「ラ」大統領首席顧問は、先週だけでワウニヤIDPキャンプから61,000名が再定住し、キャンプに残存するIDP数は171,000名、と発表。また「サ」災害管理・人権大臣は、政府は1月末日までにIDP再定住の目標を達成する予定、と発表。

31日  ●トンダマン青年育成・社会経済開発大臣は印タミル・ナドゥ(TN)州を訪問し、カルナーニディ印TN州首相と会談。
(了)  


 

スリランカの主な出来事(2009年9月1日-9月30日)

1日  ●リビヤを訪問したラージャパクサ大統領は、ギラーニ・パキスタン首相と会談。

2日  ●リビヤを訪問した「ラ」大統領は、トリポリでのリビヤ革命40周年記念式典に出席。「ラ」大統領は、ガダフィ・「リ」大佐、アロヨ・フィリピン大統領とそれぞれ2カ国間協議。
●米国務省は、「ス」の著名なジャーナリストであるJ.S.ティッサイナヤガム氏対する懲役20年の有罪判決を巡り声明を発表。本判決に落胆している、「ス」メディアは脅威に晒され報道の自由の状況を憂慮するとの見解。
●野党JVPと関係が深い新聞社「Lanka」紙の記者3名が、「ラ」大統領の姉の所有地の敷地内に侵入しようとしていたところ、逮捕。警察及びテロ調査局(TID)で尋問。

3日  ●バン国連事務総長はジュネーブでの気候変動会議において、約30万人の「ス」北部IDPの状況が改善されず懸念している、雨期が来れば更に状況が悪化する恐れがある、と発言。

5日  ●「ス」政府は当地UNICEF広報部長、J.エルダー氏に対し2週間以内の国外退去を命令。

6日  ●北部ワウニヤのIDPキャンプで最近行われた人口統計調査の結果、戦闘最終段階での統計と比較すると1万人がいなくなっていたことが判明(6日付)。
●コロンボ大学は、慈善活動と国の平和への貢献を賞して、「ラ」大統領及びゴタバヤ・ラージャパクサ国防次官に対し名誉博士号(それぞれ法学博士、文学博士)を授与。

7日  ●TNA議員団が「ラ」大統領と会談。友好的な雰囲気の下、IDPの再定住や社会復帰等の問題について協議(TNA側の代表はサンパンタン議員団長)。
●南部州評議会選挙キャンペーンが行われる中、ゴール県で与党連合UPFAの候補者2名の支持者らが衝突し、事務所を損傷させる事件発生。
●シランティ・「ラ」大統領夫人は中国を公式訪問。中国人民議会女性連盟会長Chen氏と会談。

8日  ●サマラシンハ災害管理・人権大臣、コホナ外務次官ら政府要人は、各国の在「ス」外交団を招き、英テレビ局チャンネル4放映の政府軍によるタミル市民処刑映像は捏造であると主張。それを裏付ける証拠(銃殺されたはずの遺体の足が動いていた等)を示し説明。

9日  ●ヤーパ報道大臣は露モスクワを訪問し、A.シャロフ露報道副大臣と会談。両者はフィルムやテレビ分野での協力関係を発展させることで合意(9日付)。

11日  ●北部ワウニヤIDPキャンプから新たに9,000名が北部州ジャフナ県及び東部州に再定住。
●「ラ」大統領は、GSPプラス延長の貿易特恵が得られるよう、ピーリス輸出振興・国際貿易大臣、「サ」災害管理・人権大臣、モラゴーダ司法大臣、ボーゴラガマ外務大臣の4名を一チームとし、EUとの交渉に対応するよう指示.。
13日  ●「ス」入国管理局は、当地UNICEF広報部門のジェームズ・エルダー氏に対し、21日までの国
外退去を命じる2度目の通告を発出。ミリバンド英首相が「ボ」外相と電話協議を行い、「ス」側に再検討を申し入れたが、「ス」側は拒否(13日付)。
●政府・国防省筋によると、米は「ス」北部戦闘の最終段階における戦争犯罪を訴追すべく手続きを展開。ブレイク米国務次官補、さらには最近訪米した「ス」NGO代表らが関与との見方。
●ギラーニ・パキスタン首相は、「パ」ラホールでの「ス」代表クリケットチーム襲撃事件にLTTEが関与した疑いがあることから、「パ」もパドゥマナーダンLTTE対外関係部長(通称:KP)を尋問するため調査チームを派遣する意向。

14日  ●「ラ」大統領はバン国連事務総長と電話会談実施。本会談中、パスコー国連政務局長の訪「ス」が決定。「ボ」外相は「パ」政務局長の訪問を歓迎する、と発言。
●ジュネーブのUNHRCにおいて、ピライ国連人権高等弁務官は「ス」のIDPたちは抑留施設(internment camps)に収容されている、と発言。「ス」政府側は反発。

15日  ●新国連代表部大使に就任したコホナ氏(前外務次官)がバン国連事務総長と会談。

16日  ●ジュネーブを訪問したサマラシンハ災害管理・人権大臣が「ピ」国連高等弁務官と会談。両者は、北部IDP問題や英チャンネル4の報道について協議。同日、モハン・ピーリス司法長官はUNHRC会合に出席し、懲役20年の有罪判決を受けたジャーナリストの「ティ」氏について、最低限必要な刑罰であった、と説明。
●ナラヤナン印国家安保顧問は、LTTE指導者の打倒後も、依然として「ス」からテロの脅威が払拭されたとは言えない、在外タミル人ダイスポラたちはLTTEの資金供給源であり、再び新たなテロを生み出す恐れがある、と発言。
●高地プランテーション労働者らが労働賃金の引き上げを求め、雇用者側と交渉。争議は紛糾していたものの、3つの主要な雇用者連合は日給を最大405ルピーまで引き上げに合意。

17日  ●訪「ス」したパスコー国連政務局長は「ボ」外相と会談。会談後の共同記者会見で、IDPのキャンプからの解放が重要、と発言。
●ヤーパ報道大臣は閣議後の定例記者会見において、安全上の観点からIDPを無造作に再定住させるべきではない、再定住先の地雷除去が大きな課題である、と発言。
●新在「ス」米大使(モルディブも兼轄)に就任したP.ブテニス氏が「ラ」大統領と信任状捧呈。

18日  ●「パ」国連政務局長は、「ラ」大統領と会談。「ラ」大統領は、自分の当初からのIDP再定住の目標は、180日以内に全体の70%を再定住させることである、と発言。

20日  ●KPの私用船舶の技術者と見られていたラトナセカラン氏がコロンボ国際空港に到着し入国しようとしていたところ、治安当局が逮捕。テロ調査局(TID)に引き渡し。

 

21日  ●ブレイク米国務次官補は、「ス」IDP30万人がキャンプからの解放に進展は見られず、特に9月末から雨期が始まることもあり懸念している、と発言。
●イラン政府は、2008年1月~2009年8月末日の期間中、石油製品に関する「ス」への輸出信用を付与していたところ、この特恵措置を更に1年延長することを決定(21日付)。

24日  ●総選挙法修正案が国会で可決。政治に積極的に参加しない政党は認定取り消しへ。本案は国会提出当初、宗教及び人種・民族をアイデンティティや党名にすることを違法化するとの条項が提案され、最高裁がこれを違憲と判断。よって、再修正が加えられた末の可決。

25日  ●「ボ」外相はニューヨークでクリシュナ印外相と会談。「ス」北部IDP問題について協議。
●バン国連事務総長は国連総会において、国連は「ス」のIDP再定住、和解、説明責任の全うに向けて圧力をかけていく、と発言。

26日  ●訪「ス」し、北部ワウニヤのIDPキャンプ視察した「ケ」特別代表が記者会見を行い、「ス」政府の福祉供与の努力を評価し、満足の意を表明。

27日  ●ウィクラマナヤケ首相は国連総会に出席し、国連は国連憲章に則り内政不干渉の原則を貫徹すべきである、「ス」政府はIDPの早期再定住を計画しているが一方で市民の間に隠れているテロリスト要員による治安上の問題を無視できない、と発言。
●北部ワウニヤのマニックファームIDPキャンプで、ゾーン1を脱出しゾーン2に移動しようとしたIDP19名が逮捕される事件が発生。警備にあたっていた政府軍は、IDPらが石や手榴弾を投げようとしたためにやむを得ず発砲。少なくとも子供2名及び女性1名が負傷。
●「ボ」外相がニューヨークでミリバンド英外相とクシュネール仏外相と会談(27日付)、両外相は「ス」訪問及びIDP視察を希望。

28日 ●「ウィ」首相はニューヨークでバン国連事務総長と会談。またアフマディネジャド・イラン大統領とも2カ国間協議実施。
●サマラシンハ災害管理・人権大臣は第60回国連人権理事会で演説。「ス」北部IDP29万人の内、既に23,000人以上を解放し、北・東部州に再定住させた、更に9,000人の特殊事情を有するIDP(孤児、聖職関係者、60歳以上の高齢者、大学生、障害者等)を解放した、と発表。
●「ラ」大統領は、「ジャ」前財務次官(注:2008年9月にスリランカ海洋サービス社等の株式流用で最高裁の有罪判決を受けていた)を、財務次官に再任。
●アイランド紙は、停戦時において、ノルウェーがLTTEとエリトリアを橋渡しし、中国製の武器の密輸を支援しようとしていた、と報道。

30日  ●キャンディ警察所属の警察官が、北部ワウニヤのIDPキャンプから逃亡したIDP数は2万人に上る、彼らの殆どがLTTE要員であると見られる、と報告。

  (了)  

 


 

スリランカの主な出来事(2009年8月1日-8月31日)

2日  ●ゴタバヤ・ラージャパクサ国防次官は、LTTE打倒後の現在も、IDPキャンプ内のテロリスト残党が組織的にIDPをキャンプから救出しようとしている、と発言。

3日  ●南部州評議会解散。
●ウィジェーシンハ災害管理・人権省次官は、BBCおよびヒューマンライツウォッチ(HRW)が再定住の即時実施すべきと主張していることに対し、彼らは状況を全く理解していない、IDPキャンプの状況を「拘留施設」と呼ぶなど不条理である、と批判。

4日  ●ラージャパクサ大統領は印テヘルカ誌に対し、自分は印に反抗する行動を「ス」で行うことを、(中国を含め)どんな国に対しても認めない、と発言。
●東部州で物議を醸していた地方議会選挙法案が、西部州評議会で突然決議にかけられ、可決。賛成48票、野党JVPは反対(3票)、野党UNPは棄権。
●警察は、サマラシンハ人権・災害管理大臣の側近であるS.ジャヤシンハ調整補佐官を、ライフルT-56を所持していた容疑で逮捕。

5日  ●バジル・ラージャパクサ大統領首席顧問によると、5日だけで4,000名以上のIDPが東部州及びジャフナ県に再定住。
●ニャン・ウイン・ミャンマー外相が訪「ス」。「ラ」大統領及びボーゴラガマ外相と会談。

6日  ●K.パドゥマナーダンLTTE指導者(通称:KP、テロ用品密輸等の容疑でインターポールより国際指名手配され、複数の偽造旅券を用いて東南アジアで活動していたとみられていた)が海外で逮捕。身柄はコロンボに移送され、国防省が取り調べを開始。KPは取り調べに協力的で、LTTE関連の重要情報を供述。また国際機関や西側先進諸国の大使たちとの関係、LTTEの資金源(多い順に、スイス、英、南アフリカ、豪、加)についても自白。
●国会で緊急事態令の延長可決(賛成71票、反対7票、ほか棄権)。
●最近死去したS.ラナワカUNP議員に代わり、UNPのL.ウィジェマンネ氏が国会議員に就任。
●訪「ス」したオダ加開発大臣は北部ワウニヤIDPキャンプを視察。翌日の記者会見では、「ス」政府は北部IDP支援に多大な努力をしていた、と賛辞し、援助追加供与を発表。

7日  ●中国・北京を訪問したアベイシンハ財務次官はZhu Xinqiang中国輸出入銀行と会談。コロンボ=空港間の高速道路建設及びハンバントタ港建設事業に関し合意(総額3億5千万ドル相当)。

8日  ●ウーワ州評議会選挙、北部ジャフナ市議会選挙、北部ワウニヤ地方議会選挙が平和裏に実施。結果は、ウーワ州で与党UPFAが圧勝(投票率約60%、議席数:UPFA:25、UNP:7、JVP:1、UCPF:1)。ジャフナ市でも与党UPFAが勝利(投票率22%、議席数:UPFA:13 [内訳、EPDP:9、ACMC:3、SLFP:1]、TNA:8、独立団体:1、TULF:1、UNP:0)。ワウニヤではTNAが勝利(投票率49%、議席数:TNA:5、DPLF:3、UPFA:2、SLMC:1、UNP:0)。
11日  ●ジャフナ市議会選挙に与党連合UPFAから出馬し第一党となったEPDPは、市長にパトゥクナラージャ議員(女性)、副市長にイランゴ議員を指名。
●全国で一般教育証明Aレベル試験を実施。ワウニヤIDAPキャンプでは10か所の特別試験場が設けられ、1,263名(一部報道では1,800名以上)の避難民生徒が受験。

12日  ●ゴタバヤ・「ラ」国防次官は、約1時間に亘り自らKPを尋問(12日付)。また「ス」政府によると、KPが米国国務省とコネクションを構築しようとしていた他、"オバマ氏のためのタミル民族(Tamils for Obama)"という団体に所属していたとの由。
●SLMC及びTNAは、宗教的または民族的名称を政党名に使用することを禁じる選挙法改正案が憲法違反であるとの確認を求める訴訟を最高裁に提起。

15日  ●ノルウェーのアフテンポステン紙は、ノルウェーのタミル・ウェストラン(Tamil Vestlan)在住のタミル人が、LTTEの新指導者の可能性があるとして報道(15日付)。また英タミル語ウェブサイトによると、通称ネディヤワン(Nediyawan:タミル語で「背の高い人」の意味)ペリンパナヤガム・シワパラン(Perinpanayagam Sivaparan)、が、LTTEの新たな指導者になるとの臆測が流れており、ノルウェー当局が調査中。
●プラサード当地印大使は、「ス」民族紛争の「広範な政治的解決」がなされれば、印の「ス」IDP支援パッケージ約50億ルピーがより効果的に活用できる、と発言。

16日  ●マナー県マドゥー教会で、北部解放後初めて大祭開催。15日の最終日までに国中から30万人の信者が巡礼。

17日  ●ウィターラナAPRC委員長は、長らく完成が待たれていたAPRC最終報告書のサマリーを大統領に提出。

19日  ●政府災害管理局は、カルタラ、ラトナプラ、ワウニヤで発生した季節性大雨による水害は18日までに改善された、と発表.。

20日  ●政府は、紛争後も現在の記録的な国防費を維持していく計画を明らかに。ゴタバヤ・「ラ」国防次官は、(1)「ス」軍は近代化される必要がある、(2)来年国防費を直ちに削減する必要性は見当たらない、(3)弾薬購入は削減したものの、新技術導入と軍事力のアップグレードが必要、と発言。なお、「ス」国防費は、2009年に史上最高の約16億ドルを計上。
●ウーワ州の新首席大臣としてシャシーンドラ・ラージャパクサ氏(大統領の甥)が就任。

21日  ●ゴタバヤ・「ラ」次官は、LTTEの財産は3億~10億ドルの財産を有しているとされるが、諸外国もLTTEメンバー及びその財産を「ス」政府に引き渡すべき、と発言。
●ワウニヤ警察は、北部ワウニヤ県内の塹壕及び柵・バリケードを25年ぶりに全て撤去し、各所の検問所での規制も緩和。
●政府はマナー県ムサライ地区において、442世帯計1898名のIDPの再定住を実施。
22日  ●ブレーク米国務次官補は、仮に「ス」政府が少数民族タミル人への権限委譲を怠った場合には、米を始めとする国際社会はこれまでの対「ス」外交方針の立場を変えるであろう、と発言。

25日  ●英テレビ局channel 4は、「ス」政府軍兵士がタミル人を銃殺している画像を放映し、政府がタミル人の民族浄化を行っているかのように報道。更に、ソルハイム・ノルウェー開発・環境大臣が、本映像を真とし「ス」の戦争犯罪の独立調査を求める発言。「ス」政府要人は、この画像は作り事であり、国際プロパガンダである、と反論。また「ソ」大臣発言を厳しく非難。
●デ・シルバ保健大臣は、現在、北部IDPキャンプの医療体制を強化し、9月までには医師100名、看護士200名を配置予定である、IDPキャンプでの死亡率は、1日2名~5名であり、我々のキャンプは非常に良い数値を示している(国際的な基準が6名~12名)、と発言。

26日  ●政府は、180名以上(一部報道では約570名)のヒンドゥー教及びキリスト教の聖職者をIDPキャンプから解放。

27日  ●最高裁は、IDPキャンプでの生活を余儀なくされている住民の基本的人権訴訟について、再定住の地域が確定しない限り、キャンプ生活もやむを得ないと取れる判断。

28日  ●南部州評議会選挙の候補者登録締め切り日。同選挙実施は10月10日と政府発表。
●バデュディーン再定住大臣は、政府は雨期が来るまでに大半のIDPを再定住させるべく努力している、と発言。また災害救援・再定住省は、28日に北部ワウニヤ県内のIDPキャンプに滞在中の東部出身IDP3,500名を東部州トリンコマリー県に再定住させる、と発表。
●警察特殊部隊(STF)はマリガワッタ地区で多くの犯罪を主導していたとされる闇世界のギャング、モハメド・ファイザル(通称:ファジー)他2名を射殺。
●印政府はKPの故ラジヴ・ガンディー印元首相暗殺事件への関与を調査するため、中央調査局(CBI)の調査団を「ス」へ派遣することを決定。
●訪「ス」したフォックス英国会議員(影の国防大臣)は「ラ」大統領らと会談。また北部ジャフナを訪れ、「ラ」大統領は「ス」民族問題を解決向け、熱心に取り組んでいる、と発言。

29日  ●外務省は、コホナ外務次官を新国連代表部大使に任命し、現在印「ス」大使のロメシュ・ジャヤシンハ氏を新外務次官に任命、また新在印「ス」大使に現外務次官補のプラサード・カリヤワサム氏を任命すると発表。
●チャールズ・ワウニヤ県行政長官(GA)は、北部ワウニヤ県内のIDPキャンプから少なくとも1万人のIDPが逃亡したことが明らかになった、と発表。

31日  ●コロンボ高等裁判所はサンデーリーダー紙のジャーナリスト、J.S.ティッサイナヤガム氏に対し、懲役20年の有罪判決を宣告。
●「ラ」大統領はリビヤ革命40周年記念式典に出席するため、リビヤを訪問。

  (了)  

 


 

スリランカの主な出来事(2009年7月1日-7月31日)

2日  ●ラージャパクサ大統領は「開発と和解のための大統領委員会」を設置。第一回フォーラムにはTNAを含む18の主要政党が参加。
●ミリンダ・モラゴダ観光大臣が司法大臣に転任。ナンダナ・グナティラカ国民自由戦線(NFF)議員が新観光大臣に就任。ピヤシリ・ウィジェーナヤケNFF議員が文化大臣(閣外)に就任。
●ヤーパ報道大臣は、報道評議会の復興を明確に宣言。
●東部州のIDP約1,000名(2006年発生)が東部州アンパーラ県に再定住。

3日  ●JVPが第13次憲法修正の実施及び州評議会への権限移譲に反対するため、大規模なポスターキャンペーン開始。
●大統領事実調査委員会(CoI)は、17件の重大人権侵害事件中7件に限り調査結果を纏め、最終報告書として「ラ」大統領に提出。

4日  ●ナーナーヤッカラ政府軍報道官は、政府軍は北部安全保障のため兵士を増強する、1月以来の新規雇用兵は計22,000名で、現在の総兵数は約20万人である、と発表。同日、ウィクラマナヤケ首相は、政府軍は北部復興の安全面でのキープレイヤーとしての役割を果たす、と発言。
●東部州に潜伏していたムスリム武装集団の指導者たち18名が投降。カッタンクディ・モスクでT-56型ライフル17丁等の武器引き渡し式開催。
●「ラ」大統領は中国支援によるノロッチョライ火力発電所建設事業第2期の定礎式に出席。
●英政府は旅行者に向け安全情報を発出し、東部州各地の旅行警戒レベルを引き下げ。

5日  ●8月8日実施予定のワウニヤ地方議会選挙に向け、UPFA、UNP、EPDP、TELO、EROSの5政党がワウニヤに選挙事務所を新設。ワウニヤへの選挙事務所設置は約20年ぶり。
●ウィーラワンサNFF指導者は「ラ」大統領と会談し、警察権限を地方に移譲せず、第13次憲法修正の実施に向けた指示をしないよう要請。
●サバラガムワ州知事にJ.M.ジャナカ・バンダーラ氏が就任。

6日  ●「ラ」大統領は印ヒンドゥー紙に対し、最終的な政治的解決措置は次期大統領選挙後に実施し、さらに国民投票を実施する、「ス」には連邦制が採用される余地はない、と発言。
●ムカジー印財務大臣は、1億米ドル相当の「ス」IDP支援を行う旨発表。

8日  ●スリカンタTNA議員は国会において、「ラ」大統領は次期大統領選挙を待つことなく、タミル民族問題の政治的解決に関する関係者協議を進めるべきである、と発言。
●北部戦闘最終段階でLTTE支配地域にいた保健省職員の医者5名は記者会見を開き、当時LTTEに強制され政府軍が重火器で多数の市民が殺害していると発言した、と証言。
●ブレイク米国務次官補は声明を発し、IDPキャンプへのNGOのアクセスは大幅に改善された、「ス」政府の優先事項は(1)早期の地雷除去とIDP再定住、(2)北部での選挙実施・政治的プロセスの拡大とIDPの巻き込み、(3)北部市民の生計向上、特に農業の発展、であると発言。

10日 ●英タイムズ紙は「ス」IDPキャンプで毎週1,400名が死亡していると報道。「ス」は事実を否定。

12日  ●「ラ」大統領はフォンセーカ陸軍司令官を国防参謀長(Chief of Defense Staff:)に任命、J.ジャヤスーリヤ陸軍中将(ワンニ安全保障担当)を陸軍司令官(Army Commander)に昇格、V.カランナゴダ海軍司令官を国家安全保障顧問(National Security Adviser:新設ポスト)に任命。

13日  ●「ラ」大統領は北部州住民の生計向上のため小・中規模融資計画「北部の目覚め」を開始。
●ヒズブッラ東部州保健大臣は、東部州知事は州評議会に対し知事の権限を越えて干渉している、東部州閣僚は圧迫感を感じている、と発言。

15日  ●エジプトを訪問した「ラ」大統領は非同盟諸国サミットで演説し、「ス」が困難を迎えた時も支援し続けてくれた友好国、特に非同盟諸国に対し感謝する、世界的経済不況の悪影響を受けた途上国のための債務返済の一時的延期の検討を呼びかける、と発言。
●エジプトを訪問したボーゴラガマ外相は、アニファー・アマン・マレーシア外相及びファム・ザー・キエム・ベトナム外相と会談。
●政府軍は、中国から購入予定だった2億ドル分の武器・弾薬をキャンセルしたと発表。
●政府は中国支援の下、全土に130,000棟の家屋を建設する事業(1,200億ルピー規模)開始。

16日  ●「ラ」大統領はエジプトでバン国連事務総長と会談し、国連現地職員の拘留問題、IDPの人道状況の改善の問題について協議。「ラ」大統領はその他、ギラーニ・パキスタン首相、カストロ・キューバ国家評議会議長、ズマ南アフリカ大統領、ラザーク・マレーシア首相、タディック・セルビア大統領ともそれぞれ2カ国間協議を実施。

17日  ●「ラ」大統領はエジプトでシン印首相と会談し、北部タミル人のIDPたちへの対応のあり方が「ス」・印関係を左右する、と発言。
●ギラーニ在「ス」パキスタン大使は、バジル・ラージャパクサ大統領首席顧問と会談。「ギ」大使は、北部IDPへの医療支援として7万ドルの現金小切手を贈与。
●ジャヤシンハ在英「ス」大使は「ス」北部戦闘の最終段階で一般市民2万人が死亡したとする英タイムズ紙の報道を否定。
●ICRCは東部州での活動を終了。

19日  ●ライアン国連事務次長は3日間の「ス」滞在(北部IDPキャンプの視察を含む)を終え、人道支援の状況に非常に満足している(quite satisfactory)、と発言(19日付)。

21日  ●LTTE残党は本部(headquarter)を設立し、同時に幹部委員会(an executive committee)及び、機能別の作業部会(working groups)を設置した、またLTTE幹部委員会はパドゥマナーダンLTTE対外関係部長(通称:KP)を新しいLTTE指導者に任命した、と宣言。「ス」各紙は、タミルネットやタミル人ダイアスポラが一堂にKPを支持している訳ではないと指摘。政府は、LTTEは既に打倒済みでありKPの主張など大して重要ではない、と無視の姿勢。
●北部州ワウニヤ=ホロウポタナ間の国道A29号線(東部州トリンコマリーへと続く道路)が3年ぶりに再開され、一般利用が可能に。

22日  ●タイ・プーケット島を訪問した「ボ」外相はASEAN外相会議と並行してクリシュナ印外相と会談。「ク」外相は会談後、「ス」政府による180日間以内の再定住の実現を期待する、と発言。
●C.エヴァンス豪移民・市民権大臣が訪「ス」。最近、豪クリスマス島に多くの難民庇護申請者が漂着している状況について「ス」政府と協議。
●南部州ゴール県において、南部州評議会選挙の議員候補者と見られていたD.セネウィラトネ市議会野党リーダー(UNP所属)が、ベリガハ交差点付近で何者かに銃殺される。

24日  ●IMF理事会は「ス」の財政改革の支援のため、約26億ドルのスタンバイ取極融資の実施を決定。本決議には理事会メンバーの70%が賛成したが、米、英、独、仏、アルゼンチンは棄権。
●ビルト・スウェーデン外相は、2010年3月をもって在スリランカ・スウェーデン大使館を含む4つの大使館を経済的な理由で閉館し、スリランカに対する2カ国間ODAも停止する、と発表。

25日  ●コロンボと印コチン及びトゥティコリンを結ぶフェリーが就航。
●SAARC交通大臣会合がコロンボで開催。

27日  ●訪「ス」したシュワルツ米国務次官補(人口・難民・移民担当)は記者会見で、「ス」政府が米からの支援を継続的に得られるか否かはIDPへの人道的対応如何による、今後数ヶ月以内に相当数のIDPを再定住させるとする政府の努力を歓迎する、と発言。

28日  ●日本政府の支援の下で建設されたシーギリヤ博物館の開館。開会式に「ラ」大統領、福田前総理、「ボ」外相、アベーワルダナ文化遺産大臣らが出席。
●ネパールを公式訪問したコホナ外務次官はチャンドラ・アチャリヤ「ネ」外務次官と会談。

29日  ●ハリーファ・バーレーン首相が訪「ス」し、「ラ」大統領及びウィクラマナヤケ首相と会談。

30日  ●中央銀行は、IMF融資に関するIMFとの覚書/取りきめ書を一般公開。IMFによる3ヶ月毎のモニタリングの実施、年内に70~80%のIDPを再定住させる、との条件が明らかに。
●ヒューマンライツウォッチ(HRW)は声明を発し、「ス」政府は拘留施設(detention camp)に捕らえている28万人のタミル人IDPを即時解放すべきである、と主張。
●ラトナヤケ社会復帰全般指揮官は、北部IDPキャンプ内には未だに数千ものLTTE要員が潜伏していると見られる、と発言。

31日  ●訪英した「ボ」外相は、英連邦閣僚行動グループ(CMAG)の会合において、経済等の制裁は貧しい人々を更なる苦境に追いやるだけであり、「ス」は反対する、と発言。

 

 

スリランカの主な出来事(2009年6月1日-6月30日)

1日  ●スリカンタ・タミル国民連合(TNA、LTTEを代弁していたタミル政党連合)議員は、LTTE亡き今、TNAはタミル人の代表として民族問題の政治的解決に参加する用意がある、と発言。
●ジャーナリストのポッダラ・ジャヤンタスリランカ労働報道連盟事務局長が帰宅途中、コロンボ近郊のヌゲーゴダで武装グループに襲撃され、負傷。

2日  ●Hu Zhengyue中国外務副大臣は、「ス」政府と国民は自国内の課題解決に向けて自ら取り組む資格がある、中国は「ス」の内政には干渉しないが平和構築には協力する、と発言。

3日  ●コロンボ市内で戦勝を記念する大規模な軍事パレード開催。ラージャパクサ大統領が演説し、国家の自由・主権を国際的に守るため、新たな外交関係を築く必要がある、「ス」はアジアの隣国たちと誠実かつ緊密な友好関係を有している、LTTEとの闘いはタミル人との闘いと取り違えられてはならず、これからはタミルの人々の心を勝ち得なければならない、と発言。

4日  ●「ラ」大統領はタミル人企業家800名を大統領官邸に招聘し、無辜のタミル市民たちを支援して欲しいと、タミル語で演説。
●アマラシンハJVP総裁は、政府は印に媚びるため、第13次憲法修正に基づいた権限移譲を実践しようとし国民を裏切ろうとしている、JVPは13次憲法修正「マイナス」も許さない、と発言。
●サマラシンハ人権・災害管理大臣は、先月の国連人理事会の投票において、日本と韓国は棄権したが、これは西側諸国への対抗に寄与し、支持に等しい意味を持っていた、と発言。
●日本は北部地雷除去支援として140万ドルの追加支援を決定。大統領府で署名式開催。

5日  ●「ラ」大統領はメディア編集長らと会談し、メディアは国が統一された今、コミュニティ間の調和を妨害すべきではなく、民族間の憎悪を煽るような記事を書いてはならない、と発言。
●バン事務総長は国連安保理において自身の訪「ス」結果に関するブリーフィング実施。記者会見では、「ス」政府による人権侵害・戦争犯罪の実態調査を行うよう「ス」に呼びかけた、と発言。一方、ピライ国連人権高等弁務官は、国連は戦争犯罪に関する独立調査を支援する用意がある、完全な事実認識、説明責任が必要、と発言。

6日  ●北部鉄道(愛称:ヤルデヴィ)のワウニヤ=タンディクラム区間が20年ぶりに開通。
●スリカンタTNA議員は、北部地方選挙を巡りタミル穏健派政党連合DTNAと非公式協議実施。

8日  ●アソカ・デ・シルバ氏が新司法長官に就任。

9日  ●国会で緊急事態令延長が可決(賛成102票、反対7票)。これまで反対票を投じてきたTNAだが、キショールTNA議員に限りTNA議員として初めて棄権。
●政府は、北部マナー県のムサリ地区における再定住プロセスの90%完了を宣言。同時にマナー県への2,120名の再定住を含むプログラム第2フェーズを開始。
10日 ●明石政府代表はボーゴラガマ外相と会談し、「ス」の現状に合わせ共同議長国の役割を修正する必要がある、との考えを明らかに。
●レイ加自由党議員が「ス」のコロンボ国際空港で入国しようとしたところ、「ス」政府は同議員がLTTEを支援していた疑いで入国を拒否し、加に送還。

11日  ●訪「ス」した明石日本政府代表は記者会見において、(1)「ス」は国際社会との対話を継続する必要、(2)「ラ」大統領は第13次憲法修正の完全実施へのコミットしており非常に満足、(ニ)北部IDPキャンプの状況は前回の訪問時に比べ、実質的に進展している、と発言。
●訪印中の4名のTNA議員(サンパンタンTNA議員団長ほか)は、クリシュナ印外相及びメノン印外務次官と会談。

13日  ●アル・ナーヤン・アラブ首長国連邦外相が訪「ス」し、「ボ」外相らと会談。

14日  ●政府は、トリンコマリー港一帯を除く東部州沿岸における漁業制限を緩和及び終日操業許可を宣言。
●「ス」北西部沖で発見された石油資源に関し、6区画の内の2区画を発掘する権利を印・中2カ国に許可することを閣議決定(14日付)。
●「ラ」大統領がミャンマーを訪問し、タン・シュエ国家平和開発評議会議長と会談。
●16件の重大人権侵害事件を調査する大統領事実調査委員会(CoI)が活動終了。16件中7件の事件についてのみ報告書に纏められ、残る9件の事件の調査は未実施のまま。

15日  ●パドゥマナーダンLTTE諜報部長が声明を発表。LTTEは、タミルイーラム国建設に向けた新たな挑戦として、「暫定越境政府(provisional transnational government)」を樹立した、これはこれまでの亡命政府とは異なる実在を超越した前代未聞の新しい経験である、と発言。

16日  ●上海協力機構(SCO)首脳会議において、「ス」は「対話パートナー」としての資格を獲得。

17日  ●政府は、南部と北部ジャフナを結ぶ国道A9号線の民間利用を3日毎に許可する決定。約35台のトラックがジャフナに生活必需品を運搬するため、ジャフナに向け出発。

18日  ●アリワラカンLTTE諜報部長は声明を発し、(1)プラバーカランLTTE指導者は殉教に発たれた(注:死亡した、の意)ことを確認した、(2)我々は断固として「プ」指導者と同様の、規律正しく調整のとれた解放闘争を続けなければならない、(3)当面は団結して暫定越境政府を運営し、政治的目標を実現するための次なる闘争に備える、と発言。これを受けてヤーパ報道大臣は、LTTEの残党が「暫定越境政府」を創るなどと言っているが認知に値しない、と発言。
●ナシード・モルディブ大統領が「ス」を私的(private)に訪問し、「ラ」大統領と会談。

19日  ●政府は北部州沿岸(マナーからムライティブまで)の漁業規制の全面的解除を発表。

22日  ●政府は「英語教育促進プログラム」を開始。「ラ」大統領が開始式に出席し、全国の英語教師らと会談。

23日  ●政府北部復興タスクフォースは、IDPの再定住に向け325,000の家屋を新築し150,000の家屋を修復する3カ年プロジェクト(予算総額110.5億ルピー)を計画中、と発表(23日付)。
●ラサンタ・ウィクラマトゥンガ・サンデーリーダー紙編集長殺害事件の公判が開かれ、ゴタバヤ・「ラ」国防次官を提訴していた「サ」紙社及び弁護団が同提訴の取り下げを決定。一方、ゴタバヤ・「ラ」次官は逆に「サ」紙側に対し、同次官の名誉を毀損する記事を掲載したとして1千万ルピーの賠償金を求める逆提訴を行っていた。

24日  ●訪印したバジル・ラージャパクサ大統領首席顧問、ゴタバヤ・ラージャパクサ国防次官らは、クリシュナ印外相と会談。「ス」北部IDPの再定住を6ヶ月以内に行うと印に確約。
●ヤーパ報道大臣は、報道評議会法の運用を復活させ、機能不全となっていた報道評議会を再興させる決定を行った、と発言。
●ランブクウェラ政府軍報道官は、米国務省高官のG.サリヴァン氏が米自身の戦争犯罪を認める発言を行ったことを受けて、この種の犯罪は「ス」では決して起こらなかった、と発言。
●訪英したG.L.ピーリス輸出振興・国際貿易大臣は、マロック・ブラウン英アフリカ・アジア・国連担当大臣と会談。

25日  ●国会で陸・海・空軍を統括する国防参謀長(CDS)から国防次官に大きな権限を付与する修正法案が、投票に拠らずに可決。これにより、国防次官が陸・海・空軍の副司令官に。

27日  ●KPは声明を発し、印は「ス」北部戦闘で「ス」を全面的に支援した、我々LTTEとタミルの人々は印の姿勢の犠牲者であるが、それでも我々は印を憎んではいない、と発言。

28日  ●ムラリタラン国民統合・和解大臣(通称:カルナ)及びチャンドラカンタン東部州首席大臣(通称:ピラヤン)それぞれに所属していた要員たちは、政府軍に転入へ。「カ」派からの申請者は540名で、140名は既に政府軍に入隊。また「ピ」派は100名で、40名は既に政府軍に入隊。

29日  ●チダンバラン印内相は記者会見を行い、「ス」政府による北部IDPの社会復帰の取り組みは不十分であり、喜ばしく思っていない、印は50億印ルピー分の「ス」IDP支援を行っているが、「ス」政府に具体的な社会復帰計画がないことを遺憾に思う、と発言。

30日  ●訪「ス」した明石日本政府代表はスリランカ経済サミットで講演を行い、(1)ナイーブな世界主義と極端なナショナリズムの両極化を回避する必要がある、(2)「ス」経済は大飛躍の好機を迎えている、(3)仲裁の失敗をノルウェーの責任にはできない、責任は紛争の両当事者にある、(4)タミル市民の苦境の原因は、プラバーカランLTTE指導者の柔軟性の欠如にあった、(5)IDP支援と再定住をこれほど短期間で進展させた途上国は見たことがない、と発言。


 

スリランカの主な出来事(2009年5月1日-5月31日)

1日  ●政府軍58師団は53師団の前進を阻んでいたLTTEの塹壕を北部より奪取し、両師団が合流。
●明石日本政府代表は北部ワウニヤ県のマニックファームを視察。

2日  ●明石代表は「ラ」大統領と2時間半に亘り会談。明石代表は記者会見において、北部IDP施設の状況は、前回(本年1月)訪問時と比べあまり良い状況ではなく、生活はかなり粗野で厳しいものであるが、政府が最善の努力を尽くしている、と評価。

4日  ●政府軍はウェッラムッリワイカル沿岸線で、LTTEの潜水艦用施設発見。
●サマラシンハ人権・災害管理大臣は、国連が「ス」政府軍が4月26日に「ス」北部の安全地域に空爆を行ったことを示すとされる衛星画像を「ス」政府への連絡なしにリークしたと非難。
●プラサンナ・ラナトゥンガ氏(UPFA所属)が新西部州首席大臣に就任。

5日  ●「ラ」大統領はタミル政党らと協議。タミル国民連合(TNA、LTTEを代弁するタミル政党連合)に限り、停戦が実現するまでそのような協議には応じないとしてボイコット。
●訪「ス」した英国会議員団は「ラ」大統領と会談し、IDP支援等について協議。

6日  ●「ラ」大統領はバン国連事務総長と電話会談し、自分の目でIDP施設の状況を確かめて欲しい、バン事務総長を「ス」に招聘したい、と伝達。
●訪「ス」した5名の英国会議員(デス・ブラウン労働党議員ほか)は記者会見を行い、戦闘停止を要求した他、政府はIDP支援においてかなりの取り組みを行っていると感じた、と発言。
●閣議で地方議会選挙法改正案に関する協議。「切り捨てライン」の設定等を巡り議論が纏まらず棚上げに。野党各党は反対表明していた他、チャンドラカンタン(通称:ピラヤン)東部州首席大臣らも反対表明したことを受け、「ラ」大統領は同法案を完全に撤回。
●ロンドンにおいてLTTEを支持するタミル人ダイアスポラが在英中国大使館前でデモ実施。同大使館を襲撃し、約10名が館内に侵入。

7日  ●「ラ」大統領は大統領官邸に当地各国外交団を招き、国際社会は「ス」の友人として、LTTEに対し武器を置き降伏するよう圧力をかけるべきである、と発言。

8日  ●ボーゴラガマ外相はラヴロフ露外相と電話会談。露は「ス」のテロとの戦いを強く支持。

9日  ●印タミルナドゥ(TN)州を訪問したシン印首相は、印は「ス」タミル人の人道状況を懸念している、「ス」タミル人の問題解決は統一された「ス」における連邦制による解決が好ましい、TN州の人々は印が主権国家である「ス」に軍隊を派遣するのは容易ではない、と発言。

10日 ●政府軍によると、10日(1日間)だけで1,500名のIDPがLTTE支配地域から避難。またLTTEは逃げようとするIDPを標的とし、重火器や迫撃砲で攻撃。
●サウジアラビアを訪問した「ボ」外相は、ナイーフ「サ」内務大臣ら政府要人と会談。

11日  ●「サ」大臣は、LTTE支配地域に滞在しているとされる保健省職員が最近の北部戦闘で一般市民378名が死亡、1,000名以上が死亡したとする主張について、こうした統計・事実を否定。
●ウィクラマシンハ野党リーダーが欧へ向け出発。
●英テレビ局ITNニュースの記者たちが許可無くワウニヤのIDPキャンプを現地取材し、キャンプ内は悲惨であると報道していた問題で、「ス」国防省は記者たちに国外退去命令(11日付)。
●英ロンドンの国会議事堂近辺で大勢のタミル人ダイアスポラがデモ実施。高速道路を封鎖するなどして31名が警察に逮捕。在蘭「ス」大使館も襲撃され、窓ガラスが割られる等の被害。

12日 ●バン国連事務総長は、LTTEは一般市民を捕らえ安全を尊重しようとしない、週末にかけて数百名の一般市民が殺害されたことをおぞましく感じ、驚いている(appalled)、と発言。
●ミリバンド英外相、クシュネール仏外相、スピンドレガー襖外相は国連本部で共同記者会見を行い、「ス」の紛争当事者たちは公約を破り戦闘で重火器を使用した、と発言。また「ミ」外相は、「ス」では戦闘状況の目撃者がおらず、週末だけで数百名の一般市民が殺害されたことはおぞましい、「ス」政府がIMFから19億ドル融資するのに値するかどうか分からない、と発言。
●米ワシントンにて「ク」米国務長官と「ミ」英外相が会談。両氏は会談後共同声明を発し、「ス」政府とLTTEに対し即時停戦・市民解放を求め、大量の一般市民死傷の報告を受け警告発出。
●バンバソヴァ・チェコ外務副大臣を団長とするEUトロイカ代表団が訪「ス」、「ボ」外相と会談。●ヒューマンライツウォッチ(HRW)、アムネスティら国際人権団体は麻生総理宛に書簡を発し、日本は国連安保理の公式会合で「ス」情勢が協議されるよう協力すべき、と訴え(12日付)。
●SLFPはカルナ国民統合・和解大臣を同党副総裁に任命。
●英タイムズ紙は、中国支援による南部ハンバントタ港建設プロジェクト(2007年~15年計画)について、中国は自国海軍のための補給基地を建設しようとしている、と報道(12日付)。

13日  ●政府軍はプトゥクディルップ(PTK)西部テビプラムでLTTE小型航空機の部品を押収。
●コロンボ高等裁判所は、プラバーカランLTTE指導者及びポットゥ・アンマンLTTE諜報部長ほか2名を、カディルガマール元外相殺害の容疑で公式に指名手配。
●「ラ」大統領は「北部における再定住・開発・安全のためのタスクフォース」を設置(バジル・ラージャパクサ大統領首席顧問が議長)。
●「ラ」大統領は、外国からの開発援助における「ス」紛争の関連付け及び国際社会対抗政策を発展させるため、当課題の研究のための下位委員会を新設。
●「ラ」大統領及び「ボ」外相は、G11及び国際経済首脳会議に出席するため、ヨルダン訪問。
●ノルウェーを訪問した「ウィ」野党リーダーは、ボンデヴィック「ノ」首相及びソルハイム「ノ」国際開発大臣と会談。

14日  ●政府軍はNew Safe Zone内において多くの爆発が発生している状況及びLTTEが保有する車輌や装備品に自ら火を放つ状況を確認。各紙は、LTTEは自暴自棄になっている、と報道。
●国連安保理で初めて「ス」情勢に関する公式協議開催。国連安保理は全会一致で声明を発表し、「ス」紛争北・東部における人道危機の悪化状況、特にここ数日における何百名もの死傷との報告を受け、重大な懸念(grave concern)を表明。
●オバマ米大統領は声明を発し、「ス」政府及びLTTEの双方に対し人道危機回避のため戦闘地域の市民を救出するよう求める、緊急に行動しなければ大惨事となってしまう、と発言。

15日   ●「ラ」大統領は、48時間以内に全ての北部IDPが解放されるだろう、と発言。
●マッキー・マウントラビニヤ地方裁判官は、ゴタバヤ・「ラ」国防次官に関する誤った情報や中傷的な内容の出版を制限する命令を発出。
●クリントン米国務長官は「ス」へのIMF融資は時期を得ていない、と発言。

16日  ●パドゥマナーダン(通称:KP)LTTE対外関係部長は声明を発し、LTTEは市民の犠牲を回避するため戦闘を停止する(silence our guns)、戦闘は苦い結末(bitter end)を迎えた、と発言。 
●印総選挙の結果、与党連合UPA(260議席獲得)が勝利。TN州では与党DMKが39議席を獲得し勝利。マランDMK議員は、この選挙結果は同州の有権者たちが「ス」紛争の問題に動じなかったことを意味する、と発言。
●ナンビアール国連官房長訪「ス」。北部市民の解放に関する協議が目的。

17日  ●政府軍は、16日夕刻までに全ての北部市民を救出することに成功したと述べ、北部市民救出オペレーション終了を宣言。街中で祝福のクラッカーが鳴り響き、ヨルダンから帰国した「ラ」大統領を歓迎するためコロンボ国際空港で多くの閣僚・市民が歓迎。「ラ」大統領は降機後地面に跪きテロから解放された僕への祈りを捧げる。
●政府軍は、5月14日以降、政府支配地域に避難してきたIDPは82,000名と発表。
●A.アルウィハレUNP議員が死去。

18日  ●早朝02:00頃、ムライティブ・ラグーン沿岸付近で、「プ」指導者ら幹部を含む100名のLTTE要員がIDPを装い53師団展開地域へ強行突破の試み。その最中、LTTEは軍の救急車を強奪し、同車輌にLTTE数名のトップ指導部要員が乗り込み逃走しようとしたところ、政府軍の特殊部隊が攻撃し、同車輌は炎上。一連の戦闘の結果として、LTTE要員250名以上が死亡。
●早朝3:00頃、「ナ」LTTE政治部長及び「プ」和平事務局長は、欧州に電話をかけ、1,000名の要員が負傷しており彼らを救出して欲しい、LTTEからはもはや発砲していない、とICRC本部に伝えて欲しいと連絡したが、これにも拘わらず政府軍に射殺された(タミルネット)。
●政府軍は、プラバーカラン指導者らLTTE幹部らの殺害に成功したと発表。チャールズ・アントニー(「プ」指導者の息子)、ポットゥ・アンマン諜報部長、ナデーサン政治部長、プリデーバン和平事務局長、ラトナム・ブラックタイガー長官らの遺体を確認。その他、政府軍は250名のLTTE要員の遺体を回収したが、これらのほとんどが確認・識別不可能な状態。
●ホームズ国連人道問題担当事務次長は記者会見を開き、軍事オペレーション終了宣言後も情勢は不安定である、全ての市民の解放と安全確保を求める、と発言。
●日本政府からの5000万ルピー相当のIDP支援物資が到着。引き渡し式開催。

19日  ●ラージャパクサ大統領は国会において戦勝を宣言する国民演説を行い、民族問題の解決は外国に依存せず自国で育む、タミル人らはもはやマイノリティではなく、愛国者とそうでない者の2分類があるだけである、と発言。国民演説には、TNAを除く野党各党(UNP、JVP、SLMC)も出席、UNPも戦勝を祝福する発言。
●午前:KPは声明を発表し、「プ」LTTE指導者は生きており御身は安全である、「ス」政府は「プ」指導者を殺害したと言っているが、これは事実ではない、と発言(タミルネット)。
●午後:フォンセーカ陸軍司令官は、「プ」LTTE指導者の遺体を発見・確認したと発表。なお午後13時より当地国営テレビ局は、「プ」指導者の遺体の映像を全国放映。
●ソルハイム・ノルウェー国際開発大臣は、「ノ」は17日にLTTE幹部らから電話連絡を受けていた、LTTEは第3者機関、即ち国際社会に対して降伏すると述べてきた、と発言。
●コホナ外務次官は、LTTEは最後の瞬間に武器を置こうとした(surrender their weapons)が、時既に遅かった、ファシリテーターとしてのノルウェーの役割は既に終わっている、と発言。
●麻生総理は「ラ」大統領との電話会談において、「ラ」大統領のリーダーシップを称えた。
●ジュネーブの国連人権理事会は「ス」情勢に関する特別会合の開催決定。必要とされる加盟国の署名数(17カ国が署名)が確保されたことによる。

20日  ●「プ」LTTE指導者の遺体確認のためカルナ大臣(元LTTE東部司令官)も現地に向かい遺体確認を実施。またスーサイ・シータイガー司令官の遺体も発見。
●コホナ外務次官は、死亡した「ナ」LTTE政治部長及び「プ」和平事務局長は白旗を掲げてゆっくり投降するよう指示を受けていたが投降に失敗した、逃げようとする両者に対し怒ったLTTE残党が両名を射殺した可能性がある、と発言。
●アタナヤケ野党UNP幹事長は全政党代表者会議(APRC)案が国会に提出されれば、UNPとして3分の2の多数で可決されるよう必要票を提供する、と発言。
●ブレイク在「ス」米大使は当地任務終了に伴い記者会見を行い、「ス」政府のLTTE打倒成功を賞賛する、国際社会は最後の戦闘状況について把握する必要がある、「ス」政府はICRC、国連、NGOが旧戦闘地域へアクセスできるよう許可すべきである、と発言。
●日本は外務大臣談話を発し、「ス」紛争の終結を歓迎する、戦争により多くの命が犠牲となったことに深く哀悼の意を表する、投降・降伏したLTTE要員に対し適切な法的手続きを取るよう「ス」政府に求める、大量のIDPへの支援と再定住が必要である、和解へ向け政治的プロセスの迅速な進展を求める、と発言。
●印チェンナイを訪問中であったK.パドゥマナーダンTNA議員が心臓発作により急逝.。

21日  ●政府軍は、「プ」LTTE指導者の遺体をムライティブの土地に他のLTTE要員たちと同じ扱いの下で埋葬した、「プ」指導者死亡の事実については様々な証拠から疑う余地なし、と発表。
●「ラ」大統領は国民に向けて声明を発し、LTTE打倒による喜びの表現によって、誰かを傷つけるなどということがあってはならない、我々は寛大になろう、と呼びかけ実施。
●ゴタバヤ・「ラ」国防次官は、LTTEとの戦闘には多大な代償が伴った、政府軍の2006年6月以降の戦死者は6,260名、負傷者は29,551名(内2,556名が身体障害者に)となった、と発言。
●ヤーパ報道大臣は記者会見において、一部の西側諸国は戦争終結の直前となってもなおLTTE支持の発言・態度をとり続け、最後の瞬間まで「プ」指導者を救出しようとしてきたことに落胆した、一方、支援してくれた日本、中国、印、パキスタン、露、印に感謝する、と発言。
●キャノン加外相はクリントン米国務長官と会談し、「ス」の戦争の影響を受けた一般市民たちの状況への懸念を伝達(21日付)。

21日  ●メノン印外務次官及びナラヤナン印国家安保顧問が訪「ス」し、「ラ」大統領らと会談。「ス」政府側はできるだけ早くIDP施設を廃止し、再定住に向けた「180日計画」を策定中の旨伝達。
●ナンビアール国連官房長は、北部ワウニヤ県のIDP施設マニックファームZone1及びZone4を視察し、「ス」政府による支援状況について満足の意を表明。
●クリントン米国務長官は「ラ」大統領と電話会談し、政治的和解を進め、30万人のIDPの再定住を急ぐよう求めた。

22日  ●コロンボ市内から国会議事堂にかけて戦勝祝賀パレードが開催された(参加者15万人)。「ラ」大統領も演説し、「ス」政府及び政府軍の戦勝を国際犯罪として非難しようとする外国勢力の批判に耐え、国家の発展のために一つとなろう、と発言。

23日  ●バン国連事務総長が訪「ス」し、「ラ」大統領と会談。バン事務総長は記者会見を開き、国際援助機関及びNGOが北部IDPキャンプに滞りなくアクセスできるよう「ス」政府に要請した、IDP施設における政府の努力は称賛するがリソースが不足している、政治的解決・IDPの再定住を早期に進めるべきである、大統領は年内に80%のIDPを再定住させると確約した、と発言。
●政府軍筋によると、北部戦闘期間中に降伏してきたLTTE要員は1万人に上り、その内7,237名が政府管理下の社会復帰施設におり、その他202名はIDPキャンプに滞在中(23日付)。
●S.M.クリシュナ新印外相は、「ス」政府に対しタミル民族問題の根源的原因に目を向け、すべてのコミュニティに権限移譲を行うよう求める、と発言。
●「ウィ」野党リーダーは欧州から急遽帰国。

25日  ●BBCによると、KPは、LTTEの比類無き指導者が殉教に発たれた、LTTEは、5月25日以降の1週間、亡くなった指導者のために喪に伏すこととする、と述べ初めて「プ」指導者の死亡を認めた他、これからは非暴力闘争に転じる、と発言(25日付)。
●ジュネーブで開催中のWHO年次総会において、イスラエルが「ス」人道問題の包括的調査チームの派遣を提案。しかし中国、露、日本といった「ス」の友好国らの尽力により却下に。
●B.テンナコーン地方政府・州評議会大臣は、北部ジャフナ市議会選挙及びワウニヤ地方議会選挙をそれぞれ8月4日・8月17日に実施する、と宣言。

26日  ●メドヴェージェフ露大統領は「ラ」大統領と電話会談した。「ラ」大統領は「メ」大統領に対し、国連安保理等での露の支援に対する感謝の意を伝達。

27日  ●国連人権理事会の「ス」に関する特別会合では、戦争犯罪に関する調査を求める決議案(スイス主導)は採用されず、当案に対抗するためスリランカ主導で作成された決議案の方が採用・採択された(賛成29票、反対12票、棄権6票)。各紙は、戦争犯罪の容疑をかけようとした一部の国々の企てに対する、「ス」外交の勝利である、と報道。
●「ボ」外相は、クリシュナ印外相と電話会談。「ボ」外相は、また「ス」政府は民族問題の政治的解決と北部復興に向けて尽力していく旨伝達。
●在「ス」カナダ大使館前で、加政府がLTTEを支援し「ス」政府を守ってくれなかったと主張する抗議活動。「Embassy of LTTE」等と中傷する落書きも。

29日  ●訪「ス」したシュラー米民主党議員は「ラ」大統領ら政府要人と会談。「シュ」議員は、「ス」はIMF融資するに値する国である、と発言。
●英ロンドンのタイムズ紙は、「ス」北部の戦闘では5月18日までの3週間だけで、2万人のタミル市民が政府軍の砲撃(shelling)により犠牲となった、と報道。在英「ス」大使館は全面否定。

30日  ●カルナ大臣は、東部州アンパーラ県、トリンコマリー県、マナラーガラ地域には60名のLTTE残党がいるはずだが、その内の7名は既に投降し、11名は政府軍に殺害された、と発言。
●EU議長国チェコの大統領は、EUを代表して声明を発表し、UNHRCにおいて「ス」の戦争犯罪に関する独立調査に至らなかった結果は遺憾である(regret)、と発言。

31日  ●ドダンゴダ司法大臣病死。


 

スリランカの主な出来事(2009年4月1日-4月30日)

1日  ●政府軍は非戦地帯へと繋がる最後の兵站経路"パッチャプルモダイ・ジャンクション"を奪取。
●ソルハイム・ノルウェー国際開発大臣とナデーサンLTTE政治部長が30分に亘り電話会談.。「ナ」部長は、国際社会には「ス」政府によるタミル市民への攻撃を即時に停止させる重大な責任がある、我々は即時停戦と交渉の再開を求める、と発言。
●1日、ランブクウェラ政府軍報道官は、LTTEとの停戦(ceasefire)はいかなる状況下でもあり得ない、ただし1・2日程度の短い一時休戦(pause)なら可能性はある、と発言。

3日  ●ケリン国連特別代表が訪「ス」し、バデュディーン再定住・災害管理サービス大臣と会談。
●「ス」はパラグアイとの外交関係を樹立。

4日  ●バン国連事務総長は声明を発し、ワンニ地域の人道状況への深い懸念を表明。
●ミリバンド英外相は、安全地帯で連日IDPが死傷しているとの確かな情報がある、LTTEは即座にIDPを解放すべきである、緊急の人道的停戦を求める、と発言。

8日  ●リビヤ訪問中の「ラ」大統領はカダフィ・リビヤ指導者と会談。リビヤ政府は5億ドルに上る開発支援を行う意向を表明。
●ホームズ国連人道問題担当事務次長は、LTTEは逃げようとする市民たちに発砲している、戦闘員たちは最後の戦いに備えている恐れがあり、憂慮している、と発言。
●クリントン米国務長官とストーレ・ノルウェー外相が会談。「ス」の北部情勢も協議(8日付)。
●英議会前で数千名のタミル人が抗議活動。「ス」政府のジェノサイドを即時停止、停戦を実現すべき、と呼びかけ(8日付)。
●ヴァイコ印MDMK党首は印中央政府に対し、もしプラバーカランLTTE指導者の身に何か起きたとしたら、印タミル・ナドゥ州は血の海と化すだろう、と脅迫。

9日 ●バン事務総長と「ラ」大統領は電話会談実施。バン事務総長は北部に囚われた一般市民の安全状況と、彼らのワンニ地域からの避難の必要を強調。
●メキシコ訪問中のコホナ外務次官は、外務副大臣らと会談し、「ス」情勢について説明。「ス」外務省は本会談に続いて声明を発し、「ス」はメキシコから今後「ス」情勢を国連安保理の議題に取り上げないとの確約が得られた、と発言。
●保健省によれば、政府は4月第一週に1,300MTの食糧を安全地帯に向けて海上輸送した。

10日 ●共同議長国は声明を発出し、両紛争当事者に対し戦闘停止を求めた他、LTTEは市民の自由な移動を許可すべき、「ス」政府は非戦地帯を尊重し、市民を保護するよう要求。
●米訪問中のコホナ外務次官はR.バウチャー米国務次官補と会談。「バ」次官補は、米単独でLTTE指導者たちと会談し、LTTEが武器を置き降伏するための協議を行う用意があると発言。

12日  ●「ラ」大統領は声明を発表し、シンハラ・タミル正月にあたる13・14日の2日間に限り、非戦期間を設け、非戦地帯に囚われている市民の避難を促す措置を取るよう指示した旨表明。
●ノルウェー・オスロにおいて、「ス」停戦を求めるタミル人団体が在オスロ「ス」大使館を襲撃し、大使館内に押し入る事件が発生。

13日  ●チダンバラン印内務大臣は、一時的休戦を歓迎する、印はこの一時的休戦期間の延長を望む、と発言。

14日  ●EU議長国のチェコは声明を発表し、「ラ」大統領による一時的休戦(pause)を歓迎。
●日本外務省は報道官談話を発表し、LTTEに対し市民を自由に移動させるよう呼びかけつつ、「ス」政府による48時間の一時的休戦宣言を歓迎する意思を表明。

15日  ●ナーナーヤッカラ政府軍報道官は、48時間の一時的休戦期間が14日深夜に終了したのに伴い、政府軍はオペレーションを再開した、LTTEは「ラ」大統領による一時的休戦の宣言を無視し、一時的休戦期間中も政府軍に対し発砲・砲撃した、と発言。
●ミリバンド英外相及びクシュネール仏外相は共同声明を発表。48時間という一時的休戦期間では短か過ぎる、休戦期間中の大規模な市民の移動は見られなかったことを深く懸念する、人道的観点から新たな停戦を宣言するよう求める、と発言。

16日 ●「ラ」大統領は独立後の元首として初めて北部キリノッチを訪問。
●LTTEは、「ラ」大統領による一時的休戦宣言を受けて声明を発表。タミル民族問題の政治的解決に向けた環境作りに関する内容が含まれるなら、LTTEは停戦に無条件で応じる用意がある、「ス」政府による2日間の停戦(ママ)は、国際社会と北部タミル人たちに対する単なる目隠し(hoodwinking)に過ぎず、我々はこうした欺瞞行為を非難する、と発言。
●バン国連事務総長は声明を発表し、「ス」の一時的休戦宣言は、自分が求めていたような十分な人道的一時休戦ではないが、戦闘終結に向けた第一歩としてはなかなかよい、と発言。
●ホームズ国連事務次長は、自分は過去数週間に亘りLTTEと連絡を取り合い、「ス」北部の安全地帯に囚われた市民を解放するよう呼びかけてきた、48時間という短い一時的休戦期間では、市民の苦境の緩和には不十分であり、沿岸部が血の海になる恐れがある、と発言。
●ウッド米国務省報道官は、「ス」北部市民の生命の危機と人道状況を深く懸念する、と発言。
●ミリバンド英外相はボーゴラガマ外相と電話会談実施。「ミ」外相は一時的休戦の延長の検討を「ス」に対し要請したが、「ボ」外相はこれを拒否(16日付)。
●外務省は、在オスロ「ス」大使館襲撃事件の発生を受けて声明を発し、本事件を強く非難する、「ノ」政府はこうしたデモを許可し襲撃に導いた、「ス」政府は「ノ」はもはや「ス」和平のファシリテータとしての役割を果たし得ない、と発言。一方、バウエ・ノルウェー特使は、「ノ」は2006年以来、「ス」紛争の和平ファシリテータになり得なくなっている、と発言。
●訪印中のTNA議員団(サンパンタン議員団長ら)は、ナラヤナン国家安全保障顧問と会談。

17日  ●1日間だけで北部LTTE支配地域から2,857名もの一般市民が避難.。
●訪「ス」したナンビアール国連官房長は「ラ」大統領、「ボ」外相、ゴタバヤ・ラージャパクサ国防次官とそれぞれ会談。ゴタバヤ・「ラ」国防次官との会談の中で、「ナ」官房長は「ス」北部での戦闘に関する一時的休戦(pause)を要請したが、「ラ」国防次官はこれを拒否。オバマ米政権は、ゴタバヤ・「ラ」国防次官による停戦要求の拒否を受け、「ラ」政権に対し19億米ドルのIMF貸付金を行わないこともあり得る、と警告。
●「ラ」大統領は、国内及び国際機関に対し、我々に人道的軍事オペレーションを停止せよと言うくらいなら、LTTEに人質を解放するよう求めるべきである、と発言。
●ムカジー印外相は声明を発表し、印は「ス」の人道状況を深く懸念しているが、印として仲介役を申し入れたりはしていない、と発言。

18日  ●ミリバンド英外相は声明を発表し、「ス」情勢を深刻に懸念している、バン国連事務総長に対し「ス」情勢を国連安保理で協議するよう要請する予定である、と発言。

20日   ●20日早朝、政府軍58師団が非戦地帯西側から突入に成功し、アンパラワンポッカナイ及びプトゥマッタランからIDPの脱出が可能に。20日だけで、IDP避難者数は39,081名を記録。
●20日午前、LTTEは北部戦闘地域から避難しようとするIDPに対し自爆テロ攻撃を敢行。少なくとも17名死亡、200名以上負傷。
●ランブクウェラ政府軍報道官は、20日正午12:00pm以降の24時間を最後の猶予期間とする、と宣言。またゴタバヤ・「ラ」国防次官は、LTTEに対し24時間以内に降伏するよう要求。
●ICRCによると、2月10日以降、北部戦闘地域から海上移送された傷病人は計1万人に。
●仏パリにおいて、タミル・ダイアスポラによる「ス」反戦デモが暴動化、約180名逮捕。

21日  ●正午をもって、LTTEに対する最後の猶予期間(24時間)が終了。ナーナーヤッカラ政府軍報道官は、LTTEは政府による降伏に向けた最後通告を無視した、よって我々は市民の救出のための戦闘を継続する、と発言。
●プリデーバンLTTE和平事務局長は、我々は決して降伏しない、国際社会に対し恒久的停戦に向けて介入するよう求める、「プ」LTTE指導者も非戦地帯内で指揮をとっている、20日の政府軍の攻撃で1,000名の一般市民が殺害され2,000名が負傷した、と発言。
●バン国連事務総長は、20日の「ス」北部IDPの大規模移動を歓迎するが、今後も大規模な死傷者が出る恐れがある、政府軍は重火器の使用を停止すべきである、と発言。
●ウッド米国務省報道官は、「ス」政府軍はLTTEに対する最終攻撃を行おうとしており、現地の人道状況を深刻に懸念している、と発言。
●中国は「ス」政府のLTTE打倒と「プ」指導者逮捕への努力を支持する旨表明。
●「ラ」大統領は、「ブ」英首相と電話会談を実施。「ブ」英首相は一時的休戦を求めたが、「ラ」大統領はこれを拒否。
●20日以降のIDP避難者数は約62,000名、1月以降の避難者数の合計は約12万名に。

22日  ●「ラ」大統領は、「プ」LTTE指導者の部下たちの投降後の扱いについて、過去を許し、カルナ氏やピラヤン氏と同じように社会復帰させる、と発言。
●ダヤ・マスター元LTTE広報官及びジョージ元通訳(故タミルチェルバンLTTE政治部長付)が、家族及び避難する一般住民とともに政府軍に投降。
●国連安保理で「ス」情勢に関する非公式会合開催。会合後、ヘラー・メキシコ国連代表部大使は理事国15カ国を代表して声明を発表し、LTTEに対し、即刻武器を捨て、国連の支援の下での市民解放に協力し、政治的プロセスに参画するよう求める、と要求。
●クリントン米国務長官は、世界は「ス」政府による25年間の長期に亘る紛争解決努力のあり方にがっかりしている、この紛争はおぞましい苦境をもたらしている、と発言。
●ムカジー印外相は緊急会議後の記者会見において、我々は「ス」で無辜のタミル市民が殺され続けている状況を不快(unhappy)に思っている、と発言。
●新在「ス」日本大使として高橋邦夫大使(本使)が「ラ」大統領に信任状を捧呈。

23日  ●アラハペルマ交通大臣(北部IDPへの寄付活動活動担当)は、国民に向け水・食糧・医療・医薬品等IDPへの助けとなる物品の寄付を要請。
●当地国連事務所は声明を発表し、ワウニヤIDP施設に向け1億5千5百万米ドルの緊急支援の必要をアピール。
●バン国連事務総長は、急激に悪化している「ス」情勢を非常に懸念しており、自分は国連人道チームを非戦地帯にすぐに送るつもりである、と発言。
●日本外務省は報道官談話を発表し、過去数日間で10万人近くのIDPがLTTE支配地域から政府支配地域に避難してきたことを歓迎する、と発言。

24日  ●政府軍によると、20~23日の4日間で政府支配地域に避難してきたIDP数は10万4千名に。
●ゴタバヤ・「ラ」国防次官は、北部市民救出作戦は成功裏に実施されている、「人道的大惨事」や「人道的危機」などと言った事態は起きていない、と発言。
●「ヤ」報道大臣は、10万人以上のIDP流入に伴い援助ニーズが増し、緊急事態となっている、国内・国外のドナーに支援をお願いしたい、戦闘地域に残るIDPは最大15,000名、と発言。
●「サ」人権・災害管理大臣は、「ス」政府として国連による北部戦闘地域に関する調査チームの受け入れに基本的に合意。
●ナラヤナン印国家安保顧問及びメノン印外務次官訪「ス」し、「ラ」大統領と会談。
●SLFPは「ラ」大統領出席の下で党内会議を開き、ムラリタラン(通称:カルナ)国民統合・和解大臣を党副総裁に就任させることに合意。
●警察はLTTEを支援した疑いで2月下旬に逮捕・拘留していたウィトゥヤタラン・スダルオリ紙(当地タミル語紙)編集長を釈放。

25日  ●西部州評議会選挙の投票実施。投票率は60~63%程度。結果は、与党:UPFA 68議席、野党:UNP30議席、JVP 3議席、SLMC 2議席、DUA1議席で、与党が圧勝。UNPやJVPは議席を減らし、特にJVPは議席数23から2に激減。「ラ」大統領は、これは前代未聞の勝利であり、人々の国際社会に向けた決定的なメッセージである、テロ組織を救出する権利・正当性は、いかなる強国にもない、と発言。
●米は声明を発表し、「ス」政府に対し大部分のLTTE要員へ恩赦を与え、LTTEとの政治的対話に向かうよう要求。またLTTEに対し、武器を置き第3者機関に降伏するよう要求。
26日  ●LTTEは一方的に即時停戦を宣言。これに対し、フルガッレ国家安保情報局長は、この停戦宣言を拒絶した上で、LTTEは武器を置き降伏すべきである、と発言。
●訪「ス」した「ホ」国連事務次長は「サ」人権・災害管理大臣と会談。「ホ」事務次長は、援助関係者が戦闘地帯入れるよう新たな人道的一時休戦(humanitarian pause)が必要である、IDPのスクリーニングプロセスはもっと透明であるべきである、と発言。
●国連文書(ママ)によると、過去3か月間における一般市民の死者数は6,432名に。

27日  ●大統領府は声明を発表し、政府軍による北部での軍事オペレーションは成功裏に終了した、今後、政府軍は重火器を使用しない、ただし囚われた市民の救出オペレーションについては今後も引き続き実行していく、と宣言。
●ナデーサンLTTE政治部長は、印政府が相変わらず「ス」政府のタミル人に対する事実上のジェノサイドを外交的に支援している状況を悲しく思う、と発言。
●訪「ス」中の「ホ」事務次長は「ラ」大統領と会談。「ホ」次長は同日の記者会見で、「ス」政府による重火器の使用停止宣言を歓迎する、北部戦闘地域には5万人の市民が残留、と発言。
●「ム」印外相は、「ス」政府による軍事オペレーション終了宣言を歓迎する、と発言。
●ブラウン英首相は「ラ」大統領と電話会談し、「ス」北部市民の苦境を懸念すると伝達。またミリバンド英外相は「ボ」外相と電話会談し、英は人道的観点からLTTEの一方的停戦宣言に「ス」政府が応じ停戦するよう求める、250万英ポンドの緊急支援を「ス」北部に送る、と発言。
●在英印大使館前で400名以上のLTTE支持者が抗議活動。大使館の全ての窓を割るなどの損傷を与え、数名が大使館内に侵入する事件発生。

28日  ●「ラ」大統領は、「プ」LTTE指導者は「ス」北部の非戦地帯の中にいる、武器を置くよう再三呼びかけたにも拘わらず「プ」指導者は未だ応じない、LTTEはもうお終いである、「プ」指導者を生け捕りにし「ス」国内で裁きにかけた後、印に引き渡す、と発言。
●早朝、爆薬を満載したLTTEの大型車輌がワラヤンマダム南部に展開する政府軍に対して猛スピードで体当たりを試みたが、政府軍は対戦車火器で撃破。

29日 ●政府によると、現在ワウニヤのIDP施設の滞在者数は約166,000名。
●ミリバンド英外相及びクシュネール仏外相訪「ス」し、政府要人と会談。記者会見において、「ミ」英外相は、「ス」政府に対しLTTEに対する攻撃を停止し、北部市民たちへの人道アクセス確保を求めたが、「ス」側から合意を得られなかった(failed)、と発言。
●ムライティブの海上で「ス」海軍とLTTEシータイガー小型艦艇との激戦。海軍はシータイガー小型艦艇6隻(4隻の自爆攻撃用小型艦艇を含む)を破壊。し、LTTE要員28名死亡。

30日  ●LTTE支配地域は約4.5平方kmに。LTTEは長さ約5~6kmのSafe Zone内に榴弾砲及び迫撃砲といった重火器、数百名のLTTE要員及び約15,000名のIDPとともに、抵抗を継続。
●ミリバンド英外相は英下院で発言し、「ス」への19億ドルに上るIMF融資を行う前提を極めて慎重に見ている、と発言。

   (了) 

 


 

スリランカの主な出来事(2009年3月1日-3月31日)

1日  ●ボーゴラガマ外相は、現時点で人道オペレーション(注:LTTE支配地域解放のための軍事作戦を指す)を一時停止(pause)することに何のメリットもない、と発言。
●カルナ氏は、自分はもはやTMVPの指導者ではなくSLFPのメンバーに転向した、政府は1,300名のTMVP要員を政府軍に吸収してくれると約束してくれた、と発言。
●政府軍は、ムライティブ県プトゥクディルップ(PTK)でハイテクの衛星通信機器を押収。

2日  ●国道A9号線が、24~26年ぶりに全面開通。
●最高裁は、ウィクラマヤナケ首相及びウィクラマシンハ野党リーダーに対し、憲法委員会の委員6名を指名し、大統領に提出するように指示。
●ナーナーヤッカラ軍報道官は、現在政府軍は火砲による砲撃はせず、安全地帯内の市民の安全を考慮し、唯一81mm及び60mm迫撃砲のみ使用している、と発言。

3日  ●政府軍は、LTTEの最後の拠点、プトゥクディルップ(PTK)を奪取.。
●パキスタン遠征中の「ス」代表クリケット・チームが、パンジャブ州ラホールで、12名の覆面ガンマンから銃撃され、選手6名及び英国人コーチ1名負傷。銃撃戦で8名死亡。ネパール滞在中の「ボ」外相は、急遽パキスタンへ赴き、ザルダリ「パ」大統領と会談。
●ナデーサンLTTE政治部長は、印のやる気のない休戦の呼びかけでは一時的な措置にしかならず、「ス」政府の軍事行動の継続を助けてしまうだろう、と印を批判(3日付)。

4日  ●各国在「ス」外交団(日・韓・インドネシア・露・仏・モルディブ)は、政府の案内でワウニヤのIDP施設及びワウニヤ病院を訪問。訪問を終えた各国外交団は、現状に非常に満足。
●「ス」中央銀行は、IMFからの支援の申し出に対し19億ドル相当のスタンドバイ取極に関する交渉をIMFと開始した旨の声明を発出。

5日  ●国連報道局は、「ス」北部の非戦地帯のIDPは人口過密となり、食糧不足となっている、との見解発表。これに対し「ス」政府は怒りを露わにし、「ス」政府は食料・医療北部の市民に届けるためあらゆる手を尽くしている、と反論。
●ジュネーブ訪問中のサマラシンハ人権・災害管理大臣ら一行は、ピライ国連人権高等弁務官と会談し、「ス」情勢について協議。
●バウチャー米国務次官(南・中央アジア地域担当)は「ボ」外相と電話会談。「バ」米国務次官は、「ス」代表クリケット・チーム襲撃テロ事件を受け、テロとの闘いという観点から米は「ス」と団結する、LTTEに対し安全地帯に向けて発砲しないよう求める、等発言。

7日  ●バティカロア県ウェッバースタジアムでチャンドラカンタン東部州首席大臣主導によりTMVPの武器引渡式開催。150点が県軍事当局に引き渡された。一方、最近TMVPを離党したカルナ氏は、カルナ派3,000名の武装要員はSLFPに完全に吸収されるまで武装解除しない意向。

8日  ●PTKのアンパラワンポッカニで、政府軍とLTTEが激戦。LTTE要員80名以上死亡。
●ジャフナ県の地雷除去は約58%終了。担当区域の割合は、軍が90%、HALOとDDGが4~6%。

9日  ●ピライ国連人権高等弁務官は「ス」の人道・人権状況に関する報告書を発表(9日付)し、同報告書は、「ス」政府が差別や「罪を罰しない文化」といった「ス」紛争の原因に取り組むことを願う、「ス」政府が北部避難民らを安全に避難させるよう全ての当事者らに訴える、と呼びかけ実施。
●カルナ元TMVP指導者は、TMVP党員2,000名を率いてSLFPに入党。同時に「カ」氏は国民統合・和解大臣(Minister of National Integration and Reconciliation、閣外の新役職)に就任。
●ボーゴラガマ外相は、米軍支援の下での北部市民の海上からの解放作戦の可能性を否定。

10日 ●マータラ県ゴタピティヤで、ムスリムの祝祭イベントの最中にLTTEの自爆テロ攻撃。15名死亡、M.ウィジェーセーカラ郵便・通信大臣、H.D.シリセーナ元南部州首席大臣を含め46名負傷。
●政府軍は、ウダヤルカットゥクラム北部でLTTEのガスマスク及び化学防護衣を押収。

11日  ●政府軍の砲撃により、LTTEの財政部門のトップ、サバラトナム・セルワトゥライ氏死亡。
●「ス」北部市民支援のため、印の医療チーム52名が到着。

12日  ●政府軍は、ムライティブ県のPTK内の病院を奪取。
●EU議会は「ス」情勢に関する決議を採択。北部戦闘地域から市民避難させるため政府軍とLTTEに対し即時停戦を求め、LTTEによる市民の移動の制限及び暴力を非難し、「ス」政府が設置したIDP施設が過密となり、劣悪な状況であると批判。

13日  ●アンパラ県サンマトゥライで何者かがTMVP事務所を襲撃。カルナ派要員4名射殺。

14日  ●ジュネーブ訪問中の「サ」人権・災害管理大臣は、第10回OHCHR会合に出席し、OHCHRの報告書における統計は、タミルネットやLTTEを支援するタミル組織を出所とする事実無根の数字を採用しており、「ス」政府として容認し難い、と発言。
●ムライティブ県内で政府軍53師団は、水中魚雷、クレイモア地雷14個、対戦車地雷4個、TNT爆薬15kg等を押収。

15日  ●政府軍は、PTKのイラナパライにおいてLTTEの拷問所を備えた裁判所を発見。

16日  ●当地国連事務所は、LTTEが国連現地職員1名とその家族3名(16歳の児童1名を含む)を強制的に徴用(recruit)しており彼らの安全を懸念している、彼らの解放を求める、と発言。

17日  ●政府軍は、3月1日以降のIDP避難民数は合計45,519名となり、その内4,500名が傷病人であった、と発表。
●LTTEによる6歳少女殺害事件を受け、安全地帯内の北部市民たちがLTTEに反抗。LTTE警察署を焼き討ちし、ハルタル実施。
●北部非戦地域で、CAREインターナショナル現地職員1名が足に重傷を負い死亡。
●UNP党内会議において、セネウィラトネ議員らは「ウィ」UNP総裁は党指導者として失格であるとして、「ウィ」総裁に対する不信任と退陣要求。

18日  ●「ラ」大統領はバン国連事務総長と電話会談。「ラ」大統領は、LTTEが北部市民を解放しないことが今の苦境の原因である、「ス」政府として北部市民には十分な食料を送っている、政府軍は非戦地帯に向けて発砲したことはない、等説明。

19日  ●「サ」人権・災害管理大臣は、過去6日間だけで5,006名の市民がLTTE支配地域から政府支配地域に避難した、と公表。

20日  ●政府軍は、ムライティブの安全地帯は約17k㎡(長さ約12km、幅約500m~1.5km)にまで縮小、同地域内のIDP数約55,000~65,000と発表。
●豪スミス外相は、「ス」北部地域の人道問題について懸念を表明。

21日  ●国連安保理において、「ス」北部情勢を議題に取り上げるべきと襖、メキシコ、コスタリカが提案、米が支持。中、露、日、トルコ、ベトナム、ウガンダ、リビアが反対し、合意に至らず。

22日  ●ナデーサンLTTE政治部長は、我々は停戦を強く希望する、北部市民の人道状況は耐え難い状態である、国際的監視団の設置を要請する、「プ」指導者は健在である、と発言。これに対し政府は、停戦実施の可能性を否定。
●政府軍は、LTTEトップ指導部要員の拠点"イラナパライ"を奪取。

23日  ●UNP作業部会は党内の分裂と混乱を避けるため、ウィクラマシンハ総裁の続投を決定。

24日  ●英下院議会で一部の議員らは、「ス」は大量虐殺の恐れがある戦闘(genocidal warfare)の一つであり、「ス」政府が英連邦からの一時的除籍(suspension)を求める、と発言。

25日  ●LTTEが携帯SAM(対空ミサイル)で政府軍ヘリを攻撃。
●ムラリタラン(通称:カルナ)国民統合・和解大臣は国会で演説し、東部州評議会には
様々な欠陥があり、警察権限を現時点で東部州に移譲すれば、同州を混乱に導く、と発言。
●ケリー米上院議員は「ラ」大統領宛に書簡を発し、「ラ」政権は非戦地域での市民の安全確
保に失敗している、と発言(25日付)。

26日  ●国連安保理で「ス」人道問題について協議実施。同理事会で、ホームズ国連人道問題担当事務次長は、LTTEが解放しようとしない一般市民の状況に重大な懸念を表明、また一般市民避難のための一時休戦(pause)が必要と提案。米・英も人道状況への懸念を表明。一方、露・中国・仏は、本件は「ス」国内問題に過ぎないとの立場。
●「ラ」大統領は大統領官邸にタミル・ムスリム政党の指導者らを一同に招き、会談。DTNA(タミル穏健派政党連合)、EPDP、SLMCが参加、TNAはボイコット。
●4週間に亘るジュネーブ国連人権理事会会合が閉幕。「ス」政府代表団は何とか乗り切ることに成功した、と評価。

27日  ●「ラ」大統領は、我々は国家経済の破綻等いかなる経済的な代償を払ってでも、LTTEを打倒し、囚われた市民を解放する、と発言
●ウィーラワンサNFF指導者は、ノルウェーがホームズ国連人道問題担当事務次長とパドマナーダンLTTE対外部長(通称:KP)の交渉を斡旋したことを非難(27日付)。

28日  ●「ボ」外相、ウィターラナAPRC委員長、バジル・ラージャパクサ大統領首席顧問らは、コロンボ郊外で世界7カ国(英・加・豪・ノルウェー・独・瑞・仏)のタミル人ダイアスポラの代表25名と会合。「ダイアスポラとの対話:北東部の開発における協力」と題する2日間の会合。

29日  ●ウィクラマスーリヤ在米「ス」大使は、ワシントンで「ク」米国務長官と非公式に会談(29日付)。「ク」長官は、「ス」の紛争の終結を待ち望んでおり、「ス」の復興を支援したいと発言。
●訪「ス」中のウィラユダ・インドネシア外相は、「ボ」外相と会談。「ボ」外相は、軍事、特に諜報分野での支援・協力を要請。
●安全地帯周辺で激戦。LTTE要員26名及び軍兵士6名死亡。

30日  ●政府軍は、安全地帯周辺海域で、シータイガーボート4隻を撃沈。

31日  ●外務省は、ノルウェーがパドゥマナーダン(通称:KP)LTTE対外部長とホームズ人道問題担当国連事務次長との間の会合をファシリテートしたとして、本件の事情聴取のためハットレム・ノルウェー大使を召喚し、不快感を表明。
●UNHCRは、「ス」政府によるIDP施設の状況改善努力に満足している、との見解発表。

   (了)

 


 

スリランカの主な出来事(2009年2月1日-2月28日)

1日  ●PTK病院で、3度に亘り砲撃があり、市民9名死亡、20名負傷。
●政府軍は北部LTTE支配地域で化学弾及び熱反応バリウム弾(国際法で禁止)を押収。
●ゴタバヤ・ラージャパクサ国防次官は、独・スイスら一部の在「ス」大使、CNN、アルジャジーラ、BBC等のメディアは、無責任な発言を行い、LTTEの復活を助けている、と発言(1日付)。

2日  ●「ラ」大統領は、LTTEが武器を置かないなら必ず打倒する、政府は武器を置き降参した者たちを温かく歓迎してきた、これは幹部であっても同様である、と発言。
●1日のPTK病院の攻撃について、在「ス」国連は、この攻撃が誰によるものなのか明言せず。一方、政府は、これは噂に過ぎず、事実ではないと発言。

3日  ●政府軍はムライティブ県ウィシュワマドゥ北部において、LTTEの7番目の滑走路を奪取。またLTTEの拷問施設を含む捕虜収容所を発見。
●共同議長国は「ス」情勢に関する声明を発出。北部市民の苦境について大きな懸念を表明した他、LTTEに武器を置き、「ス」政府と協議して恩赦を受け入れるよう求める。
●クリントン米国務長官とミリバンド英外相は、スリランカ北部における人道状況の悪化について協議し声明を発表。

4日  ●政府軍はムライティブ県チャライのシータイガー最後の基地及びウィシュワマドゥを奪取。LTTEのキャンプ、病院、隠れ家及び大量の武器などを発見。
●LTTEは最近、国際関係部を新たに設置し、対外部長としてS.パドマナーダン氏(Pathmanathan)を任命(4日付)。

5日   ●「ラ」大統領は、バン国連事務総長と電話会談し、(1)政府軍は北部市民解放のため、犠牲者を出さずに軍事オペレーションを遂行する、(2)共同議長国は、LTTEに対し、武器を置き敵対関係に終止符を打つよう呼びかけたにも拘わらずLTTEは反応を示さない、と説明。
●国連安保理会議において、メキシコが「ス」の人道状況についてのブリーフィングを要求。露がこれを却下し、結局、安保理の議題として採用されず。
●欧州議会は、「ス」情勢に関する第6回決議を可決。政府軍による北部奪取は、現在の危機を転換させ平和と安定に繋がるかもしれない、一方で政治的解決が不可欠と主張。

6日  ●政府は、政府軍の攻撃でPTK病院の患者が死傷したとの報道を否定。
●バン国連事務総長はムカジー印外相と「ス」情勢について協議。

9日  ●政府は、先週1週間で12,000名以上のIDPが出てきた、現在LTTE要員数は約700名と発表。

10日 ●PTK西部ウダヤルカットゥに到着したIDPによると、LTTEの発砲により19名死亡、69名負傷。
●ICRCは、LTTE支配地域に属するムライティブの北東部沿岸から400名の傷病人を救出する作戦実施。その内の240名は、赤十字の旗を掲げたフェリーでトリンコマリーへと搬送。
●コロンボでSAARC議会制度担当閣僚会議開催。

11日 ●LTTEはIDPを、PTKの北東プトゥマタランの沿岸部及びチャライ南部へ強制移動中。
●北欧5カ国の外務大臣らは共同声明を発表。「ス」北部では容認し難い市民の犠牲が起きており、この人道的危機を深く懸念し、一時的非戦期間の即時設定を要求(11日付)。
●チャンドラカンタン(通称:ピラヤン)東部州首席大臣は、TMVPは武装解除を開始した、政府は警備増強を確約してくれた、当面一部の政治要員が自衛のため武器を所持するが、彼らもその内武装解除する、と発言。

12日  ●政府軍はムライティブ・ラグーンに隣接する北東部沿岸に、安全地帯(長さ約12km)を移設。
●ブラウン英首相は、デス・ブラウン元英国防相を「ス」問題英特使に任命。これに対し、「ス」内閣はそのような特使の任命は「ス」の主権の侵害であるとして拒否。
●バジル・ラージャパクサ大統領首席顧問は、北部復興の「統一的の4段階計画」を開始したと発言。

13日  ●「ラ」大統領は、2009年は、英語とITの年である。まもなく自分は、バイリングアル国家の構築に向けて、包括的な国家基本計画と詳細な行動計画を策定する、また2009年は平和と和解・真の独立の年である、と発言。
●バディユディーン再定住・災害救援サービス大臣は、LTTEは北部ワンニ地域の市民数は45万人と主張しているが、実際は6万5千人である、と発言。

14日  ●中央州・北西部州評議会選挙実施。平和裏に実施され、投票率は60%程度。UPFAが完全勝利を収め、UNPとJVPは議席数を減らした。「ラ」大統領は、これは政府軍の英雄的な勝利を辱めたすべての外国勢力・国内勢力に対する勝利である、と発言。

16日  ●カルナTMVP指導者は、「カ」氏は部下とともにTMVPから離党した旨表明。
●警察当局は、ワウニヤ県内のTELO事務所内にて無許可で運営されていた「サンTV」を、LTTEのプロパガンダを衛星放送により放送したかどで摘発し、スタッフ4名を逮捕。
●プラサード在「ス」印大使は東部州アンパーラ県を訪問。「ス」政府による開発案件の現場を視察した他、GA(県行政官)関係者と会談。

17日  ●政府軍がPTK西部を奪取。当初の安全地帯が完全に政府支配下に。
●当地国連事務所は声明を発出し、LTTEは政府支配地域へ移動しようとする市民を銃撃し、殺害される者が増加している、LTTEに対し自由な移動を認めることを求める、と呼びかけ実施。
●サンパンタンTNA国会議員団長は、「ス」政府は35万人の一般住民を苦境に置いていると非難し、例えLTTEが敗北し「プ」指導者が滅んでもタミル人の独立闘争は終わらないと発言。

18日  ●「ム」印外相は、印国会における演説の中で、LTTEはタミル人の利益を損なってきたと述べ、LTTEに対し、武器を置き全ての一般住民を解放するよう要求。

19日  ●ホームズ国連人道調整担当事務次長が訪「ス」し、ボーゴラガマ外相と会談。記者会見で、ワンニの一般住民への救援物資を海上輸送している「ス」政府の努力を評価する、と発言。

20日  ●LTTE小型航空機2機がコロンボ市内及びカトゥナヤケを襲撃。その内1機はコロンボ上空で対空砲火を受け操縦不能となり国内歳入局ビル12階に突入。2名死亡、58名負傷。もう1機はカトゥナヤケ上空で撃墜。

21日  ●「ホ」国連事務次長は、訪「ス」日程を終え記者会見を開き、IDP施設で面会したIDPたちは、食料・医療等の支援を与えられ、良い扱いを受けているようだった、「ス」政府は自分の懸念事項を考慮し、人道援助を継続することを確約してくれた、と発言。
●「ム」印外相は、「ス」政府・LTTE間での対話・平和的解決を要求。
●カルナ元TMVP指導者は、自身のSLFP入党を巡り「ラ」大統領と協議。

23日  ●ナデーサンLTTE政治部長は共同議長国や国連に対し、停戦を呼びかける声明を発出。これに対し「ラ」政府軍報道官は、LTTEが武器を置き降伏するまで戦闘は止めない、と発言。
●EU外相会合は声明を発表。即時停戦(ceasefire)、人道援助の自由なアクセス、及び市民の避難の実施を呼びかけ。

24日  ●ゴタバヤ・「ラ」国防次官は、政府は国際社会からLTTEとの停戦へ向けた圧力には屈さず、LTTEを打倒する、「プ」LTTE指導者は降伏せず船で逃げようとするかもしれない、と発言。

25日  ●コホナ外務次官は、最近LTTEが海外市場において対空ミサイル及び熱バリウム弾薬を購入しようとしている、と発言。
●バン国連事務総長及びウッド米国務省報道官は、「ス」政府とLTTE間の敵対の停止、北部IDPの保護、政治的解決への討議を呼びかける発言。なお、バン事務総長は「停戦」という用語は使用せず(25日付)。

26日  ●「ス」政府はUNICEFと共同で「ス」児童徴兵反対国家キャンペーンを開始。
●ヒューマンライツウォッチのニースタット上級研究員は、米上院対外関係委員会のヒアリングで発言し、国連安保理は「ス」情勢を議題に取り上げるべきと発言。またランステッド元在「ス」米大使は、「ス」では多くのタミル人誘拐・失踪事件が相次ぎ、報道関係者も攻撃を受けており、事件のほとんどに政府の人間が関与している、と発言(26日付)。
●警察は、ウィディヤタラン・スダルオリ紙(当地タミル語紙)編集長を、20日のLTTEによるコロンボ空爆に際し、LTTEと電話連絡を取っていた疑いで逮捕。

 

27日  ●政府によると、ポットゥ・アンマンは未だPTKで活動中。
●国連安保理において、先日訪「ス」した「ホ」事務次長が「ス」の人道情勢について報告。北部IDP施設の状況は良好であった、と政府の北部人道政策に対し積極視するコメント。
●コロンボでSAARC外相会合開催。「ラ」大統領は開会演説で、(1)南アジア諸国は、テロの脅威に対し各国が個別的・集団的に戦う努力を2倍に加速する必要がある、(2)南アジア地域にとってグローバル金融危機はテロの脅威と非常に似ている、と発言。

28日  ●スーサイ大佐率いるシータイガーボート20隻以上はチャライ南部沿岸に着上陸するため、55師団を攻撃。なお、現在のLTTE支配地域は約58平方kmに。
●ムカジー印外相は声明を発表し、(1)「ス」政府に対しLTTEからの停戦の呼びかけを受け入れるよう要請する、LTTE側は武器を置くことに前向きではないが、「ス」政府はこの機会を掴むべきである、(2)「ス」政府は直ちに北部で囚われた市民たちを安全に避難させるために行動するよう求める、これにはLTTEからの協力が必要である、と述べた。
●SAARC外相会合は、テロとの闘いに関する協力及びグローバル経済危機に関する2つの宣言文を採択し、閉幕。

   (了) 

 


 

スリランカの主な出来事(2009年1月1日-1月31日)

1日  ●ラージャパクサ大統領は年頭所信表明を行い、2009年はテロ集団からの「圧倒的勝利の年」となるだろう、すべての人々・政党を招き、より大きな勝利に向かって共に行動する、と発言。

2日   ●政府軍はLTTEの主要行政都市キリノッチタウンを約11年ぶりに奪取。「ラ」大統領は、LTTEに対して武器を置き降伏するよう呼びかけ実施。

4日   ●政府軍タスクフォース4は、ムライティブ県オドゥスダンを奪取。
●キリノッチ県パランタンで激戦。軍兵士53名死亡、80名以上負傷(タミルネット)。

5日   ●ウィクラマシンハ野党リーダーは、UNP主導で実現した2002年以降の停戦合意は、結果的に今回のキリノッチ陥落に貢献した、と発言。

6日  ●コロンボ市内の民間テレビ局MTV/MBCが武装集団に襲撃され、中央管理室等が破壊。

7日  ●政府はLTTEの非合法化を決定。本措置は公共安寧法(Public Security Ordinance、緊急事態令の根拠法)の条項の下で規制され、これにより、LTTEやLTTEを支持する団体のメンバーへの参加や、LTTEを促進・慫慂・支援・支持する活動が全面的に禁止に。
●ナデーサンLTTE政治部長は、キリノッチタウンは過去にも奪取されたが、その後我々は取り返してきた、LTTEはタミル市民の支持を世界規模で得て苦境を乗り越える、と発言(7日付)。
●メノン印外務次官は、「ス」政府は全てのコミュニティを納得させ政治的解決を行う必要がある、印はプラバーカランLTTE指導者逮捕後の引き渡しを求める姿勢に変わりはない、と発言。

8日  ●政府軍はジャフナ県パッライ及びキリノッチ県ムラスモッダイを奪取。またウェリオヤ正面ではワトラパライ(ムライティブタウンの南西約4km)にあるLTTEの滑走路を奪取。
●ラサンタ・ウィクラマトゥンガ・サンデーリーダー編集長がバイクに乗った4人組の男に取り囲まれ、射殺される。これに続き、EUや人権団体等が事件を非難する声明を発表。

9日  ●政府軍は北部エレファントパスを奪取。これによりA9号線が貫通。「ラ」大統領は、(1)これは歴史的な勝利である、政府軍は北部に平和、自由、民主主義をもたらすため、人道的な戦闘を行っている、(2)政府軍の勝利を台無しにするような国際的勢力による陰謀がある、と発言。
●在「ス」EU事務所は共同声明を発表。EUIは、北部での軍事展開が「ス」北部の恒久的な平和に繋がることを期待し、「ス」のすべての当事者に政治的解決に向けた努力を要請。

12日  ●政府軍がムライティブ病院を奪取。またプトゥクディルップ(PTK)では、空軍はプラバーカランLTTE指導者が使用したとされるLTTEの集合点を空爆し、目標を破壊。

14日  ●政府軍はムライティブのチュンディクラムに到達。これでジャフナ半島全て政府支配下に。
●ジャフナ県のケウィル及びムライティブ県ムラスモッダイ(キリノッチタウンの北東約6km)に、13日真夜中から1日だけで市民702名が到着。
●「ラ」大統領は、国内の民間・政府系メディア幹部を集め、テレビ局襲撃事件や編集長殺害事件に関して、一部の報道機関が容疑者として政府諜報部の人間の名前を挙げるなど無責任な報道を行ったとして、全てのメディアに対し責任ある報道をするよう要請。
●国連安保理においてホームズ国連事務次長は、「ス」北部では35万人の市民がLTTEに囚われ、移動が制限されている状況を深刻に懸念する、過去数週間での戦闘の激化に伴い、国際人道法を厳格に遵守することがますます重要、と発言。
●インドネシア訪問中のゴタバヤ・ラージャパクサ国防次官は、ウィラユダ「イ」外相らと会談。諜報情報等を通じ、テロとの闘いに関する2国間協力の深化を協議(14日付)。

16日  ●政府軍は、ムライティブ県イラナマドゥタンク周辺に構築された塹壕を突破し、同地域にあるLTTEの6つ目の滑走路を奪取。政府は「プ」LTTE指導者を捉えるため、北東部沿岸に包囲網を設置。全国的にも緊急事態体制に。
●ムライティブ県で捕獲されたLTTE要員の証言によると、LTTEは、バヌ大佐の命令により、キリノッチ病院で治療中のLTTE要員227名を殺害。
●メノン印外務次官が訪「ス」し、「ラ」大統領及びボーゴラガマ外相とそれぞれ会談。メノン次官は、印・「ス」関係は、その関係の深さと質において過去最高である、と発言。

18日  ●ICRCは、「ス」北部の戦闘激化の影響で9日以降、「ス」北部の安全な避難路が失われており、ワンニにいる傷病人たちが危険な状態に陥っている、として極めて深刻な懸念を表明。
●サヴンドラナーヤガム・ジャフナ司教は、LTTEに対し、国道A35・A34線を解放し、ムライティブで囚われたIDPたちのために安全な避難路を確保するよう要請。
●フォンセーカ陸軍司令官は、「プ」LTTE指導者は自殺などせず海外に逃げるだろう、既にマレーシア、ミャンマー、カンボジア、南ア等に逃亡した可能性もある、と発言。
●印タミルナドゥ州において、解放の豹党(VCK)支持者ら100名以上が「ス」政府への暴力的な抗議デモを実施。バス35台が損傷。

19日  ●政府軍によるLTTEへの攻撃により、市民18名が死亡し、40名以上が負傷(タミルネット)。
●パキスタン訪問中のゴタバヤ・「ラ」国防次官は、アタル・アリ・「パ」国防次官と会談。軍事訓練や諜報の共有等の分野での協力関係発展について協議。

20日  ●政府軍はA35号線沿いのウィシュワマドゥに到達。LTTEは、全てのキャンプや資材を放棄し、戦死したLTTE要員の遺体を放置し、A35号線一帯へと後退へ。
●サマラシンハ人権・災害管理大臣は、PTK病院付近の戦闘で市民18名が死亡との報道を否定。9日以降、北部市民の避難路が確保されていないとのICRCの主張も誤り、と反論。

21日  ●明石日本政府代表が訪「ス」。
●政府は、北部市民の安全を考慮し、ウィシュワマドゥからPTKまでのA35号線以北に、新たに安全地帯(Safe Zone)/非戦地帯(No Fire Zone)の設置を宣言。
●国会において、グナワルダナ与党院内幹事は、2006年1月以降のメディア関係者の被害状況について、9名死亡、5名誘拐(4名は既に帰還)、27名が暴力を受けていた、と発表。

22日 ●政府軍はムライティブ県上空から文書を投下し、市民に安全地帯の設置を周知。
●シュタインマイヤー独外相は、戦闘激化に伴い、ここ10日に亘り「ス」への人道支援が全く市民に行き届かなくなっており懸念している、と発言。

23日  ●政府軍の砲撃により、北部市民100名以上死亡し、数百名が負傷(タミルネット)。
●明石日本政府代表は「ラ」大統領と会談し、UNPと北部タミル政党に対し、APRCプロセスを通じて平和と調和をもたらすための努力を支援するよう要請した旨伝達。
●テンナコーン・リヴィラ紙(当地民間メディア)編集長が自宅付近でバイクに乗った4人グループから襲撃される。政府は、政府を困らせようと陰謀を企てている者たちがいる、と発言。オバマ米新政権は、本事件を受け、「ス」で続くジャーナリストへの攻撃に対するショックを表明。
●カルナTMVP指導者は、TMVPは今後3ヶ月以内に児童徴兵問題を解決する、TMVPは既に90%以上の児童兵を解放した、と発表。

25日  ●政府軍はムライティブタウンを約13年ぶりに奪取。
●明石日本政府代表は記者会見を行い、軍事的解決だけでは「ス」に恒久的な平和はもたらされず、真剣に多面的な政治的プロセスが伴わなければならない、と発言。

26日  ●ムライティブ県での政府軍の砲撃により、市民300名以上死亡、数百名負傷(タミルネット)。
●ブネ「ス」国連代表は、「ス」の最近の戦闘により、たくさんの(many)市民が殺害された、戦闘地域に囚われた多くの市民の状況は、食料も少なくなり、危機(crisis)である、と発言。
●コロンボ高等裁判所は、「プ」LTTE指導者他LTTE幹部3名に対し逮捕状を発行。

27日  ●ムカジー印外相は急遽訪「ス」し、同日夕刻に「ラ」大統領と会談。「ム」外相は、軍事的勝利は北部州及び「ス」全体において平常生活を回復する政治的な機会をもたらす、と発言。
●米ニューヨークを訪問中のバジル・「ラ」大統領首席顧問は、バン国連事務総長と会談。バン事務総長は、北部戦闘地域の市民の人道状況に深い懸念を表明しつつも、「ス」政府の協力を評価し、国連は市民の保護と人道的活動、終戦後の開発で「ス」を支援する、と発言。
●「ボ」外相は、ベルギーでヴァルトナーEC対外関係委員とGSPプラス延長問題等を協議。
●「ウィ」野党リーダーは、北部戦闘で勝利を収めた政府と軍の働きを賞賛。
●最高裁は、政府が石油価格引き下げ暫定指令を実行していないとの理由で、石油ヘッジ取引に関する全ての暫定指令を廃棄。
●政府は西部州評議会を解散。

29日  ●政府軍は、ウィシュワマドゥでLTTEの潜水艦1隻及び潜水用の小船3隻を発見。この発見により、LTTEは潜水技術をもった初めてのテロ組織であることが明らかに。
●「ラ」大統領はLTTEに対し、一般住民の安全を確保するため、48時間以内に一般住民の自由な移動を認めるよう促す声明を発出。

30日  ●LTTEの上層指導部要員バヌ大佐が戦闘により重傷。
●ベルギー訪問中の「ボ」外相は、EU議長国のシュヴァルツェンベルグ・チェコ外相と会談。

31日  ●政府軍は、安全地帯を撤去しない旨表明。
●サマラシンハ人権・災害管理大臣は、北部で囚われている市民の数は25万人ではなく、12万人以下である、と公表。
●ゴタバヤ・「ラ」国防次官は、LTTEが壊滅する寸前であるのに、無責任な発言を行い、LTTEの復活を助けている者たちがいる、例えば、独・スイスをはじめとする一部の在「ス」大使、そしてCNN、アルジャジーラ、BBCといったメディアである、と発言。
(了)  

 


 

スリランカの主な出来事(2008年12月1日-12月31日)

1日  ●政府軍は、ムライティブ県コカウィル(A9号線沿い)を奪取。

2日   ●トルコ訪問中の「ラ」大統領は、ギュル・トルコ大統領と会談し、両国間の貿易、経済、テロ対策分野での協力関係の発展について協議。
●シン印首相は、印タミル・ナドゥ州議員39名と会談し、「ス」北部の危機的状況への対応として停戦と交渉による解決を求めるメッセージを、「ラ」大統領に伝えることに同意。
●政府軍がムライティブ南部のプリヤンクラム(ネドゥンケルニの東約5km)を奪取。

4日   ●国会で政府予算案における国防、安全保障、法秩序に関する費目が可決(賛成105票)。
●TMVPは児童徴兵停止に関する取りきめをユニセフとの間で、政府の協力の下、締結。
●カルナーニディ印タミル・ナドゥ(TN)州首相をはじめTN州議員らは、ニューデリーでシン印
首相と会談。「カ」州首相によると、本会談を受けて、「ス」政府とLTTE間の和平対話と停戦合意を「ス」政府に要請・説得するため、近くムカジー印外相が訪「ス」する予定である由。
●政府軍は、ムライティブ県のLTTEシータイガー基地があるアランピルを奪取。またワウニヤ県ではA9号線上にあるプリヤンクラム(オマンタイの北約12km)を奪取。今次奪取により、政府軍はキリノッチ及びムライティブへの兵站ルートとしてA9号線を使用が可能に。

5日   ●ミシェルEU援助委員長は、最近のワンニ地域での洪水災害で30万人が避難民となっていることに対し、250万ドル相当の緊急援助を追加供与すると発表。
●政府軍は、ワウニヤ県A9号線上のカナカラヤンクラム(マンクラムの南約10km)を奪取。

6日  ●UNP党会議で、党の総裁補佐及び副総裁のポスト再興、及び党内定款の改定を決定。

7日  ●フォンセーカ陸軍司令官は、政府軍は、キリノッチ奪取後はムライティブを奪取する、仮にLTTEが降伏すれば彼らにも生き延びるチャンスはある、戦闘前線には十分な部隊を配備しており、陸軍は総勢20万の兵士を保有している、と発言。

8日  ●2009年度政府予算案の第3次読解に関する最終投票が行われ、42票差で可決。(賛成126票、反対84票、棄権14票)。各紙は、政府の「余裕の(easy, comfortable)勝利」と報道。
●UNP党内作業部会は、副総裁にK.ジャヤスーリヤ行政・国内問題大臣(UNP改革派所属)、総裁補佐にR.セナナヤケUNP会長を任命。本人事に伴い、新しいUNP会長にJ.ペレーラ議員、上級副総裁にJ.アマラトゥンガ議員が就任。
●「ラ」大統領は、第23回SAARC憲章発効記念式典にメッセージを寄せ、SAARC加盟国は、地域共通の課題の解決のため、協力を強化すべきであり、特に食料安全保障におけるSAARC食料バンクの実施、及び増大するテロの脅威への対策強化が必要と発言。
●政府軍59師団は北へ3km部隊を進め、ムライティブ市の南7km地点まで展開。

9日   ●北西部州及び中央州の評議会解散。
●野党UNP副総裁に任命されたジャヤスーリヤ行政・国内問題大臣は、内閣を辞任。
●EUは「ス」に対し、現在実施中の「ス」人権・人道状況に関する調査で、国際法の基準を充たしていないとの結果が出るようであれば、「ス」はGSPプラス延長を得られない、と警告。

10日   ●国連は、国連ジェノサイド条約60周年に際し、ジェノサイドの危険のある国リストを作成。「ス」は、33カ国中、ワースト8位に位置(10日付)。

11日  ●インドネシア訪問中の「ボ」外相は、ユドヨノ・インドネシア大統領と会談。「ユ」大統領は民主主義を脅かすテロと戦うため、我々は一つとなれなければならない、と発言。
●政府軍は、キリノッチ県テルムルカンディ(イラナマドゥの南約4.5km)を激戦の上、奪取。政府軍及びLTTE双方に45名以上の死傷者。なおLTTEによれば、政府軍兵士90名以上が死亡し、300名が負傷したと主張したが、軍はこれを否定.。

12日  ●印政府は、訪印中のシワジリンガムTNA(LTTEを代弁する政党連合)議員に対し、印の内政に介入し、公然とLTTEを支持する発言を行ったとして、72時間以内の国外退去を命令。

16日  ●政府軍は、キリノッチ及びパランタン並びにムハマライ及びキラーリの各正面を同時に攻撃。政府軍総勢7,000名が参加したとみられる。政府は、軍兵士25名及びLTTE要員120名が死亡、軍兵士160名及びLTTE要員250名負傷、と発表。

17日  ●プリデーバンLTTE和平局長は、過去数週間で政府軍は3度に亘り崩壊・敗走し、16日の戦闘だけで政府軍兵士は100名死亡、250名負傷と発言(タミルネット)。政府軍は、最近のキリノッチにおける戦闘で政府軍が総崩れしたとするLTTEの主張に対し、これを否定。
●最高裁は、政府に対し、18日以降1リットルあたりの石油価格を現在の122ルピーから100ルピーに引き下げるよう、暫定指令を発出。

18日  ●フルガッラ政府国家安全保障報道センター長は、「ス」国内のカトリック及び英国国教会の司教らによるクリスマス・新年期間中における一時停戦要求(17日)に対し、政府としてその意向はなく、あくまでLTTEが武器を置くまで軍事行動を継続する、と発言。
●穏健派タミル政党ら(PLOTE、EPRLF、アーナンダサンガリーTULF指導者(個人))が連携し、新連合「タミル民主国民連合(DTNA)」を結成。
●デプ司法長官の後任として、現在勅撰弁護士のモハン・ピーリス氏が正式に就任。

19日  ●政府は、石油価格引き下げ暫定指令を最高裁から正式に受け取ったと発表。これに対し、ヤーパ報道大臣は、政府としては何ら決定していないと発言。またグナワルダナ貿易・市場活動振興・協同組合・消費者問題大臣は、本件への最高裁の介入を批判。

21日  ●UNPを中心とする野党政党は新連合「Surakimu Lanka(ランカの保護)」を結成。SLMC、WPF、統一社会党(USP)、SLFP人民派が参加。
●政府軍は、ムライティブ県ネドゥンケルニ(LTTEの衛星基地・指揮統制地点)を奪取。

22日 ●キリノッチ県パランタン西部、アダンパン及びイラナマドゥで激戦。政府軍は、パランタン西部2kmを奪取。今次戦闘によりLTTE要員57名死亡、87名負傷、軍兵士10名死亡、40名負傷。

23日  ●ペレーラ国防参謀長は、LTTE要員は2千名へと減少した(注:12月初頭は3千名)と発表。
●カルナTMVP指導者は、党名称から「Pulikal(虎の意味)」を削除し、新党名を「TMVK(タミル人民解放戦線)」とする予定、と発言。一方ピラヤン派に属するマウラーナTMVP報道官は、勝手な党改名は受け入れられないと反論。

24日  ●ナデーサンLTTE政治部長は、政府軍を蹴散らすため、南部の経済的要所を標的として攻撃を行う、例えキリノッチが陥落しても戦闘を継続する、と発言。
●中央州及び北西部州の州評議会選挙の立候補登録開始。

25日  ●「カ」TMVP指導者は、ピラヤン派がもし党名を変更しないと言うのならば、カルナ派の11人はTMVPから分離し、次期選挙に向けて新政党を設立する、と発言。

26日  ●政府諜報筋によると、シワシャンケールLTTE諜報部長(通称ポトゥ・アンマン)はゴタバヤ・ラージャパクサ国防次官や「フォ」陸軍司令官の暗殺に失敗したとして、諜報部長の地位から失脚。「プ」LTTE指導者は、「ア」氏の後任として、「プ」指導者個人の警備であり、LTTE特殊部隊と空軍に所属するルトゥナム氏を任命(26日付)。
●政府軍は、ムライティブ県ムリヤワライを含むA34号線を9kmに亘り奪取。

27日  ●「ラ」大統領は、24日の「ナ」LTTE政治部長による南部攻撃を示唆する発言を受け、LTTE要員らが南部で政治的不安を煽ろうとしている、と述べ、警戒を喚起。
●カルナーニディ印TN州首相は、印中央政府が一刻も早く「ム」印外相を「ス」に派遣し、「ス」停戦を求める行動を起こすよう懇願する、と発言。

28日  ●与党連合UPFAと野党NFF(国民自由戦線)は政策協力同盟の覚書に署名。

30日  ●ランブクウェラ政府軍報道官によると、政府はLTTEの非合法化の可能性を協議中。
●ムカジー印外相は、「ス」における権限移譲の実施が遅滞している、自分の訪「ス」についてはその時期等は決定していない、と発言。

31日  ●選挙管理局は北西部州(50議席)及び中央州(56議席)の州評議会選挙の候補者登録を締め切り、両選挙実施日を2月14日に決定。19政党及び46団体から総計2,262名が立候補。
●政府軍は、キリノッチ県において戦略的に重要なパランタンを奪取。
(了)  

 


 

スリランカの主な出来事(2008年11月1日-11月30日)

1日    ●訪「ス」中の「国際報道の自由(IPF:国際NGO)」現地調査団は、「ス」の報道の自由度は前回の調査(2007年6月)と比較し悪化しているとの声明を発表(1日付)。

3日    ●フォンセーカ陸軍司令官は、政府軍がプーネリンの手前7キロの地点まで到達した旨述べ、LTTEとの戦闘の80%が完了した、と発言。
●バティカロア県バンダラムライの新しいTMVP事務所設立式において、カルナTMVP指導者の要員20名がピラヤン派要員を襲撃。8名負傷。

4日    ●UNPは代替予算案を発表。防衛費が増額され過去最大に。

5日   ●ラージャパクサ大統領は、米大統領選挙に勝利したオバマ氏に祝辞を贈った。一方、ブレイク在「ス」米大使は、「オ」次期政権でも米の「ス」政策に変化はなく、政治的解決を一貫して求めていく、と発言。

6日   ●政府は2009年度予算案を国会に提出。優先項目は、治安維持、教育、保健、農村活性化及びインフラ整備等。
●「ラ」大統領は予算演説を行い、対LTTE政策について、(1)民族紛争への政治的解決の選択肢を排除してきたわけではない、(2)テロ集団に対しては、武器を置き、民主主義のプロセスに参加するよう、最後の瞬間まで懇願したい、またGSPプラス問題について、(3)EUは特恵措置の供与に条件を付しているが、国際貿易投資の分野で諸外国が政治目的を達成しようとすることはフェアとは言えない、と発言。
●大統領事実調査委員会(CoI)から、市民社会を代表する弁護士団が撤退を表明。
●政府は、今年の1月~9月までの26,000名の陸軍兵士が入隊し、今年末までに更に10,000名程度の陸軍兵士を募集する計画がある旨発表。

8日   ●ナデーサンLTTE政治部長がタミルネットに対し「我々は停戦をいつも望んでおり、この立場を繰り返し述べることに躊躇はない」と発言。

9日     ●ランブクウェラ政府国防担当報道官は、8日の「ナ」LTTE政治部長の発言について、「武器を置く(lay down arms)」という条件については一切触れておらず信用できない、と発言。

10日   ●政府軍は、キリノッチ県北西部沿岸にあるシータイガー基地の一つであるキランチ(ナッチクダより北西約8km)を奪取。
●国会において、シリセーナ農業開発・農業サービス開発大臣は、「ナ」LTTE政治部長の停戦の意志表明(8日)に対し、政府はLTTEを軍事的に打倒するまで対話に応じない、と発言。
●CoIにおける政府弁護団のコーダーゴダ司法次官補は、国外にいる重要証人に対する証人喚問を行うためのビデオ会議を再開するため、設備更新を行う意向を明らかに。
11日   ●「ラ」大統領はモルディブ、マーレにおけるナシード新大統領就任式に出席。
●「ラ」大統領は印アンサーリ副大統領と非公式に会談。印政府の政治的立場は理解するが、我々の立場ははっきりしており、市民に苦境を与えずLTTEには軍事行動を取ると伝達。
●政府軍は、キリノッチ県の漁村パラウィ(プーネリンの南約15km)を奪取。
●ウェリオヤ正面で、政府軍はクムラムナイ村(アランピルの西約4km)の一部を奪取。

12日  ●カルナTMVP指導者はフォンセーカ陸軍司令官と会談し、TMVP武装要員の政府軍への速やかな吸収、またLTTEによる度重なる攻撃からの防衛を要請。

13日  ●印ニューデリーでBIMSTEC首脳会議開催。「ラ」大統領は演説を行い、「ス」政府の政治的解決への取り組み、及び「ス」政府のタミル市民に対する人道的配慮を強調。
●「ラ」大統領は印ニューデリーで、シン印首相と会談。シン印首相は、テロへの闘いの中でも「ス」のタミル民族の安全と福祉を確保・保護を行うよう「ス」に要請。一方「ラ」大統領は、LTTEが武器を置かない以上停戦はあり得ず、軍事行動を継続し北部市民を救済すると発言。
●キリノッチ県で、政府軍はナッチクダ北西部を突破し、LTTEの戦術的に重要なデビルポイント(キランチの北西約8km)及びワライパッドゥ(キランチの西約5km)を奪取。

14日  ●アトゥルギリヤにおいて、チャンドラカンタン(通称:ピラヤン)東部州首席大臣の側近、ナンダゴパン(通称:ラグー)秘書他1名が、車でコロンボに向けて移動中、何者かに銃殺された。

15日  ●政府軍は北西部沿岸におけるLTTEの最後の砦プーネリンを奪取。これにより、北西部沿岸の密輸の完全阻止、ジャフナ半島に対するLTTEの砲兵火力の脅威の払拭、プーネリン北部にあるジャフナラグーン内におけるシータイガーの活動の制限が可能に。
●「ラ」大統領はテレビを通じ、「プ」LTTE指導者に対し、「「プ」氏は直ちに武器を置き、交渉の席に着くよう求める」と呼びかけた。

17日  ●ジャヤナンダムールティTNA議員らは、先週LTTE支配地域に赴き、「プ」LTTE指導者と会談。「プ」指導者は(1)LTTEはプーネリンから戦略的に撤退し、今後3カ月以内に政府軍に大打撃を与える、(2)キリノッチは決して陥落しない、(3)政府が連邦制による解決を提案すれば議論の用意があるが、「ラ」政権がそうした提案を行う可能性はない、等発言(17日付)。
●印TN州において、インド共産党(CPI)の主催で「ス」紛争問題に関する協議を目的とした全政党会議開催。ドラビダ進歩連盟(DMK)、インド人民党(BJP)等の主要政党は欠席。
●政府軍がムライティブ南部クムラムナイ村及びA9号線の重要経由地点マンクラムを奪取。

19日  ●政府軍がコカウィル(キリノッチタウンの南15km)を18年ぶりに奪取。

  1. キャンディでSAARCプログラム委員会(局長級会合)開会。

20日  ●政府軍は、ニウィル(アッカラヤンクラムの北部)にあるLTTEの航空機滑走路を奪取。
●ナデーサンLTTE政治部長は、(1)「プ」LTTE指導者の健康状態は良好、(2)政府の軍事的優位の主張にも関わらず、実際は政府軍は前線で甚大な損害を被っており、LTTEを打ち負かすにはほど遠い状況である、等発言(20日付)
●「ウィ」野党リーダーは、印ニューデリーでムカジー印外相と会談。

22日  ●フォンセーカ陸軍司令官は、政府軍はここ1年3ヶ月で70k㎡に亘る地域を奪取し、キリノッチタウンまで僅か1kmに到達したと発言。

23日  ●政府軍は、プリヤンクラム(オマンタイの北約12km)を奪取。
●過去3日間で162名の市民が北部LTTE支配地域から政府支配地域まで逃避。
●LTTEは今年度のLTTE兵士戦死者数を1,974名(内、男性1,398名、女性576名)と発表。これは1997年(2,112名)及び2000年(1,983名)の死者数に継ぐ数字。

24日  ●政府軍は、先週1週間、北部戦闘で少なくとも120名、軍兵士27名が死亡したと発表。他方タミルネットによると、軍兵士43名が死亡、70名以上が負傷。
●政府は、プーネリン陥落を受けて、北部ジャフナ一帯の漁業制限を緩和したと発表。

25日  ●政府軍はムライティブ県オルマドゥ(マンクラムの東約4km)を数日間の戦闘の末、奪取。
●ランブクウェラ政府軍報道担当官は、政府軍がキリノッチに入り、北、南西、南の3方向から攻撃中であり、キリノッチは陥落寸前であると発言。
●ヒューマンライツウォッチ(HRW)は、過去数週間で東部州で殺害・誘拐事件が多発し、人権状況が悪化していると発言。HRWによれば、9月以降の東部州内での殺害事件は30件。

27日  ●「プ」LTTE指導者は「英雄の日」の演説を行い、(1)停戦を欲し、タミル民族問題の平和的解決を求め、(2)ホームランドへの権利を繰り返し強調し、シンハラ国家による傲慢な占領・支配を非難し、(3)一部の国が政府を支援していると批判し、(4)印へ非合法化措置解除を嘆願し、(5)国外のタミル移民にLTTEへの支援を求めた。
●過去2日間の豪雨により、北部を中心に洪水の被害を受け、新たな避難民(マナー(2900世帯)、トリンコマリー(800世帯)、ジャフナ(500世帯))が発生。

28日  ●最高裁は、セイロン石油会社(CPC)が銀行数社とリスク回避防護策を講じたとされる事件で、ファウジー石油・石油資源開発大臣の解任及びデ・メルCPC社長の更迭を勧告。

29日 ●バティカロア県全域で夜間戒厳令が発出。夥しい数の政府軍兵士、警察、警察特殊部隊(STF)が、LTTE要員との疑いのある者らの一斉捜索を始め、29日だけで117名を逮捕。

30日  ●カイレスワラジャーTMVP幹事長は全政党会議(APRC)に対し、最近東部州で多発するTMVP関係者の殺人事件に抗議するため次回のAPRC会議を欠席する旨書簡を送付。
●北部を襲ったサイクロン"ニーシャ"により、現在73,000世帯に影響  
(了)

 


 

スリランカの主な出来事(2008年10月1日-10月31日)

1日    ●ボーゴラガマ外相はニューヨークでムカジー印外相と会談し、印・「ス」海峡における漁民の安全のための行動(海上警視の調整を含む)計画を共同で構築する必要がある旨、合意。

2日    ●キリノッチ県:キリノッチより北東2kmにあるLTTEの本部に対し、空軍が空爆。
●ワウニヤ県:ティラナワクラムの駐車場において、UNの物資輸送トラックの中から、バイク部品、自己位置標定装置22個、C4爆弾2.5kg、電池28,800個等が押収された。
●前サバラガムワ州地方ハイウェー大臣のM.S.エラワラ氏が新サバラガムワ州知事に就任。
●印タミル・ナドゥ(TN)州において、インド共産党が組織した印の「ス」政府の軍事行動への支援に反対するハンガーストライキ(断食集会)を実施。

4日   ●ブッシュ米大統領は児童徴兵説明責任法案に署名。これにより、LTTE及びTMVPなどの児童徴兵関連主体に適用され、米国への入国制限等が行われる見通し。

5日   ●政府は、過去5年に東部州から西部州へ移住したタミル移民を対象に西部州各地で調査登録を実施、約600世帯が登録
●カルナーニディ印TN州首相はシン印首相に電報を発し、「ス」の軍事行動を直ちにやめさせるよう要求。

6日   ●アヌラーダプラ県:県中心部でUNP(統一国民党:最大野党)事務所の開所式の際に自爆テロが発生。北中央州野党リーダー・ジャナカ・ペレラ氏を含め27名死亡、94名負傷。
●ナラヤナン印国家安全保障顧問はガネゴダ在印「ス」大次席と会談し、「ス」紛争とマイノリティの状況は遺憾と述べ、政治解決・対話路線へ復帰するよう要請。

7日   ●ラージャパクサ大統領はプラサード在「ス」印大使と会談し、印の「ス」北部情勢への懸念事項についての確認を行い、「ス」政府として行動に移せることがあれば努力すると伝達。
●カルナTMVP指導者が国会議員として就任。
●国会は9月1日~10月1日までの兵士及び市民の死傷者数を報告(兵士:死亡者200名・負傷者997名、市民:死亡者13名 ・負傷者29名)。
●EU南アジア代表団セッションがブリュッセルで開催され、EU調査団による「ス」人権状況の報告書の内容が公表。アリヤシンハ「ス」EU代表大使は、「ス」政府の否定的側面ばかりが羅列され、偏見と情報の意図的な歪曲に満ちている、と批判。
●デ・シルヴァ司法長官が辞任。

8日   ●キリノッチ県:キリノッチ南部に展開中の政府軍に対し、LTTEが激しい抵抗を見せ、政府軍兵士62名が死亡(タミルネット)。
●ウェリオヤ正面:アンダンクラム(ムライティブ市南約16km)における戦闘で、政府軍が掩蔽壕線を奪取。戦闘により政府側兵士8名死亡、60名負傷。LTTE側は15名死亡、30名負傷。

9日     ●印ポーク海峡で印漁船60隻が攻撃を受け、印メディアは「ス」海軍によるものと非難。報道によると、印商船15隻が「ス」海軍兵士より鉄棒等で攻撃し、空域に空砲50発を発射。
●政府は2009年度の予算計画を提出。総支出額9800億ルピー(2008年度は9,250億ルピー)の内、防衛費は前年度に比べ110億ルピー増額され、史上最大の1,770億ルピーを計上。
●7日に辞任したデ・シルヴァ司法長官に代わり、プリヤサート司法次官が司法長官に就任。
●ウィターラナ科学・技術大臣は、ベルワラからネゴンボで発見されたトリウムを原料とする原子力発電所建設計画を表明。

10日   ●D.デラ前サバラガムワ州知事が、北部州の新知事に就任。
●政府は民間テレビ・ラジオ局に対する認可システム導入等の報道規制を公示。

11日   ●「ラ」大統領は全政党会議(APC)を招集し、北部情勢についてキリノッチの掌握は近いが最終目標は軍事的解決ではなく政治的解決であると述べ、もしLTTEが武器を置けば政府は喜んで対話を行うと発言(TNAを除く全政党が招集、ただしUNP、JVP、NFFは欠席)。
●キリノッチ県ワンネリクラムにおいて、シータイガーのNo.2とされるチェリアンがクレイモア地雷により死亡。

12日  ●ボーゴラガマ外相はムカジー印外相及び「ナ」印安保顧問と緊急会談を行うため印へ出国。

14日  ●印TN州で全政党会議が開催(カルナーニディTN州首相が招集)され、印中央政府に対し、「ス」政府に対して2週間以内の軍事行動停止を訴えるよう要求。

15日  ●シン印首相は、「ス」の軍事行動に対し深刻な懸念を表明し、「タミル民族の人権を尊重し軍事的手段ではなく対話を通じた解決を求める」と発言。

17日  ●「ラ」大統領はシン印首相と電話会談を行い、「ス」北部の市民の安全を第一に考慮し、人道支援を継続することを確認。
●バティカロアにおいて、TMVPカルナ派要員約30名が、チャンドラカンタン(通称ピラヤン)東部州首席大臣の管理下にある報道局を占拠し、「カ」指導者は関与を否定。

20日  ●CoIは、2006年10月にシーギリヤ近郊の自爆テロ事件(90名以上死亡)の捜査を開始。
●ゴタバヤ・ラージャパクサ国防次官は訪露し、ラヴロフ外相らと会談(20日付)。

21日  ●サマラシンハ人権・災害管理大臣はニューヨークにおける第63回国連総会で演説を行い、「ス」政府の第13次憲法修正など政治的解決への従事及び北部への人道支援の実施を強調。
22日  ●ジャフナ県カンカサントゥライ(当館注:ジャフナ北部沿岸)沖で、人道支援物資輸送中の商用船2隻に対し、LTTEが自爆テロ(ボート3隻)を実施。「ス」海軍の高速攻撃艇がその内2隻を撃沈、1隻を拿捕。被害は、商用船"ニマラワ"がわずかに損傷、LTTE要員6名が死亡。
●ランカ平等社会党(LSSP)は、APRCの早期進展を求める声明を発表。

23日  ●ウェリオヤ正面での戦闘で、コキライより西約22kmのガジャバプラ村を政府軍が奪取。
●カイレスワララジャーTMVP幹事長は、カルナTMVP指導者は正式なTMVP指導者とは言えず、そのような任命書類も存在しない、と発言。

24日  ●「ラ」大統領はウィクラマシンハUNP総裁と約1時間にわたり会談し、北部の安全状況及び印シン首相との議論の内容について説明。
●「サ」人権・災害管理大臣は、ニューヨークにおいてバン国連事務総長と会談し、北部情勢を中心に「ス」の人道支援・人権保護活動について説明(24日付)。

26日  ●バジル・「ラ」顧問は、印ニューデリーにおいて、「ム」印外相等と会談し共同声明を発表し、(イ)印は「ス」北部への食料援助供与を実施し、(ロ)「ス」は平和的な交渉を通じて政治解決を目指し、(ハ)テロとの戦いを継続し、(ニ)東部州の民主化を強固にし、(ホ)「ス」印の漁民への実践的な措置についての議論を、漁業開発・協力のMOUに基づき進める旨、合意された。
●マウラーナTMVP報道官は、カルナ氏の地位は、TMVP指導者から軍部局長に変更となったと発言(26日付)。一方「カ」氏は、「マ」報道官が単独で党を裏切っていると非難。

27日  ●プラバーカランLTTE指導者は、「LTTEは「ス」政府軍に甚大な損害を与えている。「ス」政府・「ラ」大統領は、親政府メディアを利用し誤った情報を流しているが、LTTEの軍事力は強力なまま維持されている」と述べ、印に対しては、「印国内におけるLTTEへの非合法化措置を解除し、タミルの望みであるタミル・イーラムの実現を支援することを期待する」と発言。
●バティカロア県チェンカラディにおいて、TMVPの主要な準軍事キャンプに対しLTTEが攻撃、TMVP要員4名死亡。

28日  ●マナー県の陸軍キャンプ及びコロンボ市内の発電所にLTTE小型航空機が空爆を実施、1名死亡。
●ACF(仏NGO)の職員3名が訪「ス」し、2006年ACF現地職員虐殺事件についてCoIで証言。

29日 ●「ラ」大統領は印ヒンドゥ紙に対し、「ス」政府は政治的課題に対する軍事的解決などありえないと理解し、「ス」政府は交渉による政治的解決に従事しており、(市民に対してではなく)テロ集団に対しては特に軍事行動をとる、と発言。

31日  ●「ラ」大統領は、ガユーム・モルディブ大統領と電話会談し、モルディブの大統領選挙(28日)が平和裏に実施されたことを賞賛した。また選挙に勝利したナシードMDP指導者とも電話会談し、「ス」・「モ」関係の幅広い協力関係向上や、海賊や海上のテロの問題を協議した。

(了)  

 


 

スリランカの主な出来事(2008年9月1日-9月30日)

3日   ●ポルガンポラJVP国会議員が日本への不法入国幇助のかどで成田空港で強制退去処分となった一件の責任を取り辞職。後任はケゴール選挙区次点のディサナヤケSLFP候補。

4日   ●大統領府にてディサナヤケ北中央州首席大臣及びサバラガムワ州首席大臣の就任式。
●ヤーパ報道大臣は閣議後の記者会見にて、ラージャパクサ大統領が北部LTTE支配地域内のIDPに対し、政府支配地域側に避難するよう呼びかけていると発言。

6日   ●国会において、緊急事態令の1ヶ月延長が与党、JVP、JNPの支持により決定。

7日   ●フォンセーカ陸軍司令官がジャフナを訪問。

8日   ●政府はCCHAにて、キリノッチに駐在する国連・国際NGOに対し、現下の情勢に鑑みLTTE支配地域(通称ワンニ地域)内で活動する援助要員の安全を保証できないとして、直ちに政府支配地域であるワウニヤへ活動場所を移転するよう要請。
●国家言語委員会は、警察におけるタミル語の普及のため、11日から国内2カ所の研修所において、読み書きを含むタミル語特別研修プログラムを開始する旨発表。
●コロンボ・ペター地区のガス工場付近で爆弾が爆発。市民9名以上負傷、うち2名重傷。警察車輌・大型車各1台も損傷。治安当局はLTTEではなくギャング間抗争との見方を表明。

9日     ●02:50頃、LTTEが小型航空機、砲兵火力及びブラックタイガー要員を以て、ワウニヤの政府軍ワンニ方面司令部を攻撃。政府側は12名死亡、31名負傷。LTTE側はブラックタイガー要員10名死亡。航空機は爆弾4発を投下し、内2発が爆発。カトゥナヤケ空軍基地から飛来した「ス」空軍要撃機2機が、帰還途中のLTTE小型航空機1機をムライティブ県上空にて撃墜。LTTEは政府軍兵士20名が死亡したと主張。
●国連事務総長ステートメント、「ス」北部における戦闘の激化による一般住民への重大な人道上の結果に対し深い懸念を表明。人道機関の安全な活動と被災者への支援の必要を強調した他、「ス」の直面する政治的問題を交渉を通じて解決することの重要性を強調。

10日   ●LTTE支配地域内の国連、国際NGO等援助機関の職員がワウニヤへの移転を開始。
●「ラ」大統領はザルダリ・パキスタン新大統領と電話会談を行い、大統領就任の祝辞を伝達するとともに、両国の二国間関係についての意見交換実施。
●楊潔チ(YANG Jiechi)中国外交部長は3日間の訪印に続いて「ス」を訪問し、「ラ」大統領、ウィクラマナヤケ首相及びボーゴラガマ外相と会談。また、「ラ」大統領の立ち会いの下、「ボ」外相との間で、5千万元の無償資金協力を含む「ス」・中経済・技術協力協定に署名。

11日   ●「ボ」外相は国会にて、印タミルナドゥ州が返還を要求しているカッチャッティーヴ島に関し、歴史的証拠及び1974・76年の印・「ス」合意からも常に「ス」領土であるとの見解を表明。

13日   ●ワンニ地域の戦闘で、少なくともLTTE要員41名及び兵士1名が死亡。

14日   ●「ウィ」首相、アベーワルダナ文化大臣他一行、「ス」文化遺産展開会式出席のため訪日。
●ムスタファ観光副大臣及びチャンドラカンタン東部州首席大臣、20-21日に行われるJA TA主催の世界旅行博出席のため訪日。

15日   ●米国議会は、外国において児童徴兵を行っている外国の軍事指導者を訴追する権限を米           国政府に認める新法を可決。
●ブラウン英大臣は、英国在住のスリランカ系タミル人コミュニティーとの会談で、LTTEへ厳しい発言を行ったことで、参加者から野次が飛ぶなど、一時会場が混乱。

16日   ●コロンボ7区のホートンプレイス交差点付近にて、国営バスが爆破される。乗務員が不審物に気付き乗客を避難させたため死者なし、現場付近に居た市民4名が軽傷。
●ワイス当地国連広報官、全ての国際スタッフ並びにキリノッチ又はワウニアの出身でない現地職員は既に移転を完了した旨発言。
●東京にて「ス」文化遺産展開会式開催。「ス」側は「ウィ」首相、「ア」文化大臣、「ム」観光副大臣、「チャ」東部州首席大臣他出席、日本側は高村外相他出席。「ウィ」首相は挨拶の中で、   軍事作戦が完遂しLTTEが敗北した後には各民族間の調和が復活されるであろう、本遺産       展は日「ス」両国の長く友好的な関係強化に向けて多大な貢献をするとの希望を表明。

17日   ●訪日中の「ウィ」首相と福田総理が会談。
●ジャヤスンダラ財務計画省次官が辞任。
●キリノッチ県アッカラヤンクラムとパンニウェディクラムでの戦闘において、LTTEが催涙ガスと思料される兵器を使用し、少なくとも政府軍兵士16名が入院。

18日   ●政府軍は、キリノッチ県カランバクラム周辺を獲得。戦闘により4名死亡し、20名が負傷。
●「ラ」大統領は、12月までにキリノッチを制圧しうるとの見通しを示し、LTTEとの停戦について、LTTEが武装解除に応じる等、誠実な姿勢を見せるまでは停戦に応じないと表明。

20日   ●政府軍がウェリオヤ正面のLTTEキャンプを奪取。

21日   ●過去5年において北部から西部へ移住したタミル移民を対象とした調査・登録が、コロンボ市内22カ所で実施された。新規登録者2,242名を含む37,037名が登録。

22日   ●キリノッチから約4.5kmまで政府軍が前進。ナッチクダ、アッカラヤンクラム東部及びワンネリクラムの戦闘で、少なくともLTTE要員38名及び兵士8名が死亡。
●政府軍は、ウェリオヤ正面にあるシータイガー基地"通称パサライ"を奪取。
●「ラ」大統領、「ボ」外相他「ス」政府代表団一行は第63回国連総会への参加等のためニューヨーク入り。

23日   ●訪米中の「ラ」大統領、「ボ」外相は、ニューヨーク在住の「ス」人と会談(23日付)。
●ソルハイム・ノルウェー援助開発大臣はバウエEU特使とともに「ラ」大統領を表敬し、最近の北部情勢を中心に意見交換。「ラ」大統領は、東部解放を民主主義定着・開発促進の成功例として挙げ、北部IDPに対し政府としての人道支援継続を明らかにした上で、ノルウェー側に対しても、北部支援につき他の機関を通さず政府を通じた形で行うよう要請。
●「ラ」大統領はアイスランドのホルデ首相と会談。
●「ボ」外相は、「ヴァ」EUとの会談を行い、特にGSPプラスについて協議。
●ヴァルトナーEU対外関係欧州委員は、書簡を発出し、EUは反「ス」のアジェンダを持っている訳ではない、全ての関係者に暴力行為を直ちに停止し、対話へ戻るよう促している旨述べた上で、EUがLTTE寄りだとの最近の「ス」の報道は全く根拠がない等述べた。
●タミルナドゥ州の政党指導者ヴィーラマリ等がLTTEシンパ300名程度を集めてLTTEへの支持を呼びかけ、印政府の「ス」民族問題への即時介入と支援停止を要請。

24日   ●共同議長国会合がニューヨークで開催。同会合でバウチャー米国務次官補は「戦闘が行われている地域の一般市民の人権及び人道問題に強い関心と懸念を持っており、住民の保護が最優先されるべきである」と発言。
●「ラ」大統領は、国連総会で演説し、一部タミル語を使用。
●「ラ」大統領は、シャルマ・コモンウェルス事務局長およびギュル・トルコ大統領と会談。

26日   ●「ラ」大統領は、バン国連事務総長及びブラウン英首相と会談。両会談で、「ラ」大統領は「ス」政府のテロとの闘いの姿勢を明示し、人道支援への取り組みを進めている旨、説明。
●「ラ」大統領は、アフマディネジャード・イラン大統領と会談。途上国における農業発展が食糧安全保障の観点から必要との見解で一致。
●「ラ」大統領はニューヨークでのすべての日程を終え、出発。

27日   ●ウェリアムナ・トランスパレンシー・インターナショナル・スリランカ(TISL)代表の自宅が手榴弾により攻撃される。

29日   ●コロンボ市ペター地区のマルワッタ道路沿いにおいて、駐車していた車輌に仕掛けられていた時限爆弾250gが爆発し、少なくとも5名軽傷、付近に駐車していた6台損壊。
●米国大使館、EUおよびTISLは、27日に発生したウェリアムナTISL代表自宅襲撃事件への非難声明を発表。
(了)  

 


 

スリランカの主な出来事(2008年8月1日-8月31日)

1日     ●マンモハン・シン印首相とラージャパクサ大統領が首脳会談実施。東部情勢、第13次憲法修正の完全実施、印漁民と「ス」海軍の対立問題等につき協議。
●ギラーニ・パキスタン首相と「ラ」大統領が会談。両国間の良好な関係について再確認し、「パ」は「ス」が主権及び領土的一体性を守るために取っている措置を全て支持する旨表明。
●バウチャー米国務次官補がボーゴラガマ外相と会談。
●ラージャパクサ国防次官、ペレーラ国防参謀長、フォンセーカ陸軍司令官他軍高官がマナーのタスクフォース1の兵士を激励。

2日     ●コロンボ市内BMICHにて第15回SAARC首脳会議開会式開催。印から「ス」への議長引き継ぎ、加盟国首脳の演説、イラン・韓国・モーリシャス閣僚によるオブザーバー国演説等実施。多くの国がテロとの闘い、食糧・エネルギー安全保障、貧困削減、気候変動及び水資源問題が重要課題として指摘。我が国は高村大臣がメッセージを発出。
●ウィクラマシンハUNP総裁及びカリヤワサムUNP議員の警護官2名がコロンボ警察により「白いバン」を用いた恐喝及び誘拐の容疑で逮捕。

3日    ●第15回SAARC首脳会議、午前中のリトリートに続き午後にBMICHにて閉会セッション開催、「我々人民の成長のためのパートナーシップ」と題されたSAARC首脳会議宣言及び「食料安全保障に関するコロンボ声明」を採択。また、加盟国外相により(1)SAARC開発基金憲章(2)南アジア地域基準機構(SARCO)設立協定(3)刑事事件における共助に関する協定(4)SAFTAへのアフガニスタン加盟承認に関する議定書への署名実施。
● 「バ」米国務次官補がコロンボ市内で記者会見。「ス」政府のテロとの闘いへの支持及び東部地域の変化への歓迎の意を表明。他方、誘拐・失踪等の人権状況について懸念を表明。
●58師団に配属されているタスクフォース1がマナー県沿岸のLTTE拠点ウェランクラムを奪取し、政府軍は初めてマナー県全域を解放。

4日     ●当地国連報道官は、最近の北部地域での戦闘を受けて、7月末までに約5万7千人の国内避難民が発生しており、困難な状況に置かれている旨発表。

5日     ●政府軍がムライティブ県ニッチカイクラム(ジャナカプラ北9km)の堅固なLTTE陣地を奪取。

6日      ●国会において緊急事態令の延長が与党、野党JVP及びJNPの支持を得て可決。

7日      ●「ラ」大統領が北京オリンピック開会式出席のため訪中。胡錦濤国家主席その他要人と会 談し、良好な「ス」・中関係を再確認。また四川省大地震の被災民を訪問。
●「バ」米国務次官補が訪日し、「ス」情勢につき明石政府代表等日本政府関係者と会談。
●「ラ」国防次官がジャフナの政府軍基地を訪問。
●マナー司教は、15日実施予定であった恒例のマドゥ祭典を、インフラの未整備及び教会   周辺の非戦闘地域化に政府・LTTE双方が合意できなかったことから中止する旨発表。

8日      ●ランブクウェラ国防担当政府スポークスマンは、7日にLTTEが国連を通じて停戦を要請               してきたが、依然として武装放棄の意思が見られず政府は本件        要請を却下したと発言。
●政府軍は、7日に政府軍の砲撃によりムライティブ県内の病院及び同県GA(県行政官)の 自宅が損傷したとのLTTEの主張を否定。

10日    ●「ラ」国防次官及び空軍司令官がトリンコマリー県湾岸チャイナベイの空軍基地を訪問。

11日    ●APRCが再開。JHU及びMEPはボイコット継続。
●カルナTMVP指導者、LTTEが化学兵器を用いたテロを実行する可能性がある旨発言。
●キリノッチ北東部のLTTEのキーベース、通称"33Base"が、4日間に亘る戦闘の末陥落。

12日    ●ナラヤナン印国家安全保障顧問、The Straits Times紙掲載のインタビューの中で、(1)LT TEはテロ実施能力は維持しつつも明らかに弱体化している、(2)「ス」政府は権限委譲や心    情的配慮を通じてタミル人を味方に付けない限り戦争に勝利することはできない、(3)印        はノルウェー又は他のどの国よりも上手く「ス」に助言を与えることができる等発言。

13日    ●最近タミル・ナドゥ州で行われた世論調査によれば、約54%がLTTEの活動及び「ス」にお けるタミル・ホームランドの建設を支持、約48%が印のLTTE非合法化措置の撤廃を支持。
●政府軍、A32号線沿いのムランガウィル及びトゥヌカイ西部にあるカルウィラン村を奪取。

14日    ●「フォ」陸軍司令官がワウニヤを訪問し、ワンニ司令官と各正面の現状につき会談。

15日    ●政府軍筋によれば、LTTEがムライティブ県内に大型航空機用の滑走路を建設中。
●人道支援諮問委員会(CCHA)、北部のIDPに対し支援物資を届ける必要性につき合意。

16日    ●政府軍は、ウェリオヤ正面においてLTTEの大規模訓練施設「ジーバン基地」を奪取。

17日    ●JHUはAPRCプロセスから撤退する意向を表明。

18日    ●「ボ」外相がアイスランドを訪問し、ホルデ首相と会談。

19日    ●治安当局筋によれば、LTTEがキリノッチ市民に対し戦闘訓練を開始。

22日    ●政府軍、3週間に亘る戦闘の末、ムライティブ県のLTTE重要拠点トゥヌカイを制圧。
●野呂田日・「ス」議連会長一行が来「ス」(~26日)。キャンディー、シーギリヤ、トリンコマリ  ー等のODA案件現場を視察、また「ラ」大統領、ウィクラマナヤケ首相、「ボ」外相、ロクバン     ダーラ国会議長、          プレマジャヤンタ「ス」・日議連会長他と会談。

23日    ●北中央州及びサバラガムワ州評議会選挙投票日、概ね平和裡に投票実施。投票率67~ 68%。全選挙区でUPFAが勝利し、議席数は北中央州がUPFA20、UNP12、JVP1、サ     バラガムワ州がUPFA25、UNP17、JVP2。

24日    ●「ラ」大統領、州評議会選挙結果は母国を愛する全ての人々の勝利であり、政府軍は国内 のテロを終結させるための大きな力を得るであろうと発言。

25日    ●LTTEのプティナム・ウェブサイトにおいて、ナデーサンLTTE政治部長及びタミリニLTTE   女性部門リーダーは、タミル人が団結して政府軍と戦えば勝利できると主張。
●「ウィ」首相は、LTTEが化学兵器を保有しているという風説を否定。
●アーリヤシンハ駐EU「ス」大使がポタリングEU議会議長に面会し、7月のEU議員団訪     「ス」の際、自ら東部訪問を中止しながら「ス」政府に責任を転嫁したことを遺憾として抗議。

26日    ●午後9時頃、LTTE小型航空機2機が、ムライティブ海岸からトリンコマリー基地に飛来し、 少なくとも爆弾2発を投下後帰還。船舶及び施設の被害はなかったものの政府軍兵士4名死  亡、35名以上負傷。

27日    ●「フォ」陸軍司令官がバングラデシュを公式訪問(~30日)。

28日    ●「ラ」国防次官、記者会見にて、北部の戦闘はzero civilian casualty政策に基づき行われ  ており、政府軍はLTTE支配地域内の一般住民にワウニヤへの避難経路を示すビラを       空中から配布して           いる、政府側に避難してきた者は武器を所持しない限りLTTE要員とは       見なさず、食糧や医療の提供など人道的に対応している等発言。
●UNP運営委員会、州評議会選挙の敗北を受け、15日以内に党綱領の改正及び党人事の           異動を含む党内改革を実行することを決定。

29日    ●「ボ」外相、デリーで開催された第10回BIMSTEC外相会議に出席し、対テロ協力の推進 を訴える演説実施。また印、タイ、ミャンマー及びネパールとのバイ会談実施。

30日    ●午後0時10分頃、コロンボ市内ペター地区のオルコットストリートの屋     台街路肩にて時限         爆弾によると見られる爆発事件発生、市民45名が負傷(うち4名重傷)。

31日    ●政府軍がムライティブ県内のLTTE拠点都市マラウィを激戦の末奪取。
(了)  

 


 

スリランカの主な出来事(2008年7月1日-7月31日)

1日     ●アンパーラ県アルガムベイ付近で、式典参加のため現地を訪問したラージャパクサ大統領を降ろした後に給油に向かっていた政府軍ヘリコプターがジャングルの中から発砲を受け、1発が機体に被弾。
●安全保障上の観点より、ワウニヤ県オマンタイ・チェックポイントが一時閉鎖し、ICRCも一時的に同チェックポイントから撤退。
●6月30日-7月1日、ファイゲンバウム米国務次官補代理が定期訪問のため来「ス」。

2日     ●LTTE及びTMVPは、カルナTMVP(タミル人民解放の虎)指導者が再びLTTEに復帰する可能性を否定。
●ボーゴラガマ外相がネパールを訪問。
●「ボ」外相がブータンを訪問。

3日    ●英国に不法入国し勾留されていたカルナTMVP指導者が「ス」に送還。
●「ボ」外相がパキスタンを訪問。

4日     ●陸軍第59師団は、3日間の激しい戦闘の結果、ウェリオヤのLTTEマイケル基地を獲得。

5日      ●フォンセーカ陸軍司令官は、陸軍が獲得したマイケル基地を士気高揚のため訪問。

7日      ●オマンタイ・チェックポイントが再び開通。

8日      ●国会において緊急事態令の延長が賛成111、反対14で可決。
●先般国会副議長を辞任したグナワルダナ議員に代わり、政府UPFA所属のジャヤラトネ   議員が全会一致で新国会副議長に任命。

9日      ●5月の東部州評議会選挙の際に国会議員の職を辞して州評議会議員として立候補・当選し          たハキームSLMC総裁は、国会議員に復帰すべく東部州評議会議員を辞職。

10日    ●印のテレビ局のインタビューを受けたナデーサンLTTE政治部長は、政府側の停戦合意破 棄を強く非難しつつ、LTTEは和平交渉に前向きである旨発言。
●野党UNP及びJVPが呼びかけたゼネスト実施日。結局、国内公共機関が円滑に機能した ことを受け、政府側はゼネストが失敗に終わったことを宣言、JVPは概ね成功と発表。
●「ボ」外相がモルディブを訪問。
11日    ●午前10時30分頃、モナラーガラ県ヤーラ国立公園内の道路を走行中のブッタラ発カタラ  ガマ行きの乗客で混雑した国営バスがLTTE要員とみられる数名の者から銃撃され、4名(9     歳の子供1名及び女性1名を含む。)が死亡、25名が負傷。
●2006年に多発した誘拐・失踪事件の主犯格ガシャナイケ元空軍少佐等3名が起訴。
●ジャフナ沖の印海域で「ス」海軍によるとされる発砲により印漁民2名死亡、1名負傷。タミ  ル・ナドゥ州政府は印中央政府の断固とした対応を要求。「ス」側は本件への関与を全否定。
●「ラ」大統領が印を私的訪問(~12日)。

12日    ●アンドラ・プラデシュ(AP)州ティルマラ(Tirumala)において記者会見を実施した「ラ」大統領 は、LTTEが武装放棄すれば対話に応じる旨発言。
●コロンボ市内のTMVP事務所において、チャンドラカンタン東部州首席大臣とカルナTMV  P指導者が5時間会談し、「カ」が引き続きTMVP指導者となること等につき合意。

14日    ●TMVPがAPRC会合に初参加し、自らの権限委譲案を提出。カルナTMVP指導者は、政  府がTMVPに対し然るべき警備措置を与えれば武装している必要性はない旨発言。

15日    ●ブラウン英外務担当国務大臣が来「ス」(~17日)。「ラ」大統領、「ボ」外相、TNA等と会談 、またトリンコマリー県を訪問し、「チャ」首席大臣他東部州評議会議員と会談。
●イランティラヤンLTTE軍事報道官、対話のための武装放棄を否定。
●パダヤッチ南ア副大臣は、南アは「ス」和平プロセスに協力する用意があり、場合によって はファシリテーターのノルウェーに代わる役割を演じることが出来る旨発言。

16日    ●グリムソン・アイスランド大統領は、同国が過去SLMMで実践してきた経験を元に、政府と LTTEとの対話のファシリテーターを行う用意がある旨発言。
●政府軍がシータイガーの拠点であったマナー県沿岸のウィダッタルティブ基地を制圧。

20日    ●EU議会の議員団が訪「ス」(~26日)、政府要人との会談及び東部地域視察を実施。
●政府軍がマナー県沿岸のLTTEの拠点イルッパイカダヴァイ・タウンを制圧。

21日    ●政府海軍がマナーとデルフト島の間の海上封鎖を開始。

22日    ●LTTEは7月26日~8月4日のSAARC会合期間中、一方的停戦を実施する旨発表。
●政府側は、過去の例から停戦はLTTEの時間稼ぎに過ぎないとして停戦を拒否。政府軍及           び南部主要政党関係者も、停戦に応じるべきでないとの意見を表明。
●4月3日以来、マドゥ教会よりLTTE支配地域内に移されていたマドゥの聖像が無事返還。

23日    ●「ボ」外相がシンガポールで開催された第15回AFR会合に参加(~24日)。
●EU議員団の東部訪問が、チャーター機搭乗手続を巡るトラブルのため急遽中止。

24日    ●政府軍がムライティブ県トゥヌカイ南部にあるワウニクラム・タンクの堤防全周を奪取。

25日    ●EU議員団が記者会見を開催し、人権問題、東部訪問の中止等に関し「ス」政府に批判的な          内容を含むステートメントを発表。
●印タミル・ナドゥ州地域司令官海軍准将は、「ス」海軍が印漁船を攻撃した案件を否定。

26日    ●「ス」外務省は、EU議員団のステートメントに対し、人権問題やチャーター機搭乗手続を巡 る事実関係は発表内容とは異なるとして、EUの態度を批判するステートメントを発表。

27日    ●第15回SAARC会合が開幕(~8月3日)。
●政府軍がムライティブ県のジャングル内にあるLTTE通信基地スガンダン・ベースを奪取。

29日    ●SAARC加盟8ヶ国の外務次官による運営委員会が開催(~30日)。
●LTTEがSAARC期間中の一方的停戦宣言に反し、プーネリンからジャフナ半島に向けて  砲撃を実施。
●「ボ」外相がNAM(非同盟諸国運動)閣僚会合出席のためイランを訪問(~30日)、アフマ ディネジャード大統領を表敬。

30日    ●SAARC会合のため訪「ス」したクレシ・パキスタン外相と「ボ」外相の間で外相会談実施。

31日    ●SAARC加盟国外相による閣僚評議会が開催(~8月1日)。

 


 

スリランカの主な出来事(2008年6月1日-6月30日)

●5月末からの数日にわたる豪雨により、北西部州、中部州、南部州及びサバラガムワ州を中心に洪水が発生し、死者15名以上、被災者数280,000名以上の被害が発生。

2日     ●ムライティブ県マンクラムにおいて、クレイモア地雷攻撃があり、児童4名を含む6名の市民が死亡。LTTEはDPU(陸軍特殊部隊)の責任であると主張し、政府軍は否定。
●大統領府は、CoI(事実調査委員会)委員長宛の書簡を発出し、海外の証人に対し行う予定であったビデオを通じた証人尋問を延期すべきである旨伝達。
●ウィクラマシンハUNP総裁は、「政府は民族問題の解決に向けて、LTTEを打ち破り戦争を終わらせるか、政治的解決に向けた具体案を提示するかどちらかにすべきである」と発言。
●「ス」政府情報省は、プリテーバンLTTE和平事務局長がLTTEのインテリジェンス部門に逮捕された旨発表。
●APRC(全政党代表者委員会)は、新たにAPRCに参加することになったTMVP(タミル人民解放の虎)が権限委譲に関する提案を提出するまでの間、会合を中断することを決定。

3日    ●国連食糧農業機関(FAO)ハイレベル会合出席のためローマを訪問中の福田総理とラージャパクサ大統領との間で日・「ス」首脳会談実施。福田総理は、東部州評議会選挙が成功裡に実施されたことを評価しつつ、日本は東部地域支援に高いプライオリティを置いている、今後も権限委譲プロセスを確実に進めてほしい旨発言。「ラ」大統領は、「ス」の石油・ガス開発について日本の参加を呼びかけるとともに、日本から「ス」に対する円借款問題にも言及。更に、両首脳は「ス」の人権状況についても協議し、「ラ」大統領より政府が実施してきている人権問題への対応を説明。最後に、「ラ」大統領は長年に亘る日本の経済協力につき謝意を表明。
●ラージャパクサ大統領がFAOハイレベル会合にて演説。世界の食糧危機に対し、グローバル食糧危機基金及び地域食糧安全保障基金の設立を提唱。
●プリテーバンLTTE和平事務局長は、当地メディアに対し、自身の拘束説を否定するとともに、LTTEが「ス」政府との交渉に応じるためには、ファシリテーターであるノルウェーにキリノッチへのアクセスが認められるべきである旨発言。

4日     ●07:15頃、コロンボ市内ウェラワッタとデヒワラ市の間の線路上において、小包爆弾が爆発し、市民18名が軽傷。
●トリンコマリーにて第1回東部州評議会会合開催。チャンドラカンタン(ピラヤン)首席大臣は、3民族共存の下で多元的民主主義を推進していく、TMVPは武器を捨て政界に入ることを「ラ」大統領に誓った旨演説。野党UNP及びSLMCは会合をボイコットし、州評議会選挙の無効確認を求める訴訟を提起する意思を表明。

5日      ●5月6日以来停会されていた国会が再開。 「テロ取り締まりに関する緊急事態令」を更に  1ヶ月延長することを賛成87票、反対19票で承認。政府与党に加えJVP(人民解放戦線)      が賛成し、TNA及びWPF(西部人民戦線)は反対し、UNP及びSLMCは棄権。
●証人保護法案が国会上程。
●バティカロア県カッタンクデイにてムスリム住民が1名殺害され、10名近くが負傷する事   件及び警察官2名が殺害される事件等を受けて、一時的に同地域に対する外出禁止令が        発令(6日には解除)。

6日     ●07:35頃、コロンボ市郊外モラトゥワ市(コロンボ市より南へ約20km)のカトゥベッダ地区にあるモラトゥワ大学付近の道路上において、クレイモア地雷により通勤バスが爆発する事件が発生し、21名死亡、50名以上負傷(うち5名重傷)。
●15:50頃、キャンディ県カトゥガストタ町ポルゴッラ地区(キャンディ市より北へ約5km)の路上において、マータレー発キャンディ行きの民間バス後部に仕掛けられた爆弾が爆発し、2名死亡、20名以上負傷。

8日      ●アンパーラ県ポトヴィルで10名の住民誘拐事件発生(同日全て解放)、トリンコマレー県プ ルムダイでホームガード1名の誘拐事件発生。ともにLTTEの関与が疑われ、政府軍・警察       が同地域近隣に対する徹底した(LTTE要員の逮捕に向けた)捜索を実施。
●「ラ」大統領、コモンウェルスサミットに出席するため英国に向けて出発.。

9日    ●政府は、北中央州及びサバラガムワ州の州知事が発行した官報号外に基づき、北中央州評議会(33議席)及びサバラガムワ州評議会(45議席)を、任期を約1年余り残し解散。

10日    ●LTTEの外郭団体「エラーラン・フォース」が、最近の一連のテロ事件の実行責任を認めるとともに、政府軍による北部タミル市民攻撃を非難するEメールを当地報道機関に送付。
●訪英中の「ラ」大統領は、コモンウェルス代表者会議の場でブラウン英首相と会談。
●「ラ」大統領は、9~10日に英国で開催された国際機関の改革に関するコモンウェルス・   ミニ首脳会議にて演説し、ドナー国は政治的アジェンダではなく被供与国の実情に即した直   接の支援を行うべきである旨主張。

11日   ●9~11日、マカドEC対外政策局次長率いる代表団が訪「ス」し、第17回「ス」EC共同委員会会合をコホナ外務次官等「ス」関係者との間で実施。
●訪英中の「ラ」大統領は、ブラウン英外務担当国務大臣と「ス」情勢につき会談。

12日    ●「ス」政府は、キリノッチへのアクセスを認めてほしいとのノルウェーの要請を却下。

13日    ●人権理事会にて「ス」のUPR審査報告書採択。「ス」政府は、80項目以上の提言の内45項目については受け入れ、26項目は好意的に検討、19項目については全く受け入れられない旨表明。 アジア、アフリカ諸国が「ス」政府の人権改善に向けた努力を評価する一方で、西欧諸国が人権侵害事件の増加を取り上げ、「ス」政府を厳しく非難。日本は、「ス」政府の人権問題改善に向けた努力は一応評価しつつも、批判的なトーンも加え、更なる努力が必要であるとの見解を表明。
●ナデーサンLTTE政治部長は、南部におけるテロ事件へのLTTEの責任を否定するとともに、政府軍が北部の一般市民を攻撃している旨主張し、ジャフナ等の政府支配地域からタミル人を解放することがLTTEの目標であると発言。また和平交渉再開のためには停戦合意下で認められていた交渉当事者間の勢力の均衡性及び地位の対等性を再確認することが必要であり、ノルウェーの仲介も必要であると主張。
●12日~13日、ボーゴラガマ外相がタイを訪問。スントラウェート首相表敬及びパッタマ外相との外相会談を実施し、二国間及び地域協力の推進、テロ対策の強化等につき合意。

14日   ●選挙管理委員会は、北中央州及びサバラガムワ州の州評議会選挙の立候補者受付を6月27日~7月4日にかけて行うことを発表。
●LTTEが19日(木)及び20日(金)にジャフナタウンに対し猛攻撃をかけ、LTTE支配地域  と化す計画を立てているとの見方が一部国民の間に広まる。

16日   ●午前7時10分頃、ワウニア県SSPオフィス(警察施設)前においてLTTEによると見られるオートバイによる自爆テロが発生し、警察官12名が死亡し、警察官21名及び市民4名(学生2名)が負傷。
●「ラ」大統領は、グナワルダナ都市開発・聖域開発大臣を、4月6日にLTTEのテロによって フェルナンドプッレ大臣が死亡したことにより空席となっていた政府院内総務に任命。
●15-16日、「ボ」外相が訪印し、マンモハン・シン首相表敬及びムカジー外相との会談を  実施。第15回SAARC首脳会議の招待状を両者に手交した他、首脳会議の議題、「ス」情勢   等につき会談。
●カナダ政府は、トロントに根拠地を置くLTTE関連団体「世界タミル運動」 (World Tamil      Movement) を国内の反テロ法に基づき非合法化。
●ヨハンセン・ノルウェー外務副大臣は、同国の「ス」への関与は現在も継続しており、今後も           変わることはない旨述べるとともに、「ス」民族問題について、国の領土的一体性を維持しつ     つ、タミル人の不平を取り除き且つ全てのコミュニティが受け入れ可能な政治的な方法によ      って解決がなされるべきである旨発言。

17日   ●フォンセーカ陸軍司令官がジャフナを訪問。

18日   ●イタリアにおいて、警察によりLTTE要員と見られる33名が逮捕。

19日   ●バジル・ラージャパクサ大統領首席顧問は、新たな停戦合意の可能性について否定的な見解を表明。

20日   ●20日~22日、印よりナラヤナン国家安全保障顧問、メノン外務次官、シン国防次官の3名が訪「ス」し、「ス」政府側(「ラ」大統領、ゴダバヤ・ラージャパクサ国防次官、バジル・ラージャパクサ大統領首席顧問、ウィーラトゥンガ大統領秘書官)及び政党関係者と会談。政府関係者との間では第15回SAARC首脳会議及び「ス」民族問題につき意見交換。
●最高裁は、北中央州及びサバラガムワ州評議会選挙の実施が憲法に反するとしていた野党UNP及びSLMCの提訴を却下し、選挙実施は憲法に反しないと判断。

22日   ●国際ジャーナリスト連盟を中心とする国内21団体が、「ス」報道の自由を求め、国連として 「ス」政府に対し然るべき圧力を行使することを要請する書簡を国連事務総長宛に発出。

23日   ●フォンセーカ陸軍司令官がワウニヤを訪問。
●イスラエル外務省は、「ス」政府からの要請により、LTTEのようなテロ組織の放送を行わないことを決定。

24日  ●CoIのネサイア委員が辞任。
●政府軍がマドゥ北部16kmに位置するLTTE支配地域であったペリヤマドゥを奪取。
●カルナニディ印タミルナドゥ州知事及びヴァイコMDMK指導者発が、「ス」情勢への懸念を   表明及び印政府の然るべき対応を要請するマンモハン・シン首相宛書簡をそれぞれ発出。

26日    ●フォンセーカ陸軍司令官がワウニヤの野戦病院を訪問。

27日    ●北中央州及びサバラガムワ州評議会選挙の立候補者届出受付開始。
●政府軍はワウニヤ県内チラッディクラムにあるLTTEの第54基地を奪取。
●インド情報局は、LTTEがバンガロールとムンバイから爆薬の原料を入手していると発表。

29日  ●政府軍がマナーにおけるLTTEとの激しい戦闘の末、戦略的に重要なライスボール地区1  20平方キロメートルを獲得。
●フォンセーカ陸軍司令官がヤーラ地区を訪問。

30日  ●政府軍は、マナー正面の第58師団及びワウニヤ正面の第57師団を連結し、これまでで   最大の前線を構築。
●ペレーラ警察長官の後任としてウィクラマラトネ新警察長官が任命。なお、「ペ」長官          は北部州知事に転出することが決定。
●ムライティブ県トゥヌカイ郡行政長がクレイモア爆弾により殺害。
(了)  


 

スリランカの主な出来事(2008年5月1日-5月31日)

1日 ●政権党SLFP(スリランカ自由党)、「ス」東部アンパーラ県においてメーデーの集会を開催。SLFP総裁のラージャパクサ大統領は、東部州評議会選挙及び北部の解放について重点を置き演説を行った。州評議会選挙について「ラ」大統領は、「政府への一票は、平和と発展への一票であり、野党への一票は、プラバーカランLTTE指導者への支持を示すものである。我々は、東部地域の開発を進めていく上で、あなたたちの支援を必要としている。あなたたちは、『プ』指導者が再び東部地域に戻ってくることを決して望んでいないはずである」と聴衆に呼びかけた。北部の解放につき「ラ」大統領は、評議会選挙における政府の勝利は、LTTEの脅威から北部を解放するために闘っている政府軍を更にエンカレッジさせるものである旨強調し、東部地域と同じように、北部地域も解放するためには、東部地域の住民による支援が是非とも必要である旨強調した。

4日  ●フォンセーカ陸軍司令官、パキスタン訪問(-11日)。

5日  ●昨年6月、警察がコロンボ市内に下宿する北・東部及び高地出身のタミル人約  
300名以上を強制退去させた事件が発生し、最高裁が救済措置を取った事案に関し、最高裁は、かかる行いは基本的権利の侵害であり、二度と繰り返してはならないとの判決を下した。

6日  ●「ラ」大統領は現行憲法第70条(1)(当館注:「大統領は、随時、公布により国会を召集し、停会し、かつ解散することができる」)に沿って、6日深夜12時を以て停会を閉会した(当館注:次回は6月5日に開会する予定)。
●国会において「テロ取り締まりに関する緊急事態令」が更に1ヶ月延長されることが、賛成76票、反対17票で承認された。政府与党に加え一部のJVP(人民解放戦線)が賛成し、TNA(タミル国民連合)は反対、UNP(統一国民党)は棄権、SLMC(スリランカ・ムスリム会議)は欠席した。また、緊急事態令延長についての国会審議において、ウィクラマナーヤケ首相は、4月における戦闘の死傷者数として、政府軍120名及び一般市民56名が死亡し、政府軍945名及び一般市民145名が負傷した旨発表した。
●故バンダラナイケ国家遺産大臣及び故フェルナンドプッレ・ハイウェー・道路開発大臣のSLFP(スリランカ自由党)国会議員ポストに、サラナ・グナワルダナ氏及びドゥリップ・ウィジェセーカラ氏がそれぞれ任命される。
●2006年後半~2007年前半にかけてコロンボ市内及び郊外において多発していた身代金目的の誘拐、恐喝及び殺害事件に関し、2007年6月21日、CID(犯罪捜査局)がこれら一連の事件の主犯とされるガジャナヤケ元空軍少佐を逮捕した事案に関し、司法長官事務所は「ガ」元空軍少佐及び他4名の容疑者(うち2名は警察官)を起訴した。
●災害管理・人権省は、「逮捕・勾留・誘拐ホットライン(Arrest, Detention, Abduction Hotline)」の設置を発表した。サマラシンハ災害管理・人権大臣は、司法長官事務所、警察、政府軍及び災害管理・人権省の高官と協議を重ねた結果、本ホットラインの設置を決定した。

7日  ●ボーゴラガマ外相、ニューヨークにおいて潘基文国連事務総長と会談を行う。また、滞在中にUNICEF及びUNDP関係者との意見交換も行った。

9日  ●「ラ」大統領、英訪問(-15日)。

10日 ●東部州3県の982,721名の有権者の内、646,456名が投票し(内591,676票が有効、54,780票が無効)、政府UPFA(統一人民自由連合)が308,886票(52.21%)、野党UNPが250,732票(42.38%)、野党JVPが9,390票(1.59%)、TDNA(政府系タミル政党の連合体)が7,714票(1.30%)獲得した。投票率は65.78%。
アンパーラ県(定数14)では、UPFAが144,247票(8議席)、UNPが121,272票(6議席)獲得、バティカロア県(定数11)では、UPFAが105,341票(6議席)、UNPが58,602票(4議席)、TDNAが7,714票(1議席)獲得、トリンコマレー県では、UNPが70,858票(5議席)、UPFAが59,298票(4議席)、JVPが4,266票(1議席)獲得し、東部3県において、UPFAは18議席、UNP15議席、JVP1議席、TDNA1議席となり、UPFAが最も多い得票を得たためボーナスシート2議席を獲得し、20議席となり、今次選挙は政府側が勝利した。
「ラ」大統領は、ステートメントを発出し、今次選挙が平和裡に実施されたことは、今年3月の東部バティカロア県地方選挙に続くものであり、政府が実施してきた政策、つまりLTTEを東部地域から駆逐し、東部地域住民に民主主義を享受させるということが正しいものであったことを示している、また、今回、東部地域住民が政府を支持したということは、彼等がLTTE支配との決別を明らかにしたというべきであり、引き続き、政府としては、テロリズムを打ち砕くことによって和平を実現する、民主主義を強化しつつ開発を進めていく所存である旨明らかにした。
●「サ」災害管理・人権大臣を団長とする代表団、13日に行われるUPR(普遍的・定期的レビュー)審査のためにジュネーブへ。

12日 ●JVPの反主流派を率いるウィーラワンサJVP国会議員及びグナティラカ国会議員(当館注:1年程前までJVP所属国会議員であったが現在はUPFA所属議員)は、選挙管理委員会に対し、新たな政党(国民自由戦線:National Freedom Front)の申請を行った。
●「ボ」外相、英連邦閣僚会議(於:英)に出席。

13日 ●国連人権理事会においてUPR(普遍的・定期的レビュー)審査実施。各国より「ス」に対し、IIGEP(独立国際有識者グループ)離脱問題、児童徴兵問題、東部州評議会選挙の結果とTMVP(タミル人民解放の虎)の動向、メディアの自由、誘拐・失踪・法の枠外の殺害等の人権侵害事件等についての質問がなされたものの、サマラシンハ災害管理・人権大臣率いる「ス」政府代表団は、LTTEのテロという困難に直面しつつも、政府としては出来る限りの努力をしているとの説明を行った。
また、デ・シルバ司法長官は、現在の「ス」の人権状況について、誘拐・失踪・法の枠外の殺害等人権侵害事件が発生しているが、その大きな要因は残虐なテロリストが存在しているためである、しかしながら、政府としては、問題の解決に向けて大統領事実調査委員会や人権委員会等と連携して、犯罪者に着実に法の裁きを課すべく努力している旨説明を行った。
●午前8時頃、ポイントペドロ(当館注:ジャフナ市より北東約32kmの沿岸)において、ダグラス・デーワナンダ社会福祉大臣・EPDP党首の顧問が、武装集団3名により自宅において発砲され、病院へ搬送中のところ死亡。

14日 ●「ウィ」JVP国会議員ら、新政党国民自由戦線(NFF)の立ち上げ式を執り行う。
●印内務省、LTTEに対する非合法化措置を5月14日から更に2年間延長することを決定した旨のプレスリリースを発出。同省関係者は、「LTTE非合法化措置延長につき、LTTEは依然として印の主権や領土的一体性を脅かし、実際に侵害している団体であり、印の一般市民に対しても印の主権を脅かす行動をさせているために今次決定がなされた」旨説明。   

16日 ●「ラ」大統領は、TMVP党首のシバネーサトゥライ・チャンドラカンタン、通称ピラヤンを東部州首席大臣兼財務大臣に任命したほか、農業、教育及びハイウェーの各州大臣を任命し、同日大統領府にて宣誓式が行われた。
「ラ」大統領は、宣誓式における演説の中で、東部州評議会は全国の民主主義の手本となるよう、民族を超えて団結し、「ス」人として物を考えなければならない、(紛争の)政治的解決は机上や憲法の中だけでなく、市井の人々の中から発展しなければならず、だからこそ我々の政府は、状況に応じて軍事的又は政治的解決が可能な政府なのであり、必要な場合は政治的解決を採用することができるということを世界に示したと述べた。
また、「ピ」首席大臣は、宣誓後の演説の中で、東部州の人々は我々に対し、武力闘争を止め民主主義の道を選ぶべしとのマンデートを与えた、東部州は多文化・多言語・多宗教であり、新たに選ばれた州評議会議員は、既に優先課題を特定していると述べた。
●午後12時5分頃、コロンボ市内フォート地区のサンボーディ寺院の前において、警察官を搬送中のバスに対し、爆弾を積載したオートバイが体当たりをして自爆した。これにより市民2名を含む10名が死亡し、95名以上が負傷した。「ラ」大統領は、本事件はLTTEによる野蛮で卑怯な行為である、本件によりLTTEが暴力とテロにコミットしており、民主主義及び人権を完全に侮辱していることが改めて世界に示された旨激しく非難するとともに、国民に対し、政府軍によるテロとの闘いを支援するためにも、LTTEの挑発に乗らず落ち着いて対応するよう呼びかけた。

19日 ●ウィクラマシンハ野党UNP総裁、GSPプラスの交渉を行うため独へ。

20日 ●バルラージLTTE准将、心臓発作により死亡(享年43歳)。

21日 ●国連人権理事会選挙が実施される。「ス」はアジア枠4議席を目指してパキスタン、バーレーン、東チモール、日本及び韓国と共に立候補するも、落選。各国の選挙結果については、日本は155票を獲得し、アジア・グループではトップであり、次いでバーレーンが142票、韓国が139票及びパキスタンが114票を獲得した。「ス」及び東チモールはそれぞれ101票及び92票獲得するも、落選した。

22日 ●ヒスブッラ東部州評議会議員、東部州保健大臣に就任。
●正午頃、「ス」東部バッティカロア県カッタンクディにおいて、シャンタンTMVP幹部及び警護要員が何者かに銃撃され死亡。同地域はムスリム住民が多数を占める地域であり、事件発生直後、怒ったTMVP要員が同県アリヤンパティ地域でムスリム住民を銃撃し、住民3名が死亡した。同日中に警察及びSTF(警察特殊部隊)の展開により事態は鎮静化したが、警察は同地域に無期限の外出禁止令を発令した。
●国連安保理における「ス」人権状況についての議論(31日ディリーニューズ紙、1日ネイション紙、2日デイリーニューズ紙及びアイランド紙)
25日、国連安保理において「紛争下の市民の保護」についての議論がなされ、同議論の際に、ホームズ事務次長(人道問題担当)は、「ス」では、今年に入って既に200名近く、ここ1週間でも20名以上の市民が死亡する事件が発生しており、こうした非人道的な行いを強く非難する旨述べた。

26日 ●コロンボ地裁は、2005年8月に暗殺されたカディルガマール元外相暗殺事件の容疑者として拘留されていた6名の容疑者について、司法長官事務所からの指示も受けて、全て釈放することを決定した。
●午後4時55分頃、コロンボ市に隣接するデヒワラ市(当館注:コロンボ市より南へ約10km)のデヒワラ駅において、カルタラ県パーナドゥラ(当館注:デヒワラよりさらに南へ約17km)行きの役所勤務を終えた人々で満員の通勤列車が爆発をし、少なくとも8名が死亡し、70名以上が負傷した。警察の調べによると、小包に入った時限式爆弾2kgが列車内の網棚に仕掛けられていたと見られており、先頭車両が駅から100m程度進んだところで、12両中5両目の列車が爆発をした。
●SAARC加盟国を順次訪問している「シャ」事務局長が訪「ス」し、「ラ」大統領を表敬、ボーゴラガマ外相及びコホナ外務次官と会談。

27日 ●JVP党大会が開催され、アマラシンハ指導者、シルバ幹事長が留任し、最近JVPを離脱したウィーラワンサ議員の広報部長のポストにヘーラット議員が任命され、ヘーラット新広報部長が誕生した。

29日 ●欧州諸国訪問から帰国した「ウィ」総裁がコロンボ市内で記者会見を行い、UNPは 国会内で報道の自由を確保するために全力を尽くす旨述べるとともに、街頭に出       て、報道関係者の基本的権利である報道の自由を呼びかける運動を開始すること     を明らかにした。

30日 ●6月2日~5日にローマで開催される世界食糧サミットに出席するため、「ラ」大統   領がローマに向けて出発。

31日 ●バドゥッラで開催された第24回の「ス」全州首席大臣会議において、各州の首席    大臣は、第13次憲法修正の完全実施により地方への権限委譲を図るという政府       の政策を支持した。また、初参加のチャンドラカンタン(ピラヤン)東部州首席大臣      は、東部地域のタミル人の希望する民族問題解決のためには第13次憲法修正の      完全実施が必要不可欠であるとの見解を示すとともに、次回の全州首席大臣会合   は、「チャ」首席大臣が議長を努め、バティカロアで開催されることが決定された。
●ウィターラナAPRC委員長は、「ラ」大統領がAPRCプロセスにTMVPを関与させて  いくことに合意した旨明らかにした。

(了)  


 

スリランカの主な出来事(2008年4月1日-4月30日)

1日  ●ウィクラマシンハ野党UNP(統一国民党)総裁とハキームSLMC(スリランカ・ムスリム会議)総裁が会談を行った結果、両政党は連立を組み、5月10日に実施される東部州評議会選挙に参加することに合意した。なお、バティカロア県のSLMC選挙区責任者であるM.L.A.ヒズブッラ氏は政権党UPFA(統一人民自由連合)の下、今回の州評議会選挙に立候補することに決定した。

    ●訪英中のボーゴラガマ外相、ミリバンド外相と会談を行う。

2日  ●「ハ」SLMC総裁を含む3名のSLMC議員が国会に辞表を提出し、国会議員のポストを退いた。「ハ」総裁は各紙の取材に対して、政府は武装グループのTMVP(タミル人民解放の虎)と連立を組むことにより、東部地域における民主主義を重大な危機に晒している旨主張し、かかる国家テロリズム(state terrorism)から東部住民を保護し、同地域に平和と民主主義を回復させるために、今回自分(「ハ」総裁)は国会議員を辞めて州評議会選挙に出馬することに決定した旨説明した。

    ●TNA(タミル国民連合)は「東部州評議会選挙に関するステートメント」と題するプレス・リリースを発出し、今回の選挙に対するTNAの見解を説明すると共に、選挙には参加しない旨明らかにした。

 

3日  ●東部州評議会選挙の立候補者届出が終了。今回の選挙においては、1,342名が35議席を巡り競争することなる。トリンコマリー県においては、16の政党及び 19の独立グループが届出を提出し、バティカロア県においては14の政党及び16の独立グループ並びにアンパーラ県においては14の政党と26の独立グループがそれぞれ届出を提出した。

●野党UNP、生活必需品の高騰等について抗議を行うために、反政府デモ集会を全国的に開始する(当館注:全国150の選挙区のうち120カ所で実施予定)。

 

5日  ●英政府の招待を受けて、APRC(全政党代表者委員会)の代表団が、アイルランド及びウェールズにおける権限委譲及びガバナンス等のあり方につき学ぶために英訪問(-12日)。

 

6日  ●午前7時45分頃、ガンパハ県ウェリウェリヤにおけるシンハラ・タミル新年祝賀式典の一つとして企画されたマラソン大会のスターターとして招待されていたフェルナンドプッレ・ハイウェー・道路開発大臣が、LTTEの男性要員の自爆テロにより暗殺され、同大臣を含む14名が死亡し、90名以上が負傷した。

 

7日  ●2006年8月に「ス」東部ムトゥールで起きたACF現地職員17名殺害事件に関し、ACFの弁護人が本事件の調査・捜査を行っているCoI(大統領事実調査委員会)に対して、今後の調査・捜査プロセス及び一般公聴会において自分(同弁護人)は被害者の親族の代表を務めていくが、ACF職員は一切関わらない旨告げた。

      ACFが「ス」から撤退したことにつき、サマラシンハ災害管理・人権大臣は、「そのような決定がなされたことについて誰も口を挟むことは出来ない、また、ACFはCoIが真摯に対応していないとして非難しているが、そうであれば、CoIより十分な説明を受けるべきであったが、(撤退前に)そのようなことはなされなかった」旨指摘した。

 

8日  ●国会においてウィーラワンサJVP(人民解放戦線)広報部長は約1時間に亘り、自身の罷免騒動に関する特別演説を行った。本演説において「ウィ」広報部長は、3月21日に開催されたJVPの中央執行委員会において自分(「ウィ」広報部長)の罷免が決定されたそうであるが、同委員会には自分が欠席していたことを挙げ、最終的な決断については未だ通知されていないものの、本人が不在である場において、何故かかる重要な決定が行われたのか、また、今まで自分の人生を捧げてきたJVPにより何故こうしたひどい仕打ちを受けなくてはならないのか、驚きを覚えると共に理解に苦しむ旨主張した。

    ●国会において、キトゥルゴダ氏の国会事務局長代理選任問題について、与野党間において激しい議論が行われた。ロクバンダーラ国会議長は2回の停会を余儀なくされたが、最終的には、「キ」氏の任命は「代理」としての任命であることから違憲ではなく、ラージャパクサ大統領が「キ」氏を「代理」として任命したことは、同大統領が憲法委員会を尊重していることを示すとの見解を示した。

 

9日  ●「ラ」大統領、「ボアオ・アジア・フォーラム」において基調演説を行うために、中国海南島を訪問(-12日)。「ボ」外相、ピーリス輸出振興・国際貿易大臣、コホナ外務次官及びウィーラトゥンガ大統領秘書官らが同行する。

    ●「テロ取り締まりに関する緊急事態令」が更に1ヶ月延長されることが、賛成93票、反対15票で承認された。政府与党に加え一部のJVP議員が賛成し、TNAは反対、UNPは欠席した。また、緊急事態令延長についての国会審議において、ウィクラマナーヤケ首相は、3月における戦闘の死傷者数として、政府軍93名及び一般市民38名が死亡し、政府軍686及び一般市民21名が負傷した旨発表した。

     ●災害管理・人権省はプレス・リリースを発出し、TMVPが児童兵11名を解放し、政府側が彼等を引き受け、関係当局に対して社会復帰プログラムを即刻実施するよう要請した旨発表した。同プレス・リリースは、政府はTMVPによるコミットメントを評価するとし、かかる行いは、TMVPが民主的な主流へと移行していることを明確に示している旨指摘すると共に、「ス」政府は、武力紛争下の児童に関する国連作業部会を含む、国際場裏の場において約束してきた本件問題への取り組みに強くコミットしており、「ス」政府は、武力紛争下の児童の解放及び社会復帰に向けた具体的な措置を取っている旨強調した。

 

10日  ●「ラ」大統領、胡錦涛国家主席と会談を行う。

●「ボ」 外相、楊潔チ外交部長と会談を行う。

 

11日 ●「ラ」大統領、ムシャラフ・パキスタン大統領と会談を行う。

 

12日 ●「ラ」大統領、「ボアオ・アジア・フォーラム」において基調演説を行う。

●バイラ副外相、民主主義、開発及び自由貿易に関する第8回ドーハ・フォーラムに出席するため、カタール訪問(-16日)。

13日 ●シンハラ・タミル正月。「ラ」大統領、国民向けの祝賀メッセージにおいて、「約20年間に亘りテロリズムにより抑圧され続けてきた東部地域の住民が、家族と共に新年を祝福している姿を見ることは、最も幸運な出来事である」旨述べる。

 

14日 ●セナラトネ建設・工学サービス大臣、ノルウェー訪問(-24日)。滞在中にソルハイム・ノルウェー前「ス」和平特使(現開発協力大臣)、クレッパ地方政府大臣及びソルバーグ保守党党首等と会談を行う。

 

15日 ●IIGEP、第6回パブリック・ステートメント(最終)を発出。本ステートメントにおいてIIGEP側は、①CoIの調査・捜査活動における利害の対立、②効果的な証言者・被害者保護システムの欠如、③透明性の欠如及び調査・捜査活動の遅滞、④政府系機関による協力の欠如、⑤CoIの財政的独立性の欠如を問題点として挙げ、EP(有識者)は、非常に難しい状況の中、これまで出来る限りの努力を行ってきたが、IIGEPは、然るべき検討を重ねた結果、残念ながら、「ス」における活動を終了することに決定したとし、2008年3月末日を以て、CoIによる活動をオブザーブするという役割を終了し、4月末日を以て「ス」における活動を終了することに決定した旨明らかにした。

      なお、CoI及び司法長官は、本パブリック・ステートメントに対する反論を別途発出した。

 

19日 ●「ウィ」野党UNP総裁、国際議員連盟総会に出席するため豪へ。

 

20日 ●キャンプ国務次官補代理(南アジア担当)、訪「ス」(-22日)。「ス」滞在中に、「ボ」外相、「サ」災害管理・人権大臣、ゴタバヤ・ラージャパクサ国防次官、ガムラット法務省次官等の政府要人、政党関係者及び市民社会の代表と会談を行った。

 

22日 ●「ス」北部ジャフナにおけるムハマライ及びキラーリ防衛線に展開していた政府軍

~23日 に対し、LTTETEが攻撃を実施。23日午前5時30分頃、LTTEが攻撃を実施したところ、政府軍は、LTTEの第1次防衛線に対し猛反撃を行い、同周辺地域400~500mを奪取し戦果の拡張を図った。引き続き、政府軍が第2次防衛線を奪取しようと試みたところ、LTTEは砲迫火力によりこれに応戦した。政府軍側は、今次戦闘により、LTTE要員およそ200名が死亡、400~500名が負傷し、政府軍兵士については、43名が死亡、89名が重傷、80名が軽傷及び33名が行方不明となった旨主張。他方、LTTE側は、本戦闘により100名以上の政府軍兵士が死亡し、400名以上が負傷した他、LTTEについては16名のみ死亡した旨主張。

 

24日 ●数ヶ月に亘る激しい戦闘の末、政府軍は戦闘を行わずしてマドゥ教会区域に到達し、同地域が政府軍支配地域となる。

●TMVP、28名の児童兵を解放。モウラーナTMVP報道官によると、これら28名の児童兵は政府関係当局に引き渡され、うち20名は親元に戻り、残りの8名は孤児のため、コロンボにおける社会復帰施設に収容され、今後職業教育訓練等に従事する予定である由。「モ」報道官は、「TMVPは、東部州評議会選挙が実施される5月10日までに全ての児童兵を解放できるように努力する」と述べた(当館注:当地UNICEF事務所が毎月更新しているLTTE及びTMVPによる児童徴兵に関するデータによると、3月31日現在、TMVPの下には131名の児童兵が未解放のままとされている)。

●シュリ・ヤシュワント・シンハ前印財務大臣、訪「ス」。

 

25日 ●午後6時42分頃、コロンボ南部郊外(コロンボ市中心より約18キロメートル)に位置するピリヤンダラ町のバス停付近において帰宅途中の会社員、学生等で混み合った国営バスが、同バス中央部の荷棚に設置されたと見られる小型爆弾により爆破され、市民26名が死亡し、約60名が重軽傷を負った。

 

27日 ●「第7回英連邦青年閣僚会議」がコロンボ市内で開催される(-30日)。40ヶ国から約30名の閣僚が参加する。なお、本会議に合わせてシャルマ・英連邦事務局長が来「ス」し、「ラ」大統領及び「ボ」外相等と会談を行う。

     ●午前1時43分頃、キリノッチ県イラナマドゥより離陸したと見られるLTTE小型航空機2機(当館注:チェコスロバキア製Zlin Z-143)が、政府軍の防衛線後方に位置するウェリオヤ軍本部に1発及び223旅団本部に2発、合計3発の爆弾を投下するも、死傷者もなく、また装備等についても損耗は出なかった。

 

28日 ●東部州評議会選挙の郵便投票が実施される(-29日)。東部州3県において郵便投票を行う有権者数は22,412名(当館注:全体の有権者数は982,721名)であり、その内訳は、バティカロア県が4,427名、アンパーラ県が9,468名及びトリンコマリー県が8,517名となっている。

●アフマディネジャード・イラン大統領、訪問(-30日)。同日「ラ」大統領と首脳会談を行う。本会談において両首脳は、二国間及び地域的問題を含む広範囲な協議を行った。会談終了後、①政治的協議メカニズムの設置、②イラン政府による対「ス」開発援助、③サプガスカンダ石油精製所施設の拡大プロジェクトに対する資金支援、④ウマオヤ水力電気プロジェクトに対する資金支援、⑤マヒンダ・ラージャパクサ・スポーツ基金及びモスタザファン基金の間におけるスポーツ交流に関する5つのMoUが署名され、引き続き共同記者会見が行われた。

 

29日 ●「ア」イラン大統領、ウマオヤ水力電気プロジェクトの定礎式に参加した他、サプガスカンダ石油精製施設の拡大プロジェクトの視察を行う。

     ●「ボ」外相、モッタキ・イラン外相と会談を行う。

     ●記者会見において「ウィ」広報部長は、自分たちはJVP指導部と話し合いを通じた解決を望んでいるとし、JVP指導部側が話し合いに応じる意向があれば、5月1日までにその旨を明らかにする必要がある、さもなければ、自分たちは新たな党を結成すると通告した。

 

30日 ●閣議において、北部における再定住、復興を含む、同地域の開発に関する特別タスクフォースを設置することに決定。同委員会は、デーワナンダ社会福祉大臣、バディユディーン再定住・災害救援サービス大臣及びラージャパクサ大統領首席顧問の3名から成る。

 

 

  (了)  


 

スリランカの主な出来事(2008年3月1日-3月31日)

2日  ●フォンセーカ陸軍司令官、カプール印陸軍参謀総長の招待により訪印(-8日)。

3日 ●第7回国連人権理事会開催(-28日)。

     ●2005年8月以降に起きた「ス」国内で起きた16件の重大な人権侵害事件の調査を行っているCoI(大統領事実調査委員会)が、仏系NGOのACF現地職員17名殺害事件(当館注:2006年8月)の一般公聴会を開始。本公聴会にはバグワティIIGEP(独立国際有識者グループ)委員長が同席した。

5日  ●「テロ取り締まりに関する緊急事態令」が更に1ヶ月延長されることが承認される(賛成:102票、反対:14票)。政府与党に加え、JVP(人民解放戦線)が賛成し、TNA(タミル国民連合)は反対、UNP(統一国民党)は棄権し、SLMC(スリランカ・ムスリム会議)は欠席した。なお、デ・シルバ保健大臣は、2月の死傷者数として、  104名の政府軍兵士が死亡、882名が負傷し、一般市民については80名が死亡し、201名が負傷した旨報告した。

6日  ●午後1時20分頃、ワウニヤ県北部カナガラヤンクラム(当館注:オマンタイから北へ約25km)において、シバネーサンTNA議員が、キリノッチ県マラビにある自宅へ車両にて向かう途中、クレイモア地雷攻撃を受け運転手と共に死亡した。

    ●IIGEPが第5回パブリックステートメントを発出。また、CoI及びデ・シルバ司法長官が本パブリックステートメントに対する反論を発出。IIGEPは本パブリックステートメントにおいて、「EP(有識者)は、非常に難しい状況の中、これまで出来る限りのことはしてきたが、今後、『ス』における人権の保護と強化にIIGEPが更なる貢献を行うことは出来ないものと判断し、残念ながら、『ス』における活動を終了することに決定した」との結論を指摘した。

7日  ●災害管理・人権省がIIGEPによる第5回パブリックステートメントに対する反論を発出し、今次IIGEPによる活動終了の決定について、かかる決断は「軽率」な決断であり、残念である旨表明すると共に、IIGEPによるパブリックステートメントが「故意に」第7回国連人権理事会の開催に合わせて発表された旨指摘した。

9日  ●当地タミル語紙等において、6日にLTTE支配地域内でクレイモア地雷の爆発により死亡した「シ」TNA議員の葬儀にプラバーカランLTTE指導者が出席した旨写真と共に報じられる。なお、「プ」指導者は葬儀の後にTNA国会議員らと会談を行った。また、TNA国会議員団はナデーサンLTTE政治部長とも会談を行った。本会談において同部長は、仮に政府が和平協議再開の用意ができていれば、自分たちもその用意はあるが、そのためには協議を行うのに適した環境、即ち停戦が必要であるとし、LTTEは国際社会に誠意を示すために、停戦し、協議を再開する用意ができている旨伝えた。更に、「ナ」政治部長は、国際社会に対して民族問題の政治的解決に向けたコミットメントを示すために、LTTEは防御的な戦闘を行っているが、政府による軍事的解決政策に対する国際社会の反応次第でLTTEは攻撃的な戦略を検討する可能性もある旨伝えた。

10日 ●「ス」東部バティカロア県において地方議会選挙が実施される。全体の投票率は 56%であり(当館注:政府系デイリーニューズ紙は60%であった旨報じている)、大きな事件が起きることもなく、概ね平和裏に投票が行われた。ラージャパクサ大統領は、投票終了直後にステートメントを発出し、全ての関係者の協力の下、平和裏に選挙を実施することができた旨謝意を表明し、今回の選挙を通じて、約20年間LTTEの脅威下に置かれていた東部地域の住民に民主的な権利を回復させることができたとし、参加政党及び独立グループの候補者に対して、様々な困難及び障害がある状況の中、立候補した勇ましさを讃えると共に、今次選挙において選出された代表者たちは、「ス」における民主主義の強化と深化に向けて歴史的な一歩を踏み出す先駆者である旨強調した。

今次選挙はバティカロア市議会及び8つの村議会において実施され、TMVP(タミル人民解放の虎、ピラヤン派の政党)が8つの村議会において圧勝し、バティカロア市議会においては政権党のUPFA(統一人民自由連合)が勝利を収めた。6つの政党及び22の独立グループから831名の候補者が101議席を巡り競い、結果として、TMVPが61議席、UPFAが15議席、SLMCが7議席、EPDP(イーラム人民民主党)が1議席及び独立グループが17議席獲得した。

なお、イランティラヤンLTTE軍事担当報道官は、今次選挙は現政権による、「民主主義の侵害(a rape of democracy )」と非難した。「イ」報道官は、自分(「イ」報道官)はバティカロア県出身であるが、同地域はパラミリタリー・グループの支援を受けている現政権により汚名を着せられたと主張した。

●午前6時55分頃、コロンボ市内のウェラワッタ地区の主要道路であるゴールロード上において、中央分離帯の花壇上に仕掛けられた爆弾が爆発し、市民1名が死亡し、学生等6名が負傷した。

●ピーリス輸出振興・国際貿易大臣、特恵関税GSPプラスの延長について協議を行うためにブラッセル及び英を訪問。

11日 ●CoIの調査対象事件となっているカディルガマール外相暗殺事件(当館注:2005年8月)に関し、コロンボ高等裁判所は、本事件を共謀し、実行犯とされるビノーダンなる人物を幇助した罪として、「プ」LTTE指導者及びポットゥ・アンマンLTTE諜報部長を含む6名のLTTE指導部要員を訴追することに決定し、逮捕状を出した。高等裁判所は公判日を4月2日に決定し、28名の証言者に対して本公判日について通知した。

14日 ●東部州評議会選挙の実施に関する官報が発出され、5月10日に選挙が実施され、立候補者届出の受付は27日から4月3日まで行われる旨公示される。

16日 ●バンダラナイケ前国家遺産大臣、死去(享年59歳)。「バ」前大臣は、2000年、   UNP政権下で国会議長を務めたが、2001年に与党側へクロスオーバーし、   2004年4月の政権交代後、外相を務め、2005年11月の「ラ」大統領就任後、観光大臣に任命された。以後、2007年1月に行われた内閣改造において国家遺産大臣に任命された(当館注:同年12月14日に行われた2008年度予算案に関する最終投票の際に、「バ」前大臣は野党側にクロスオーバーし、同閣僚ポストを辞任した)。

     ●EUトロイカ(EU議長国のスロベニア、次期議長国の仏及びEC)の代表団6名が、訪「ス」(-18日)。

17日 ●6月10日及び11日に行われる第7回EC・「ス」共同委員会に先駆けて、コロンボにおいて「ス」・EUトロイカ会議が行われる(-18日)。

     ●TMVPがAPRC(全政党代表者委員会)への参加表明を行っている件について、JHU(ジャーティカ・へラ・ウルマヤ)はTMVPの参加を支持し、今次地方議会選挙においてTMVPが民主的なメインストリームに入ったことが示された旨主張し、最終的な決断が行われるまでAPRCへの参加を一時停止することを決定した。

18日 ●UNP及びJVP、東部州における州評議会選挙に参加することを決定。

     ●大統領府において、今次地方議会選挙において選出された101名の議員の宣誓を祝福する式典が開催される。「ラ」大統領は、「民主主義がテロリズムを打ち負かし、一般大衆は自らの代表者を選出することができた」と強調すると共に、間もなく北部の住民も、東部の住民と同じように、自由と発展の権利を享受することができるであろうと述べた。

19日 ●1956年に「ス」に移住した、SF作家のアーサー・C・クラークがコロンボの自宅で死去(享年90歳)。

23日 ●ウィクラマナーヤケ首相、イスラエル、ヨルダン及びパレスチナ訪問(-28日)。

26日 ●英の「影の国防大臣」とされるリーアム・フォックス英保守党議員、来訪(-27日)。

28日 ●東部州における州評議会選挙の立候補者届出開始(-4月3日)。

30日 ●ボーゴラガマ外相、英訪問。

     ●英より全政党国会議員団が来訪(-4月4日)。

31日 ●IIGEP、プレス・リリースを発出し、CoIによる活動が国際的な基準に沿って行われているかにつきオブザーブするマンデートを2008年3月31日を以て終了した旨通知。

     ●英の全政党国会議員団、サンパンタンTNA国会議員団長及びアマラシンハJVP指導者等と会談を行う。

  (了)  


 

スリランカの主な出来事(2008年2月1日-2月29日)

1日  ●3月10日に実施される「ス」東部バティカロア県における地方議会選挙に向けて、TMVP(タミル人民解放の虎、ピラヤン派の政党)が、当地選挙監視NGOであるPAFFREL(People's Action for Free and Fair Election:自由・公正な選挙のための国民行動)の要請を受けて武器を捨てることに合意。

2日  ●午前6時57分頃、「ス」中央部マータレー県ダンブッラ市内において民間バスが爆発をし、女性及び児童を含む18名が死亡し、60名以上が負傷。

3日  ●午前10時30分頃、コロンボ市郊外デヒワラ動物園内において手榴弾が爆発をし、市民6名が負傷。
●午後2時15分頃、コロンボ市内フォート駅3番プラットフォーム構内において、自爆テロ事案が発生し、少なくとも12名が死亡し、103名が負傷。

4日  ●独立60周年記念式典が執り行われる。独立記念日直前の2日にはダンブッラでの一般市民の乗ったバスを狙ったクレイモア地雷爆破事件、3日にはフォート駅での自爆テロ事件が発生した直後にも拘わらず、ラージャパクサ大統領による演説は感情的にならずにこれまでのライン(テロリズムとは闘いながらも、北部・東部地域住民に自由をもたらすべく現実的な政治的解決方法として州議会制度に基づく権限委譲を推進していくこと)を繰り返すものであり、また、国際社会との関係について近隣及びアラブ諸国や仏教の諸国と新たな関係の構築に言及した上で、欧米の動向には触れずに、国際社会からの経済協力は削減されていない旨強調した。
●15:45頃、ウェリオヤのコベカドゥワ・ジャンクション(当館注:アヌラーダプラ県の最北東端)において民間バスがクレイモア地雷攻撃を受け爆発し、市民15名が死亡し、17名が負傷した。なお、本事件の約2時間前に、モナラガラ県のブッタラ~カタラガマ道路上を移動中の軍のトラクターに対しクレイモア地雷攻撃があり、政府軍兵士1名が死亡し、2名が負傷した。
●コロンボ市郊外のマウントラヴィニアにあるアールウィス・プレイスにおいて爆弾が爆発したが、数個の家屋及び変圧器が僅かな損傷を受けたのみで、被害者はいなかった。

6日   ●「テロ取り締まりに関する緊急事態令」が更に1ヶ月延長されることが承認される(賛成:103票、反対:19票)。政府与党に加え、JVP(人民解放戦線)が賛成し、TNA(タミル国民連合)及びSLMC(スリランカ・ムスリム会議)は反対、UNP(統一国民党)は棄権した。

7日  ●国会においてCoI(大統領事実調査委員会)の権限強化を目的としたCoI改正法案が可決される。本改正法案が可決されたことにより、CoIは調査(inquiry)のみならず捜査(investigate)を行う権限も付与される他、委員全体の人数の半数以上が揃えば会合或いは一般公聴会を開催することも可能になり(当館注:現行法では委員全員が揃わなければ会合等を開催することができない)、CoIの調査・捜査活動の迅速化につながることが期待されている。また、本改正法案が可決されたことにより、司法長官は、CoIが独自に捜査した際に集積した証拠に基づいて各種犯罪事件の刑事訴訟を行うことも認められることになる。

9日  ●午後1時15分頃、アヌラーダプラ県からコロンボへ戻る道中、スーリヤラッチSLFP(スリランカ自由党)人民派議員が乗車していたトヨタのランドクルーザーがスリップし木と衝突し、同議員及び警護官2名並びに運転手が即死。

10日 ●ラメシュ印貿易・産業国務大臣、来訪(-14日)。

12日 ●ガユーム・モルディブ大統領、来訪(-14日)。同日、「ラ」大統領と会談を行う。
●武力紛争下の児童に関する安保理公開討論が行われ、クマラスワミ武力紛争下の児童担当事務総長特別代表が1月29日に発出された「児童と武力紛争」事務総長報告書の勧告の概要について説明を行った。「ク」代表は、行動計画の実施状況について、中央アフリカ、ミャンマー、スーダン、「ス」、ウガンダ及びチャドにおいて進展が見られたものの、LTTEを含む5つの当事者が児童に対する深刻な違反を継続的に犯している旨指摘し、安保理メンバー国に対してこれらの当事者に対して制裁を含む対象を特定した措置を取るよう求めた。

13日 ●「ガ」モルディブ大統領、ウィクラマナーヤケ首相及びボーゴラガマ外相と会談を行う。

14日 ●生活費の高騰等、「ス」国民が直面している喫緊問題について抗議するため、UNPが全国的なポスター・キャンペーンを開始。

17日 ●コソボ議会が「コソボ」の独立を宣言した件に関し、「ス」外務省はステートメントを発出し、「ス」政府は、コソボによるセルビア共和国からの一方的独立を支持しないとの立場を明確にした。

19日 ●TMVP、「ラ」大統領に対して書簡を送付し、東部州評議会選挙が実施されTMVPが政治勢力としての地盤を固めるまでAPRCを一時休止するよう求めると共に、州評議会選挙後、APRCへの参加を希望している旨伝えた。

20日 ●アンジェラ・ケーン国連政務局事務次長補、来訪(-26日)。訪問中に「ラ」大統領、「ボ」外相、ウィクラマシンハUNP総裁、アマラシンハJVP指導者等と会談を行う他、国連機関代表者、外交団、市民社会代表者等との意見交換及び「ス」東部バティカロア県への視察も行った。

21日 ●「ス」東部における地方議会選挙の郵便投票が実施され(-22日)、95%を超える投票率を記録した。大きな事件も起きず、極めて平穏に投票が行われた。
●9日の「ス」SLFP人民派議員の交通事故死により空席になった国会議員ポストに、サバラガムワ州知事であるレジー・ラナトゥンガ氏が就任。
●武力紛争下における児童の国連安保理作業部会において、「ス」の状況について取り上げられる。カリヤワサム駐国連代表部「ス」大使は、児童徴兵及び児童兵の使用を続けているLTTEに対して懲罰的な措置を取るよう要請した。政府は、本件問題に関する「ス」政府の取り組みの現状等について説明を行うために、デ・シルバ司法長官、コーダゴダ司法次官補及びガムラット法務省次官を派遣した。

22日 ●マヒンダ・ウィジェセーカラ特別事業大臣、郵便・通信大臣ポストに就任(当館注:郵便・通信大臣を務めていたハキームSLMC総裁が、昨年12月の予算案最終投票を目前に野党側へクロスオーバーしたことにより、以降、同ポストが空席になっていた)。その他に、ディラン・ペレーラ法務大臣(閣外)が湾港開発大臣(閣外)に就任し、バディベル・プトゥラシガマーニUNP議員(当館注:本来の所属はCWC(セイロン労働者会議)であるが、2004年総選挙でUNP傘下から全国区当選し、国会議席上はUNP議員となっている)が政府側へクロスオーバーし、司法・法改正副大臣に就任した。

23日 ●午前10時50分頃、マウントラビニア交差点で民間バスが爆破し、付近にいた18名が負傷。同バスはモラトゥワ発コロンボ行きの民間バスで、車内後部のシート上に不審なバッグがあるのを女性の乗客が発見し、数分のうちに20名の乗客が急いでバスを下車した直後に爆発したため、大惨事に至らなかった。警察は、事件後、同事件に関係する人物20名を逮捕したが、そのうちの3名の容疑が固まったとして改めて逮捕した。
●デ・シルバ保健大臣を団長に、ロクバンダーラ国会議長、アルトゥガマゲ電力大臣及びM.H.M.マハルーフUNP議員が英を訪問(-29日)。滞在中にキース・バス労働党議員を団長とする「タミル人の連帯のための国会議員団(Parliamentary Group for Tamil Solidarity)」及びシン・フェイン代表のジェリー・アダムズ氏等と意見交換を行う。

24日 ●カルワンクディ(当館注:バティカロア市西部約17㎞)においてTMVPの選挙集会が行われる数時間前に、LTTE要員が自爆テロ攻撃を行い2名のTMVP要員が死亡した他、付近にいた一般市民1名が負傷した。

26日 ●「ラ」大統領と「ウィ」UNP総裁が会談を行う。本会談において「ウィ」UNP総裁は、APRCの中間案において提案されている第13次憲法改正の完全実施について、UNPは全面的に協力する旨伝える一方、「ラ」大統領に対して第17次憲法改正の実施を求め、早急に憲法委員会を正常化するよう強く働きかけた。本会談については、与野党政党とも歓迎の意を表明し、前向きな反応を示したが、JVPにおいては批判的な反応を示し、今回の会談は印による強い要請の下実施された旨主張し、こうした印政府による「ス」内政干渉の「陰謀」に十分警戒する必要があると注意を促した。
●TMVPがAPRCへの参加表明を行っている件について、JHU(ジャーティカ・へラ・ウルマヤ)及びMEP(人民統一戦線)はTMVPの参加を支持し、最終的な決断が行われるまでAPRCへの参加を一時停止するとの立場を明らかにした。
●ティロン・フェルナンド大統領上級顧問・元外相、死去(享年67歳)。

27日 ●「ス」北部ジャフナ県出身のスリカンタTNA議員はデイリーミラー紙に対して、仮に政府側より、例えばA9道路(当館注:ジャフナに繋がる国道A9号線、同地域における政府軍とLTTEの戦闘が開始した2006年8月11日以降、封鎖されている)の再開といった前向きな通告があれば、TNAはLTTEに対して交渉のテーブルへ復帰するよう説得する準備ができており、LTTEもきっと前向きな反応を示すであろうと述べた。

28日 ●3月10日に実施される東部バティカロア県の地方議会選挙の選挙監視を行っているPAFFRELが最高裁に対して基本的権利訴訟の提起を行い、自由且つ公正な選挙を保障するために、被告人に対して(1)如何なる武装グループ乃至候補者も、選挙期間中に武器を携行することがないよう具体的な措置を取ること、(2)国及び公共財産の濫用を防ぐことを求めると共に、最高裁に対して(3)選挙関連の暴力事件が生じ、自由且つ公正な選挙が実施されなかった場合、選挙管理委員長が選挙の無効を宣言できるように、救済措置を取ることを求めた。

29日 ●午前6時頃、コロンボ市内のモデラ地区(コロンボ市北部)において、自爆テロ犯が潜伏しているとの情報に基づき、警察による家宅捜索が行われたところ、家の中にいた男性が爆弾で自爆し、捜索に入った警察官3名の他、周囲にいた市民4名が負傷した。本事件に関連して、警察特別チームは、LTTEと関係のある警部及び警察補助員を「ス」東部アンパーラ及びコロンボ市内のグランドパス地区でそれぞれ逮捕した。

 


 

スリランカの主な出来事(2008年1月1日-1月31日)

1日  ●午前9時45分頃、T.マヘーシュワランUNP(統一国民党)国会議員(当館注:ジャフナ出身のタミル人で、2001年12月~2004年4月のUNP政権下においてヒンドゥー問題担当閣外大臣を務めた。)がコロンボ市内のヒンドゥー寺院にて年始の宗教行事に出席していたところ、外部から侵入してきた男性1名が「マ」議員に対し小型ピストルを発砲し、頭部及び胸部に銃弾を受け、病院に搬送後間もなく死亡した。本事件において、「マ」議員の警護官2名及び付近に居た参拝客10名が負傷し、うち警護官1名が搬送先の病院で死亡した。また、現場から逃走しようとした実行犯も警護官による反撃を受け負傷した。

2日    ●閣議において、政府は停戦合意(CFA)を公式に終了することを決定した。同閣議において、ウィクラマナーヤケ首相は、LTTEによる夥しい数の停戦合意違反に鑑み、これ以上CFAを継続することに意味がないことから、政府としてCFAから正式に脱退すべきであるとの提案を行い、満場一致で承認された。
●午前9時30分頃、スレイブ・アイランド地区ニッポン・ホテル前において、陸軍兵
士13名を乗せた軍のバスがクレイモア地雷の爆発を受け、一般市民を含む28名が病院に移送され、うち4名(兵士1名、市民3名)が死亡、24名(兵士10名、市民14名)が負傷した。陸軍バスは、兵士を乗せ陸軍本部からコロンボ市内のナラヘンピタ地区にある陸軍病院へ向かう途中であった。

3日  ●「ス」政府、CFA第4条4項に基づいて、ノルウェー政府に対してCFA脱退の通報を行う。
●シャヒド・モルジブ外相、来訪(-4日)。

4日  ●選挙管理事務局、来る東部地域における地方議会選挙において18日から25日を立候補受付期間とする旨発表。
●「シャ」モルジブ外相、ラージャパクサ大統領、「ウィ」首相及びボーゴラガマ外相と会談を行う。

5日  ●2005年8月以降に起きた「ス」における重大な人権侵害事件16件の調査を行っているCoI(大統領事実調査委員会)が、調査対象事件の一つであるトリンコマリーにおけるタミル人学生5名殺害事件の一般公聴会を開始する(当館注:本事件に関する公聴会は、1月中に5回行われた)。

6日  ●2005年12月に「ラ」大統領の首席顧問(和平問題担当)として任命されたダナパーラSCOPP(政府和平プロセス調整事務局)前事務局長、辞表を提出する。
●「ス」北部マナー県において、LTTEの情報部門のNo.2とされるシャンムガナタン・ラビシャンカー(通称:チャールズ中佐)他、LTTE要員3名が、政府軍によって殺害される。同中佐は、コロンボ市内及びコロンボ市郊外並びにキャンディにおける情報作戦を担当していた。

7日  ●「ス」東部バティカロアにおいてピラヤン派がTNA(タミル国民連合)支持者1名を射殺(当館注:同様の事件が9日及び11日にも発生)。

8日    ●午前10時30分頃、コロンボ市郊外のジャ・エラ町(当館注:コロンボ市から北へ約15kmの地点。コロンボ市からコロンボ国際空港に行く途中の町)の国際空港へ通じる主要道路カトナヤカ・ロード上において、クレイモア地雷が爆発し、付近を車両にて走行中のD.M.ダサナヤカ国家建設大臣(当館注:閣外大臣)及び同大臣の警護官が重傷を負い、10名以上が負傷した。「ダ」大臣は後に搬送先の病院にて死亡。なお、「ダ」大臣の後任にはプリヤンカラ・ジャヤラトナSLFP(スリランカ自由党)議員が任命された。
●19時50分頃、コロンボ市内フォート地区におけるレイクハウス出版社の真向かいにあるリージェント・フラットに隣接した公衆電話ボックス内に設置された150グラム程度の時限式小包爆弾が爆発し、市民1名が軽傷を負った。尚、当地各紙においては、今次爆発事件が発生した数分前に、グナティラカ空軍司令官が帰宅のため同地域を通過していたことより、本爆発事件は同司令官を狙った可能性が高いとの論調で報じた。
●「テロ取り締まりに関する緊急事態令」が更に1ヶ月延長されることが承認される(賛成:103票、反対:15票)。政府与党に加え、JVP(人民解放戦線)が賛成し、TNAは反対、UNPは棄権した。

9日  ●「ラ」大統領、APRC(全政党代表者委員会)の委員及び与党政党代表者を招集し、APRCの最終案に関する特別会合を行い、ウィターラナAPRC委員長に対して23日までに最終案を提出するよう指示を出す。
●第17次憲法改正(当館注:2001年10月3日、国会にて議員総数の2/3を超える賛成多数で可決。大統領権限から独立した憲法委員会を設置し、憲法委員会に各種独立委員会の委員の任命を委ねることにより、各種委員会の独立性を高め、ガバナンスの向上を図ることが主目的とされた)の下設置された憲法委員会委員の指名を巡り、JVPとTNAとの間で論争が続き、2005年以降、同委員会委員の更新手続きが行われていなかったため機能不全に陥っていたが、JVPはTNAと和解し、マヤドゥンネ元会計検査官を憲法委員会の委員として指名することに決定した。これを受けてSLMC(スリランカ・ムスリム会議)及びCWC(セイロン労働者会議)も「マ」元会計検査官の指名に同意。
●ドダンゴダ司法大臣、国会においてCoI改正法案を提示し、同案を緊急法案として審議することを求めたが、野党UNP、JVP及びSLMCはかかる重要法案は先ず「司法・法律改正に関する国会諮問委員会」において審議されるべきであり、以後、国会において審議が行われるべきであるとの立場を主張し、10日に本案を諮問委員会で審議することで話が纏まった。

10日 ●ソルブバーグSLMM(スリランカ停戦監視団)団長、キリノッチにおいてナデーサンLTTE政治部長と会談を行う。「ソ」団長との会談後、「ナ」政治部長はタミル・メディアに対して、「LTTEはファシリテーターのノルウェー及び国際社会との良好な関係を維持していく」と述べた。
●LTTE和平事務局、政府によるCFA脱退を受けて「国際社会がタミル人による正当な闘争を認める時が来た」と題するステートメントを発出し、「LTTEは、このような状況下においても、CFAの全ての条項を実施し100%遵守する用意がある」と言明。また、同日、プリテーバンLTTE和平事務局長はロイター通信に対して、「仮に政府軍が全面的な戦争を嗾ければ、LTTEはそれに立ち向かう」と述べた。
●CoI改正法案について審議を行うために、「司法・法律改正に関する国会諮問委員会」が開催される。本改正法案について野党政党が幾つかの修正を提案し、これに対して政府与党が反対する等のやり取りはあったものの、概ねコンセンサスが形成される。

11日 ●19時45分頃、コロンボ市内フォート地区にあるフォート駅構内7番プラットフォームの階段下に仕掛けられた爆弾(約150g)が爆発をし、1名が負傷。

12日 ●「ス」東部バティカロア県カタンクディ(当館注:バティカロア市から南へ5kmの沿岸)のモスクにおいて3名のムスリム住民が武装グループによる銃撃され、うち2名が重傷を負う。本事件についてハキームSLMC総裁はTMVP(タミル人民解放の虎、ピラヤン派の自称政党)の関与を主張し、TMVPによるムスリム住民に対する殺害及び嫌がらせは、タミル及びムスリムの間の衝突を煽動することを目的とした挑発的な行為である旨非難し、ムスリム住民に対してかかるTMVPの戦略に騙されてはならないと呼びかけると共に、ディサナヤケ選挙管理委員長に対して、同地域の治安情勢につき十分なアセスメントを行うよう要請した。
●バティカロア市において、TMVPの要員が、来るバティカロア県における地方選挙に関し、TMVPの支持を拒否した政府役人2名及びビジネスマン1名を射殺。

13日 ●明石政府代表、来訪(-15日)。アマラシンハJVP指導者と会談を行う。

14日 ●明石代表、「ラ」大統領、「ウィ」首相、「ボ」外相、バジル・ラージャパクサ議員(兼大統領首席顧問)、「ウィ」APRC委員長、TNA国会議員団と会談を行う。
●憲法委員会委員の指名に関し、9日、JVP、TNA、SLMC及びCWCが「マ」元会計検査官を指名することに合意した件に関し、当初反対していたJHU(ジャーティカ・へラ・ウルマヤ)が合意する。
●ジャファリ・イラン財務大臣、来訪(-15日)。

15日 ●明石代表、今次訪問の趣旨及び概要等を説明するために記者会見を開催。本記者会見においては当地報道関係者が95名集まり、今まで行われた記者会見の中では最多数であった。
●ピーリス輸出振興・国際貿易大臣、印訪問(-18日)。

16日 ●2002年2月22日に「ス」政府及びLTTEとの間で締結されたCFAが正式に終了。
午後7時を以てSLMMによる監視活動が正式に終了することを受けて、「ソ」SLMM団長はコロンボ市内のホテルにおいて記者会見を行った。「ソ」団長は、「ス」における紛争は軍事的な手段により解決することはできないということをSLMMは確信している旨強調した上で、「ス」国民及びファシリテーターのみが解決法を見出すことができ、SLMMは紛争の解決について如何なるアドバイスも行うマンデートを有していないものの、「ス」における6年間の監視活動を基に、紛争の解決に向けて「ス」政府に対する支援を続けていきたいと考えている旨述べた。
ランブクウェラ政府軍事担当報道官においてもCFA終了を受けて記者会見を開催し、政府は今後とも和平努力を継続していき、交渉を通じた民族問題の解決を追求しながらテロリズムとの闘いを続ける二本立ての政策(twin policy)を取っていくと説明し、政府によるCFA終了の決定は一方的な宣戦布告を意味するものではないとし、政府はAPRCプロセスを通じて平和的な解決を見出すことに集中していると強調した。
●午前7時30分頃、「ス」南東部、モネラーガラ県オッカンピティヤ村の郊外において、一般市民が乗車した公共バスがクレイモア地雷の爆発に遭遇し、少なくとも市民27名が死亡し、67名が負傷した。「ラ」大統領はステートメントを発出し、LTTEによる一般市民が乗車した公共バスに対するクレイモア地雷攻撃を断固非難し、本事件は、分離・独立という「ス」の主権を脅かす目的を達成させるために、LTTEが依然として暴力とテロリズムに訴え、民主主義を完全に無視していることが示された更なる事件であるとし、民主主義及び平和を尊重する全ての「ス」国民に対して、恒久的な平和をもたらすために、一致団結してテロリズム根絶への決意を更に強めることを呼びかけた。なお、本事件に対して国連、EU及び米が非難声明を発出した。
●午前9時55分ころ、モネラーガラ県ブッタラ~カタラガマ間の道路(国道B53号線)上において、陸軍バスがクレイモア地雷の攻撃に遭い、兵士3名が負傷。更に同日、同県オッカンピティヤ南、マリガウィラ(ヤーラ国立公園北部に隣接)において、市民6名が銃撃等により殺害される。
●東部地域における地方議会選挙に関し、TNAが最高裁に対して選挙の延期を求める訴訟を起こす。TNAは、TMVPによる各種暴力事件、IDP(国内避難民)の再定住が進んでいないこと及びここ最近起きたTNA村議会メンバーの暗殺・誘拐事件について強い懸念を表明し、同地域は治安情勢が不安定であり、自由且つ公正な選挙を実施できる環境ではない旨主張した。

17日 ●モネラーガラ県西部ウダワラウェ国立公園近くのカラウェルガラ~ハンベガムワ間の道路沿いにおいて、警備要員2名を含む9名の遺体が発見される。
●ロバート・F・ウィラルド米国太平洋艦隊司令官、来訪(-18日)。「ラ」大統領及びカランナゴダ海軍司令官と会談を行う他、「ス」東部トリンコマリー湾を視察する。
●デ・シルバ保健大臣、第7回WHO理事会に出席するためにジュネーブへ(-26日)。

18日 ●バティカロアにおける地方議会選挙、立候補者届出開始(-25日)。

21日 ●モネラーガラ県タナマルウィラ(国道A2号線沿いの村)のポリスポスト(警察官詰め所)をLTTEのグループが襲撃し、警察官3名を殺害後、武器を奪って逃走。
●TNAが最高裁に対してバティカロア県における地方選挙の延期を求める訴訟を起こしていた件に関し、最高裁は「選挙の実施という民主的なプロセス自体を阻止することはできない」との観点から、選挙の延期を却下する判決を下した。しかしながら、最高裁側は、仮に立候補者たちに対して然るべき警備が提供されないという事態が生じれば、本件問題について最高裁は介入するとの立場を示した。
●バティカロア県における地方選挙に関し、「ディ」選挙管理委員長及びTMVPの代表団による協議が行われ、「ディ」委員長より、TMVPが正当な政党として認可されたことが伝達される。

23日 ●「ウィ」APRC委員長、「ラ」大統領に対して「APRC諸提案の導入として、現行憲法の関連規定の完全実施のために大統領によって取られるべき行動」と題する権限委譲案(中間案)を提出。本案においては、第13次憲法改正の完全実施が提案されており、タミルを含む少数派並びにその他のコミュニティー、特に北部及び東部に住む人々の切望を満たすため州に対する最大かつ効果的な権限委譲を行うための行程を明確にしようとする案である。本案の提出を受けて、国際社会からは、我が国及び印が談話を発出し、政治的解決に向けた重要なステップとして評価した。なお、APRCは、会合を開始してから(当館注:2006年7月)同案を提出するまで63回会合を行った。

25日 ●偽名外交旅券を以て英国に入国したカルナ元TMVP指導者に対して、英裁判所より禁固9ヶ月の判決が下される。BBC等の一部のメディアが「カ」元指導者は法廷において「ゴタバヤ・ラージャパクサ国防次官(当館注:「ラ」大統領の実弟)が全てアレンジした」旨供述した旨報じるも、「ラ」次官はかかる「カ」元指導者による供述を断固否定した。
●バティカロア県における地方選挙の投票日が3月10日に決定。今回の選挙においてはUPFA(統一人民自由連合)、SLMC及びTMVP等を含む6つの政党及び22の独立グループが参加し、合計837名の候補者が101議席を巡り競争する。
●カゼミ・イラン商務大臣、来訪(-27日)。

26日 ●ウィクラマシンハUNP総裁、印訪問(-28日)。

27日 ●セナラトネ建設・工学サービス大臣、印訪問(-2月2日)。

29日 ●LTTE系ウェブサイトのタミルネットは、「ス」北部マナー県において、児童を乗せたバスがマドゥからパラマドゥに向け移動していたところ、マドゥ教会からおよそ1km離れたところで、政府軍によるクレイモア地雷攻撃を受け、少なくとも児童9名及び教師2名が死亡し、17名が負傷した旨報じた。ナナヤッカラ軍報道官は、政府軍に対し屈辱を与えるための戦略の一部であるとLTTEの主張を完全否定し、今後もこのような手段をLTTEは使用するであろうと述べた。また、「ラ」政府軍事担当報道官は、マドゥ地域は、マドゥ司教の要請により戦争禁止区域(No War Zone)として宣言されているため、根拠のない主張であると述べた。

30日 ●「ナ」LTTE政治部長、潘基文国連事務総長宛てに書簡を送付し、LTTEは国際社会と良い関係を維持していく意向である旨強調した上で、国際社会、特に国連に対して、「タミル国家(Tamil Nation)」の主権を認識することを求めた。「ナ」部長は、このような国際社会による建設的なアプローチを通じてのみ、長年に亘り剥奪されてきたタミル人の基本的権利を取り戻すことができると主張した。
●「ボ」外相、パキスタン訪問(-2月1日)。

31日 ●「ボ」外相、ムシャラフ大統領と会談を行う。

  (了)  

 


 

スリランカの主な出来事(2007年12月1日-12月31日)

1日~ ●11月28日にコロンボ市及び同郊外において発生した爆弾テロ事件を受けて、警察及び政府軍による大規模な一斉捜査が行われる。当地各紙においては、
約2,500名以上のタミル人が逮捕され、彼等の多くが有効な身分証明書を提示したにも拘わらず、政府治安当局により強制的に連行された等報じられた。タミル国会議員らはかかるタミル人に対する不当な扱いに対して強く抗議し、ラージャパクサ大統領はペレーラ警察長官に対して、如何なる罪乃至容疑もないとされる者は1日も早く解放するよう指示を出すとともに、サマラシンハ災害管理・人権大臣に対しては、同省にヘルプデスク(24時間対応の電話及びFAX)を設置し、一般公共に対して情報提供を行うよう指示を出した。

4日    ●10月23日以降一時中断していたAPRC(全政党代表者委員会)が再開する。

6日    ●予算案審議において、国防・公安・法と秩序省の予算案が賛成141票、反対15票で可決された。UPFA(統一人民自由党)、SLMC(スリランカ・ムスリム会議)、CWC(セイロン労働者会議)等の政府与党政党及びJVP(人民解放戦線)並びにJHU(ジャーティカ・へラ・ウルマヤ)は賛成票を投じ、TNA(タミル国民連合)、ガネーシャンWPF(西部人民戦線)党首及びマヘーシュワランUNP(統一国民党)議員は反対票を投じ、UNPは棄権した。なお、ハキームSLMC総裁及びトンダマンCWC党首は本審議を欠席した。
●「テロ取り締まりに関する緊急事態令」が更に1ヶ月延長されることが承認される(賛成:92票、反対:12票)。政府与党に加え、JVP、CWCが賛成し、TNAは反対、UNPは数名の議員を除き殆ど棄権した。
●一般タミル市民の多数拘束についてCWCは最高裁に訴えることに決定し、「ラ」大統領、ラージャパクサ国防次官、三軍の司令官及び警察庁長官等を被告人として挙げた。
●UNPの集会においてウィクラマシンハ総裁は、大統領の権限を縮小し、国会の権限の強化及びガバナンスの向上を図るために16項目からなる提案を提示した。
●ボーゴラガマ外相、第29回SAARC閣僚級会合(7日-8日)に出席するために印訪問。本会議において「ボ」外相は第15回SAARC首脳会議を「ス」で開催することを提案し、本会議出席者は同案について合意した。

8日  ●「ラ」大統領、訪日(-11日)。

9日  ●「ラ」大統領、金閣寺及び清水寺等を視察。同日、京都から東京へ移動。

10日 ●「ラ」大統領、天皇両陛下とご会見。また、福田総理と首脳会談を行うほか、高村外相とも会談を行い、参議院ODA特別委員会にも出席する。

11日 ●「ラ」大統領、スリランカ投資・ビジネス・フォーラムにて講演。また、冬柴国交相、若林農水相と会談を行う。
●明石政府代表、ジャフナで開催される世界宗教者平和会議(12日~13日)に出席するために訪「ス」(-14日)。本会議には7ヶ国より各宗教指導者が出席した。

12日 ●「ハ」SLMC総裁を含む4名のSLMC議員が野党側へクロスオーバーし、閣僚ポストから退く。残りの2名は政府に留まり副大臣ポストを保持することに決定。
●汪光燾・国務院建設部長、訪「ス」(-16日)。

13日 ●カエリン国連事務総長特別報告者(IDPの人権担当)、訪「ス」(-21日)。コロンボにおいて閣僚、政府関係者、市民社会代表者、国際機関関係者等と意見交換を行うほか、プッタラム、ワウニア、トリンコマリー及びバティカロア県におけるIDPキャンプを視察する。
●ドゥアメル当地UNICEF代表、ナデーサンLTTE政治部長と会談を行う。本会談において「ナ」政治部長は本年度末までに全ての児童兵を解放する旨約束する。

14日 ●国会において2008年度予算案の第三読会の投票が行われ、賛成114票、反対67票、棄権43票により予算案は可決された。今回の投票において、12日にクロスオーバーしたSLMCの4名を除く全ての与党議員が賛成票を投じた他、無所属議員及び野党系議員各1名も賛成票を投じた。反対票を投じたのは最大野党UNP、TNA等であった。37議席を有する野党第二党のJVPは棄権した。なお、今回の投票に先立ち、アヌラ・バンダラナイケ国家遺産大臣が野党側にクロスオーバーしたが、同大臣は投票を棄権した。

16日 ●14日にジャフナにおいて武装グループにより誘拐された「ス」赤十字現地職員が遺体となって発見される(当館注:今年6月においても、コロンボ市内において「ス」赤十字現地職員2名が誘拐され後日遺体で発見される事件が発生している)。

18日 ●IIGEP(独立国際有識者グループ)、第4回目のパブリックステートメントを発出。本パブリックステートメントにおいてIIGEPは、今まで「ス」政府及びCoI(大統領事実調査委員会)に対して行ってきた提言等について是正措置が取られていないことから、IIGEPの役割が(CoIにとって)無関係になってきている旨注意を喚起した。本ステートメントにおいてIIGEPは、(1)CoIの中立性、(2)調査・捜査活動の不十分な点、(3)IIGEPに対する情報提供が完全ではなく、遅滞する点、(4)有効な証人保護の不在について指摘し、CoI及び「ス」政府に対してこれらの問題を是正するために、有効な手立てを早急に講ずるよう要請した。

19日 ●CoIはステートメントを発出し、18日にIIGEPが発出した第4回目のパブリックステートメントについて強く反論した。
●プラバーカランLTTE指導者、ナデーサン元LTTE警察部長(現政治部長)の後任にK. エランゴ(K. Elangko)を任命する。
●「ボ」外相、在上海「ス」総領事館の開館記念式典に出席するため中国訪問(-21日)。
●デ・シルバ保健大臣、ネパール訪問(-22日)。

20日 ●継続的な激しい降雨により、東部州、北部州及び北中部州を中心に洪水被害が
~    発生。災害管理センターによると、1名が死亡し、4名が負傷、207,608名が被災した。なお、家屋は327棟が全壊し、3,597棟が部分壊した。
●政府国家安全情報センター、11月26日による政府空軍による空爆により「プ」LTTE指導者が負傷した旨発表する。かかる政府側の報道に対してイランティヤランLTTE報道官は、「プ」LTTE指導者が空爆により負傷したことを否定し、同LTTE指導者の待避していた掩蔽壕が攻撃を受けていない旨主張した。

22日 ●ネパールを訪問中の「デ」保健大臣、コイララ首相(兼外相)と会談を行う。

23日 ●「デ」保健大臣、プラチャンダ・マオイスト運動指導者と会談を行う。

24日 ●地方政府・州評議会省、東部地域における地方議会選挙の実施につき、来年1月4日に官報を発出することに決定。
●政府軍、マナー県タンパナイ(当館注:マドゥロード上、北へ3~4kmの地点)を奪取し、政府の支配下に置く。

26日 ●津波3周年。各地にて記念式典が執り行われる。津波3周年記念と合わせて執り行われたマータラ県マハナマ橋の開通記念式典において、「ラ」大統領は、「我々は津波災害後、目覚ましい早さで荒廃から見事に復興したが、テロリズムとの闘いに関しても、政府は津波災害後の復興と同じ早さで「ス」からテロリズムを完全に根絶させる。我々は常にLTTEに対して協議への扉を開放しているが、その前にLTTEは武器を捨てる必要がある」と強調した。
●午前8時頃、ジャフナ県デルフト島(当館注:ジャフナ半島の南西に位置し海軍が警備を実施している)近くの海域において6時間に亘る海上戦があり、「ス」海軍により、LTTEのボート11隻が撃沈された他、少なくともシータイガー要員40名が死亡し、他方「ス」海軍はFAC(高速攻撃艇)1隻を損傷し、乗船していた将校1名及び水兵2名は救出されたものの水兵11名が行方不明となった。

27日 ●ブットー・パキスタン元首相が自爆テロにより暗殺。本事件について「ス」外務省は声明を発出し、「民主主義の擁護に尽力してきた南アジアの指導者であるベネジール・ブットー女史に対する今次残酷な攻撃を断固非難する」と強調した。

29日  ●バティカロアにおいて、EPDP(イーラム人民民主党)はTMVP(タミル人民解放の虎、カルナ派の自称政党)のピラヤン派、PLOTE(タミル・イーラム人民解放組織)及びEPRLF(イーラム人民革命解放戦線)の代表者を招集し会合を開き、連立を組んで来る地方議会選挙に参加することに合意した。

  (了) 

 


 

スリランカの主な出来事(2007年11月1日-11月30日)

1日  ●フェルナンドプッレ・ハイウェー道路・開発大臣、イスラエル訪問。

2日  ●午前6時頃、「ス」空軍がキリノッチ北部を空爆し、タミルチェルバンLTTE政治部長を含む6名のLTTE幹部が死亡。「タ」LTTE政治部長の後任としてナデーサンLTTE警察部長に政治部長の職を兼任させることが決定。
プラバーカランLTTE指導者は、「タ」LTTE政治部長に深い哀悼の意を表明するステートメントを発出し、同政治部長は長くタミル人の自由のために闘い続けてきた人物であるとして最大限の讃辞を贈った。また、タミル民族問題について平和的な解決を求めるべきという国際社会の度重なる要請にも拘わらず、シンハラ国家からは何ら明確且つ好意的な意思も示されなかった、我々タミル人はブッダの普遍的な愛というものを信じることは出来ない、シンハラ国家は我々タミル人に心を開かず和平に向けたメッセージも送ってこなかった、それどころか、空爆によってタミル人の平和主義者である「タ」部長を殺害したのである旨述べた。
ウィクラマナヤケ首相は、「ス」は良く訓練された軍を有しているが、テロリストによる攻撃に対しては報復を行うことを辞さないとし、LTTEのナンバー2とされる「タ」LTTE政治部長の殺害は、かかる報復攻撃によるものであると述べた。「ウィ」首相は、「タ」政治部長は(LTTE側が主張するように)和平主義者ではなく、今まで多数の政府要人及び無辜の一般市民の殺害に荷担してきた旨強調し、同政治部長の殺害は政府軍による大いなる勝利であるが、LTTEによる復讐の可能性は十分あると考えられるため、一層警戒を高めるべきであると注意を促した。
●英警察及び移民局、カルナTMVP(タミル人民解放の虎、カルナ派の自称政党)指導者が偽造旅券を以て「ス」に向けて出発しようとしたところを拘束。今次拘束を受けて、国際人権NGO団体HRW(ヒューマンライツ・ウォッチ)及びAI(アムネスティー・インターナショナル)は「カ」指導者を「ス」に送還する前に児童徴兵、失踪・誘拐・法の枠外の殺害等を指示した罪として戦争犯罪人として裁くよう英政府に申し入れを行う。
●国連PKO要員としてハイチに派遣されていた114名のスリランカ要員(兵士111名、幹部3名)が、性的悪弊により送還される。

3日 ●2005年8月以降の「ス」における重大人権侵害事件16件の調査を行っているCoI(大統領事実調査委員会)の任期が1年間延長されることに決定。

5日 ●「タ」LTTE政治部長の葬儀がキリノッチで行われ、TNA(タミル国民連合、親LTTE系政党)所属の12議員を含む多くのタミル人が参列。
●ボーゴラガマ外相の招待により、フォクス英保守党議員、来訪(-7日)。滞在中、与党及び野党関係者と会談を行う。

6日  ●昨年12月6日に公布された「テロ取り締まりに関する緊急事態令」が更に1ヶ月延長されることが、賛成124票、反対4票で承認された。政府与党に加え、JVP(人民解放戦線)が賛成し、TNAは反対、UNP(統一国民党)は棄権した。
●アヌラーダプラ県警察本部は10月22日に起きたLTTEによるアヌラーダプラ県空軍基地空爆事件に関し、10機の航空機が爆破され、16機の航空機が損耗した旨明らかにした。

7日  ●2008年度予算案審議、開始(-14日)。TNAは政府が真摯に人権侵害問題に取り組んでいない、2008年度の予算案において多額の国防費が割り当てられている旨主張し、予算審議をボイコットした。
●「ス」北部ジャフナ県のムハマライ防衛線において政府軍とLTTEとの間で約3時間に亘る激しい戦闘が行われ、兵士11名死亡、41名が負傷し、LTTE要員52名が死亡した。

8日  ●ソルブバーグSLMM(スリランカ停戦監視団)団長、キリノッチにおいてナデーサンLTTE新政治部長と会談を行う。本会談において「ナ」政治部長は、「タ」政治部長殺害についてファシリテーターであるノルウェーが「公式に沈黙を保っている」ことにタミル・コミュニティー及びLTTEは深刻な懸念を抱いており、残念に思っている旨伝えた。

11日 ●チダンバラム印財務大臣、来訪。同日ラージャパクサ大統領と会談を行う。
●「ボ」外相、23日よりウガンダにおいて開催される英連邦閣僚会議の事前会合に
出席するために英訪問。

12日 ●「ラ」大統領、ウィタラーナ委員長に対して、APRC(全政党代表者委員会)の会合を再開し(当館注:10月23日、APRCは今後2ヶ月間会合を一時中断することを決定していた)、可能な限り早急に民族問題の政治的解決を提示するよう指示を出す。

13日 ●JVP、予算案支持を引き替えに4つの条件(①停戦合意の破棄、②APRCの解散、③国連による内政干渉の阻止、④国家安全の保障)を提示。
●モラゴダ観光大臣、テヘランにおいてマシャーイー・イラン副大統領兼文化遺産観光庁長官とともに、「ス」とイランとの間での2007年~2010年の観光分野における相互協力の実施プログラムに署名。

14日 ●SLFP(スリランカ自由党)のナショナル・リストの議員であり、政府系機関及び民間部門の汚職・腐敗行為を調査するCOPE(Committee on Public Enterprises)の委員長でもあるウィジェダーサ議員が野党側へクロスオーバーする。「ウィ」議員は、自分は現政権を打倒するためではなく、政府が自滅への道を歩むことを防ぎ、正しい方向へ導くために野党側についた旨説明し、自分(「ウィ」議員)は今後ともSLFP議員であり続ける旨主張した。

15日 ●ラトナティラケUNP議員、政府側へクロスオーバー。「ラ」議員はテロリズムを根絶させるために政府による反テロとの闘いを支援するとし、政府側へクロスオーバーしても自分(「ラ」議員)はUNP議員であり続ける旨主張した。
●米財務省、行政命令13224の下、親LTTE系NGOとされるTRO(タミル復興機構)の資産凍結を決定。
●「ス」政府、エリトリアと外交関係を樹立。「ボ」外相、「エ」がLTTEにとって主要な武器密輸国であることから、「エ」とLTTEとの関係を絶ち、LTTEを更に孤立化させるため今回の外交樹立に至った旨説明。

16日 ●J.R.ジャヤワルダナ元大統領夫人、死去。

18日 ●ラージャパクサ政権樹立2周年。「ラ」大統領、62歳。

19日 ●国会において2008年度予算案の第二読会の投票が行われ、賛成118票、反対102票で可決される。今回の投票においては、与党政党は全て賛成票に投じ、野党UNP、TNA、SLFP人民派及びJVPは反対票に投じた。この他2名が棄権し、更に2名のTNA議員が欠席した。

20日 ●大統領府、メディア・リリースを発出し、「ラ」大統領がCoIの任期を2008年11月2日まで延長した旨通知。
●「ボ」外相、英連邦閣僚会議に出席するためにウガンダへ。

21日 ●政府、親LTTE系NGOとされるTROを非合法化することに決定。
●午前2時頃、ラトマラーナ空軍基地(注:コロンボ市南約10km)の近辺に所在するサンデーリーダー紙の印刷所に約10名の武装要員が押し入り、事務所内に灯油をまいた後放火。同紙の印刷所は2005年10月にも放火されており、今回で2回目の放火事件となった。
●15日に政府側へクロスオーバーした「ラ」UNP議員、繊維開発大臣に任命される。

22日 ●「ラ」大統領、英連邦首脳会議(23-25日)に出席するためにウガンダへ
(-26日)。14名の閣僚及び関係者が同行。
●夜8時20分頃、スーリヤラッチSLFP人民派議員の自宅に対して火焔瓶が投じら
れる事件が起きたが、窓ガラスが割れたのみで大きな損害はなかった。本事件
について「ス」議員は、このような卑劣な行為は、自分が(「ス」議員)政府による
不正行為を暴いたことが背景にあると考えられるが、かかる行為を受けても自分
は動じないと述べた。

26日 ●「ラ」大統領、イラン訪問(-29日)。アフマディネジャード大統領及びモッタキ外相と会談を行う。

27日 ●「プ」LTTE指導者、毎年恒例の「英雄の日」の演説を行う。本声明において「プ」LTTE指導者は、例年どおりシンハラ政権への不満を並べるも、国際社会に対する強い非難と深い失望を今までになく顕わにした。他方、在外タミル・コミュニティーに対しては、かかる国際社会への強い非難及び深い失望とは対照的に、「我々はテロリストではなく、我々の闘争は明確な、正当性のある、政治的な目的がある」と述べ、もはやLTTEにとっての味方は全世界の8,000万のタミル人のみであるとして情緒的トーンで協力を求めた。
なお、LTTE側は、1982年11月27日~2007年11月20日まで19,887名のLTTE要員が死亡し、うち950名が今年に入り死亡した旨発表。
●「ラ」大統領、ハメネイ・イスラム最高指導者と会談を行う。 

28日 ●午前8時半頃、コロンボ市内ナーランヘンピタ地区(コロンボ5地区)のEPDP
(イーラム人民民主党)事務所付近においてLTTE女性要員による自爆テロ事が発生し、1名が死亡、6名が負傷した。                                                                      
●17時50分頃、コロンボ市郊外のヌゲゴダ地区(南西約10km)の交差点付近で
爆発事件が発生し、21名死亡、40名以上が負傷。

29日  ●サマラシンハ災害管理・人権大臣、ジュネーブ訪問(-30日)。

30日  ●「サ」災害管理・人権大臣、アルブール国連人権高等弁務官と会談を行う。

  (了)

 


 

スリランカの主な出来事(2007年10月1日-10月31日)

1日  ●ノワック国連特別報告者(拷問担当)、訪「ス」(-8日)。今回の訪問において、サマラシンハ災害管理・人権大臣、ドダンゴダ司法大臣、シルバ最高裁長官、刑務所長官、国内人権機関、その他政府関係者、市民社会団体、弁護士、国際機関代表者、外交団体等と会談を行うほか、監獄や警察拘留機関を視察し、拘留者と個人的面談を行った。
「ノ」特別報告者は本訪問後に発出された声明において、「スリランカ政府は同意しなかったが、私の見解では、スリランカにおいて拷問が広く実施されている。また拷問や虐待は、カウンターテロリズムの一環として、日常的に行われている傾向がある」と述べ、「ス」国内の人権状況を監視すると共に、特に、司法・警察・刑務所改善における技術支援を行う権限を有する、OHCHR(国連人権高等弁務官事務所)のフィールド・オフィスを設立することを「ス」政府に勧告した。これを受け、「ス」人権省は、「ス」国内で拷問が広く行われているとの「ノ」報告者の声明は受け入れることが出来ない旨反論した。
●第62回国連総会に出席するために米を訪問していたラージャパクサ大統領、米より帰国。

2日  ●ベストマン・アイスランド外務省参事官、キリノッチにおいてタミルチェルバンLTTE政治部長と会談を行う。本件に関し、「ベ」参事官は「ス」外務省及び国防省からの許可を求めることなく、通常の手続きを行わずにキリノッチへ赴いたとされ、これに対して「ス」政府は強い懸念を表明。本件についてボーゴラガマ外相は、ギスラドティール「ア」外務・対外貿易大臣に対して強い抗議を行った後、「ア」政府は「ス」政府に対して書面で陳述し、「ベ」参事官と「タ」政治部長との会談は公認されていない会談であった旨認めた。

3日  ●フェルナンドプッレ・ハイウェー開発大臣、定例記者会見の場において、「政府が入手している様々な情報を総合すると、来年の1月18日にLTTEが分離・独立を宣言する計画が明らかになっている」旨発言する。

4日  ●閣議において証人保護に関する新しい法案の制定が承認される。
●訪米中の「ボ」外相、バーンズ国務次官と会談を行う。また、同日「ボ」外相はジョーンズ・ホプキンス大学にて「テロリズムの先を見越すスリランカ」と題する講演を行った。

7日  ●TMVP(タミル人民解放の虎、カルナ派の自称政党)の中央委員会は、カルナ指導者・創設者をその地位から退かせ、ピラヤン最高司令官をその後任にする旨決定した。TMVP関係者によれば、「カ」指導者・創設者は、TMVPの資金約8000万ルピーを着服する等金銭に関する不正行為が発覚したため、今次措置が取られるとともに、これによりコロンボ事務所を含む全てのTMVP事務所はピラヤン指導者の支配化に入ることに決定した。
●「ス」海軍、ドンドラ・ヘッド(当館注:「ス」最南端)南方沖約800海里の公海上でLTTEの密輸船「マツシマ」を撃沈。同密輸船には、水上バイク、ジェットスキー、ダイビング用ボート、レーダー、重火器、爆発物及び偵察用具等が積まれていたと考えられ、「ラ」大統領の就任以降、海軍に撃沈されたLTTEの密輸船は今回で8隻目となった。

9日  ●アルブール国連人権高等弁務官、来訪(-14日)。10日~11日にかけて「ラ」大統領、「サ」災害管理・人権大臣、UNP(統一国民党)、TNA(タミル国民連合)、SLMC(スリランカ・ムスリム会議)、JVP(人民解放戦線)等の政党関係者、「シ」最高裁長官及びデ・シルバ司法長官等と会談を行う。
●「テロ取り締まりに関する緊急事態令」が更に1ヶ月延長されることが承認される(賛成:92票、反対:12票)。政府与党に加え、JVP、CWC(セイロン労働者会議)が賛成し、TNAは反対、UNPは数名の議員を除き殆ど棄権した。

11日 ●今年8月2日にトンダマンCWC党首、シバリンガム議員、サッチタナンダン議員、
ジェガディースワラン議員及びセッラサミー議員が政権を離脱し野党側へクロスオーバーしたが、「ト」党首を含むCWCの5名の議員は、再び政府与党に復帰した。これにより、「ト」党首は政権離脱の際辞任した青年育成・社会経済開発大臣のポストに再就任し、他の4名の議員についてもそれぞれの元の副大臣ポストに再就任した(注:「シ」議員→エステート・インフラストラクチャー副大臣、「サ」議員→教育副大臣、「ジェ」議員→国民統合副大臣、「セ」議員→郵便副大臣)。また、今回のCWCの政権復帰を受けて、政府与党の議席は117、野党の議席は107となった。
●「ラ」大統領、印訪問(-12日)。

12日 ●「ア」国連人権高等弁務官、「ス」北部ジャフナを訪問。軍関係者、ジャフナ司教等の市民社会と会談を行う。

13日 ●「ア」国連人権高等弁務官、「サ」人権大臣同席の下記者会見を実施し、「ス」にOHCHRの設立が必要である旨改めて主張。これに対して「サ」大臣は、今後ともOHCHRとは連携しつつ、特に「ス」政府の法執行機関のキャパシティ・ビルディング支援等の助言は随時受けて入れるつもりであるとの意向を示した。

15日 ●バティカロアで開催されたTMVP中央委員会において、政府側からの強い圧力を受け、TMVPはカルナを再びTMVP指導者に任命した。しかしながら、TMVP筋によると、カルナは当面海外から帰国することはなく、カルナの指導者としての地位は形式的なものに留まり、ピラヤンが副指導者の地位に就任した由。
●「サ」災害管理・人権大臣主宰の下設置された「ス」市民社会代表者10名からなる人権擁護パネルのうち4名が、人権問題の対応につき政府が真摯に自分たちのアドバイスを聞き入れていないとの不満から同パネルを辞任する。

17日 ●「ス」南部モナラガラ県において、午後5時30分頃、ヤーラ国立公園内に潜伏しているLTTE要員の捜索中、公園関係者2名及び軍指揮官1名がLTTEによって仕掛けられた対人地雷により負傷。

18日 ●コロンボにおいて、反テロ国際会議が開催される(-21日)。23カ国より有識者及び報道関係者等が参加する。「ボ」外相は開会セッションにおいて、「ス」はテロリズムとは断固闘いつつも、民族問題の解決に向けては、APRC(全政党代表者委員会)を通じた平和的方法によって各政党のコンセンサスを形成するつもりである、国際テロ組織と関わりのあるLTTEに対する厳しい措置を取ることは「ス」のためだけでなく全世界のために必要である旨述べた。
また、SCOPP(政府和平プロセス調整事務局)は、2002年の停戦合意以降、LTTEはノルウェー政府、UNICEF、Save the childrenから復興支援のために多額の資金供与を受けたものの、それらを戦闘遂行のために流用している可能性がある、SLMM(スリランカ停船監視団)がチェックポイントにおいてLTTEが不正に課税をしていることを見逃してきたことは大きな過ちであった旨明らかにした。

19日 ●アムヌガマ企業開発・投資促進大臣、IMF・世銀年次総会に出席するため訪米
(-23日)。

22日 ●午前3時20分、アヌラーダプラ県にある空軍基地に対して、LTTEブラックタイガー(当館注:LTTEの自爆テロ要員)21名が地上攻撃を実施し、政府空軍部隊を擾乱した後、爆弾を搭載したLTTE小型航空機2機が飛来し2個の爆弾を投下。被害規模については、政府は空軍航空機4機損耗した旨発表したが、LTTE側は、政府軍航空機8機を破壊した旨発表。空軍指揮官4名含む軍兵士13名死亡、22名が負傷し、LTTE要員20名が死亡した。

23日 ●APRC、今後2ヶ月間会合を一時中断することに決定(当館注:2006年7月以来、2007年10月22日まで第51回の会合を開催)。

25日 ●デリーで開催された第2回SAARC閣僚会談において「ボ」外相は、テロとの闘いをSAARC諸国が協力して実践していく必要があり、そのためには不正な資金取引及び麻薬取引がテロリストの資金源になっている旨指摘し、これらの防止策を強化する必要がある旨述べた。

26日 ●「ラ」大統領、コロンボ及びマナーのキリスト教司教との会談を行い、最近政府軍が解放した「ス」北部マナー県のシワワトゥラ地域の住民が直面している問題や同地域の2万5千人にも及ぶ国内避難民対策について協議した。また、同会談においては、マナー県のマドゥー教会の特定地域を戦闘が行われない平和地域とする可能性に関する話し合いがなされ、また、司教らより、カトリック教徒や全ての宗教指導者の代表が集まり、キリノッチを訪問し、崩壊しつつある和平プロセスを再活性化させる試みもある旨明らかにされた。(了)


 

スリランカの主な出来事(2007年9月1日-9月30日)

1日  ●ボーゴラガマ外相、ベルギー(-4日)及び仏訪問(-6日)。

2日  ●政府軍、マンナール南部シラバトゥライ(マナー島から南に約30km)にあるLTTE支配地域を制圧し、6,000名近くの市民を解放。政府軍は、強制的に支配していたLTTEから同南部を解放するため人道主義的任務を遂行し、同地域において3隻の船を含むシータイガーの基地を押さえた他、大量の対人地雷及び信管についても押収した。一方、LTTE和平事務局は、陸軍の攻撃から免れようとする6,000名もの市民がLTTE支配地域に避難しようとしているが、これを軍が妨げていると主張し、軍の実施したマンナール南部におけるクレイモア地雷の爆破により、一般市民9名が死亡したとも主張した。軍報道官は、政府軍からは死傷者は報告されておらず、一方LTTEは多大な被害を被っている旨述べた。
●SLFP(スリランカ自由党)第56回党大会が開催される。ラージャパクサ大統領は、戦闘が続く状況下においても、開発及び社会福祉プログラムは実施され、政府は「ス」に繁栄をもたらすために計画に沿って取り組みを行っており、「ス」に平和をもたらし、国の更なる発展に向けて尽力する中、一部の政治家は外国政府に対して対「ス」援助を停止するよう呼びかける等、母国を裏切るような行為に従事しているが、政権党のSLFPはかかる策謀に屈することはなく、SLFPの強固な基盤を維持し前進していく旨強調した。なお、本党大会においてバンダラナイケ国家遺産大臣を含むSLFP有力議員数名及びSLFPのパトロンを務めるクマーラトゥンガ前大統領は欠席した。
●ラージャパクサ国防次官、ラージャパクサ大統領首席顧問及びウィーラトゥンガ大統領秘書官、印政府側と現在の「ス」情勢について協議を行うために訪印(-4日)。シン国防次官、メノン外務次官及びナラヤナン国家安全保障顧問らと会談を行う。
●ピーリス輸出振興・国際貿易大臣、英及びロシアを訪問(-15日)。
●ウィーラワサンサJVP(人民解放戦線)広報部長をはじめとするJVP代表団、中国訪問(-12日)。

3日  ●「ボ」外相、ヴァルトナーEU対外関係・近隣諸国政策担当欧州委員及びカバコECHO事務局長と個別に会談を行う。
●サマラシンハ災害管理・人権大臣、デ・シルバ司法長官及びウィジェシンハSCOPP(政府和平プロセス調整事務局)事務局長、第6回国連人権理事会開催に向けて国際社会に「ス」の人権状況について説明を行うためにジュネーブへ(-7日)。
●印の国防大学より代表団来訪。

4日  ●野党UNP(統一国民党)、APRC(全政党代表者委員会)から離脱。UNP側は「当初、政府は8月15日までにAPRCは最終案を纏めると述べており、その後、30日までに延長したが、未だに最終案は出てこない、かかる政府の対応から、政府が民族問題の最終的解決に向けて真摯に取り組んでいるとは思えない」と主張し、故にUNPはAPRCから離脱することに決定したと説明。
●「テロ取り締まりに関する緊急事態令」が更に1ヶ月延長されることが承認される(賛成:88票、反対:12票)。
●仏を訪問中の「ボ」外相、オルトゥフー移民・統合・国家アイデンティティー大臣、エストロシー内務省次官、諜報当局関係者と個別に会談を行う。
●モルジブのアブドゥール・ハミード・ザカリーヤ観光副大臣、来訪(-5日)。

5日  ●「ボ」外相、パリのACF(Action Contre la Faim:Action Against Hunger)本部においてメッツガーACF代表及びダネルACF事務局長と会談を行う。

6日  ●携帯電話、軽自動車等及び電化製品等に対する課税法案が賛成106票、反対81票で採択された。政府及びCWC(セイロン労働者会議)が賛成票を投じ、UNP、JVP、TNA(タミル国民連合)及びSLFP人民派が反対票を投じた。
●シャヒド・モルディブ外務大臣、来訪(-9日)。
●「ボ」外相、クシュナー仏外相と会談を行う。

7日  ●ラーナワカ環境・天然資源大臣、訪日(-10日)。

9日  ●ウィクラマナヤケ首相、クロアチア訪問(-13日)。サナダー首相との二国間会談を行い、文化、教育、科学、技術及びスポーツの分野の協力に関するMoUを締結。
●セナラトネ建設・工学サービス大臣、訪日(-15日)。
●ファウジー石油・石油資源開発大臣及びアムヌガマ企業開発・投資促進大臣、
ロンドンへ(-15日)。その後米へ(-22日)。

10日 ●ジュネーブにおい第6回国連人権理事会が開催される(-28日)。
●「ス」国防省、バンコクにおいて、国境を越えるテロ活動を実施していたLTTEの参謀であるクマラン・パドゥマナダン、通称KPが逮捕されたとの報道をホームページ上で流すが、タイ治安当局は本件について一切否定。KPは、インターポールの重要指名手配の一人であり、世界的なネットワークを駆使して武器調達を実施していたほか、同容疑者率いる組織は、長年武器調達に関わってきたとされている。
●10日から11日にかけて「ス」海軍が、「ス」南部海上のそれぞれ異なる地域において、武器及び弾薬を輸送していた大きさ40~75mの3つのLTTEの貨物船3隻を撃沈。これらの船舶には小型航空機3機及びプラバーカランLTTE指導者の車両と思われる防弾車、武器及び弾薬等が積載されていた。

11日 ●「ク」前大統領、印訪問(-14日)。マンモハン・シン首相をはじめ、ムカジー外相及び「メ」外務次官らと会談を行う。
●「サ」災害管理・人権大臣、ジュネーブからオスロへ向かう。ソルハイム・ノルウェー開発援助大臣をはじめ、バウエ特使、ストーレ外相、ボンデビック前首相及びエグランド前国連人道問題担当事務次長と個別に会談を行う。

12日 ●スマトラ半島南西部におけるマグニチュード8.2の地震を受けて(当地時間夕方4時40分頃発生)、「ス」においては夕方6時頃、災害管理センターより津波警報が出され、同センター及び気象庁より、各地の沿岸線付近に居住する住民に対して、より安全な場所へ避難するよう注意喚起がなされた。当初、7時50分~8時30分の間に津波が発生するとされていたが、津波は発生せず、8時30分頃に津波警報は解除された。

14日 ●アンワール・イスマイル灌漑大臣(閣外)、死去。

16日 ●インド・コングレス党のビジャヤシン幹事長、来訪(-18日)。

19日 ●「ラ」大統領首席顧問、「イ」灌漑大臣死去後空席になっていたUPFA(統一人民自由連合)のナショナル・リストの議員ポストに就任する。野党UNPにおいては、プラカードを掲げて同顧問の国会議員就任につき抗議を行い、これに対して一部の閣僚が弥次を飛ばしUNP議員と乱闘する等、騒然とした状況の中で宣誓式が執り行われた。
●IIGEP(独立国際有識者グループ)、第3回目のパブリック・ステートメントを発出。本ステートメントにおいてIIGEPは、CoI(大統領事実調査委員会)による捜査活動の遅延、司法長官事務所の関与と独立性の侵害、証人保護の不十分性及びCoIによるIIGEPに対する情報開示を懸念分野として挙げ、「IIGEPは、今日に至るまでのCoIによる捜査及び調査プロセスは国際的な基準に効果的に沿っていないとの結論に至った」と指摘し、CoI及び政府に対して、これらの懸念分野を改善する対応策を早急に取ることを要請した。

20日 ●19日に発出されたIIGEPによるパブリックステートメントに対してCoIがメデイアステートメントを発出し、IIGEP側が挙げた懸念事項につき反論を行い、「CoIの委員は、調査対象事件の真相究明に深くコミットしている。彼等は、かかる努力を支援していくために立ち上げられたIIGEPが、CoIの活動に対して敵対的と思われる態度を示していることについて懸念を抱いている」と指摘した。
●国会において、2005年大統領選挙の際に「ラ」大統領とLTTEとの間で交わされたとされる密約に関する審議が行われ、特別委員会の設置が承認される。国会は政府側の要求に応えて、1989年以降交わされた、当時の大統領乃至首相とLTTEとの合意全てについて調査を行うという修正を加えた。

22日 ●「ラ」大統領、第62回国連総会に出席するためにニューヨークへ。
●「デ」司法長官、バグワティIIGEP委員長宛に書簡を発出し、司法長官事務所及びCoIのような、公共機関に対する「ス」国民の信頼に直接且つ不必要な影響を与え得るようなパブリックステートメントは今後発出をしないよう要請し、司法長官事務所及びCoIと協力して「ス」の人権問題について取り組むことができるよう、建設的な形で関係を築いていって欲しい旨呼びかけた。
●「ス」東部トリンコマリー市郊外において民間バスに対してクレイモア地雷が爆発し、運転手1名が死亡、市民2名が重傷を負い、22名~24名が軽傷を負った。
●TMVP(タミル人民解放の虎、自称カルナ派の政党)はステートメントを発出し、TMVPの非武装政治要員の安全が保障されれば、軍事部門を解散させる用意がある旨宣言し、自分たちは民主的な手段を通じて東部タミル人の権利及び政治的願望を獲得することにコミットしていると強調した。同ステートメントにおいてTMVPは、最近、TMVPの非武装政治要員がLTTEにより殺害されたことについて言及し、自分たちはLTTEから身を守るために武器を携行しているとし、自分たちの安全が保証されれば即座に軍事部門を解散する用意があると強調した。
●和解したとされるカルナTMVP指導者及びピラヤンTMVP司令官の内紛が未だ続く中、かかる動向を受けて「カ」指導者は22日頃、家族が在住する英へ逃亡したとされる。

23日 ●「ラ」大統領、「ム」印外相と会談を行う。

24日 ●「ラ」大統領、気候変動に関するハイレベル会合において演説を行う。また、同日グリムソン・アイスランド大統領及びシーランWFP事務局長と会談を行う。
●LTTE政治部門は国連総会を前に、国際社会に対してタミル人の主権を認めるよう呼びかけるステートメントを発出し、「政府は、人を騙すことを止め、軍事的抑圧、民族浄化及び重大な人権侵害を停止し、タミル人の願望を受け入れ、タミル人の民族自決権に基づいた解決案を見出さなくてはならない。政府がかかるラインに沿った解決案を見出すように、国際社会は「ス」政府を指導しなければならない」旨主張した。
●民族問題の政治的解決に関し、UNPは今まで連邦制に基づいた解決を支持してきたが、突如立場を変え、第13次憲法改正の実施を強化する権限委譲案を提出することに決定した。

25日 ●「ラ」大統領、第62回国連総会一般討論演説1日目の午後のセッションにおいて演説を行う。同日、潘基文国連事務総長、アフマディネジャード・イラン大統領、アッバース・パレスチナ大統領及びバーンズ米国務次官と会談を行う。
●ウダラガマCoI委員長は「バ」IIGEP委員長宛に書簡を送付し、今次IIGEPによるパブ
リックステートメントに関し、IIGEPは事前にCoIと協議することなく同ステートメントを
発出した旨主張し、IIGEPは然るべき手続きに沿っていない、かかるIIGEPの対応は規定のTOR(審議事項)に違反するものであると抗議した。

26日 ●「ラ」大統領、「ソ」ノルウェー開発援助大臣、クマラスワミ国連事務総長特別代表(紛争下の児童担当)及びゴンジー・マルタ首相と会談を行う。 

27日 ●「ラ」大統領、ニューヨークからロサンゼルスへ(-30日)。ビラヤイゴーサ・ロサンゼルス市長に表敬訪問を行う他、在米「ス」コミュニティーに対する講演会を行う。                                                    

28日 ●UNP、10項目からなるステートメントを発出し、全てのコミュニティーにとって受け入れ可能な権限委譲に基づいた、交渉を通じた政治的解決のみが「ス」に永続的な平和をもたらすとの立場を強調し、「現在の北・東部情勢及びここ数年間の経験に鑑み、停戦合意を修正しなければならない」と指摘した。
●国連人権理事会、終了。今回の人権理事会においてEUは、10月初旬に予定されているアルブール国連人権高等弁務官の訪「ス」に鑑みて、対「ス」国に別決議案の採択を延期することに決定した。
●「ス」政府、「核テロ防止国際条約」に批准する。     


 

スリランカの主な出来事(2007年8月1日-8月31日)

7月22日  ●ピーリス輸出振興・国際貿易大臣、独へ(-4日)。
28日  ●コホナ外務次官、イスラエル(-31日)及びヨルダンを訪問(31日-2日)。
30日  ●ボーゴラガマ外相、マニラにおいて開催される第14回ARF(ASEAN地域 フォーラム)外相会議に出席するためフィリピンへ(-4日)。

1日  ●「ボ」外相、東南アジア諸国の平和、友好及び相互協力を促進させる「友好協力協定合意(The Treaty of Amity and Cooperation)」に署名。
●ジャフナ大学のメディア研究訓練センターに所属する22歳のタミル人記者(見習い)がオートバイに乗った2名の狙撃犯により自宅前で射殺される。本事件がHSZ(High Security Zone:高度警戒地域)内及びカーフューの時間帯に起きたことから、TNA(タミル国民連合)は政府軍或いはパラミリタリー・グループの犯行である旨非難。当地NGOの報道の自由運動(Free Media Movement)はプレスステートメントを発出し、今まで起きた報道関係者の殺害事件に関し、政府による調査が1件も解決しておらず、未だ犯人が捕まっていない状況に失望している旨強調し、「ス」において刑罰が課されない文化(culture of impunity)が蔓延している現状は、「メッセンジャーの殺害を間接的に承認するものである」と主張した。   

2日 ?●トンダマンCWC(セイロン労働者会議)党首、シバリンガム議員、サッチタナンダン議員、ジェガディースワラン議員及びセッラサミー議員が政権を離脱し野党側へ クロスオーバーすることに決定。「ト」CWC党首は青年育成・社会経済開発大臣のポストを辞任し、4名の議員についてはそれぞれの副大臣ポスト(議員:エステート・インフラストラクチャー副大臣、「サ」議員:教育副大臣、「ジェ」議員:国民統合副大臣、「セ」議員:郵便副大臣)を辞任した。
●「ス」、正式に第27番目のARFメンバーとして承認される。

3日  ●昨年8月に「ス」東部で起きた仏系NGOのACF(Action Contre la Faim:Action Against Hunger)現地職員17名殺害事件の弾丸調査の鑑定に関し、「ス」政府側の弾丸専門家及び豪から派遣されたドット犯罪科学専門家の見解が異なり(当館注:「ス」側の弾道学の専門家が鑑定を行った結果、犯行に使用されたとされる弾丸は7.62×39mm口径の弾丸の可能性が高いとい結論を出しており、一方、「ド」専門家は5.56×45mm口径の弾丸の可能性が高いとの結論を出した)、ICJ(当館注:国際法律家協会:法曹関係者で構成される国際NGO)が「ス」の司法・捜査システムの信頼性に対する非難を行う等、本件を巡り「ス」政府が厳しい立場に置かれた件に関し(当館注:ICJは、第5回人権理事会開始日に合わせて報告書を発表している)、サマラシンハ災害管理・人権大臣は記者会見を開催し、「ド」専門家が追加報告書を「ス」政府側に提出し、同報告書において「ド」専門家は「ス」政府側の鑑定結果が正しいと認めた旨明らかにした。
●大統領府はプレス・リリースを発出し、最近行われたSCOPP(政府和平プロセス調整事務局)、ペレーラ警察長官及び警察幹部との協議において、北・東部における地元住民と警察との信頼醸成の改善及びタミル語が理解できる警察官の不足問題を解決するために、これらの地域において市民の代表から構成される「市民委員会(Citizens' Committee)」を設置することが決定された旨明らかにした。

4日  ●ウィクラマシンハ野党UNP(統一国民党)総裁が東部地域の奪取について政府軍の功績を過小評価し、JHU(ジャーティカ・へラ・ウルマヤ)の僧侶議員に対して侮辱的な発言を行ったことに対し、SLFP(スリランカ自由党)がクルネーガラ(注:コロンボの北東約100km)において第2回目のデモ集会を開催。

6日  ●ホームズ国連人道問題担当事務次長(兼緊急援助調整官)、来訪(-9日)。同日、「ボ」外相、「サ」災害管理・人権大臣、ラージャパクサ国防次官と会談を行う。
●HRW(ヒューマン・ライツ・ウォッチ)、ラージャパクサ大統領就任以降(注:2005年11月以降)18ヶ月間に亘る「ス」の人権状況を纏めた129頁からなる報告書を発表。本報告書においてHRWは、2002年に「ス」政府とLTTEが締結した停戦合意は機能していたが、2006年の中頃以降、大規模な戦闘が開始され、「ラ」大統領及び「ラ」国防次官は一般市民の安全確保について殆ど配慮せずに北・東部における軍事行動を実行したと批判した。またHRWは本報告書において、「ラ」大統領就任以降、誘拐及び失踪事件が大幅に増加し、被害者の多くがタミル人であること、政府軍による厳重な警備がなされている「ス」北部ジャフナにおいては、2005年12月~2007年4月まで800名が失踪したこと(うち241名が帰還)、政府及びLTTEの両当事者による脅威の下、報道の自由が侵害されていること等につき、主に政府に対して辛辣な批判を行った。更にHRWは本報告書において、「ス」におけるドナー諸国及び関心国に対して国連による人権監視ミッションの派遣を支持するよう呼びかけた。
●バンダラナイケ国家遺産大臣、訪印(-11日)。

7日  ●「ホ」国連人道問題担当事務次長、「ス」北部ジャフナ訪問。

8日  ●「ホ」国連人道問題担当事務次長、「ス」東部ワーカライ訪問。

9日  ●「ホ」国連人道問題担当事務次長、「ラ」大統領と会談を行う。
●「テロ取り締まりに関する緊急事態令」が更に1ヶ月延長されることが承認される(賛成:107票、反対:15票)。

10日 ●UNP及びSLFP人民派による第2回目の反政府デモ集会が「ス」南部マータラ県において開催される。

11日 ●「ボ」外相、リビアを訪問(-15日)。

12日 ●クマーラトゥンガ前大統領、ロンドンから帰国。 

14日 ●JVP(人民解放戦線)、生活必需品の物価高騰及び汚職問題等につき大規模な反政府デモ集会をコロンボ市内において開催。アマラシンハJVP指導者は、「ス」国民が抱える不平不満につき現政権が然るべき対応を行うことができなければ、JVPが代わりに解決すると主張し、JVPは「ス」を発展させるために何でも行うとし、政権を打倒する用意がある旨主張した。

15日 ●新SLMM(スリランカ停戦監視団)報道官にステイナー・スベイソン氏(アイスランド出身)が任命される。

16日 ●ファウジー石油・石油資源開発大臣、アゼルバイジャン訪問(-19日)。
●グラミン銀行の創設者、モハメッド・ユヌス教授来訪(-19日)。

17日 ●コロンボにおいて、スリランカ人権問題に関する大統領事実調査委員会(CoI)及び独立国際有識者グループ(IIGEP)の第3回会合が開催される(-20日)。
●6月1日、コロンボ市内において「ス」赤十字職員2名(タミル人、「ス」東部バティカロア出身)が何者かに誘拐され、後日、コロンボから約90㎞離れたラトナプラ県において遺体で発見された事件に関し、本事件の捜査を担当していたCID(犯罪捜査局)は、本事件の首謀者が判明し、公共に対して顔写真を公表すると共に、信用のある情報を提供する者に対しては100万ルピーの報酬を付与する旨発表した。本容疑者は、現在逃走中の、通称「チャラン」なる人物であり、被害者と同様、バティカロア県出身の29歳の男性である。なお、本容疑者は元カルナ派要員だったとされている。
●「ユ」教授、「ラ」大統領に表敬訪問を行う。
●UNP及びSLFP人民派による第3回目の反政府デモ集会がアヌラーダプラ県において開催される。

19日 ●コロンボ市内において第8回アジア太平洋地域エイズ会議(ICAAP)が開催され、
70カ国以上より2,000名を越す代表団が来訪する(-23日)。

20日 ?●IIGEP、「ラ」大統領と会談を行う。IIGEPが「ラ」大統領と会談を行うのは印の   バグワティ委員長を除き初めて。
●「ス」北部ジャフナにおいて、デンマークの地雷除去NGOであるDanish Demining Groupの現地職員(タミル人)4名がオートバイに乗った2名の狙撃犯に銃撃され、1名が死亡、1名が負傷した。本事件を受けて、同NGOはジャフナでの活動を一時中止することに決定した。
●「ス」東部バティカロア県出身のジャヤナンダムルティTNA議員の兄がワラッチェナイにおいて何者かにより射殺される。

21日 ●IIGEP、第3回IIGEP会合及び「ラ」大統領との会談についてステートメントを発出し、「本会談は有意義且つ建設的であり、重要問題について自由な議論を行うことができた」と言及。
●フェルナンデス印労働・雇用大臣、来訪(-21日)。同日「ラ」大統領と会談を行う。

23日 ●参議院重要事項調査団第4班(矢野議員、郡司議員、風間議員)、来訪(-24日)。ウィクラマナヤケ首相、「ボ」外相、デ・シルバ保健大臣及びモラゴダ観光大臣と会談を行うほか、マラダーナ工科短期大学及び血液銀行を視察。

24日 ●政府系機関による汚職・腐敗行為に関するCOPE(注:Committee on Public Enterprises、政府系機関及び民間部門の汚職・腐敗行為を調査するために、国会法の下1979年3月に設立された。現在の委員長を務めるのはウィジェダーサ・ラージャパクサ元国家銀行大臣(SLFP議員、弁護士)。2006年7月4日、「ラ」委員長の下、政府系機関における汚職・腐敗行為の調査が開始され、2007年1月12日に第1回目の報告書が国会に提出された。)による第2回目の報告書が国会で提示され、20の政府系機関による汚職・腐敗行為の実態について報告が行われる。これら20の政府系機関における汚職総計額は60億ルピーと報告された。
●UNP及びSLFP人民派による第4回目の反政府デモ集会がガンパハ県ニッタンブワおいて開催される。

25日 ●タイより、僧侶46名を含む代表団90名が来訪(-29日)。

26日 ●公式行事において「ラ」国防次官は、現在、「ス」はテロリズムを撲滅させるための決定的な時期にあり、政府は次世代に戦争の負担を残さないために、(LTTEとの)戦争を終結させ、永続的な平和をもたらすことに強く決意している旨強調し、「政府は、東部と同じように北部もLTTEから解放する」と発言。
●タイ代表団、「ウィ」首相と会談を行う。
●「モ」観光大臣、イスラエル訪問(-9月1日)。
●中国仏教教会代表団125名、来訪(-31日)。

27日 ●昨年11月にロック国連紛争下の児童担当特別顧問が訪「ス」した際、カルナ派による児童の誘拐・徴兵に一部の政府軍兵士が関与している疑いがあると懸念が表明された件に関し、政府は本件も含めて、紛争下の児童の問題の迅速な対応を図るため、12名から成る委員会を設置する。
●タイ代表団、「ラ」大統領に表敬訪問を行う。また、個別に「ボ」外相と会談を行う。
●ウィジェシンハSCOPP事務局長、印訪問(-29日)。
●テイン・セイン・ミャンマー首相代行兼国家平和発展評議会第一書記、来訪(-29日)。同日「ウィ」首相と会談を行う。なお、今回の訪問を通じて、「ス」及びミャンマー政府は、教育、国防及び文化の分野における二国間関係の強化に向けて、3つのMoUに署名を行った。

28日 ●「バ」国家・遺産大臣、訪米(-9月14日)。

29日 ●「ボ」外相、マレーシアの独立50周年記念式典に出席するため、    マレーシアを訪問(-9月1日)。ミザン・ザイナル・アビディン国王及びアブドゥラ・バダウィ首相に表敬訪問を行うほか、副首相、国防相、外相及び労働相を含む政府要人と会談を行う。

30日 ●サハナ・プラダン・ネパール外相、来訪(-9月5日)。  

31日 ●「プ」ネパール外相、「ラ」大統領及び「ボ」外相と個別に会談を行う。 


 

スリランカの主な出来事(2007年7月1日-7月31日)

6月22日 ●ピーリス輸出振興・国際貿易大臣、加訪問(-3日)。
6月30日 ●ボーゴラガマ外相、ネパール訪問(-2日)。

1日  ●バンダラナイケ国際空港、4月28日以降2か月ぶりに夜間運用を再開(但し、実際の夜間運航は当面停止されたまま)。

2日  ●6月1日以降、「ス」国内において大量の爆薬の摘発が相次いでおり、LTTEが大規模な爆弾攻撃を企図している虞があると判断される状況の中、マンナール県カーサルのジャングルの中で、海軍が80kgのC4爆薬を発見。同爆薬は、鉄球とともに10個の箱に分けて詰められ、2000リットルの水タンクの中に隠されていた。海軍の報道官は、これらの爆薬は車両に移されて別な地域における攻撃に使用される予定であったとみられると述べた。

3日  ●ウィクラマシンハ野党UNP(統一国民党)総裁、運営委員会を主宰し、今年1月にジャヤスーリヤ行政・国内問題大臣をはじめとする17名のUNP議員が政府側へクロスオーバーした件に関し(注:当初18名のUNP議員がクロスオーバーしたが、後に1名が再びUNPに戻った)、同議員らに対して弾劾措置を取ることに決定。

4日 ●SLFP(スリランカ自由党)人民派の代表であるサマラウィーラ前外相とアマラシンハJVP(人民解放戦線)指導者が会談を行い、「ア」指導者は「サ」前外相に対してJVPとの連立を呼びかけた。
●ソルブバーグSLMM(スリランカ停戦監視団)団長、キリノッチにおいてプリテーバンLTTE和平事務局長と会談を行う。

5日  ●LTTE自爆テロ20周年記念日(当館注:LTTEが1987年7月5日にジャフナの政
府軍キャンプに初めて自爆テロ攻撃を行った記念日)。LTTE和平事務局、1987年以降、322名の自爆テロ要員(うち90名が女性)が犠牲になっている旨発表。
●「テロ取り締まりに関する緊急事態令」が更に1ヶ月延長されることが承認される(賛成:119票、反対:10票)。

6日  ●アムヌガマ企業開発・投資促進大臣、中国訪問(-12日)。

7日  ●モラゴダ観光大臣、米訪問(-18日)。

11日 ●政府軍、東部トッピガラを奪取。政府軍によるトッピガラ奪取は、約14年振りのことであり、これによって東部地域は全てが政府支配地域となった。タミルチェルバンLTTE政治部長は、ロイター通信のインタビューに対し、東部での勝利を祝い、喜んでいるような人間は和平を欲しているとは言えないため、ラージャパクサ政権と共に和平を達成することは不可能である、LTTEの目標は、軍事施設及び政府の経済施設であり、これらのターゲットに攻撃を行えば、政府の軍事、経済的能力を全て無力化するものとなるであろうし、これがLTTEの戦略である旨警告する。
●ブラツカー・ノルウェー大使、キリノッチにおいて「タ」LTTE政治部長と会談を行う。
●ウィクラマナヤケ首相、マレーシア訪問(-15日)。

14日 ●SLMM、「ス」東部バティカロア及びアンパーラ県において約1ヶ月ぶりに監視活動を再開する。

16日 ●夕方6時頃、トリンコマレー県の州議会次官執務室に何者かが乱入し、アベイウィーラ東部州議会首席次官に向けて5発の銃弾を発射し、同次官は即死した。
●サマラシンハ災害管理・人権大臣、ジュネーブ訪問(-19日)。滞在中にホームズ国連人道問題担当事務次長(兼緊急援助調整官)及びワルストロム国連人道問題調整官事務次長補と会談を行う。

17日 ●「ア」東部州議会首席次官暗殺事件に関し、トリンコマリー警察の特別捜査チームは東部州議会の職員8名を含む23名の容疑者を逮捕する。
●スーリヤラッチ前港湾開発大臣(閣外)、2005年の大統領選挙の際に北・東部州のタミル住民の投票のボイコットを陰謀したとされる「ラ」大統領とLTTEの密約について証明する文書を議会に提出し、本件を捜査する国会特別委員会の設置を要請した。

18日 ●コホナ外務次官、パキスタン訪問(-20日)。同日アジズ・パキスタン首相と会談を行う。

19日 ●コロンボ市内において東部解放記念式典「東部の夜明け」が開催される。「ラ」大統領は国民向けの演説の中で、軍及び治安関係者に対して労いの言葉をかけるとともに、紛争の政治的解決の実現に向けた決意を表明し、和平実現に向けた全ての政党及び国民の協力を呼びかけた。   
●SLFP人民派、野党UNPとMoUを締結する。
●国会において地方議会法の修正案が可決される(賛成:68票、反対:12票)。
●「ア」東部州議会首席次官の国葬が同次官の地元キャンディで執り行われる。

22日 ●SLFP第17回党大会が開催される。
●デ・シルバ保健大臣、「第4回国際エイズ学会」に出席するために豪訪問(-25)。

23日 ●デンマークのNGOであるDanish Refugee Councilの現地職員(タミル人)がLTTEの
ピストル・ギャングのメンバーと思われる者に射殺される。

24日 ●午後12時55分、陸軍兵士を乗せたバスが、マンナールからマダワッチヤに移動中、バスがチェティクラムに近づいたところでLTTEの仕掛けたクレイモア地雷が爆発し、兵士11人が死亡、6人負傷及び市民8名が負傷した。

25日 ●JVP、現在の政治情勢について自らの立場を説明するために、コロンボ市内で第1回目の集会を開催。今後各地で集会を開催する旨宣言し、テーマは「危機の解決、真の国民戦線、国を再建する政府」と発表。

26日 ●SLFP、「ウィ」UNP総裁が東部地域の奪取について政府軍の功績を過小評価し、JHUの僧侶議員に対して侮辱的な発言を行ったことに対して、全国150カ所において第1回目のデモ集会を開催。
●19日にSLFP人民派がUNPとMoUを締結したのを受けて、両政党は同MoU締結を記念するとともに、「ラ」政権の独裁主義、和平問題への取り組み、汚職問題、生活費の上昇問題等につき抗議するため、コロンボ市内において集会を開催。
●TNA(タミル国民連合)の呼びかけにより、北・東部において政府によるトリンコマリー県ムトゥール地区のHSZ(High Security Zone:高度警戒地域)指定に反対するハルタル(注:市民の抗議意思を表すストライキ活動等)が実施される。

27日 ●3月にJVP及びJHUが停戦合意の違憲性を申し立てる訴訟を行い、上訴裁判所が本訴訟は法的な根拠に基づいておらず、停戦合意は「ス」政府及びLTTEの両当事者の間に信頼醸成措置を構築するための「政策決定」(decision of policy)であり、法的な権限は付与されていないとし、JVP及びJHU側の訴訟を却下し、4月17日、JVP及びJHUは最高裁に対して、かかる上訴裁判所の判決に異議を申し立てる訴訟を行った件に関し、最高裁はJVP及びJHU側の異議申し立てを認める判決を下し、11月30日に初審が行われることに決定した。
●UNPの会計担当官であるカルナラトネ元国会議員、「ウィ」UNP総裁に辞表を提出し、UNP内において務めている全てのポストから辞任することを伝えた。「カ」元議員は、最近「ウィ」総裁が東部地域の奪取について政府軍の功績を過小評価し、JHUの僧侶議員に対して侮辱的な発言を行ったこと及びUNPとSLFP人民派がMoUを締結したことを辞任の主な理由として挙げた。

28日 ●エバンズICG(International Crisis Group:国際危機グループ)議長(元豪外相)、来訪(-30日)。

29日 ●印・「ス」和平合意締結20周年。

30日 ●「ボ」外相、マニラにおいて開催される第14回ARF(ASEAN地域安保フォーラム)外相会議に出席するためフィリピンへ(-8月4日)。


 

スリランカの主な出来事(2007年6月1日-6月30日)

1日  ●ラージャパクサ大統領、誘拐・失踪者の家族50名以上との面会を行い、早急に本件問題に取り組むためにサマラシンハ災害管理・人権大臣を委員長とする特別委員会及び24時間のホットラインを設置する旨約束した。
●コロンボ市内において「ス」赤十字職員(タミル人)2名が何者かにより誘拐され、2日ラトナプラ県(注:コロンボから約90㎞)において遺体で発見される。
●ボーゴラガマ外相、シンガポール訪問(-3日)。

4日  ●「ス」人権問題に関するIIGEP(独立国際有識者グループ)、「ラ」大統領に初めての中間報告書を提出。「ラ」大統領はEP(有識者)に対して、中間報告書の提出を感謝するとともに、本報告書における所見、懸念及び提言について念入りな精査を行い、必要とされる如何なる措置も取る旨保証した。
●「ボ」外相、韓国訪問(-6日)。

5日  ●明石政府代表、来訪(-9日)。同日コホナ外務次官と会談を行う。

6日  ●明石代表、「ラ」大統領と会談を行う。また、ラージャパクサ国防次官、ウィクラマシンハ野党UNP(統一国民党)総裁、アマラシンハJVP(人民解放戦線)指導者、ガマンビラJHU(ジャーティカ・ヘラ・ウルマヤ)指導者、モヒディーン・ムスリム和平事務局長とも個別に会談を行う。
●「テロ取り締まりに関する緊急事態令」が更に1ヶ月延長されることが承認される(賛成:114票、反対:16票)。

7日  ●警察がコロンボ市内に下宿する北・東部及び高地出身のタミル人約300名以上を強制退去させる事件が発生。しかしながら、同日最高裁は差し止め判決を下し、警察長官に対して、今後コロンボからタミル人を強制退去させないこと及びタミル人がコロンボ市内に入り滞在することを妨げないことを指示した。
●明石代表、「ス」東部バティカロア県を訪問。住民との意見交換を行い、ワーカライ(注:元LTTE支配地域、2007年1月19日に政府軍が奪取。)におけるIDPの再定住地域を視察し、トリンコマリー県南部のイッチランパッタイにおいて地雷除去現場を視察する。
●ラジーバ・ウィジェシンハ教授、SCOPP(政府和平プロセス調整事務局)新事務局長に任命される。

8日  ●明石代表、デ・シルバ保健大臣、「サ」災害管理・人権大臣、ウィターラナ科学・技術大臣、チャンドラセーカランUPF(高地人民戦線)党首、TNA(タミル国民連合)国会議員団、ムスリム議員団、当地共同議長国大使と個別に会談を行う。

9日  ●明石代表、「ボ」外相と会談を行う。また、今次訪問の成果をブリーフする記者会見を行う。

10日 ●7日に起きたタミル人強制退去事件について、ウィクラマナヤケ首相は記者会見を開き、本事件は「大きな過ちであった」と述べて遺憾の意を表明した。「ウィ」首相は、本事件について政府が責任を取る旨述べ、このような事件は二度と起きない旨保証した。

11日 ●IIGEP、中間報告書の提出を通知する第1回パブリック・ステートメントを発出し、CoI(事実調査委員会)の活動の遅延、司法長官の関与、証人保護に関する国内法の欠缺等について厳しい批判を行った。本ステートメントに対して、CoI委員長及び司法長官はそれぞれ回答し、IIGEP側が上げた懸案事項について反論を行った。
●ハウウェル英国務大臣(外務及びコモンウェルス担当)、訪「ス」(-12日)。同日、「ラ」大統領及び「ラ」国防次官と個別に会談を行う。
●「ラ」大統領、第96回ILO総会において基調演説を行うためにジュネーブへ(-15日)。

12日 ●昨年の9月に設置された誘拐、失踪、殺害事件に関する事実調査委員会(注:本事実調査委員会はティラカラトネ元高等裁判所判事単独のワンマン委員会。)、最終報告書を「ラ」大統領に提出。2006年1月1日~2007年2月25日までの期間に、全国(注:除くLTTE支配地域)において307名が誘拐され(132名が既に帰還)、 1,713名が失踪し(1,002名が既に帰還)、430件の殺害事件の報告がなされた。
●「ハ」英国務大臣、「ウィ」UNP総裁と会談を行う。

14日 ●「ラ」大統領、アルブール国連人権高等弁務官、デ・アルバ国連人権理事会議長及
びカーンAI(アムネスティ・インターナショナル)事務局長と個別に会談を行う。

15日 ●「ラ」大統領、第96回ILO総会において基調演説を行う。同日、ソルハイム・ノルウ
ェー開発援助大臣及びグテーレスUNHCR高等弁務官と個別に会談を行う。
●IIGEP、第2回目のパブリック・ステートメントを発出。本ステートメントにおいてIIGEPは、CoIの調査活動に司法長官事務局が関与している件についてその独立性について懸念を表明し、IIGEP側が数回に亘り本件問題についてCoI側に問題提起しているにも拘わらず、CoIは十分な是正措置を取っていない旨批判し、CoIに対して独立の弁護士を代わりに指名するよう要請した。

18日  ●ウィターラナAPRC(全政党会議代表者委員会)委員長が今後のAPRCにおいて
議論していくため、項目毎に20のセクションに分けた案(discussion paper)を発
表。
●IIGEPの中間報告及びパブリック・ステートメントの中で、司法長官事務局のCoIの活動への関与がCoIの独立性を損なっている等と批判されたことに対し、デ・シルバ司法長官は、バグワティIIGEP委員長宛に書簡を送付し、IIGEPの報告を事実誤認、不正確かつ不公平として厳しく批判した。

19日 ●2月9日に「ラ」大統領により解任されたサマラウィーラ前外相(兼港湾・航空大臣)
及びスーリヤラッチ前湾港開発大臣(閣外)が審議を一時中断し、与党の議員席
から野党の議員席へ移動。「サ」前外相は「現在の政権がより極端主義的な立場
を取る状況下、自分は独立したSLFP(スリランカ自由党)議員として良心に従い野党の議員席に座ることにする」と述べ、今後は「SLFP人民派(SLFP People's Wing)」の代表として新たな派閥を立ち上げる旨宣言した。
●国会において補正予算案(注:但し既存の予算の再配分)の投票が行われ、賛成107票、反対87票で可決された。UNP、JVP及びTNAは反対の票を投じたが、政府側へクロスオーバーしたUNP議員17名は政府とともに賛成の票を投じた。
●ジャフナ県ポイントペドロ沖において約20隻のボートからなるシータイガー部隊が海軍部隊を攻撃したため、政府軍は陸軍のロケット部隊や空軍の攻撃ヘリコプターも使用して反撃を行い、シータイガーのボート約10隻が破壊され、LTTE要員40名以上が死亡、約40名が負傷した。
●政府が国内の主要インターネット・プロバイダーに対し、親LTTE系ウェブサイトとして知られる「タミルネット」のアクセスを阻止するよう指示を出す。政府によるかかる措置は、同ウェブサイトが7月7日で創設10周年を迎えようとしていた矢先の出来事であった。

20日 ●「サ」前外相、国会において自らの立場を説明する特別演説を行う。「サ」前外相は、現在のSLFPは民主制を失い、党首である「ラ」大統領及びその取り巻きにより独裁制に陥っていると主張し、自分(「サ」前外相)はSLFPの創設者である故バ
ンダラナイケ首相により定められたSLFPの社会民主的原理に従って、新たな政
治的道程を歩み、SLFPを正しい方向へ導いていきたい旨強調した。
●5月30日付官報において、緊急事態令に基づきムトゥール・サンプールのHSZ
(High Security Zone:高度警戒地域)設置が宣言された件に関し、サンパンタンTNA国会議員団長は国会演説を行い、本件HSZの範囲は明確にされておらず、人々に大きな不安と混乱を与えているとし、政府がHSZの名目の下、同地域の穏健なタミル人を追い出してしまうとすれば、「意図的な民族浄化を意味する」と主張し、本件HSZ設置の実施を控え、本件措置自体を無効とすることを要請する。

  1. SLMM(スリランカ停戦監視団)、政府及びLTTEによる停戦合意違反の裁定を一時

停止する旨発表。オマルソンSLMM報道官は、「北・東部においては政府軍及びLTTEとの戦闘が続いており、両当事者による停戦合意違反が繰り返される現状に鑑みて、裁定を一時停止することに決定したが、監視・報告活動は今後とも継続していく」と説明した。

21日 ●ここ最近多発している誘拐、恐喝及び殺害事件に関し、CID(犯罪捜査局)の特殊
部隊はこれら一連の事件の主犯とされるガジャナヤケ元空軍少佐を逮捕した。

22日 ●ガンパハ県ホラゴッラ(当館注:クマーラトゥンガ前大統領の出身であるバンダラナイケ家の本拠地)の故「バ」首相墓所前にて、「サ」前外相及び「ス」前湾港開発大臣により、SLFP人民派の決起集会が行われた。
●「ス」、ウルグアイ、ジブチ、オランダとともに国連人権理事会の第2期の共同副議長国に選出され、ダヤン・ジャヤティラケ在ジュネーブ「ス」代表部大使が副議長に任命された。

25日 ●オスロにおいて第11回「スリランカ復興開発に関する東京会議」4共同議長会合開催(-26日)。
●SLFP人民派、「夢への挑戦-新しいスリランカの秩序に向けて-(Dare to Dream-Towards a new Sri Lankan order-)」と題する政策案を発表。
●「サ」災害管理・人権大臣、印訪問(-27日)。同日「バ」IIGEP委員長と会談を行う。

26日 ●「ボ」外相、訪日(-29日)。

27日 ●「ボ」外相、麻生外務大臣と会談を行う。

28日 ●「サ」前外相、「ウィ」UNP総裁と会談を行い、将来における連立の可能性等
につき協議する。                               (了)  


 

スリランカの主な出来事(2007年5月1日-5月31日)

3日 ●コロンボを含む「ス」南部において大雨が発生。16名が死亡、1,000棟以上の民
4日   家が損害を受けた。

7日  ●ローワン・ウィリアムズ・カンタベリー大主教、来訪(-11日)。

8日 ●バウチャー米国務次官補、来訪(-10日)。

9日  ●昨年12月6日国会において公布された「テロ取り締まりに関する緊急事態令」が更に1ヶ月延長されることが承認される(賛成:124票、反対:15票)。UNP(野党統一国民党)は前回に引き続き棄権した。
        ●「バ」米次官補、「ス」北部のジャフナを訪問。

10日●「バ」米次官補、ラージャパクサ大統領と会談を行う。同日、ラージャパクサ国防次官、ウィクラマシンハUNP総裁とも個別に会談を行う。
        ●「ウィ」カンタベリー大主教、「ラ」大統領と会談を行う。
        ●プンチニラメUNP議員及びニジャムディーンSLMC(スリランカ・ムスリム会議)議員がそれぞれ国家建設大臣(閣外)及び鉄道副大臣に任命される。

11日●バンダラナイケ国家遺産大臣、象のアヌラ来日50周年記念式典に出席するために訪日(-16日)。
        ●「ウィ」UNP総裁を率いるUNP代表団、チベット(-13日)及び中国を訪問(13日-18日)。

12日●コロンボにおいて、スリランカ人権問題に関する大統領事実調査委員会(COI)及び独立国際有識者グループ(IIGEP)の第2回会合が開催される。
        ●デ・シルバ保健大臣、第60回WHO年次総会に出席するためにジュネーブへ  (-19日)。

13日●「ウィ」総裁、チベット自治区の向巴平措(シャンバピンツォ)主席に表敬訪問を行う。

14日●COI、「ス」における重大人権侵害事件16件(注:従来は15件であったが、2006年11月に起きたラビラージTNA(タミル国民連合)国会議員暗殺事件を追加)の調査活動を本格的に開始する(COIの最初の調査対象事件は、2006年8月「ス」東部ムトゥールで起きたフランス系NGO現地職員虐殺事件となっている)。
       ●バンブリーWFPアジア部長、来訪(-18日)。

16日●「ラ」大統領、チャマル・ラージャパクサ灌漑・水管理大臣(注:「ラ」大統領の従兄)を港湾・航空大臣に任命(「ラ」港湾・航空大臣は灌漑・水管理大臣を兼任)。なお、湾港・航空大臣のポストは2月9日に「ラ」大統領がサマラウィーラ前港湾・航空大臣らを解任した以降空席になっていた。
       ●カルナ派の政党であるTMVP(タミル人民解放の虎)は会合を開き、TMVPの「民主的な」活動を分散させるために運営委員会を設置した。TMVPが発出したステートメントによると、本運営委員会は委員長、事務局員、和平事務局長、報道官、TMVP幹部要員及び地域指導者を含む27名から構成され、TMVPの活動全般について意志決定を行う権限が付与される。

17日●「ラ」大統領、世界経済フォーラム及びG11サミットに出席するためにヨルダンへ(-21日)。
        ●「ウィ」UNP総裁、賈慶林(Jia Qinglin)人民政治顧問会議議長と会談を行う。

18日●「ラ」大統領、世界経済フォーラムの開会式に出席。同日、ヨルダンのアブドッラー・ビン・フセイン国王、アジズ・パキスタン首相及びカルザイ・アフガニスタン大統領と個別に会談を行う。「ラ」大統領、「ア」国王とともに貿易、投資及び文化に関わる3つの合意に署名した。
21日●「ラ」大統領、ヨルダンからクウェートへ(-22日)。同日、シェイク・サバーハ・アル・アハマド首長殿下と会談を行う。
        ●国連人権理事会の強制的失踪作業部会、市民監視委員会(CMC:Civil Monitoring Committee、2006年9月に設立。市民社会代表者及び政党関係者から構成される超党派の団体であり、コロンボ市内及び郊外における誘拐、失踪、殺害事件の調査活動を行っている。)より依頼のあった11件の失踪事件を調査することに決定。

22日●UNP改革派(注:1月28日の内閣改造にともない政府側へクロスオーバー18名のUNP議員。うち1名がUNPに戻り、現在は17名)、民族問題の最終的解決に向けた18項目からなる提案を発表。UNP改革派のリーダーであるジャヤスーリヤ行政・国内問題担当大臣は、同案においては第13次憲法改正(注:1987年7月印・「ス」合意によって「ス」における州議会の設置が決定され、同年11月の第13次憲法改正によって同議会が設置された)に基づいた州制度を基礎とした分権、大統領制の継続及び二院制の導入等を提案している旨説明した。

23日●パワール印農業大臣、来訪(-25日)。

24日●政権党のSLFP(スリランカ自由党)、権限委譲案を正式にAPRC(全政党代表者委員会)に提出。
        ●午前9時頃、コロンボ市北部フォート地区のコロンボ港入口付近において陸軍のバスがコロンボ港の警戒のために兵士を各所に配置している最中に爆発が起き、兵士1名が死亡、兵士3名及び市民3名の6名が負傷した。路上に駐車してあったオートバイにクレイモア地雷が仕掛けられていたとされている。
        ●未明、LTTEのボート2隻がデルフト島(当館注:ジャフナ半島南西に位置し海軍が警備している)への上陸を試み、さらに自爆テロボート6隻を含む16隻のボートが海軍を攻撃して戦闘となり、海軍はLTTEのボート2隻を破壊、2隻にも損傷を与え、逃走するLTTEのボートを空軍の戦闘機が爆撃し、自爆テロ用ボート2隻を破壊した。サマラシンハ軍報道官は、この戦闘で海軍兵士4名が死亡、ほか4名が負傷し、LTTE側は18名が死亡したと述べた。イランティラヤンLTTE軍事報道官は、今回の攻撃においてシータイガーは海軍兵士35名を殺害、ドゥボラ高速攻撃艇1隻を破壊し、LTTE要員の死者は4名であったと語ったが、「サ」軍報道官はこのLTTEの発表を否定した。

25日●「ボ」外相、ファウジー石油・石油資源開発大臣及びセイロン石油公社のアシャンタ・デ・メル社長らが同行するハイレベルの「ス」代表団とともに石油分野の関連プロジェクトに対するイランの支援を求めるためにイランを訪問(-27日)。
        ●訪「ス」中のアラブ首長国連邦のアル・ビン・アブドッラー・アル・カビ労働大臣(24日-26日)、「ラ」大統領と会談。同日ランブクウェラ海外雇用・福祉大臣とも会談を行い「ス」出稼ぎ労働者の権利保護に関する覚書に署名する。

28日●午後5時40分頃、コロンボ県ラトマラーナのゴール・ロード(当館注:コロンボと南部の都市ゴールを結ぶ国道A2号線)上において、STF(警察特殊部隊)隊員9名を乗せたトラックがコロンボ方面に向かっていたところ、道路脇の商店の屋根に仕掛けられていたクレイモア地雷が爆発し、同トラックの他、ワゴン車4台、乗用車2台、オートバイ2台等が損傷を受け、市民7名が死亡、STF隊員及び市民を合わせ40名近くが負傷した。
●「ラ」国防次官、訪印(-30日)。

 


 

スリランカの主な出来事(2007年4月1日-4月30日)

3月30日 ●コホナ外務次官、第14回SAARC首脳会議に先駆けて行われる外務次官による常設委員会会議(3月31日-4月1日)に出席するために印へ。
3月31日 ●ボーゴラガマ外相、第14回SAARC首脳会議に先駆けて行われる閣僚級会議(4月2日)に出席するために印へ。

1日  ●ラージャパクサ大統領、第14回SAARC首脳会議に出席するために印へ(-5日)。
●「ボ」外相、ムカジー印外相、シャヒード・モルジブ外相及びチョウドゥリー・バングラデシュ外務省首席顧問と個別に会談を行う。

2日  ●正午頃、「ス」東部アンパーラ県アンパーラ市の西約4kmの軍の検問所付近で一般市民の乗車するバスが爆発し、乗客16名死亡、28名以上が負傷した。

3日  ●ニューデリーにおいて第14回SAARC首脳会議が開催される(-4日)。「ラ」大統領、麻生外務大臣と会談を行う。
●1月28日に行われた内閣改造において18名の「UNP(野党統一国民党)改革派」議員が政府側へクロスオーバーした件に関し、その一員であり鉄道副大臣のポストに就任したグナセーカラ議員が、再びUNPに戻る。

4日  ●第14回SAARC首脳会議閉幕。本首脳会議において、SAARC加盟国の首脳は南アジア大学及びSAARC食料銀行の設立に合意。
●「ラ」大統領、バウチャー米国務次官補と会談を行う。

5日 ?●昨年12月6日国会において公布された「テロ取り締まりに関する緊急事態令」が更に1ヶ月延長されることが承認される(賛成:119票、反対:16票)。UNPは右事態令が毎回国会において延期が承認されているにもかかわらず、政府は頻発する殺害、誘拐及び失踪事件に対して有効な措置を取っていない旨主張し、かかる状況に鑑みてUNPは棄権した。
●「ス」における15件の重大人権侵害事件を捜査する大統領事実調査委員会のウパワンサ・ヤーパ元最高判事(シンハラ人)とK.C.ロゲシュワラン弁護士(タミル人)が私的な都合により辞任する。

7日  ●「ス」北部ワウニア県ピリマナンクラムにおいてLTTEが走行中のバスに対してクレイモア地雷攻撃を行い、乗客7名死亡、26名が負傷した。

9日  ●ワウニア県オマンタイにおいてLTTEが政府支配地域とLTTE支配地域の境界線上の検問所を砲撃し、陸軍兵士2名死亡、11名が負傷した。

10日 ●「ス」南部コスコダにおいて一般市民乗車バスとトラックが衝突し、バスが炎上、少なくとも23名が死亡、50名以上が負傷した。
●ワウニア県オマンタイにおいて陸軍がLTTEの砲陣地に対して攻撃を行い、軍の発表によると、LTTE要員20名が死亡、40名以上が負傷した。
●アムヌガマ企業開発・投資促進大臣、「2007年度世銀・IMF年次総会」(13日)に出席するためにワシントンへ(-20日)。

11日 ●政府軍が2月下旬よりLTTEの掃討を行ってきたところ、バティカロア西方地域の国道A5号線を14年ぶりにLTTEから奪回し、LTTE要員をトッピガラ地域に追い詰めた。これまでの戦闘で、LTTE要員200名以上が死亡し、陸軍兵士は11名死亡した。
●今まで頑なに児童徴兵への関与を否定していたカルナ派が、デイリーミラー紙とのインタビューにおいて、過去におけるカルナ派による児童徴兵を「過ち(mistake)」として認め、過去に自分の子供がカルナ派に徴兵された家族に対して、正式な謝罪を行うことを検討していると述べた。

14日  ●「ボ」外相、伊へ。

16日  ●「ボ」外相、マッシモ・ダレーマ外相(副首相兼任)とともに文化、教育、科学・技術協力に関する二国間合意を締結。

17日  ●JVP(人民解放戦線)及びJHU(ジャーティカ・へラ・ウルマヤ)が停戦合意の違憲性を申し立てる訴訟を行い、3月6日、上訴裁判所が本訴訟は法的な根拠に基づいておらず、停戦合意は「ス」政府及びLTTEの両当事者の間に信頼醸成措置を構築するための「政策決定」であり、法的な権限は付与されていないとし、JVP及びJHU側の訴訟を却下した件に関して、JVP及びJHUは最高裁に対して、かかる上訴裁判所の判決に異議を申し立てる訴訟を行う。
●「ボ」外相、ギリシャへ(-18日)。

18日  ●「ラ」大統領、ローマ法王ベネディクト16世に謁見するためにバチカンへ(-22?? 日)。
●「ボ」外相、バカヤニ・ギリシャ外相と会談を行う。同日、「ラ」大統領と合流するためにバチカンへ。

19日  ●「ラ」大統領、ナポリターノ伊大統領と会談を行う。

20日 ?●「ラ」大統領、ローマ法王ベネディクト16世と会談を行う。また、タルチジオ・ベルトーネ首相とも意見交換を行う。

22日  ●「ボ」外相、サウジアラビア訪問(-26日)。
●アーナンダサンガリーTULF(タミル統一解放戦線)総裁及びデーワナンダEPDP(イーラム人民民主党)党首(当館注:いずれもLTTEとは対立的な立場を取る)、「ス」における和平プロセスの支援を求めるために南アフリカへ(-26日)。

23日  ●キリノッチで行われる予定であったブラツカー・ノルウェー大使とタミルチェルバ
ンLTTE政治部長との会談が急遽キャンセル。本件について当地ノルウェー大使館報道官は一部報道に対して、22日夕方、「コ」外務次官より、北・東部情勢の悪化と安全上の懸念を知らせる電話があり、ノルウェー側の判断で中止を決めた旨説明した。

24日  ●午前1時15分頃、LTTEの航空機がパラーリのHSZ(当館注:高度警戒地域、空
軍基地及びジャフナ管区軍司令部が置かれている)に侵入しようとしたところ、政府軍がこれを撃退した。防空部隊がポイント・ペドロ地域から海岸沿いにパラーリHSZに侵入しようとした小型機1機を発見し、直ちに防空システムの警報が行われ、防空部隊は対空機関銃による射撃を行った。このため、同機は退避を余儀なくされ軍事施設を攻撃することはできなかったが、マイラディ海岸(当館注:カンケサントゥライ海軍基地近辺)に「爆発物」2個を投下した。これと同時に、LTTEはプーネリンからも砲撃を行ったため兵士6名が死亡し、政府軍も砲撃により応戦をした。
●「ボ」外相、サウード・アル・ファイサル殿下(外相)と会談を行う。
●ウィクラマシンハUNP総裁、国際民主連盟の会合に出席するためにクロアチアへ(-26日)。その後、ベルリン、ブラッセル及びウィーンへ(-5月5日)。

29日 ●LTTEの小型航空機2機が、午前1時50分頃ムトゥラージャウェッラ(コロンボ市中心部から北に5~6km)のガス貯蔵庫及びコロンナワ(コロンボ市東の市境の町)の石油精製所に対して空爆を行う。ムトゥラージャウェッラのガス貯蔵庫については2個の爆弾を投下し、うち1個が爆発し、若干の損害(発電機3機が破損)を発生させた。また、コロンナワの石油貯蔵庫にも爆弾を投下したが、貯蔵庫自体に被害はなかった。なお、ムトゥラージャウェッラ及びコロンナワ近辺の民家8棟の屋根が弾丸の破片により損傷し、一般市民8名が負傷した。

30日 ●政権党のSLFP(スリランカ自由党)、権限委譲案を発表。SLFP案においては各
県に県議会(District council)の設置を提案し、県レベルでの権限委譲を実施することにより、住民に善良な統治を保証し、より大きな権限を付与することができる旨主張。
(了)


 

スリランカの主な出来事(2007年3月1日-3月31日)

2日

●元LTTE東部司令官でTMVP(タミル・イーラム人民解放の虎、カルナ派の政党)指
導者カルナが、「ス」東部バティカロア県内の2カ所のTMVP軍事キャンプを電撃訪
問する。TMVP発出の声明によると、カルナは今次訪問において、「特殊攻撃部
隊」及び「特殊諜報攻撃部隊」の2つの特殊部隊を創設した。カルナにはピライヤ
ン(Pillaiyan)司令官、ジェヤム(Jeyam)上級司令官らの司令官が同行し、政治部門
の指導者とともにキャンプに2日間滞在して重要な協議を行った(-3日)。

5日 

●ブラツカー・ノルウェー大使、キリノッチにおいてタミルチェルバンLTTE政治部長と会談を行う。「タ」政治部長は、LTTEの諜報機関によるとムライティブ県南部のマナルアルにおいて政府軍が兵員及び装備の結集を行っていることが明らかになっているとし、政府軍による軍事的な攻撃に対してLTTEが反撃を行っても、国際社会はかかるLTTEの対応を非難してはならないと述べた。「タ」政治部長は東部情勢に関し、政府は依然として重大な人権侵害を犯し続けている、また、同地域の治安の不安定化を招いている旨主張し、このような状況に対して国際社会は全く政府を非難しないと批判した。同政治部長は、かかる国際社会の手ぬるいアプローチでは軍事的目的を有する政府側の策謀を変えることはできず、情勢の悪化に貢献するのみであり、「ス」を大殺戮のある戦闘へと押しやるであろうと警告した。

●ゴタバヤ・ラージャパクサ国防次官とロバート・O・ブレーク米大使、二国間の増大する防衛協力に枠組みを与える兵站協定に署名。本件物品役務相互提供協定(ACSA)により、米国と「ス」は、平和維持活動や人道支援活動、共同訓練において、兵站補給・支援及び燃料補給活動を物々交換または費用負担により取り交わすことができる。同協定において許可される物品及び役務には食料、石油輸送が含まれ、武器や弾薬の供給は明白に禁止されている。

●ボーゴラガマ外相、英訪問(-9日)。

6日  

●JVP(人民解放戦線)及びJHU(ジャーティカ・ヘラ・ウルマヤ)が停戦合意の違憲性を申し立てる訴訟を個別に行い、本合意の破棄を追求している件に関し、上訴裁判所は本訴訟は法的な根拠に基づいておらず、停戦合意は「ス」政府及びLTTEの両当事者の間に信頼醸成措置を構築するための「政策決定」であり、法的な権限は付与されていないとし、JVP及びJHU側の訴訟を却下した。

7日

●昨年12月6日国会において公布された「テロ取り締まりに関する緊急事態令」が更に1ヶ月延長されることが承認される(賛成:123票、反対:18票)。

●サンパンタンTNA(タミル国民連合、親LTTE系政党)国会議員団長、2月27日に生起した外国大使搭乗ヘリコプター砲撃事件に関する特別なステートメントを行い、本事件をTNA側は誠に遺憾に思うと述べながらも、TNAはタミル人の問題について国際社会との対話を継続しており、タミル人の問題及びタミル人の苦難について国際社会が常に関心を示してきたことに心から感謝すると述べ、タミル人の苦境を緩和するための国際社会による努力の継続を要請した。

●「ボ」外相、ベケット外務次官、マックキノン・コモンウェルス事務局長、ベン国際開発援助大臣及びマーフィー元北アイルランド国務長官らと個別に会談行う。

8日  

●スティーブン・マン米国務次官補代理、来訪(-9日)。

●サマラシンハ災害管理・人権大臣、第4回国連人権理事会(12日-30日)に出席するためにジュネーブへ。

9日

●「マ」米国務次官補代理、「ラ」大統領と会談を行う。同日、「ボ」外相、ラージャパクサ国防次官、三軍の司令官及びウィクラマシンハUNP(    野党統一国民党)総裁とも個別に会談を行う。

11日 

●渥美外務省南部アジア部長、第4回日「ス」政策協議・第1回日「ス」経済協議に出席するために来訪(-14日)。

12日 

●第4回日「ス」政策協議・第1回日「ス」経済協議開催(-13日)。

●ジュネーブにおいて第4回国連人権理事会が開催される。「サ」大臣、本理事会において「ス」の人権状況の改善に向けて「ス」政府は具体的な措置を取っている旨主張し、目撃者保護に関する新たな法令の導入や、大統領事実調査委員会及びIIGEP(独立国際有識者グループ)の設立等について説明を行った。

●「ス」政府と中国企業との間でハンバントタ港プロジェクト開始の署名式が執り行われる。

●「ボ」外相、訪米(-17日)。

●我が国と「ス」との議会交流の促進の一環として、衆議院の招聘によりロクバンダーラ国会議長他9名の「ス」国会議員団が訪日(-17)。

13日 

●「ボ」外相、潘基文国連事務総長をはじめ、国連政務局長、人道問題局長、UNDP及びUNICEF事務局長と個別に会談を行う。

15日 

●「ボ」外相、アルベルト・R・ゴンザレス司法長官及びステファン・ハドレー国家安全保障顧問と会談を行う。

17日

●2月9日に「ラ」大統領により解任されたスーリヤラッチ前港湾開発大臣、公有財産濫用の罪に問われ、勾留される。「ス」前大臣は、大臣ポストから解任された後も公用車を利用していたとされ、公有財産濫用の罪に問われるが、「ス」前大臣は本公用車は3月3日に既に返却したとし、今回の勾留は、政府とLTTEの秘密合意疑惑に関係しており、政府は、自分(「ス」前大臣)が要請している、本秘密合意を調査する国会特別委員会の設置を阻止しようとしていると主張。

●「ボ」外相、ライス米国務長官と会談を行う。

18日 

●「ス」東部アンパーラ県アルガムベイ沖において海軍がLTTEの武器密輸船とみられる大型貨物船2隻を撃沈。

19日 

●「ボ」外相、印へ(-21日)。同日、ムカジー印外相、アントニー国防相及びパワール農業相と個別に会談する。また、ヴァジパイ元首相及びアドヴァニ元BJP副総裁とも意見交換を行う。

21日 

●シリセーナSLFP(スリランカ自由党)幹事長を長とするSLFP代表団、中国共産党との交流を深めるために中国を訪問(-28日)。

22日

●政府軍、マンナール県のLTTE支配地域にいる市民の解放とLTTE砲迫陣地の無力化を目的にLTTE支配地域に対する攻撃を開始する。

●モッタキ・イラン外相、来訪(-23日)。同日「ラ」大統領と会談を行う。

23日 

●マンナール県ジャイアント・タンク(当館注:マンナール市南東20km)の東側からマドゥ(当館注:「マ」市南東35km)の西側にかけての地域で政府軍とLTTEとの間で激しい戦闘が行われる。なお、ワウニア県の政府支配地域とLTTE支配地域の境界線にあるオマンタイ・チェックポイントをLTTEが迫撃砲により攻撃した。このため、双方の防衛線間の緩衝地帯に駐在しているICRC職員も避難をせざるを得なくなり、同チェックポイントは一時閉鎖されたが24日には開放された。

24日

●セネウィラトネ労働・人的労働力大臣、第298回ILO会議に出席するためにジュネーブへ。

26日

●午前0時45分頃、バンダラナイケ国際空港に隣接するカトゥナヤカ空軍基地がLTTEによるテロ攻撃を受ける。同基地に対する攻撃は小型航空機1機により行われ、同基地技術部の格納庫に対し3発の爆弾が投下され、このうち2発が爆発し1発は不発であった。本攻撃により空軍兵士3名が死亡、16名が負傷したが、同基地の航空機及び滑走路に被害はなかった。

27日 

●「ス」東部バティカロア県のチェンカラディにおいてLTTEがトラクターによる自爆テロ攻撃を行う。政府軍兵士3名及び市民5名死亡、18名負傷。

28日

●政府軍、「ス」東部バティカロア県のコッカディチョーライを奪取。

●「ス」北部ムライティブ県アランピルにおいて海軍とLTTEシータイガーとの間で戦闘が行われ、約20名のLTTE要員が死亡。

●ウィクラマナヤケ首相、タイ訪問(-4月1日)。

30日 

●コホナ外務次官、第14回SAARC首脳会議に先駆けて行われる外務次官による常設委員会会議(3月31日-4月1日)に出席するために印へ。

31日 

●「ボ」外相、第14回SAARC首脳会議に先駆けて行われる閣僚級会議(4月2日)に出席するために印へ。
(了)


 

スリランカの主な出来事(2007年2月1日-2月28日)

1日  ●今まで政府に閣外協力を行ってきたJHU(ジャーティカ・ヘラ・ウルマヤ)が政権に参加することに決定し、議員8名が政府側へクロスオーバーし、うち1名が環境・自然資源大臣に任命される。なお、プレマラル・ジャヤセーカラSLFP(スリランカ自由党)議員が地方産業大臣(閣外大臣)及びP.ラーダクリシュナンUPF(高地人民戦線)議員が職業訓練・産業教育副大臣に任命され、閣僚人数は合計107名となる。
●ブラツカー・ノルウェー大使、キリノッチにおいてタミルチェルバンLTTE政治部長と会談を行う。
●ボーゴラガマ外相、独訪問(-3日)。同日ステインマイアー独外相と会談を行う。

2日  ●新閣僚の次官が任命される。
●独を訪問中の「ボ」外相、経済協力・開発国会委員会、外務国会委員会及び南アジア議員団の代表団と個別に会談を行う。

3日  ●ラージャパクサ大統領、1月19日に政府軍が奪取した「ス」東部ワーカライを電撃訪問。「ラ」大統領はLTTEに対して武器を捨て交渉のテーブルに復帰するよう再度呼びかけ、全てのコミュニティーに受け入れ可能な民族問題の政治的解決を見出すことを約束する。

4日  ●独立59周年記念式典が執り行われる。「ラ」大統領、記念式典の演説において
TNA(タミル国民連合、親LTTE系政党)に対して政府側との対話を呼びかけ、「我々と協力することによってのみ、北部の無辜のタミル住民がテロリストによる脅威及び暴力から解放され、北部が自由になる」と述べた。

6日? ●午後4時頃、コロンボ市内中心地にあるB.M.I.C.H(バンダラナイケ記念国際会議場)において、産業・文化等の展示会が実施されていたところ、STF(警察特殊部隊)の展示物である手榴弾が誤って爆発し、17名が負傷し、STF隊員1名と来場していた僧侶1名が重傷を負った。
●アンジェラ・ケーン国連政務局次長、来訪(-12日)。
●アムヌガマ企業開発・投資促進大臣、パキスタン訪問(-8日)。

7日  ●国会において、昨年12月6日に公布された「テロ取り締まりに関する緊急事態令」が更に1ヶ月延長されることが、賛成122票、反対17票で承認される。TNA及びWPF(西部人民戦線)以外の政党は賛成。
●「ア」企業開発・投資促進大臣、アジズ・パキスタン首相と会談。「ス」・パキスタンにおける投資促進のために幾つかの覚書に署名。

9日  ●「ラ」大統領、サマラウィーラ港湾・航空大臣及びバンダラナイケ国家遺産大臣並びにスリヤアーラッチ港湾開発大臣(閣外大臣)らを解任。
●「ス」における児童徴兵問題に関する国連安保理作業部会において、昨年11月に当地を訪問したアラン・ロック国連紛争下の児童特別顧問が右訪問を基に作成した報告書を提示し、LTTEに対して目的別の制裁(targeted sanctions)を課することを要請するとともに、「ス」政府に対してはカルナ派による児童の誘拐・徴兵に政府軍の一部が関与しているとされる件について徹底した公平(impartial)な捜査を要請。
●「ケ」国連政務局次長、「ボ」外相と会談を行う。

11日 ●「ラ」大統領、モルディブ訪問(-13日)。今回の訪問は大統領就任以来初めてのモルディブ訪問となる。「ラ」大統領はガユーム大統領及びシャヒード外務大臣と会談を行い、既存の二国間関係を更に強化し、また、より広範囲な分野で両国の関係を強化するために新たな方策を探求する必要性について確認する。今回の訪問を通じて両国は文化及び教育協力に関する覚書にそれぞれ署名した。

12日 ●コロンボにおいて、スリランカ人権問題に関する大統領事実調査委員会及び国際独立有識者グループ(IIGEP)の第1回会合が開催される。

13日 ●ハウエル英国務大臣(コモンウェルス及び外務担当)、来訪(-15日)。

14日 ●9日に「ラ」大統領により解任された「バ」前国家遺産大臣、「ラ」大統領と会談を行い国家遺産大臣のポストに復任することに合意する(22日に再就任する)。
●「ハ」英国務大臣、「ス」東部アンパーラ県訪問。

15日 ●「サ」前外相、国会において記者会見を開催し、今回の解任騒動を巡る自らの立
場を明確にするとともに「ラ」大統領に対して10項目からなる提案を提示し、仮に「ラ」大統領がこれらの提案の実施に合意するようであれば、お互いの意見の対立について話し合う用意があるものの、仮に「ラ」大統領が合意しなければ、SLFPを守り「ラ」大統領に投票した人々の希望を満たすために如何なる措置も取る用意ができているとの姿勢を示した。
●「ハ」英国務大臣、「ラ」大統領と会談を行う。
●「ボ」外相、パキスタン訪問(-18日)。

16日  ●「ボ」外相、アジズ首相及びカスーリ外相と個別に会談を行う。

17日  ●ラージャパクサ大統領首席顧問(当館注:「ラ」大統領の実弟)、我が方招聘プログラムにて訪日(-22日)。

18日  ●パキスタンのタリック・ワシーム・ガージ国防次官を団長とする代表団が当地を訪問(-22日)。
●「ラ」首席顧問、明石政府代表と会談を行う。

19日  ●政府軍及びLTTEの戦闘の激化により昨年8月から一時閉鎖していたジャフナ大学が再開する。
●当地を訪問中の「ガ」パキスタン国防次官、「ラ」大統領と会談を行う。同日、ラージャパクサ国防次官(当館注:「ラ」大統領の実弟)、ペレーラ国防参謀長及び三軍の司令官と個別に会談を行う。
●「ラ」首席顧問、麻生外務大臣に表敬訪問を行う。同日、淺野副大臣と会談を行う。

20日 ?●UNP、政府が民族問題の最終的解決に向けた権限移譲案を未だ提出していないことから、今後3週間の間APRC(全政党代表者委員会)への参加を停止することに決定。

22日  ●停戦合意5周年。JVP(人民解放戦線)及びJVPの外郭団体がコロンボ市内でデモ抗議を開催し、政府が停戦合意を破棄しないのであれば、JVPは母国の主権を保護していく愛国主義勢力と一致団結し、現政権を追い出す旨警告する。
●停戦合意締結5周年を迎えLTTEは「停戦合意、5年目を迎える」と題するステートメントを発出し、2002年2月22日の停戦合意の締結を受けて、LTTEは長年の紛争に打ち拉がれてきたタミル人の人権・人道状況を改善すべく、平和的な民族問題の解決に向けて右合意に真摯にコミットしてきたが、「ス」政府は悉くタミル人の希望を裏切り、シンハラ民族主義的且つ軍事的なアプローチで抑圧してきたと主張し、国際社会がかかる「ス」政府の対応に何ら建設的な措置を取らなかったことが停戦合意を危殆に晒したと非難。
●デ・シルバ保健大臣、豪訪問(-3月4日)。

 

25日 ●「ラ」大統領、「ス」・中国の国交樹立50周年を迎えることに併せ、中国を訪問(-3月4日)。
●マレーシアのダト・スリ・トゥンク・アドナン観光大臣、来訪(-27日)。

27日 ●午前8時から9時頃、バティカロアにおいて、LTTEが外国大使らの搭乗するヘリコプターを狙ってバティカロア空軍基地及びウェバー・スタジアムの2カ所を砲撃し、伊大使を含む10名以上が負傷した。サマラシンハ自然災害管理・人権大臣の主催による視察団一行は、ワーカライの視察及びワーカライのIDP(国内避難民)に対する人道支援を協議する予定であり、視察団には、米・独・伊・日・仏の大使、国際機関の代表者らが含まれていた。

28日 ●午前6時半頃、「ス」南部マータラの沖合185海里(約340km)で政府海軍とLTTEとの間で海上戦闘が発生し、海軍がLTTEの大型武器密輸船を撃沈。回収した貨物船の積み荷からは、120ミリ、130ミリ、152ミリの砲弾、地対空ミサイル(弾薬部)、船外機、光学機器等が発見された。海軍は、同船はLTTEの武器密輸船であり、過去に海軍が破壊した密輸船の中でも最大規模であったと述べた。
●「ラ」大統領、胡錦濤国家主席、温家宝総理及び呉邦国全人代常務委委員長と個別に会談を行う。今回の訪問において8つの合意書が締結され、経済・技術協力、都市開発、投資促進に関する合意書の他、農業や教育協力に関する合意書も締結された。
(了)


 

スリランカの主な出来事(2007年1月1日-1月31日)

2日 ●「ス」西部マンナール県イルパイカダワイにおいて政府空軍がシータイガー(当館注:LTTE海上部隊)基地を空爆。LTTEは、空軍は同地域の漁村を空爆し、児童4名を含む市民15名が死亡、30名が負傷し、住宅25棟が損壊したと主張したが、政府軍は空爆地点は居住地域ではなく死傷者はLTTEにより軍事施設に連行されていたとしてLTTE側の主張を否定した。

4日 ●2006年11月10日に起きたラビラージTNA(タミル国民連合、親LTTE系政党)国会議員の暗殺事件の捜査を支援するために英国警視庁(Scotland Yard)より5名からなる捜査チームが到着(-14日)。
●ファルーック・カスラーウィ元ヨルダン外相、来訪(-5日)。

5日 ●午後6時35分頃、ガンパハ県ニタムブワ(コロンボ北東約30㎞)において民間バスが車内にしかけられた時限爆弾により爆発し、児童1名を含む市民7名が死亡、70名が負傷。政府は無辜の市民を狙ったLTTEによるテロ行為と非難。なお、LTTEの分派とされる「エラーラン・フォース」と名乗る団体は、当地デイリーミラー紙に対し、1月5日付書簡において、「我々は沈黙のままでは終わらない」とするメッセージを伝達し、政府が北・東部地域において軍事的行動を継続するのであれば、南部の市民に対する更なる攻撃を行うと警告した。
●ムスリム組織及び超党派の参加者により、フセイン元大統領処刑に反対するデモ抗議がコロンボ市内で行われる。また、「ス」東部の各地においても抗議デモが行われる。
●印のチェンナイから約3,000メトリックトンの食糧がジャフナに到着。

6日 ●午後2時35分頃、「ス」南部ゴール県ゴダガマ(コロンボ南東約90㎞)において、コロンボ~マータラ(コロンボ南約130㎞)間の路線バスがLTTE女性自爆テロ要員により爆発し、市民12名が死亡、42名が負傷した。イランティラヤンLTTE軍事報道官は、1月5日及び6日の一般市民バスの連続爆破事件について政府がLTTEによる犯行であると非難している件について、「根拠のない非難である」と主張した。

8日 ●APRC(全政党代表者委員会)会合開催。APRCの委員長を務めるウィタラーナ科学・技術大臣が、全政党会議諮問委員会による見解及び過去5ヶ月実施してきたAPRCの協議を念頭に置いた報告書を提示する。ラージャパクサ大統領は、「ウィ」委員長の報告書を受け、国家を弱めようとする考えは如何なるものであれ許容出来ない旨述べ、同報告書に不信感を示し、「ウィ」委員長の報告書と政府の立場は分離して考えるべきとの立場を明らかにした。

9日 ●昨年12月6日国会において公布された「テロ取り締まりに関する緊急事態令」が更に1ヶ月延長されることが承認される(賛成:79票、反対:9票)。
●ムカジー印外相、4月に印で開催される第14回SAARC首脳会議への招待状を「ラ」大統領及びサマラウィーラ外相に手渡すために来訪(-10日)。同日「ラ」大統領と会談を行う。
●ジアーニ・ベルメッティ伊副外相、来訪(-12日)。

11日 ●「ラ」大統領、「ベ」伊副外相と会談を行う。

12日 ●昨年末をもって退職したパリハッカラ前外務次官の後任として、コホナSCOPP(政府和平調整事務局)事務局長が任命される(当館注:SCOPP事務局長ポストについては、「コ」次官が兼任することになるのか、又は新たに局長が任命されることになるのかはい未だ明らかにされていない)。
●与党SLFP(スリランカ自由党)及び野党SLMC(スリランカ・ムスリム会議)の代表団が今後の両党の関係について具体的な協議を行う。SLFP側代表団はSLMCに対し、政権に参加し、更なる協力関係を強く求めたが、SLMCは政権に参加する前に、民族問題の解決方法及びムスリムコミュニティの権利保護が満たされるまでは結論を出せないとの姿勢を示す。
●継続的な激しい降雨により、中央州(キャンディ県、ヌワラエリヤ県)、ウバ州(モネラガラ県、バドゥッラ県)、東部州(アンパーラ県)、南部州(ハンバントタ県)の6県域を中心に地滑り・洪水被害が発生し、18名が死亡、4名が負傷、被災者数が85,342名発生した。本地滑り・洪水災害に対して日本政府は「ス」政府に対して緊急援助物資の供与を行う。

15日 ●政府側にクロスオーバーを試みる11名の野党UNP(統一国民党)所属議員が、「ラ」大統領と今後の対応について協議を行う。

16日 ●UNP議員のクロスオーバーや昨年10月に与党SLFPとUNPが合意に達し
たMoUの行方について、「ラ」大統領とウィクラマシンハUNP総裁との会談が行われる。「ウィ」総裁は「ラ」大統領に対して、これらのUNP議員にクロスオーバーを呼びかけて閣僚ポストを付与することは昨年10月にSLFPとUNPが署名したMoUの精神に背く行為であると強調し、それでも「ラ」大統領がクロスオーバーを呼びかけるか、乃至MoUの実施を強化するために自分(「ウィ」総裁)と協力していくかは「ラ」大統領の手に委ねられている旨伝える。

17日 ●「ウィ」UNP総裁、UNP議員のクロスオーバーや党内の改革問題について話し合うためにUNP議員を招集し特別会合を開催する。本会合において「ウィ」UNP総裁は、UNP議員のクロスオーバーがSLFP及びUNPが署名したMoUに与える影響について「ラ」大統領に書簡を送付し警告する予定である旨伝える。
●「コ」SCOPP事務局長、外務次官としての任務を開始。
●「サ」外相、印訪問(-20日)。

19日 ●政府軍、LTTEによる支配が続いていた「ス」東部バティカロア県のワーカライを奪取。軍によると、ワーカライ奪取までの1週間においてLTTE要員376名及び政府軍兵士45名が死亡したが、政府軍のワーカライ市街地侵入にあたってはLTTE側からの強い抵抗はなく、約1時間の戦闘でワーカライ市街地及びワーカライ病院が解放された。
●クウェートのファラ・ファハッド・アルハジリ商業・産業大臣、来訪(-21日)。

21日 ●「ス」北部ジャフナ県ポイントペドロ南東の海上で、ジャフナへ食料を輸送していた貨物船シティー・オブ・リバプール号がポイントペドロ港で積み荷を降ろしてカンケサントゥライ港に向かう途中、LTTEによる攻撃を受ける。LTTEは約20隻のボートで同貨物船に近づき、これに対し海軍の哨戒艇や同貨物船に乗船していた海軍兵士が射撃し、LTTEのボート3隻が破壊された。この戦闘により、貨物船の船体の一部が損傷し、海軍兵士2名及び貨物船の乗員1名が負傷した。
●「ア」クウェート商業・産業大臣、「ラ」大統領と会談を行う。

22日 ●「ウィ」UNP総裁、UNP議員のクロスオーバー問題についてジャヤスーリヤUNP前副総裁と話し合う。「ウィ」UNP総裁、UNP改革派議員によるクロスオーバー問題に取り組む解決策を考案し、UNP及びSLFPの二大政党の協力体制を構築しようと試みている旨伝える。
●デ・シルバ保健大臣、第120回WHO幹部委員会に出席するために、ジュネーブへ(-30日)。

23日 ●「サ」外相、「ラ」大統領宛に書簡を送付し、UNP議員による政府側へのクロスオーバーに強い反発を表明し、かかる動向により昨年10月に署名されたSLFPとUNPのMoUを危機に晒してはならない旨要請。

25日 ●ミャンマーのニャン・ウイン外相、来訪(-28日)。同日「サ」外相及びウィクラマナヤケ首相と個別に会談を行う。
●「ウィ」UNP総裁、ネパール訪問(-28日)。

26日 ?●「ラ」大統領、「ウ」ミャンマー外相と会談を行う。
●「ウィ」UNP総裁、オリ・ネパール副首相及びシェルチャン・ネパール副首相と個別に会談を行う。

27日 ●午前5時30分頃、コロンボ港に侵入を試みたLTTEの自爆テロボート3隻が海軍に撃沈され、LTTE要員9名が死亡。
●「ウィ」UNP総裁、コイララ・ネパール首相及びプラチャンダ・マオイスト指導者と個別に会談を行う。

28日 ●内閣改造。大臣52名、副大臣19名、閣外大臣33名の合計104名(従来の84名から20名増)が就任する。UNP議員18名及びSLMC議員6名が政府側へクロスオーバーし、国会勢力は、これまでの与党88議席に今回のUNP及びSLMC議員のクロスオーバーを入れて112名、これにJVP(人民解放戦線)を離脱したナンダナ・グナティラカを入れると113名になり、定数225議席の過半数の確保を達成した(当館注:2月1日、今まで閣外協力を行っていたJHU(ジャーティカ・ヘラ・ウルマヤ)議員8名が政府側へクロスオーバーし、うち1名が環境・自然資源大臣に任命される。また、更に与党議員がそれぞれ閣外大臣及び副大臣に任命され、閣僚人数は107名となる)。
●「ウィ」UNP総裁、ネパールから印へ(-31日)。
●「ウィ」首相、印コングレス党主催のサティヤグラハー(ガンジーが提唱した非暴力・不服従運動)100周年記念国際会議(29日-30日)に出席するため訪印(-2月1日)。

29日 ●「ス」南部ゴール県において「スリランカ開発フォーラム」が開催される(-30日)。 世界銀行やアジア開発銀行、国連機関等、50ヶ国・機関以上が参加する。我が国からは荒木大使、高橋礼一郎外務省国際協力参事官他出席。
●「ウィ」首相、マンモハン・シン印首相と会談を行う。

30日 ●「ウィ」UNP総裁、「シ」印首相及び「ム」印外相と個別に会談を行う。

31日 ●ボーゴラガマ新外相、外相就任後の初の海外公式訪問として、印を訪問(-2月1日)。同日「シ」印首相及び「ム」印外相と個別に会談を行う。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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